LOGIN遥真の胸が、きゅっと締めつけられた。陽翔は懸命に口元を上げた。「パパ、全部うまくいくように頑張ってね」「陽翔……」遥真は何とか安心させようとした。「もう遅いし、明日は学校だから、僕は先に寝るね」陽翔は言った。「パパも早く休んでね。体が元気じゃないと、何もできないから」「分かった」遥真の声は低く掠れていた。陽翔は小さく「うん」と返して通話を切った。通話終了の音が聞こえた瞬間、布団を引き寄せて頭からすっぽりかぶる。まるで布団の中に隠れていれば、こんなことは起きなかったことにできるかのように。陽翔には、パパの気持ちが分からなかった。前は、他の女のことでママと喧嘩した。今度は別のことのために、自分とママを後回しにしている。ついこの前まで、ママを一生大切にすると言っていたのに。自分とママは、パパにとって何より大切な存在だとも言っていたのに。「陽翔」柚香の声が聞こえた。布団の中で小さくしゃくり上げている陽翔を見た瞬間、胸が押しつぶされるように苦しくなる。遥真が陽翔には受け止めきれないようなことを言っていないか心配で様子を見に来ただけだった。まさか、こんな姿を目にするとは思わなかった。柚香は布団の上からそっと背中を叩き、無理に布団をめくろうとはしなかった。「パパ、何て言ってたの?」陽翔は布団から顔を出した。まん丸な目は少し赤くなっていて、そのまま柚香の胸に飛び込む。「ママ……」柚香は優しく抱きしめた。陽翔は鼻をすすりながら言った。「パパ、なんか変わっちゃったみたい」「変わったんじゃないよ。ただ、今はどうしても片づけなきゃいけない大事なことがあるの」柚香は陽翔の頭を撫でた。優しさの中に、深い愛情が滲んでいる。「それが終わったら、きっと陽翔に会いに来るから」「ママのばか!」陽翔の目がさらに赤くなる。「パパがこんななのに、まだパパの味方するの?」柚香は陽翔を抱きしめたまま、何も言わなかった。陽翔は何もかも分かっている。ただ、誰かにパパは変わっていないと、肯定してほしいだけなのだ。同じ頃、遥真のいる場所では。陽翔との通話を終えてから、遥真はそこに座ったまま動かなかった。頭の中には、陽翔の言葉が何度もよみがえっていた。――僕たち三人で一緒にいることより大事?この問いに、どう答えればい
そうは言っても、陽翔の心の中にある不安や心配が少しも消えたわけではなかった。何日も続けて同じような夢を見ているせいで、どうしても不安になってしまう。「この時間なら、まだ寝てないと思う」柚香は時間を確認すると、スマホを取り出して遥真とのチャット画面を開いた。「電話してみる?」陽翔は柚香を見つめ、しばらく迷ったあと、小さく頷いた。所詮、まだ子どもなのだ。普段はどれだけ聞き分けがよくてしっかりしていても、こういうときには不安になる。柚香がビデオ通話をかけると、三回も呼び出し音が鳴らないうちに遥真が出た。「何?」遥真の声は冷たく、よそよそしかった。「陽翔が言ってたの。パパが電話に出ないから、ここ何日か続けて、パパに忘れられて、パパが別の子どもを作る夢を見てるって」柚香はそう言いながらスマホを陽翔に渡した。その口調はあまりにも平静で、まるで二人がただの他人であるかのようだ。遥真は黙り込んだ。電話に出る前に考えていた、よそよそしい言葉は一瞬ですべて消えていた。柚香は陽翔の頭を撫でながら、遥真に言った。「陽翔と話してあげて」「ママ……」二人の間に漂う妙な空気に、陽翔も気づいた。「聞きたいことがあるなら、何でも聞いていいよ」柚香は、陽翔に一人で抱え込ませたくなかった。「パパなんだから、陽翔のことを心配して、質問に答えるのは当然でしょ」陽翔は、画面の中でいつもと変わらず無表情な遥真を見た。柚香は陽翔の肩に手を置いた。「話し終わったら、そこにスマホを置いておいて。用事が終わったら取りに来るから」陽翔は頷いて、「うん」と答えた。柚香は立ち上がると、書斎へ向かった。部屋を出るときには、ドアも閉めた。画面越しに父と息子が向かい合い、二人の間には沈黙が落ちた。電話に出るまでは、陽翔には遥真に聞きたいことがたくさんあった。どうして電話に出てくれないのか。このところ何をしているのか。そして、夢で見たことが本当に起こるのか……けれど今、この瞬間になると、もう何も聞きたくなくなっていた。ただ、画面の中にいる、少し遠く感じる遥真を見つめて口を開いた。「パパ」「うん」「パパとママ、どうしたの?」陽翔は遠回しな言い方をせず、まっすぐ尋ねた。「前に言ってたこと、もう全部なしになったの?」「そんなことないさ」遥真
その後。理沙は下で誕生日パーティーの主役として忙しくしていた。柚香は少し離れたところから、そんな彼女を見ていた。理沙が一通りの用事を終えるのを待ってから、柚香は別れを告げた。帰りの車の中で、柚香は後部座席にゆったりと座っていた。運転している康平が、からかうように言った。「ちゃんとプレゼント代、もらいましたか?」「もらってないよ」柚香が答える。康平「?」慎吾「?」慎吾はしばらく考えた末、ある結論にたどり着いた。「もしかして、彼女にお金を払ってほしいって、言いづらかったんですか?」「今日は彼女の誕生日だから」柚香はこういうことで恥ずかしがるタイプではない。「友達になったばかりなんだから、プレゼントくらい渡さないと」慎吾「社長」柚香「ん?」「俺も、社長と友達になりたいです」慎吾は大真面目な顔で言った。康平も便乗する。「俺も」柚香は呆気に取られた。「?」「俺たち、今は友達ですか?」慎吾が尋ねる。柚香は二人が何を企んでいるのか、一目で分かった。そして迷うことなく否定した。「違うよ」「前は俺たちのこと、友達って言ってたじゃないですか」慎吾は、あれだけの大金を逃してしまったことを思い出して、悔しそうに言った。「嘘つきですね」「二人とも、隊長には連絡した?」柚香は話題を変えた。「二日くらい休みを取る?」康平「……」慎吾「……」この話をしなければまだよかった。話題に出された途端、康平と慎吾の気分は一気に沈んだ。帰ってきてから今まで、二人はわざとそのことを考えないようにしていた。考えなければ、自分たちのせいじゃない。そんなくだらない話をしながら、三人は家に着いた。柚香は部屋に戻って身支度を済ませてから、陽翔の部屋へ向かった。このところあまりにも忙しくて、子供のことをろくに気にかけてやれていなかった。ところが、部屋に入った途端、陽翔と一緒にベッドに座って物語を読んでいる和雄の姿が目に入った。柚香に気づいた和雄は、慈愛に満ちた笑顔を浮かべて声をかける。「柚香、帰ってきたのか」「おじいちゃん」柚香はそう呼びかけた。そこでようやく、和雄が以前からここで暮らしていることを思い出した。このところあまりにもいろいろなことが重なっていて、すっかり忘れていた。「ママ!」陽翔がベッド
理沙は柚香の反応に、思わず呆れて笑った。「下に行って挨拶しなくていいの?」柚香は彼女を見て、少し危ない人なのではないかと思った。「この時間なら、もう友達も来てるんじゃない?」「あなた一人だけよ」理沙は何でもないことのように言った。柚香は一瞬、意味が分からなかった。「え?」「他は全部、表面上の付き合いだから」理沙は淡々としていた。彼女にとっては、ごく当たり前のことらしい。「あとで会ったら、『用事があって抜けた』って言えばいいよ。誰もいちいち気にしないから」柚香は、これまで見聞きした理沙の情報を思い返した。確かに、理沙と特別親しい友人がいるという話は聞いたことがなかった。それでも、理沙はしばらく柚香と話していたが、結局は一緒に下へ降りていった。今日は理沙が主役だ。ここに来ているのは家族以外では、理沙の友人やこれまで仕事で関わりのあった人たちがほとんどだった。宴会というより、大規模なパーティーに近かった。理沙がいなくなると、柚香は適当な場所を見つけて腰を下ろし、少し休むことにした。京原市から戻ってきてから、まともに休む暇もなかった。ようやく一息ついたところで、また遥真のことが頭に浮かんでくる。スマホを取り出して時間を確認すると、もう夜の七時半頃だった。そろそろ外に出て慎吾と康平に少し話をしようと思っていたところへ、怒った様子でこちらへ向かってくる海斗と静香が目に入った。廊下の天井にはあちこちに監視カメラがある。この二人が何か仕掛けてきても、そう簡単にはどうにもできないだろう。柚香は二人を無視し、そのままエレベーターへ向かった。「待て!」海斗が素早く前に回り込んだ。柚香は表情一つ変えず、海斗のお腹に視線を落とした。そして、穏やかな口調のまま、いちばん効く言葉を口にした。「さっき蹴られたばかりなのに、まだ懲りてないの?」海斗は反射的に二歩ほど後ずさり、左右をきょろきょろ見回した。またどこからか慎吾と康平が現れて、蹴られるのではないかと警戒しているらしい。「私たちは喧嘩しに来たんじゃないわ」静香が前に出て、真剣な顔で口を開いた。「あなたが理沙に騙されないように、本当の顔を教えてあげようと思っただけ!」「私の友達がどんな人なのか、あなたたちに教えてもらう必要はないわ」柚香は淡々と言った。「本当に、
「必要ないよ」理沙は自分の指先をいじりながら答えた。柚香の目に疑問が浮かぶ。理沙は何でもないことのように言った。「たぶん、中に花粉が混ざった化粧品が入ってる」柚香は少し考えてから尋ねた。「花粉アレルギーなの?」理沙は頷いた。「うん」このことを知っているのは、池田家の人間だけだ。海斗と静香が知ったのも、家の使用人が二人が花束を抱えて帰ってきたのを見て、それを教えたからだった。「こういうこと、今回が初めてじゃないから」理沙は何でもないように言った。「好きにやらせておけばいいよ。何度も繰り返してれば、父だって、あの二人がどうしようもないって分かるから」「あなたが分かってるなら、よかった」柚香は少しだけ安心した。「大丈夫。あの二人じゃ何もできないから」理沙は、最初から二人を敵だと思ったことすらなかった。柚香は頷いた。その次の瞬間、何かを思いついたように、疑うような目で理沙を見る。理沙は腕を組み、いたって平然としていた。「どうしたの?」「これ、最初から分かってたんじゃない?」柚香は思った。この話を聞いてから今まで、理沙はずっと落ち着いていた。驚いた様子も、一瞬たりとも見せていない。大胆な推測だったが、そうとしか思えなかった。理沙の瞳に笑みが浮かぶ。「どう思う?」柚香は、自分が余計な心配をしていたような気がしてきた。考えてみれば、理沙だって蒼海市で生まれ育った池田家のお嬢様だ。どうして、よそ者の二人に簡単にしてやられるだろう。「少しくらい隙を与えてあげないと、どうやって失敗させるの?」理沙の口元に、自信に満ちた笑みが浮かんだ。「失敗させなきゃ、父にあの二人はもう見込みがないって思わせられないでしょ」「じゃあ、私はこれで」柚香はきっぱりと言った。この瞬間、柚香はふと、遥真が言っていたことの意味を実感した。神崎家が自分に課している試練は、公平じゃない。理沙は池田家のお嬢様だ。たとえ直樹の計画では、将来、家のために政略結婚をすることになっていたとしても、理沙は幼い頃からずっと家族の中で育ち、家というものの仕組みを身近で見ながら、そうした環境の中で教育されてきた。一方、海斗と静香は違う。二人はただの一般人だ。たまたま運よくこの世界に入り込めたとしても、知識も、人脈も、さらには物事の考
柚香は、あの夜に会った朔也のことを思い出した。ほんの数分間話しただけだったが、言葉の端々から、明るく気さくな性格だということは伝わってきた。「怒るなら、さっさと怒って」理沙はドレッサーの前にある椅子に腰を下ろし、顔を上げて柚香を見る。「怒り終わったら、時間を作って一度うちに来て」「面倒だから、相手にしたくない」柚香は素っ気なく返した。「じゃあ、もう怒り終わったってことで」理沙はそう言って、にやっと笑った。柚香はそれ以上何も言わなかった。理沙に対して、いい印象を持っているのは確かだった。これまで話しているときも、いつもふざけた調子だったり、わざと自分をからかったりしていたが、不思議と嫌な感じはしなかった。「今週はちょっと忙しいから、来週以降なら好きな日に決めていいよ」隣の市から持ち帰った第二期プロジェクトの資料を、まだ会社に持っていっていないことを思い出し、柚香は自分からそう言った。理沙は相変わらず調子が軽い。「そんなに私のこと好きなの?」柚香「……」理沙は片手で頬杖をついた。「利用されたのに、それでも私を助けてくれるんだ?」「理沙さんが美人で、口も上手くて、人をその気にさせるのが得意だからでしょ」柚香は理沙の真似をして言った。「私、意志が弱いから。しつこく迫られたら、断れないんだよね」理沙は笑った。その瞬間、自分がどうして柚香と友達になりたいと思ったのか、なんとなく分かった。さっきだって、本当なら「これ以上ふざけてたら、もう手を貸さないから。湊人と結婚することになるわよ」くらい言ってもよかった。でも柚香は言わなかった。その話には一度も触れなかった。こんなに誠実で、優しくて、純粋な心を持った人。好きになるなというほうが難しい。「そんなに熱い目で見ないでよ」理沙の視線を受けて、柚香は少し居心地が悪くなり、軽く咳払いをした。「私、普通に男の人が好きだから」「本当に?」理沙はゆっくり立ち上がり、身をかがめて柚香に近づいた。柚香は動じない。「本当」理沙の白く滑らかな指先が、柚香の頬に触れた。指の腹がゆっくりと下へ滑っていく。その声は、花の香りのように甘く柔らかかった。「本当に普通なら、どうして私にしつこく迫られたら断れないの?」「……」柚香は全身に鳥肌が立つのを感じた。「あなたがそ