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愛は氷点下で死んだ
愛は氷点下で死んだ
Auteur: くじら

第1話

Auteur: くじら
「紬のやつ、一体どういうつもりだ!莉奈が生まれつき病弱だと知っていながら窓を開けて冷風に晒すなんて、殺す気か!」

パリーン!久我家の広いリビングに、ガラスの砕け散る音が響き渡った。久我蓮(くが れん)が投げつけた体温計が壁に当たり、無惨な破片となって高級な絨毯の上に散らばる。

その怒声に、メイドたちは縮み上がり、壁際にへばりついて震えていた。見かねた古株の執事・佐久間(さくま)が、決死の覚悟で一歩前へ出る。

「旦那様、恐れながら申し上げます。奥様は、お部屋の空気が淀んでいるのを気にされて、少し換気をなされただけでございます。それに、あの日風は強くありませんでした。園田様が夜更けに布団を蹴ってしまわれたのが、風邪の原因かと……」

「黙れ!」蓮の鋭い一喝が、佐久間の言葉を遮った。その瞳は、氷のように冷たく、憎悪に満ちている。「お前まであの女の肩を持つのか?莉奈は昔から体が弱い。少しの風でも命取りになることを、紬が知らないわけがないだろう!あれは嫉妬だ。俺が莉奈を大切にしているのが気に入らなくて、わざとやったに決まっている!」

彼が何よりも大切にしている「莉奈」とは、園田莉奈(そのだ りな)。蓮とは幼い頃から兄妹のように育った幼馴染だ。

蓮にとって、莉奈は「守るべき無垢な宝物」。対して紬は、家同士の都合で押し付けられた「名ばかりの妻」。その差は、天と地ほどもあった。

「その性悪女を、ここに連れてこい!」

蓮の命令を受け、二人の屈強なボディーガードが久我紬(くが つむぎ)の部屋へと踏み込んでくる。彼女は両脇を抱えられ、引きずられるようにしてリビングへと連行された。

妊娠五ヶ月の腹部は少し膨らみ始めており、ゆったりとしたワンピースを着ていてもその曲線は見て取れる。彼女は必死にお腹を庇いながら、青ざめた顔で訴えた。

「蓮さん、信じて!わざとなんかじゃない……本当に、ただ空気を入れ替えたかっただけで、莉奈さんが風邪を引くなんて思ってもみなくて……」

「思ってもみなかった、だと?」蓮は鼻で笑い、紬との距離を詰める。見下ろすその目には、妻を見る温かさは微塵もなく、まるで汚物を見るような嫌悪感が漂っていた。

「紬。俺の子を妊娠したからといって、図に乗るなよ。俺にとってお前の価値など、莉奈の足元にも及ばない。あいつが高熱で苦しんでいるんだ、お前もそれ相応の代償を払え」

紬は恐怖で足がすくみ、涙が溢れ出した。「ごめんなさい、私が悪かった……二度と窓は開けない。これからはもっと莉奈さんを気遣うから。だからお願い、お腹の子に免じて許して……!」

「許す?」蓮はまるで冗談を聞いたかのように嘲るように笑った。「莉奈が味わった苦しみは、百倍にして返してもらう。おい、こいつを裏の冷凍倉庫へ放り込んでおけ。莉奈の風邪が完治するまで、そこから出すな」

「い、嫌っ!」紬は悲鳴を上げた。裏にある業務用冷凍倉庫は、普段はマイナス二十度以下に設定されている。そんな場所に、身重の体で閉じ込められたらどうなるか。「蓮さん、お願い!あそこは寒すぎる!私だけならまだしも、凍え死んでしまったら、赤ちゃんまで死んでしまう!どうか別の罰にして、何でもするから!」

だが、蓮は紬の必死の訴えなど耳に入らないかのように、冷たく背を向けた。「連れて行け。誰か一人でも情けをかけようとしたら、同罪と見なして処分する」

「嫌ぁああっ!蓮さん、蓮さん……ッ!」ボディーガードに引きずられながら、紬は絶望的な叫び声を上げた。遠ざかっていく夫の背中が、涙で滲んでいく。

結婚して一年。いつかきっと心が通じ合うと信じて尽くしてきたけれど、彼の中に、紬と子供の居場所なんて最初からどこにもなかったのだ。

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    紬は宙に浮かび、蓮の遺体が運ばれていくのを見下ろしていた。彼女の心にはさざ波ひとつ立たなかった。恨みも、怨念もない。まるで赤の他人の結末を見ているような、不思議なほど静かな気持ちだった。かつて彼女は、彼を一生恨み続けると思っていた。冷凍倉庫での冷酷な仕打ちも、子供を殺されたことも、莉奈に騙されて自分を傷つけ続けたことも、すべてを呪ってやると。けれど、こうして魂だけの姿になり、彼が一生をかけて償う姿を見続け、意気揚々としていた「久我蓮」という男が、見る影もなく老いさらばえていく様を見届けていたら――あんなに激しかった恨みは、風に吹かれた煙のように消え去ってしまった。それは「許した」からではない。「憎むほどの価値もなくなった」からだ。紬はかつて、彼を熱烈に愛し、すべてを捧げた。けれど彼はその愛を踏みにじり、尊厳を粉々に砕いた。その愛はとっくに、あの極寒の冷凍倉庫の中で凍りつき、砕け散ってしまっていたのだ。もう二度と元に戻ることはない。その時、懐かしい声が聞こえた。「紬……」振り向くと、そこには父と母が立っていた。記憶の中にあるいつもの姿だ。母は濃紺のカーディガンを、父はグレーのジャケットを着て、優しい笑顔で紬に向かって歩いてくる。そして、二人の足元には、小さな影が寄り添っていた。白いベビー服を着た男の子。まん丸な顔に、愛らしい笑顔を浮かべている。その大きな瞳は、紬にそっくりだった。あの子だ。失われた子供だ。氷のように冷たく固まっていたあの日とは違う、とても健康的で、可愛い姿をしていた。「紬、迎えに来たよ」母が手を差し出した。その手は、幼い頃に握った時と同じように温かかった。紬はもう耐えきれず、切れた糸のように涙をこぼしながら駆け出し、母の胸に飛び込んだ。母は優しく紬の背中をトントンと叩いてくれた。小さい頃、いじめられて泣いていた彼女を慰めてくれた時と同じように。「よしよし、もう泣かないで。紬はたくさん苦労したわね。これからはもう、辛い思いなんてしなくていいのよ」父も目を赤くして傍らに立ち、娘の頭を撫でた。「バカな子だ。そもそも、蓮さんなんかと結婚させるべきじゃなかったんだ。お前にこんな苦労をさせて……すまなかったな」紬は首を横に振り、父を見上げた。「ううん、お父さんのせいじゃない。私が自分で選んだ道だから…

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    秋風が枯れ落ち葉を巻き上げ、墓の前でひとしきり舞った後、カサカサと音を立てて蓮の肩に降り積もる。彼は桃の木でできた杖に寄りかかっていた。持ち手部分に彫刻された「絡み合う蓮の花」は、かつての艶を失っている。それはまるで、長い年月の風雪に晒され、老いさらばえて脆くなった彼自身そのものだった。ここ数年、彼は墓の側を離れようとしなかった。墓石の横には色褪せたウールのブランケットが敷かれ、その上には紬が生前気に入っていたジャスミンの香炉が置かれている。だが今、香炉の中の灰は冷え切っている。彼が何かを思い出した時だけ、震える手でマッチを擦り、安物の線香に火を灯すのだ。頼りない煙が風に吹かれ、虚空へと消えていくのを、彼はただぼんやりと見つめていた。彼の髪はすっかり白くなり、薄くなった頭皮に張り付いている。目尻の皺は深い溝のように刻まれ、かつて鋭い光を放っていた瞳は、今や白く濁り、光を失っていた。座り込むたびに、彼は墓石を支えにして、荒い息を整えなければならない。胸の奥から響く咳は、まるで壊れたふいごが軋むような音を立て、一度咳き込むたびに身を引き裂くような痛みが走った。執事の佐久間は、屋敷に戻って療養するよう何度も説得した。介護士を雇い、温かいベッドで過ごすべきだと。しかし蓮は、そのたびに静かに首を横に振るのだった。彼は枯れ木のような指で、墓石に刻まれた「紬」の名前を何度も何度も撫でる。まるで、壊れやすい至宝に触れるかのように。「紬は、あの広い屋敷の寒々しさが嫌いなんだ」彼はいつも、うわごとのようにそう呟いた。「ここには彼女の好きな桐の木がある。子供も一緒にいる。ここなら、彼女は寂しくないはずだ」だが本当は、彼自身が一番よくわかっていた。寂しくてたまらないのは、紬ではなく自分自身なのだと。ある日の早朝。まだ空が白みきらないうちに、蓮は墓の脇に建てられた粗末な小屋から、足を引きずるようにして出てきた。それは佐久間が手配して建てた仮設の小屋で、中には粗末なベッドと石炭ストーブがあるだけだ。冬は氷室のように冷え込み、夏は蒸し風呂のように暑い。それでも彼は、ここを離れようとはしなかった。彼は色褪せた厚手の上着を羽織り、墓の前まで来ると、懐からハンカチに包まれた「何か」を大切そうに取り出した。震える手で包みを開く。中に入っていたのは、

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  • 愛は氷点下で死んだ   第5話

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