LOGIN付き合って4周年の記念日、佐伯蓮(さえき れん)は私・木下柚羽(きのした ゆずは)と親友の浅倉遥(あさくら はるか)を連れて、行きつけの焼肉屋へ向かった。 店員は二人を見るなり、親しげな笑顔で尋ねた。 「いつも通りのご注文でよろしいですか」 蓮は無言で頷いた。 窓際の二人掛けの特等席。当然のように遥が蓮と対面で座る。 豚バラ肉はよく焼き、タレはネギ抜き。 最初の一枚も、最後の一枚も、蓮は遥の口へと運んでやる。 通路側に置かれた予備の丸椅子に押し込まれ、目の前にはタレの小皿すら用意されていなかった。 会計の際、店員が会員カードの利用履歴をめくりながら笑顔で告げた。 「佐伯様、浅倉様、今夜でなんとご来店百回目となります!特典として、お二人の専用プレートをお持ち帰りいただけますよ」 手渡されたプレートの裏面には、手彫りの文字が深く刻まれていた。 【蓮と遥、永遠に離れない二人】 添えられた日付は、3年前のものだった。 私はそこでようやく思い出した。あの日、蓮は病院で私の誕生日を祝ってくれていたはずだった。 彼が途中で抜け出したあの2時間は、会社で緊急会議があったからではなかったのだ。 遥はその刻印を愛おしそうになぞりながら、蓮に甘えるように尋ねた。 「ねえ、将来ゆずと結婚しても、私たちの毎月のデートは続けてくれるの?」 蓮は遥の首にマフラーを優しく巻き直してやりながら、私の方を冷淡に振り返った。 「当然だ。あいつもそこまで物分かりの悪い女じゃない。 それに、俺たちの付き合いはもう10年になるんだ。 あいつがどうしても気にするって言うなら、あいつの方から俺たちに歩み寄るべきだろ」 帰りの車内、私は当然のように後部座席に押し込まれた。 遥は助手席のシートを自分の好みの角度へ手慣れた様子で倒し、カーナビは自動的に音声を流した。 【目的地、遥の自宅へ向かいます】 窓ガラスに映る自分の疲れ果てた横顔を見つめながら、私は突如として、言いようのない疲労感に襲われた。 私は静かにうつむき、スマホを開いて、7日後のロンドン行きの片道航空券を購入した。 あなたたちの「10年」にはこれから先も未来があるだろう。 けれど、私たちの「4年」は、ここで終わりにする。
View More巡回展の最終日を控えた夕方、ようやく蓮と会う決意をした。すでに廃業して薄暗いあの焼肉屋の店内に、蓮は静かに座っていた。窓際の席は、当時のままそこにあった。通路側にぽつんと置かれたあの予備の椅子も、片付けられることなく残されている。テーブルの上には、3組の食器が並べられていた。ただ、私の席の前だけは、やはりタレの小皿が置かれていない。蓮はこちらの姿を認めるやいなや、弾かれたように立ち上がった。1年ぶりに見る彼は、ひどく痩せこけていた。かつては決してシワ一つなかった上質なシャツは少しよれており、その手首には、かつて私がプレゼントした安価な古い腕時計がはめられていた。「座ってくれ」蓮は、窓際の席の椅子を引いた。そこは、かつていつも遥が座っていた特等席だった。腰を下ろさずに、立ち尽くした。「時計、無事に受け取ったわ。ありがとう」「俺が直したんじゃない」蓮の声は、消え入りそうなほど細かった。「あの老職人が丸一年かけて探し出してくれたんだ。俺はただ、それをお前に返しただけだ」蓮はロースターのスイッチを入れた。網の上の豚バラ肉の端がじわじわと縮み、脂が炭火に滴り落ちてパチパチと小さな音を立てる。肉がちょうどよく焼き上がると、蓮は最初の一枚を私の皿に移した。「ネギは抜いてある」この数年間で、最初の一口を私にくれたのは、これが初めてだった。けれど、箸を持とうとはしなかった。蓮は、目の前でゆっくりと冷めていく肉を見つめ、その瞳をじわじわと赤く染めていった。「柚羽、俺はあの日以来、一人で何度もここに来たんだ。毎回この席に座り、お前の好きだったものを注文しようとした。……なのに、お前が食べる豚バラ肉は、カリカリに焼いた方が好きだったのか、それとも柔らかい方が好きだったのか、どうしても思い出せなかったんだ……お前が風に当たるとすぐ頭痛を起こすことも、冷たいものに触れてはいけないことも、腰が痛むときにどの薬を飲むべきかも、すべて覚えているのに。お前のことを、誰よりも理解しているつもりだったんだ。なのに……お前が普段何を好んで食べていたかさえ、俺は何も知らなかった」蓮はうつむき、肩を震わせて咽び泣いた。私は静かに窓の外を見つめ、何も答えなかった。「時間はいくらでもあると
1年後、私は完成した作品とともに、国内の巡回展のために帰国した。空港に降り立ったその日、ロビーの出口で遥に呼び止められた。彼女はひどく痩せ細り、あれほど大切にしていた艶やかな長髪を耳元まで短く切り揃え、右手首には、かすかに白い傷跡が残っていた。「ゆず、5分だけでいいから、話を聞いて」彼女は、あの百回記念の焼肉プレートを私に差し出してきた。裏面に深く刻まれていたあの文字は綺麗に削り取られ、ただ無残な研磨の跡だけが残っている。「蓮は、あの日以来、二度と私に会ってくれなくなった。あの新居のスマートキーの暗証番号も変えられちゃったし、私たちが毎月通っていたあの焼肉屋も、蓮が店ごと買い取ってその日のうちに閉店させちゃったのよ」私はそのプレートを受け取らなかった。「それらはすべて、私には関係のないことよ」遥の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。「分かっているよ。私、ずっとゆずが蓮を奪ったんだって思い込んでいた。でもね、ようやく気づいたの。蓮が本当に私を愛していたなら、あの十年のうちのどこかで、とっくに私を選んでくれていたはずだって。蓮が私を庇い続けたのはただの惰性に過ぎなくて、ゆずが絶対に自分から離れていかないと、高を括っていたからなのよ」遥は袖で涙を拭った。「ゆず、あの懐中時計を落とす直前、本当に思いとどまろうとしたの。おじ様が亡くなった日、あなたが私を抱きしめて『これからはお互い、家族になろうね』と言ってくれた言葉が、脳裏をよぎったから。……なのに私、どうしても手を離してしまった。本当にごめんなさい」空港の構内アナウンスが響き、乗客たちを急き立てる。私の青春のすべてを共に歩んできたこの遥を見つめながら、私の胸にはまだ、わずかな痛みが走っていた。未練などではない。ただ、10年も続いた友情が死を迎えたというのに、そこには墓標も葬儀すらもない。その事実に、どうしようもない寂しさを覚えるだけだった。私たちはきちんとした別れの言葉さえ交わす暇もなく、互いに、二度と思い出したくない存在になってしまったのだ。「遥」彼女は弾かれたように顔を上げ、その瞳に微かな期待の光を宿した。「あなたが初めてプレゼントしてくれたあのマフラー、まだ持っているわ。お父さんの葬儀のとき、3日3晩、私の隣に
蓮はロンドンを去らなかった。カレッジの近くに高級マンションを借り、毎朝、砂糖抜きの温かいカフェラテを届けるようになった。初日は、管理人にお願いしてそれをそのまま処分してもらった。2日目は、手付かずのまま蓮の部屋へと送り返した。やがて蓮は名前を書くのをやめ、ただの保温ボトルを静かに私の部屋のドアの前に残すようになった。それでも、私がそれに口をつけることは決してなかった。冬が訪れた頃、大学の年間優秀作品展が開催された。私は、あの3つに割れてしまった作品をあえて修復し、すべての痛々しい亀裂をそのまま残した。そして作品のちょうど中心に、父の、あの止まったままの懐中時計を埋め込んだ。タイトルは『離席』とした。審査員から、なぜ傷跡を隠そうとしなかったのかと尋ねられた。私は、その表面の鋭い断面に静かに指を滑らせた。「壊れてしまったものは、どれほど繕っても元には戻らないからです。無理に覆い隠したところで、傷を負わなかったことにはできませんから」「離席」は、その年の最優秀賞を受賞した。授賞式の当日、蓮は会場の最後列に静かに腰掛けていた。万雷の拍手が響き渡る中、蓮もまた静かに立ち上がり、惜しみない拍手を送ってくれた。目頭を真っ赤に染め、瞳を潤ませているのが見えたが、それ以上、私に近づいて語りかけてくることはなかった。授賞式が終わった後、蓮は指導教授を介して、一通の書類封筒を遺していった。中には、父のアトリエの土地建物の登記書類、新居の所有権譲渡書、そして佐伯グループが例の追突事故における一切の責任を認めるという公式声明書が入っていた。すべての書類には、すでに彼のサインと捺印がなされている。私に一切の負担を強いることなく、復縁を迫る文言すら一切添えられていなかった。そして一番底に、一枚の便箋が眠っていた。【柚羽へ。お前にとって何が最善かを勝手に決めつけることや、傷つけた後に高価なもので穴埋めをすることが、愛などではないのだと、思い知らされた。おじ様に「柚羽を生涯守り抜く」と誓っておきながら、お前を最も深く傷つけたのは俺自身だった。アトリエもお前のものだ。あの家もお前のものだ。これらは許しを得るための道具ではなく、ただ元ある場所へ返すだけのものに過ぎない。俺に会う必要はない。そし
ロンドンに到着した蓮は、カレッジの正門前で丸一日立ち尽くして待っていた。夕暮れ時、しとしとと冷たい小雨が降り始めていた。私はどうにか繋ぎ合わせた出展作品を抱え、校舎から出てきたところで、すぐにその姿が目に入った。蓮は傘も差さず、ずぶ濡れになって立っていた。漆黒のコートは雨を吸って重く垂れ下がり、その手には、一つの古い木箱が大切そうに抱えられている。それはアトリエで雨に晒され、蓮が回収した父の遺稿たちだった。「柚羽」蓮はかすれた声で私の名前を呼び、ゆっくりと歩み寄ってきた。私は足を止めた。「どうしてここにいるの」自分でも驚くほど、冷淡で平坦な声が出た。かつては、蓮とわずか数時間連絡が取れないだけで、不安に駆られて一晩中眠れなくなったものだ。それなのに、彼が地球の反対側から私を追いかけて目の前に立っている今、私の心にはさざ波一つ立たなかった。蓮は、大切そうに抱えた木箱を私に差し出そうとした。「修復できる原稿は、すべて専門家に依頼して元通りにしてもらった。遥が故意に懐中時計を落とした証拠の映像も見つけた。事故の再調査も行われ、遥はチームから除名され、免許も取り消しになる予定だ」私は手を出さなかった。「それで?」蓮は言葉を失ったように立ち尽くした。長い沈黙の後、彼は消え入りそうな声で絞り出した。「お前を連れ戻しに来たんだ。一緒に帰ろう」「私に帰る家なんてあるの」「俺たちの新居は、今もあの時のままだ。」「あれは、あなたの持ち物でしょう」「もうお前の名義に変更した。アトリエの土地も建物も丸ごと買い取ったから、もう二度と、おじ様の遺品を脅かす奴なんて現れない」蓮は焦ったように一歩踏み出した。「お前の失った奨学金の分は、俺が全額補償する。お前がロンドンで学びたいなら、俺もここに残る。本社の機能ごとこちらに移転させてもいい」蓮は何から何まで完璧なお膳立てを用意していた。これまで、過ちを犯すたびに蓮が繰り返してきた、お決まりのやり方だ。ただ、今回の「補償」は、あの懐中時計から巨大な企業へと、その規模が跳ね上がったに過ぎない。「佐伯蓮、あなたにはまだ分かっていないのね」私はようやくその重い木箱を受け取り、表面に刻まれた、雨で滲んだ父のサインにそっと指先で触れた。