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第2話

Author: 緋色の追憶
晴美は、冷たい床の上で身を丸めていた時間の長ささえ、もはや自覚さえなかった。

スマホはすぐそばにあったのに、指一本動かす力も残っていない。

視界の端に最後に映ったのは、天井のシャンデリアが揺れて滲む光と、遅れて流れてきた、どこか他人事のようなコメントの文字列だった。

【ヒロイン、なんで気絶したの?ヒーローは?】

【怒りで倒れたんじゃない?はあ、ヒーローも仕方ないよね】

【頑張れヒロイン!君の使命は彼を救うことだ!】

煩い!

意識が遠ざかる直前、彼女の頭をよぎった、たった一つの想いだった。

目が覚めると、消毒液の冷たいような独特の匂いが漂っていた。

目に入ったのは、病院の真っ白な天井と、手の甲に刺さっている点滴の管だ。

優しく、どこか申し訳なさそうな女性の声がそばで響く。「目が覚めましたか?熱は四十度まで上がっていましたよ。軽い脱水症状と急性の腰筋損傷も見られますが……どうして一人で家にいたんですか?ご家族は?」

晴美は口を開こうとしたが、喉が焼けつくように痛み、声が出てこない。

看護師がぬるま湯を差し出し、ストローでゆっくり飲ませてくれる。

「倒れる前に自分で救急車を呼んだんですよ。とても冷静でしたね」

看護師は一瞬言葉を切り、晴美の青白い顔と目の下の隈を確かめるように見つめてから、さらに慎重な口調で続ける。

「それから、楚山さん、検査の結果ですが……妊娠が確認されています。妊娠週数はおよそ6週です。

胎児の状態は今のところ安定していますが、お母さんのご状態のほうがかなり厳しいです。心身ともに大きな負担がかかっています。

すぐにベッドで安静にして、栄養をしっかり摂ってください。それから……できればご家族の方に付き添っていただいたほうがいいと思いますが……」

妊娠……?

晴美は呆然とし、無意識にまだ平らなお腹に手を当てる。

そこに……小さな命がいるの?いちばん混乱して、苦しくて、すべてを疑っていたこの時に、突然やってきたのか?

言いようのない切なさが突然鼻の奥を突き抜け、目頭が一瞬で熱くなった。

これは喜びだろうか?ほんのかすかに、本能的なときめきが胸をかすめた。

けれどそれ以上に、押し寄せてきたのは大きな不安と戸惑い。この子は、あまりにもタイミングが悪すぎる。

その父親は、今どこにいるのだろう?

まるで彼女の問いに答えるように、枕元のスマホが振動した。画面には「藤原涼太」という名前が表示されている。

看護師は気を利かせて少し離れる。晴美はその名前を数秒見つめ、それからゆっくりと通話ボタンを押した。

「晴美?」涼太の声が聞こえてきた。周りは少し騒がしく、外にいるようだ。「君……大丈夫?朝帰ったら家にいなくて、電話も電源が切れてた」

その声には気遣いが混じっていたが、それ以上に、何かに追われているような疲れと上の空な響きがあった。

晴美は黙ってその声を聞いている。

彼がいつ帰ってきたのか、ふと知りたくなった。玲子のところに、夜明けまでいたのだろうか。

「晴美?どうした、なんで黙ってる?今どこ?」涼太が問い詰める。

「……病院」自分のかすれた声が耳に届いた。

電話の向こうが一瞬黙り、すぐに涼太の声が慌ただしくなる。「病院?どうしたんだ?どこの病院?今すぐ行く!」本気で焦っているのがわかった。

「熱が出て、ぶつけた腰が炎症を起こしてるの」妊娠のことは省いた。なぜか今は言いたくなかった。

「ひどいのか?俺……」向こうで誰かが小声で何かを言ったようで、涼太の声が途切れた。二秒ほどしてから、わずかにためらいの色を含んだ声が続く。

「晴美、今ちょっと抜けられないんだ」

ほら、またきた。晴美は笑いたかったが、唇が動かなかった。

夫は、自分が高熱で入院しているというのに、別の女のそばにいることを選んだのだ。

コメントがいつの間にかまた流れ始めた。

【脇役の情緒が不安定なのも危ないよね。ヒーローも板挟みだわ】

【ヒーローが病気なの忘れてない?ストックホルム症候群が発作したら、彼は脇役に近づかずにはいられないんだよ!これは病理的なもの!】

病理的なもの。

なんて都合のいい言い訳だ。どんな傷つけ行為も、この一言で綺麗に覆い隠せると思っているのか。

「もういいわ」晴美は、自分の声が異様に落ち着いているのを聞いた。「大丈夫、点滴すれば治るから。あなたは仕事を続けて」

「晴美、そんな風に言わないで……」彼女の静かな口調に潜む冷たさを感じ取ったのか、涼太は少し慌てた声色に変えた。

「あとで、あとで必ず会いに行くから!どこの病院なの?」

「本当に、いいの」彼女は同じ言葉を繰り返し、そのまま電話を切った。

動作はきっぱりで、自分でも少し驚いた。

看護師が近づいてきて、複雑な表情で彼女を見つめる。「ご主人は……?」

「忙しいんです」晴美はかすかに笑みを浮かべた。しかし、その笑顔はどこかかすんでいた。

「看護師さん、必要な手続き、私がしてもよろしいでしょうか?」

病院に二日間入院している間、涼太から電話がかかってきたのは三度だけ。どの電話でも「すぐ行く」と言うのに、一度も姿を見せなかった。

代わりに現れたのは彼のアシスタントで、高価なサプリや果物を手に、丁寧すぎるほどの態度で頭を下げた。その様子は、まるで冷たい業務の一環のようだ。

晴美は窓の外に散りゆくプラタナスの木を見つめ、そっと手をお腹に当てる。

相変わらず、お腹にはまだ何も感じられない。けれど医師の助言が頭から離れない。

この子は、絶望の中でかすかに芽吹いた、弱々しくもたくましい新芽のようだ。もう一度、死にかけていた彼女の心に、かすかな絆の疼きを感じさせた。

退院する。

少なくとも、かつて「家」と呼ばれていたあの場所へ戻らなければならない。
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