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攻略対象は私じゃない! ~腐女子が神視点で推しカプ見てたら、いつの間にか逆ハーレムの中心にいた件~
攻略対象は私じゃない! ~腐女子が神視点で推しカプ見てたら、いつの間にか逆ハーレムの中心にいた件~
ผู้แต่ง: 花柳響

第1話:私の脳内はBLでできている

ผู้เขียน: 花柳響
last update ปรับปรุงล่าสุด: 2025-10-23 02:35:52

 退屈、という言葉が液体なら、きっとこんな感じだろう。

 澱んだ空気、抑揚なく響き渡る老教授の声、そして蛍光灯の白い光に照らされて、机に突っ伏したり、スマートフォンの画面を無心でスワイプしたりしている学生たち。大教室のすべてが、ぬるま湯のような気怠さに満ちている。

 もちろん、私もその気怠い液体の中で溺れている学生の一人だ。ただし、他の学生たちと決定的に違う点が一つだけある。

 私の意識は、今この瞬間、この教室にはない。遥か遠く、剣と魔法、そして硝子細工のように繊細な男たちの愛憎が渦巻く世界――『Fallen Covenant』にトリップしていた。

「……っ、はぁ……」

 誰にも聞こえないくらい小さな音量で、私は恍惚のため息を漏らす。

 教壇から最も遠い席。そこが私の定位置。分厚い経済学の教科書を盾のように立て、その影に隠したスマートフォンの画面を、祈るように見つめる。

 そこに映っているのは、私が人生のすべてを捧げるBLゲーム、『Fallen Covenant』のワンシーン。私の最推しカップリングである、近衛騎士団長ジークフリートと、聖王国の若き大司教アークエンジェルのスチル画像だ。

 降りしきる雨の中、魔物に襲われ深手を負ったアークを、ジークがその逞しい腕で抱きかかえている。アークの純白の法衣は泥と血で汚れ、普段は気高く澄ましきっている彼の青い瞳は、苦痛と、そして目の前の騎士への絶対的な信頼で潤んでいた。

 対するジークは、いつもは鉄仮面のように無表情な顔を、これ以上ないほどに歪めている。アークを傷つけた何かに対する怒りか、それとも守りきれなかった自分への悔恨か。その眉間に刻まれた深い皺、食いしばられた唇、アークの華奢な身体を抱く指先に込められた、壊れ物を扱うかのような優しさと力強さ。

 ――ああ、神よ。これは、なんという御業。

 この一枚の絵に、どれだけの情報量が詰まっているというのだろう。普段は決して弱さを見せないアークが、ジークの前でだけ見せる無防備な姿。そんなアークを守るためなら、神にさえ剣を向けるジークの献身。言葉なんていらない。視線と、触れ合う肌の熱だけで、彼らの魂が共鳴しているのがわかる。

「ジーク……あんた、そんな顔もできたのね……。アークの怪我は心配だけど、心配だけど……!これは、公式からの最大手の供給……っ!」

 ぶつぶつと呟きながら、私はスチル画像の拡大と縮小を繰り返す。ジークの喉仏の動き、雨に濡れて肌に張り付くアークの銀髪、絡み合う二人の指先。そのすべてが芸術品であり、私の生命を繋ぐ糧だった。

 脳内で、このシーンに至るまでの彼らの会話や心理描写を勝手に補完する。きっとジークは「すまない」と自分を責め、アークは「あなたのせいではない」と弱々しく微笑むのだ。そしてジークは、その儚い笑顔にさらに胸をかき乱され、独占欲という名の暗い感情をその瞳に宿すに違いない。

「くぅ……っ!」

 込み上げてくる感情の波に耐えきれず、私は机に突っ伏した。身をよじり、声にならない悲鳴を噛み殺す。尊すぎて、全身の細胞が歓喜で打ち震えている。周りの学生が、時折奇妙な動きをする私を訝しげに見ている気配がするが、そんなことはどうでもよかった。

 三次元の世界なんて、どうだっていい。

 私、月詠つきよみ しおりは、物語の登場人物プレイヤーではない。物語を俯瞰し、キャラクターたちの関係性に萌えを見出す、神なのだから。

 腰まである長い黒髪は、いつも邪魔にならないように無造作にひっつめている。度の強い黒縁メガネの奥の瞳は、自分でもよく見えない。服装なんて、オーバーサイズのパーカーにデニムかジャージがあれば十分。それが、私。

 昔から、物語の「主人公」になれるような器じゃなかった。教室の隅で、キラキラした男女の恋愛模様を遠巻きに眺めるだけの、いてもいなくても変わらないモブキャラクター。それが私の立ち位置。

 それでいい。それがいい。

 だって、神の視点から彼らの運命を見守る方が、自分が恋愛するより万倍楽しいのだから。

「……あんた、またやってんの?」

 ふいに、隣の席から呆れ果てた声が降ってきた。その声に、私はゆっくりと顔を上げる。

 アッシュブラウンに染められたお洒落なボブヘアー。切れ長の目に引かれた完璧なアイライン。今日のファッションも、流行りのシアートップスにカーゴパンツを合わせた、雑誌から抜け出てきたような着こなしだ。

 親友の、神崎かんざき 乃亜のあである。

「の、乃亜……。見て、これ。イベントの新スチル。雨に濡れたジークとアーク……エモくない?」

「知らんがな。それより、さっきから一人で悶えたり机に突っ伏したり、挙動不審すぎるんだけど。後ろの席の男子、あんたのこと完全にヤバい奴だって目で見てるよ」

「そ、それは……彼らの愛が深すぎたせいであって、私のせいでは……」

「全部あんたの脳内の話でしょ」

 乃亜は、こめかみを指で押さえながら、深いため息をついた。高校からの付き合いである彼女は、私のこの奇行にも慣れっこだった。呆れながらも、本気で見捨てたりはしない。私の根っこにあるのが、誰かを(BL的に)幸せにしたいという、謎の利他主義精神であることを、誰よりも理解してくれている、唯一の親友だ。

「大体、あんたはさぁ。もうちょっと現実を見たら?そんな二次元の男たちにうつつを抜かしてないで、リアルで恋の一つや二つ……」

「無理」

 私は、乃亜の言葉を食い気味に遮った。メガネの位置を、人差し指でぐいっと押し上げる。

「断言するけど、私に三次元の恋なんて天地がひっくり返ってもありえない。そもそも、考えてもみてよ。現実の男の人と付き合うとか、どういうこと?手を繋いだり、デートしたり、キスしたり……解釈違いにもほどがある」

「何がどう解釈違いなのよ……」

「だって、私は『見る』専門なんだよ?私が介入したら、物語が壊れちゃうじゃない。私は、壁!空気!背景!それが私のジャスティスなの!」

 熱弁する私を、乃亜は心底どうでもよさそうな目で見ている。その冷めた視線が、なんだか心地よかったりもする。

 そう、これでいいのだ。

 私は、誰かに恋されることも、恋することもない。安全なガラスケースの中から、美しい男の子たちの恋愛模様を、ただひたすらに愛で続ける。それが私の幸せの形。

 そう、信じて疑っていなかった。この時までは。

「……まあ、あんたがそれでいいなら、私は何も言わないけどさ」

 乃亜は肩をすくめると、さっさと教科書をバッグにしまった。ちょうどそのタイミングで、講義の終了を告げるチャイムが鳴り響く。蜘蛛の子を散らすように学生たちが教室から出ていく中、私も慌ててスマホをポケットにねじ込み、教科書を閉じた。

「よし、行こっか。学食の新作パフェ、食べたい」

「あんたの頭の中、BLか食べ物のことしかないの?」

「人生の楽しみなんて、そんなもんでしょ」

 へらりと笑いながら立ち上がると、乃亜はもう一度、何か言いたげな顔で私を見た。その視線に含まれている感情が、いつもの呆れとは少し違う種類のものであることに、私は気づかなかった。

 キャンパスは、講義を終えた学生たちで賑わっている。その人混みを、私たちは縫うようにして歩く。私はと言えば、さっき見たスチルの余韻にまだ浸っていた。

「……それにしても、ジークのあの表情……普段はポーカーフェイスを気取ってるくせに、アークのことになると途端にああなっちゃうのが、たまらないのよ。いわゆるギャップ萌えってやつ?いや、もっと深遠な、魂の繋がりというか……」

「はいはい、わかったわかった」

 私の止まらない早口のオタクトークを、乃亜は適当に相槌を打ちながら聞き流している。いつものことだ。この関係性が、私にとっては心地いい。

 私が私の世界に没頭していても、乃亜はそれを否定せず、ただ隣にいてくれる。だから私も、彼女のお洒落や恋バナに、ちゃんと耳を傾けるのだ。

 そう、乃亜はモテる。告白された回数は両手でも足りないだろう。でも、彼女は簡単にはなびかない。上辺だけの言葉や態度を、その切れ長の目で見抜いてしまうから。

 そんな彼女が隣にいると、まるで自分まで格上げされたような錯覚に陥りそうになるけれど、私はちゃんと自分の立ち位置を弁えている。私はモブ。彼女は物語のヒロインになれる子。住む世界が違うのだ。

「……ねえ、栞」

 ふと、乃亜が立ち止まった。つられて私も足を止める。彼女は、私の目をじっと見つめていた。その表情は、今までにないくらい真剣で、私は少しだけ戸惑う。

「な、何?急に真面目な顔して」

「ちょっと、あんたに言っとかなきゃいけないことがあって」

 改まった口調に、私の心臓が、ほんの少しだけ嫌な音を立てた。まさか、絶交……?私がBLの話しかしなくなったから、愛想を尽かされた……?

 ぐるぐると悪い想像が頭を駆け巡る。そんな私の不安を見透かしたように、乃亜は大きなため息を一つ吐いた。

「……別に、あんたのこと嫌いになったとかじゃないから」

「よ、よかった……」

「そうじゃなくてね」

 乃亜は一度言葉を切り、まるで何かを確かめるように、私たちの周囲に視線を走らせた。そして、もう一度私に向き直ると、静かに、しかしはっきりとした声で、こう言ったのだ。

「あんた、最近やたらイケメンに見つめられてるけど自覚ある?」

「…………は?」

 私の口から、間抜けな声が漏れた。

 イケメン?見つめられてる?私が?

 脳が、その言葉の処理を完全に拒否した。あまりに現実離れした単語の羅列に、思考がフリーズする。

「え……っと、ごめん、乃亜。もう一回言ってくれる?たぶん、私の耳のフィルターが何かおかしな変換をしたんだと思う」

「だから、そのまんまの意味だって。あんたが、すっごいイケメンに、じーっと見られてるのを、私がこの一週間で三回は見たの。今日も、さっきの講義中も」

「……」

 ぽかん、と口を開けたまま、私は乃亜の顔を見つめ返すことしかできなかった。

 からかわれているのだろうか。いや、でも、乃亜の目は冗談を言っているようには見えない。本気だ。本気で、そんな突拍子もないことを言っている。

 だとしたら、考えられる可能性は一つしかない。

「乃亜……疲れてるのよ。きっと、イケメンの幻覚が見えてるんだわ。わかる、私も推しカプが尊すぎると幻覚見るもん」

「あんたと一緒にしないでくれる?」

 私の精一杯の優しさを、乃亜はバッサリと切り捨てた。そして、信じられないものを見るような目で、私に最後の言葉を突きつける。

「いい?幻覚じゃない。これは、現実。……あんた、何か、やらかしたんじゃないでしょうね」

 その言葉の意味を、私が本当の意味で理解するのは、もう少しだけ先のことになる。

 この時の私はまだ、自分の日常が、愛してやまないBLゲームの世界よりも、よっぽど予測不能で、波乱に満ちたラブコメの舞台になろうとしていることなど、知る由もなかったのだ。

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