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last update Huling Na-update: 2025-08-09 10:11:18

「夜会ですって!? 無理です! 着ていくドレスもありませんし、作法もダンスも何一つ分かりません!」

 アランの突然の宣告に、マリーはパニックに陥った。森の薬師である自分がきらびやかな王城の夜会に出るなど、想像しただけで目眩がする。

 彼女の必死の訴えに、アランは表情一つ変えない。

「そんなものは、今から用意すればいいだけのことだ」

「そんな……!」

「明日、すぐにリオネルに言いつけて手配をしよう。私の婚約者として、誰にも侮られぬように、完璧に仕上げるんだ」

 有無を言わせぬ命令に、マリーは顔色を悪くした。婚約者という立場を甘く見ていたと実感してしまった。

 その命令の裏には、マリーに恥をかかせたくないという彼なりの不器用な配慮が隠れていることを、マリーはまだ知る由もない。

 +++

 その日からマリーの悪戦苦闘の日々が始まった。

 リオネルが手配したのは、王家御用達だという見るからに厳格そうな女性家庭教師。慣れないヒールで足を踏み外し、フォークとナイフの順番を間違えては叱られる。カーテシーの角度に至っては、ミリ単位で注意された。

「マリー様! 背筋が曲がっておりますわ! もっとぴんと伸ばして!」

「まあ! そのような歩き方では、皆の笑いものになりますことよ!」

 厳しい声が飛ぶたびに、マリーは泣きそうになった。何度もくじけそうになる心を、「これはアラン様の治療を続けるために必要なこと」と自分に言い聞かせ、必死に食らいついていくしかなかった。

 どれほど昼間のレッスンで疲れ果てていても、彼女は夜の研究に手を抜かない。

 ランプの灯りを頼りに、薬学書を読みふける。今までの手が出なかった高価で貴重な書物も、アランは惜しみなく買い与えてくれた。おかげでマリーの薬師としての腕はめきめきと成長している。

 マリーが今作っているのは、ただの薬ではない。長時間にわたる夜会で、アランの呪いの発作を確実に抑え込み、彼の体力を維持するための「特別な薬草茶」だ。

(私のドレスやダンスよりも、こちらの方がずっと大事。アラン様が、あんな場所で苦しむことがありませんように……)

 最優先事項は常にアランの治療にある。それは決して揺るがないのだ。

 +++

 そして、運命の夜会当日。

 リオネルが手配したドレスが部屋に届けられた。派手さはないが、深い森の緑色のドレス。マリーの瞳の色を引き立てる上品で美しいドレスだった。

 侍女たちの手によって髪が結い上げられ、薄化粧が施されていく。

 準備を終えたマリーを迎えに、アランが部屋の前にやってくる。均整の取れた体を騎士団の正装に身を包み、金の髪と青い目に彩られた美貌を一際際立たせている。

 侍女が扉を開ける。ドレスアップしたマリーが姿を現した瞬間、アランは言葉を失った。

 いつも見ている、そばかすの残る素朴な薬師とは全く違う、息を呑むほど美しい女性がそこにいた。

 ドレスは深い森の色。清楚なデザインがマリーの魅力を引き立てている。

 差し色に使われた金色は木漏れ日を思わせて、温かな彩りを添える。それに金はアランの髪色だ。森の色をまとう彼女を独占できたようで、満足感を覚える。

 アランの表情から冷静さが消える。純粋な驚きと、彼自身も気づいていないであろう賞賛の色が浮かんでいた。

 しばらくマリーに見惚れていたアランは、はっと我に返ると、一つ咳払いをして動揺を隠した。ぶっきらぼうに小さな箱を差し出す。

「……これを使え」

 箱の中には、青い水をたたえる湖のようなネックレスが入っていた。

「母の形見だ」

「えっ。そんな大事なもの、いただくわけにはいきません」

「貸すだけだ。それに婚約者たるもの、相手の思い出の品を身に着けていた方がそれらしくなるだろう」

 アランは当初、言葉通りの考えで形見を持参した。

 けれど今では思う。このネックレスはマリーによく似合う……と。

 侍女の手でネックレスがつけられた。マリーの胸で輝くサファイアは、まさにアランの瞳の色。

 きらめく金の陽光と深い湖の青に彩られた、森の少女がそこにいた。

「…………」

 鏡に映る美しい自分の姿に、マリーは声も出ない。まるで森の野ウサギが、美しい白鳥に変身したかのようだ。

 立ち尽くすマリーに、アランは内心で苦笑する。マリーのここしばらくの頑張りは、彼もよく知っていた。それでもくじけず、治療に全力を尽くしてくれたことも。

 今までは感謝と罪悪感だけを覚えていた。

 今は、少し違う感情が生まれている。

 アランがマリーに腕を差し出した。彼女は少し震える指で、たくましい腕にそっと触れた。

「行くぞ」

 短い言葉を合図に、二人は夜会という名の戦場へ向かって一歩を踏み出した。

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