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第5話:価値というもの

last update Terakhir Diperbarui: 2025-05-12 21:59:33

リリウスはゆっくりと身を起こし、部屋の隅に置かれた鏡に目をやった。

少しの間、そこを見つめたあと、静かに立ち上がる。

足元の毛布が落ちる音だけが、部屋に響いた。

やがて彼は鏡の前にたどり着き、真っ直ぐに立つ。

歪みのない銀の縁が、静かにその姿を映していた。

白銀の髪。

冴えた紫の瞳。

そのどちらも、光の角度によって柔らかく色を変える。

肌は透けるように白く、唇はわずかに血の気を宿していた。

中性的で、どこか儚げな顔立ち──

それは、王族として育てられた彼にとって、

何度も“美しい”と評された顔だった。

けれど、今はもうその価値を、自分では測れない。

「……意味なんて、ない」

鏡に向けられたその声は、誰にも聞かれることのない、沈んだ独白だった。

そのとき、扉が叩かれた。

声はかけられない。けれど、すぐに鍵が外される音が続く。

開いた扉の向こうに立っていたのは、カイルだった。

漆黒の軍服に、同じ色の外套。

淡い金の瞳が、リリウスを見下ろす。

「ああ、立てるようになったか」

問うでもなく、命じるでもなく。

ただ、そう言った。

リリウスはゆっくりと頷いた。

カイルは部屋に入り、持っていた小さな文書をテーブルの上に置いた。

「これはアルヴァレス王国からの通達。お前は“外交任務中に失踪”という扱いらしい。

よって、“捜索の義務も責任もない”と明言されている」

声の調子は淡々としていた。

けれど、どこかに“切り捨てられたこと”への明示が込められているように思えた。

リリウスは視線を落としたまま問う。

「……それを、僕に読ませて、どうする?」

「別に。知らないまま朽ちられても困る」

「僕は……使える道具、ということか」

「そうだ。まあ、今はな」

カイルの答えは容赦がなかった。

けれど、不思議とリリウスはそれを受け入れた。

少なくとも、嘘ではなかったからだ。

沈黙が落ちる。

鏡の前で立ち尽くすリリウスの背後に、

カイルは無言で歩み寄った。

外套がわずかに揺れ、軍靴の音が石床に響く。

その気配に気づき、リリウスが振り返ろうとした瞬間、

カイルの手が、静かにその顎をすくった。

驚きに眉がわずかに動く。

だが拒む隙など与えず、カイルは顔を近づける。

「俺は、役に立つ者しか手元に置かない」

低く抑えた声が、耳の奥を打った。

目線が交わるほど近い距離。

指先はゆっくりと顎を離れたが、その
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