LOGINそれから数日を夏目家で過ごした由利は、ある問題に直面していた。「おかしいわね……どこに閉まったかしら……?」彼女は部屋の中であるものを探し回っていた。引き出しの中だけでなく、ベッドの下までを確認するが、どこにも見当たらない。(どうして急になくなってしまったんだろう……)由利が探していたのは、まさに数日前薄井夫人からプレゼントされた指輪だった。ベッド横の上から二番目の引き出しにきちんと保管しておいたはずが、いつの間にか箱ごとなくなっていたのである。「どうしよう……せっかくお義母さんがくれたっていうのに……」由利の目から涙が溢れそうになった。実の親よりも優しい夫人がくれたものをなくしてしまうだなんて、情けない。由利は自室だけではなく、他の部屋も探し始めた。「――ねぇ、紫苑。私の指輪知らない?」リビングでくつろいでいた紫苑に、由利は尋ねた。紫苑はきょとんとした顔をしながら、首を横に振った。「知らないわ。姉さんったら、もしかしてなくしたの?」「…………気付いたら、なくなっていたの」「……まぁ、そんな」あの指輪がどれくらいの価値があるのか、紫苑ですら見ればわかる。由利は絶句した様子の紫苑の表情を、じっと観察した。(紫苑……あなた、盗んでないでしょうね……?)血の繋がった妹を疑いたくはなかったが、彼女ならやりかねない。紫苑に疑いの目を向ける由利に、彼女はある提案をした。「……そうね、姉さんの部屋はいつもきちんと整理整頓されているし……姉さんがそんなに大切なものをなくすとは思えないわ」「……紫苑?」突然何を言い出すのか。困惑した様子の由利の耳元で、紫苑は囁いた。「――つまり、指輪を誰かが盗んだということで間違いなさそうだわ。あなたもそう思ってたから私に聞いたんでしょう?姉さん」「……」紫苑の赤い口紅が、自然と弧を描いた。どうやら紫苑は、最初から由利の考えを知っていたようだった。由利の心臓がうるさいくらいに高鳴った。しかし、紫苑はそんな姉を心外だと責めることもせず、身体を離した。「でも残念ね。私じゃないわ、指輪を盗んだの。そんなに疑わしいなら、部屋を調べてくれたっていいのよ?」「紫苑……私はそんなことしないわ」由利はゆっくりと首を横に振った。表情を見るに、嘘をついているようにはとても見えなかったからだ。それに、紫苑はハイブランドの
淳子は由利が薄井夫人から貰った指輪を見たあと、急いで自室へと戻っていた。洋介との思い出がいくつも飾られた、彼女にとっては憂鬱になる部屋。そんな部屋で、淳子は必死に探しものをしていた。「ない……ない……どこに閉まったかしら……」彼女は手当たり次第に部屋にある引き出しを開けていく。中を漁り、入っているものを全て出してまで懸命に捜索した。引き出しだけではなく、クローゼットやチェストの裏まで。彼女はくまなく探し続け、ようやく見つけ出した。「あったわ!!!」部屋の隅っこにある棚の一番下の引き出し。その最奥に入っていた箱を、彼女は取り出した。その箱は淳子が視界にすら入れたくないと、何十年も前からずっとその場所に放置されていた。そんなものを、なぜ今になって探していたのか。彼女は箱の中身を開いた。中から姿を現わしたのは、ダイヤモンドの指輪だった。――淳子が婚約した頃、洋介に貰ったものである。元恋人にプレゼントされた指輪よりもずっと高価で、世界的に有名なハイブランドジュエリーのものだ。洋介を嫌悪する淳子ですら、最初は近しい者たちに自慢していたほどの代物である。彼女は指輪を手に取ると、左手の薬指にそっとはめた。大きなダイヤモンドがキラキラと光り輝いた。お金のある男性との結婚を望む一般女性からしたら羨ましくてたまらないだろう。しかし、淳子は今になってその指輪では満足できない理由があった。「どうして……あの子のよりも小さいのよ……」そう、彼女が洋介に与えられた指輪は、由利が薄井夫人に貰ったものよりもダイヤのサイズが小さかった。それを理由に、淳子は由利に並々ならぬ嫉妬心を抱いていた。彼女は思わず、拳をギュッと握りしめた。こんな指輪、今すぐでも捨ててしまいたい。一度狂ってしまうと、彼女は手が付けられない。洋介から貰った指輪を箱ごと、ゴミ箱に投げ入れた。どうせ洋介のほうも、プレゼントしたことなど忘れているだろう。彼との結婚を受け入れたのは紛れもない淳子自身だったが、あの指輪はまさに彼女を不幸へと導くものだった。彼への指輪を何の迷いもなく捨てたあと、淳子は部屋で呟いた。「……由利には、身の程ってものをわからせないといけないわね」由利は淳子にとって不幸の象徴で、紫苑は淳子にとって復讐を遂行してくれる希望の光。紫苑に愛情は注げても、由利に愛を与えることはどうして
夜になり、夏目家に帰る時間となった。碧斗の実家と由利の家はそれほど遠くはないため、もう何泊かしてもいいくらいだった。しかし、これ以上家を空けると母親がうるさい。『まだ帰ってこないわけ?一体どこで道草食ってるのよ』今も由利のスマートフォンには母淳子からのメッセージが届いている。カバンの中に閉まっているスマホの通知音を感じ取った由利は、電源を切っておけばよかったと後悔した。「お義父さん、お義母さん。お世話になりました」薄井家のエントランスで、由利は義理の両親と向かい合っていた。「いえいえ、気にしないでちょうだい」「ああ、私も義理の娘と久々に過ごせて嬉しかったよ」二人は快く由利を見送った。まだ残ってほしいと思う気持ちは、当然夫妻にもあった。しかし、よその家庭の事情に口を挟むことはできないし、由利本人が帰ると言っているのだから引き留めることもできない。「……涼介兄さん」「由利」彼女は夫人の横に立っていた涼介に視線を移した。彼は彼女にそっと近づくと、小さな声で囁いた。「俺のあの言葉、忘れるなよ」「……!」――必ず助け出す。つい昨日、涼介が由利に言ったことだった。どういう意味だろうと、しばらくは頭から離れなかった彼の言葉。今になって、ようやく意味がわかったような気がする。「……もちろん、忘れてなんていないわ」「何かあったら俺がどこへでも行ってやるから」涼介は由利の肩にポンと手を置き、念を押した。由利はそんな彼に向けて、力強く頷いた。「ありがとう、兄さん。私、もう少しだけあの家で耐えてみるわ」「そうか……逃げたくなったらいつでもここへ来い。俺も母さんも父さんも……お前を受け入れる準備はできてるんだから」今のところ薄井家で暮らす予定はないが、本当に辛くて苦しくてどうしようもなかったら行くかもしれない。由利は挨拶を終えると、家を出た。どうやら父の洋介が迎えの車を寄越したようだ。今までそんなことは一度もなかったというのに、今日に限ってどうして。由利は疑問に思いながらも車に乗り込み、およそ一日ぶりに夏目家まで帰った。後部座席の窓から見える景色を眺めていた彼女は、どこか遠い目をしていた。憂鬱な気持ちを必死で隠しながら、由利は家に入った。「ただいま」「おかえり、姉さん」真っ先に彼女を出迎えたのは紫苑だった。紫苑は由利を見るなり、嬉しそ
翌日の朝、由利は薄井家で義理の両親――そして涼介と四人で食卓を囲んでいた。テーブルの上には、豪華な食事が並べられている。もちろん、全て薄井夫人の手作りだ。「今日で夏目家に帰っちゃうだなんて……とっても寂しくなるわね」「短い間ですが、お世話になりました。お義母さん」当然、由利もできることならずっとここで暮らしたかった。しかし、そんな彼女の願いは認められない。両親は由利を毛嫌いしているが、なぜか家を空けることは極度に嫌った。(母さんからしたら、家事を手伝う人がいなくなるのが困るのよね……)そんな理由で家にいることを望まれているとは、何とも切ない。スクランブルエッグを口に運んでいた由利に、夫人が何かを思いついた様子で声をかけた。「そうだ、由利ちゃんに渡したいものがあるのよ。朝食が終わったら、私の部屋に来てくれるかしら?」「渡したいもの……ですか?」***朝食後、由利は約束通り夫人の部屋を訪れた。彼女が与えられた部屋と同じくらいの広さで、室内には夫人の趣味であろうアンティーク調の家具が設置されていた。まるで異世界ファンタジー漫画に出てくるヨーロッパの貴族の部屋のようで、何だか胸が躍る。「夫人……渡したいものって一体……?」「うふふ、それはね……」薄井夫人はニッコリ笑うと、クローゼットからあるものを取り出した。箱の大きさや形から察するに、おそらくそれは指輪だろう。夫人は由利の前に箱を出すと、中身を彼女に見せるように開けた。開けた瞬間、由利は中に入っていたそれに目を奪われた。「わぁ、とっても綺麗……!」箱から姿を現わしたのは、大きなダイヤモンドをあしらった指輪だった。シルバーのリングの中央に、ペアシェイプのダイヤモンドが豪華に飾られている。「かなり前に買ったものなんだけどね……将来息子の妻になった人にあげたいと思ってずっと取っておいていたのよ」「これを私にですか……?」碧斗から貰った婚約指輪も、ここまでの大きさではなかった。というか、こんな大きなダイヤの指輪を着けてる人なんてほとんど見ない。「ええ、ぜひ受け取ってちょうだい」「ありがとうございます、夫人」夫人は由利の右手を取ると、人差し指にそっと指輪をはめた。ダイヤモンドが大きすぎるせいか、指にズッシリとした重みを感じる。(すごく綺麗……)人差し指でキラキラ白い光を放つダイヤモ
由利が悪夢から目を覚ましたのは、まだ人々が眠る深夜だった。最後の記憶が腹部を刺されたものであるせいか、彼女の額からは大量の汗が流れていた。「わ、私……死んでないわよね!?」慌てて腹を手で押さえたが、傷は見当たらない。目でもしっかりと確認したが、綺麗なままだった。由利は何度も深呼吸を繰り返し、カーテンの隙間から見える夜の景色でようやく落ち着きを取り戻した。そこから見えた景色が、明らかに実家のものとは違った。今彼女がいるのは住み慣れた夏目家ではなく、薄井家だった。そういえば、薄井家に泊まりに来たんだっけ。そこでようやく眠る前の記憶を思い出した。薄井家で過ごした穏やかで楽しい時間が頭に蘇る。「よかった……また死んでループしたのかと思った。五度目のループだなんてことになったら……私今度こそ耐えられないかもしれない」死んでも永遠に生き返れると聞くと、羨ましく思うかもしれないが、それは一度目だけだった。生まれてからずっと苦しみに満ちた人生を送ってきた由利は、その無限ループに苦しめられていた。四度目、回帰した由利は心に誓った。今度こそ絶対に最後まで生き抜き、二度と回帰はしないと。それからというもの、由利は時間があるときに自らが体験したループの謎を探っていた。しかし、インターネットや本を使って徹底的に調べたものの、めぼしい情報は得られなかった。そんなときに舞い込んできた驚きの情報。「一度目の私も……記憶がなかっただけであの後死んでいたのね……三度目のように」由利は額を手で押さえながら呟いた。ループの条件は碧斗と紫苑が亡くなってしまうことだとずっと思っていた彼女にとっては、青天の霹靂だった。碧斗と紫苑の二人が亡くなった時点では、一度目の彼女はまだ生きていた。だとすれば、もしかすると本当のループの条件は……「――私自身が……亡くなること?」もはや、それ以外に考えられる要因は存在しなかった。しかし、本当のループの条件がわかったところで、大きな謎が残る。由利は長い長い夢の最後に見た人物を思い浮かべた。碧斗や紫苑よりもずっと深く記憶に残る、あの狂気的な瞳。一度見たらそう簡単に忘れることはできないだろう。一度目に彼女を殺害し、そして三度目でも彼女を始めとした多くの人間を通り魔という形で殺害した。彼のことを考えると、腹の左側がうずいた。「あの人は、一体何者なん
その後、涼介は部屋へ戻り、由利は早めにベッドに入って電気を消した。しかし、彼女は今日に限ってなぜか眠ることができなかった。(………いつもと環境が違うから?いいえ、それにしては変だわ)ハワイ旅行のときもこんなに眠れないことはなかった。由利の頭に永遠に流れていたのは、ついさっき見た涼介の表情と声。『――俺が必ずお前を救い出す』涼介とはずいぶん久々の再会なはずだった。しかしなぜか、そんな彼を初めて見たような気がしなかった。もちろん昔は碧斗や紫苑と一緒にかなり遊んだ仲ではあるけれど、既視感を覚えたのはそこではない。――いつかの前世で、彼の姿を見たような気がしてならない。(私ったら、どうしてこんなにも心を乱されるのかしら?)由利は頭から離れない涼介を完全に消し去り、ギュッと目を閉じた。心が落ち着くと、徐々に眠りへと誘われ、十分も経った頃には由利は完全に意識を手放した。そしてその日、彼女はなんと前世の夢を見た。一度目、二度目と碧斗は由利の目の前で自らの命を絶った。一度目は猟銃で頭を撃ち抜き、二度目はビルの屋上から飛び降りて。由利は彼の命が消えていくその瞬間を、ただ黙ったまま見つめていることしかできなかった。一瞬の出来事で、何が起こっているのか理解すらできない。『碧斗……しっかりして……』由利は碧斗の遺体に縋り付くが、既に反応はない。着ていた真っ白な服が、血で汚されていく。由利は震える手を何とか動かし、碧斗の頬に手を触れた。――人ではないと感じるほどに冷たい。彼が冷たいのは今に始まったことではなかったが、身体に温もりを一切感じられないのは初めてだった。由利は初めて碧斗に抱かれた日のことを今でもよく思い出せる。たしかに目は冷たかったけど、触れる手には温もりが存在していた。『……あぁ、どうして』由利は虚ろな目から涙を流し、真っ黒な空を見上げた。外からは、パトカーのサイレンの音が聞こえてくる。おそらく、銃の音を聞いた近隣住民の誰かが通報したのだろう。しかし、今の由利にはそんなもの耳にも入ってこなかった。その後、由利は駆け付けた警察によって碧斗の遺体から引き剥がされた。両親やメイドたちが、彼の遺体を悲痛な面持ちで見つめている。――ここから先は、知らない記憶だった。由利は第一発見者として、警察署で事情聴取を受けることになった。しかし、彼女を犯人だ
結婚してから三年が過ぎたあたりのことだった。前世で由利が妊娠したのとちょうど同じ時期。今世では由利の代わりに紫苑が彼の子を身籠った。前世と違って驚きはしなかったし、怒りすら湧いてこなかった。彼女自身も、そうなることを望んでいたからだ。このときには既に、碧斗と紫苑は不倫関係にあった。そのことに由利も薄々勘付いていた。思えば、最初から気付かなかった自分がおかしかったのだ。前世から、碧斗は看病を理由によく紫苑の部屋を訪れていた。その頻度は週に五回以上、妻である由利よりも紫苑と過ごす時間のほうが多いほどだった。由利と夜を共にするのは週に一度であるのに対し、義妹である紫苑とは異常ともいえるほど夜
実に二度目の回帰、三度目の生だった。前世と同じ、結婚一年目のあの日に戻ってきたようだった。彼女はそのことに困惑したが、二度目だったせいか、今回は落ち着いて行動することができた。紫苑が亡くなり、碧斗が死んだことにより彼女は回帰した。それは前世と同じだった。ここから推測できることは一つだけ。それは、碧斗の死が彼女の回帰に繋がっているということだ。――碧斗が亡くなったことをきっかけに、私は巻き戻ってきた。なら、碧斗が死ななければ、二度と回帰することはないのではないか。由利がそのような結論に至るまで、そう時間はかからなかった。そのためには紫苑が死なないようにする必要があった。彼女がいなくな
由利は時間が止まったかのように固まり、そのまま動かなくなった。信じられないというような目で妹の紫苑を見つめた。碧斗の子を妊娠?あなたは一体何を言っているの?私の妊娠を祝福していた裏で、ずっとそのことを隠していたの?由利の体が小刻みに震え始める。私はずっと二人に裏切られていたというのか。紫苑はそんな由利を見て、申し訳なさそうに眉を下げた。「ごめんなさい、姉さん……」由利は黙ったまま何も言えなかった。その一言で済むような事態ではないからだ。子供ができたということは、当然体の関係があったわけで。姉の旦那と平然と関係を持つだけではなく、子供まで作ったのか。紫苑が碧斗と不倫していたことを、由
目が覚めると、由利は病院の一室にいた。「無事だったんですね、よかったです」「あなた……」ベッドに横たわる由利の顔を、夏目家のメイドが心配そうに覗き込んだ。また巻き戻ってきたのではないかと思ったが、どうやらそうではないようだ。由利は自身の安否など気にも留めず、メイドに尋ねた。「お腹の子は……」「……」その問いに、メイドは痛々しそうに視線を逸らした。由利は彼女の反応で全てを悟った。――あぁ、流産してしまったんだ。奇跡のように私の元へやって来てくれた子は、産まれることもなく亡くなってしまったのね。悲しくて、悔しくて、やりきれない気持ちになった。由利は病室内を見渡した。流産したと