Partager

第574話

Auteur: 結奈々
食事会も終盤に差しかかった頃、慎吾はテーブルをぐるりと見回し、声を潜めて柚香の耳元でささやいた。「社長、なんか変です」

柚香は口元に笑みを浮かべたまま、相手と談笑していた。

聞こえていると分かった慎吾は、さらに小声で続けた。「この食事会、誰も一滴もお酒を飲んでません。不自然です」

「どこが不自然なの?」柚香は雑談を終えてから返事をした。「あまり深い意味はないと思うけど。お酒が好きな人もいれば、お茶が好きな人もいる。人それぞれじゃない?」

「社長はまだ経験が足りません」慎吾は至って真面目な顔だった。

柚香はちらりと彼を見た。

この人、ただお酒がなくて退屈なだけじゃないの?

それから十分ほど経ち、食事会はお開きになった。

病院側の人たちは次々と立ち上がって席を立ち、一人ひとり丁寧に柚香へ礼を述べて別れを告げた。柚香も彼らを個室の外まで見送る。

「ここまでで結構ですよ」そのうちの一人がそう言った。

「はい」柚香はうなずき、その場で足を止めた。おそらく、食事会に参加していたところを誰かに見られたくないのだろう。

「社長」慎吾は彼らの後ろ姿を見送りながら、真剣そのものの口調
Continuez à lire ce livre gratuitement
Scanner le code pour télécharger l'application
Chapitre verrouillé

Dernier chapitre

  • 手遅れの愛、妻と子を失った社長   第779話

    「どうしたんですか?」康平が柚香の様子がおかしいことに気づき、尋ねた。「何でもない」柚香は気持ちを押し込み、それ以上考えないことにした。「行こう。隣の市へ」さっきの男が話していたことの多くは事実なのだろう。だが、遥真は基本的に理性的な人間だ。たとえ雅人を監禁して答えを聞き出そうとしていたとしても、自分を危険な状況に追い込むような真似はしないはずだ。柚香はあらかじめ用意していた車に乗り込み、康平がエンジンをかけて空港を出た。車がどんどん遠ざかっていく中、先ほど柚香の横を通り過ぎた男が引き返してきた。そして一台の黒いロールスロイスの前に立つと、窓越しに中へ向かって笑いかけた。窓が下がる。そこから姿を見せたのは、物腰の柔らかそうな修司の顔だった。「ご指示いただいたことは、すべて済ませました」有名メディア企業の社長である佐伯康弘(さえき やすひろ)が報告した。「さっき電話したとき、あの女性がすぐそばにいて、話は全部聞いていました」修司は眼鏡の奥の目を少しも動かさなかった。「そうか」康弘は探るように尋ねた。「遥真さんは、本当に雅人さんを監禁したんですか?」修司がちらりと目を向ける。「余計なことを聞きました!」康弘はすぐに謝った。こういう超一流の名家の事情に、軽々しく首を突っ込んではいけないことは十分に分かっている。「この数日は、用がなければ京原市にいてくれ」修司は焦る様子もなく言い、長い指で車の窓枠を軽く叩いた。「発表する必要がある情報が出てきたら、こちらから連絡する」「分かりました」康弘はすぐに返事をした。互いに察しのいい人間同士だ。その言葉に込められた意味を、すぐに理解した。修司は目を上げる。「正式に発表するまでは、外で久瀬家について根も葉もない噂を流す人間が出ないようにしてほしい」その声には、有無を言わせない圧があった。「ご安心ください。先ほど、何も聞いていませんから」康弘はすぐに態度を示した。修司はそれ以上、彼を見ることはなかった。窓が上がり、外とのつながりを完全に断つ。助手席に座っていた秘書が、少し心配そうに尋ねた。「彼にこのことを知らせて、本当に問題は起きないでしょうか?」「起きない」修司は手の中のスマホを弄びながら答えた。の目は、どこまでも深く、何を考えているのか分からない。

  • 手遅れの愛、妻と子を失った社長   第778話

    柚香はあっさり頷いた。「分かりました」涼介は続けて尋ねた。「神崎グループを見に行ってみるか?」「大丈夫です。これからいくらでも時間はありますから」柚香は涼介にあまりいい印象を持っていなかった。「それより、前におじさんに頼んで調べてもらったこと、どうなりましたか?」「分かったよ。承輝に情報を流していたのは、神崎家の警備員の一人だった」涼介は真面目な顔で答えた。その表情には、少し重苦しさが滲んでいる。「そいつがこっちの人間を買収していた。今回のことは、俺たちの管理が甘かったせいだ」その答えは、柚香が想像していたものとほとんど同じだった。適当な人間を一人、身代わりに立てたのだ。「心配しなくていい」涼介は、相変わらず優しい兄のような顔を保っていた。「こういうことをうやむやにするつもりはない。もう警察に任せてある。必ず納得してもらえるようにするよ」柚香は「ありがとうございます」とだけ答え、それ以上は何も言わなかった。これがただの形だけの対応だということは、よく分かっていた。……その日の午後。蓮司が和雄の残りの荷物を届けに来た頃、柚香のもとに隣の市の病院から電話が入った。内容は、二期プロジェクトについて一度話し合いたいので、柚香に来てもらいたいというものだった。条件が合えば、その場でもう新たに契約を結ぶことになるらしい。柚香は迷うことなく了承した。安江と陽翔に話をしてから、慎吾と康平に荷物をまとめるよう伝えた。「明日には戻ってこられますか?」珍しく康平がそんなことを尋ねた。「たぶん無理だと思う」こういうことには、柚香もすっかり慣れていた。「食事をしながらの打ち合わせで二日はかかると思う。それに、契約を結んだ後の仕事もあるし。何か用事でもあるの?」康平と慎吾は顔を見合わせた。柚香が理由を聞こうとした、そのとき。数日前、啓介が承輝を逮捕したときに言っていた言葉をふと思い出した。「あなたたちの隊長って、明日には戻ってくるよね?」柚香が尋ねた。「予定通りなら明日には戻ります」康平は隊長の容赦ないやり方を思い出し、少し身構えた。「でも、今回どこかの現場に出てるのかどうかも分からないし、俺たちも連絡が取れないんです」柚香はいたって落ち着いていた。「大丈夫。プロダクトマネージャーを連れて行けばいいから

  • 手遅れの愛、妻と子を失った社長   第777話

    拓海が当然、怖くないはずがない。だが、父を止めて行かせなければ、かえって反感を買うことも分かっていた。それより、父が行きたいと思っているときに支持してやり、いくつか注意点を伝えたほうが、むしろ好感を得られる。「娘の柚香が、もうすぐ神崎グループの二十パーセントの株を手に入れることを忘れるなよ」拓哉は真剣な顔で言った。「それで他の財産まで手に入れたら、神崎家じゃなくて橘川家になっちまうぞ!」拓海はごく自然に聞き返した。「橘川家になって何が悪い?」「……?」拓哉は信じられないものを見るような目で拓海を見た。冗談を言っているわけではなさそうだと分かると、もう取り繕う気にもならなかった。「君、頭おかしくなったのか?」「俺たちの母親だって、昔は苗字が橘川だっただろ」拓海は大真面目な顔で言った。その言葉からは、裏で何を考えているのかなど微塵も感じられない。「神崎だろうが橘川だろうが、俺にはどうでもいいことだ」拓哉は眉間にしわを寄せて拓海を見た。ほんの数日で、どうしてここまで人が変わってしまったのか理解できなかった。「俺の前でいい子ぶるなよ」拓哉は、あれほど利益に貪欲な拓海が、突然こんなに潔白な人間になるなんて信じていなかった。「君が何を考えてるかなんて、全部お見通しだ」「そうか。分かってるなら、何を聞きに来たんだ?」拓海は平然と言い返した。拓海の世代では、安江が頭一つ抜けていた。頭の回転も速く、あらゆる面でずば抜けた才能を持っていて、他の兄弟とは比べものにならないほどだった。その次が拓海だ。頭は悪くないが、そこまで切れるわけでもない。何かにつけて策略を使おうとはするが、緻密な計画を立てるだけの頭が足りず、結局は失敗することが多かった。そして拓哉に至っては、完全に後先考えず行動するタイプだ。「君、何か俺に隠してるだろ」拓哉は拓海と長年付き合ってきた。どんな人間なのかは、だいたい分かっている。「俺が知らないことを、何か知ってるんじゃないのか?」拓海は答えなかった。拓哉は両手を拓海の机についた。「拓海!」拓海は険しい顔で叱りつけた。「何をムキになってるんだ」「君が、柚香に株が渡っていくのを黙って見てるなんて、俺は絶対に信じない」この点だけは、拓哉も確信していた。「絶対、裏で何か企んでるだろ」拓海は相変わ

  • 手遅れの愛、妻と子を失った社長   第776話

    「ありがとう!」和雄はそう言うと、すぐに杖を手にして部屋へ向かった。二人がその場を離れると、柚香は少し意外そうに口を開いた。「お母さん」「何を言いたいのか分かってる」安江は、もう嫌なことを考えたくなかった。「あの人が住みたいなら、住ませればいい。私たちに迷惑をかけなければ、それでいいわ」柚香には分かっていた。母は、祖父が言った「人生の最後の時間」という言葉に心を動かされたのだ。たとえ過去に大きな衝突があったとしても。たとえ、今も解けていないわだかまりが残っていたとしても。それでも、血のつながりは母の決断や気持ちに影響を与えていた。かつて愛し、大切にして、心配してくれた人だからこそ、完全に冷たく突き放すことはできないのだ。一方、和雄はすっかり喜んでいた。ボディーガードたちが自分の荷物を部屋に運び込むのを見て、ずっと張り詰めていた気持ちがようやく落ち着いた。その直後、胸の奥からさらに強い罪悪感と後悔が込み上げてきた。あれほど多くの間違いを犯したのに、それでも安江は自分を受け入れてくれた。父親として、自分は果たすべき責任を果たせていなかったのに。「残りの荷物は、拓海様が昼頃に届けに来る予定です」執事が言った。「俺があのとき、君の忠告を聞いていれば、安江も柚香もこんなに苦しまずに済んだ」和雄は考えれば考えるほど後悔が募り、しまいには人生やり直しボタンが欲しいとまで思った。「二人との関係だって、こんなに遠いものにはならなかったのにな」「そういう話は、お嬢様本人にしたほうがいいですよ」執事は和雄にとって、まるで友人のような存在だ。和雄は頷いた。「その通りだな」執事は、二人の親子関係が以前ほど険悪ではなくなったのを見て、少しだけ安心した。「そういえば、安江と柚香は朝、何を食べるのが好きなんだ?」和雄は周りを見回しながら、真剣な顔で言った。「時間があるときに調べておいてくれ。分かったら、その料理が得意な料理人を探してくれないか。俺も習って、二人に作ってやりたい」執事「……」ボディーガードたち「……」和雄は不満そうな顔をした。「なんだ、その目は」「料理はやめておいたほうがいいでしょう。万が一、転んだり怪我をしたりしたら大変です」執事は念のためを考えて言った。「しばらくは、お嬢様に伝えたいことをちゃんと伝え

  • 手遅れの愛、妻と子を失った社長   第775話

    「今日のお母さんの機嫌はどうだ?」和雄は杖をつきながら歩き、まるで悪いことをして叱られるのを怖がっている子どものように、おそるおそる尋ねた。「いつも通りですよ」柚香は正直に答えた。「お母さんはもともと、あまり感情を表に出さないですから」和雄は頷いた。「そうだな。もし何かで機嫌を悪くするようなことがあったら、とっくに手を出してるか」柚香はそれ以上何も言わず、和雄と一緒に中へ向かった。二人が庭まで来たところで、ちょうど外へ出てきた安江と鉢合わせした。安江が口を開くより先に、和雄が言った。「玄関の前で柚香に会ったから、一緒に入ってきたんだ」「後ろの荷物は誰の?」安江の視線が、ボディーガードたちの持っているスーツケースに向いた。和雄は反射的に答えた。「柚香のだ」「?」柚香は首を傾げた。その場にいた全員も同じ顔をした。和雄自身も、さすがにこの言い訳では通らないと気づいたらしい。すぐに別の理由を考えた。「執事のだ。これからしばらく娘のところで過ごすらしくてな。ちょうど帰り道だったから、ついでに俺をここまで送ってくれたんだ」安江はスーツケースのブランドをちらりと見た。こんな高級ブランドのものを、執事は昔から好んで買うような人ではない。執事「私のです」安江「……」和雄は安江が何も言わないのを見ると、すぐに歩く速度を上げて中へ向かった。少しでも遅れたら、追い返されるかもしれないと思ったのだ。柚香は、まだ足元がおぼつかない和雄の姿を見て、慌てて声をかけた。「おじいちゃん、ゆっくり歩いてください。医者も、足はちゃんと休ませないとって言ってたでしょう……」「大丈夫だ」和雄はすぐに答え、柚香に止められる隙を与えなかった。「もうすっかり治った」和雄が足早にリビングへ入っていくのを見て、皆は思わず黙り込んだ。執事はボディーガードたちが持っているスーツケースをちらっと見てから、言いにくそうに尋ねた。「お嬢様、こちらの荷物も中へ運んでよろしいでしょうか?」安江は短く答えた。「ええ」ほかの者はさておき、この執事は、昔から安江のことをずっと気にかけてくれていたほどなくして、皆がリビングに集まった。期待を込めた目でこちらを見つめる老人を前にしても、安江は少しも動じず、淡々と尋ねた。「和雄さん、今日は何の用?」

  • 手遅れの愛、妻と子を失った社長   第774話

    「嫌よ」安江の態度は少しも変わらなかった。和雄は思わず涼介と執事に目を向けた。ここまできっぱり断られたのは、これが人生で初めてだった。それでも、気まずさを感じるどころか、自分が娘を深く傷つけてしまったからこそ、こんな結果になったのだと気づいた。もし傷がここまで深くなければ、安江の性格なら、とっくに許してくれていたはずだ。「俺は君と柚香と一緒に暮らしたい」和雄はさらに厚かましく頼んだ。「条件を言ってくれ」安江はもう話すつもりもなかった。「どんな条件を出されても無理。切るわね」そう言った安江は、本当にそのまま電話を切った。プツッ――通話が途切れた。柚香は母の決断に口を挟まなかった。箱の中から一つずつ品物を取り出して眺めていた。そこに詰まった昔の思い出を目にするほど、いつも以上に胸が痛んだ。「昔は、二人とも本当に仲がよかったんだね」安江はあっさり認めた。「ええ。あの人は私のことを『俺の自慢の娘』って言ってたわ」「いつから変わったの?」「あなたのおばあちゃんが亡くなった翌年」安江は、その頃のことをはっきり覚えていた。「周りの人たちの言葉で、あの人の考えが変わっていったの。私のことを自慢するたびに、『娘がどれだけ優秀でも何になる。どうせ将来は嫁に行くんだ』って言われて……それで、だんだん考え方がおかしくなって、周りの意見にも耳を貸さなくなった」柚香は母を抱きしめた。だからだったのだ。幼い頃から、母が自分に一番言ってきたのは「ちゃんと勉強しなさい」だった。それだけでなく、一人でも生きていけるように、さまざまな力を身につけさせてくれた。命の危険につながるかもしれないからと、金融や経営だけは学ばせなかった。それ以外は、何をしたいと言っても、母は全力で応援してくれた。乗馬、騎射、ダイビング……柚香がやりたいと思ったことは、何でもやらせてくれた。「私はもう大丈夫」安江は、それほど感情を揺らすこともなかった。もう、いろんなことを乗り越えてきたのだ。「蒼海市を出たばかりの頃は、確かにつらかった。でも、あなたが生まれてからは、そんなことを考えてる暇もなくなった。あなたはお母さんに、たくさんの幸せをくれたのよ」柚香は母を抱きしめたまま、笑った。「お母さんも、私にたくさんの幸せと自信をくれたよ」柚

Plus de chapitres
Découvrez et lisez de bons romans gratuitement
Accédez gratuitement à un grand nombre de bons romans sur GoodNovel. Téléchargez les livres que vous aimez et lisez où et quand vous voulez.
Lisez des livres gratuitement sur l'APP
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status