LOGIN祖母の剣幕にも、信行は両手をポケットに入れたまま、平然と言い放った。「来年には見せるって言っただろ。何をそんなに急ぐ必要がある」信行の適当な態度に、真琴は彼を一瞥したが、何も言わなかった。実際、曾孫のことなら信行には簡単なことだ。彼の子を産みたい女性など、いくらでもいる。離婚する頃に、信行がおめでたの知らせをもたらせば……祖父母もさほど悲しまず、曾孫の誕生に癒されるだろう。真琴は、離婚のショックを最小限にする算段まで整えていた。その時、美雲がキッチンから出てきて助け船を出した。「お義母様、信行は約束を守る子ですよ。会うたびに急かさないであげて。二人には二人の考えがあるんですから。さあお義母様、ご飯にしましょう。真琴ちゃん、紗友里ちゃん、みんな席に着いて。真琴ちゃん、紗友里、みんな座って」そう言って、美雲は厨房に特別に煮込ませた滋養スープを出させ、信行の器にたっぷりとよそった。主に、彼のために用意させたものだ。口では幸子ほど急かさないが、内心では早く孫が欲しいし、二人の仲が安定することを願っている。美雲に促され、真琴が幸子を支えてダイニングへ向かおうとした時、ポケットの携帯が鳴った。真琴は幸子に断りを入れてから、少し離れた場所で電話に出た。智昭からだった。小広間の窓際で電話を受ける真琴の横顔には、満面の笑みが浮かび、声も柔らかい。ダイニングの方から、信行は淡々とその様子を眺めていた。最近、自分と一緒にいる時の真琴は、あんなふうに無邪気に笑わない。以前のようなリラックスした様子も見せない。いつも他人行儀で、頭にあるのは離婚のことばかりだ。傍らで紗友里と幸子が賑やかにしている中、信行は法務部が財産分与の書類を作成中であることを思い出し、その時が近いことを悟った。真琴の固い決意を思い出した。彼は真琴の固い決意を思い知らされ、淡々と視線を戻すと、隣の空席の前にスープを置いた。間もなく、真琴が電話を終えて戻ってきた。信行の隣に座らされたが、彼女は彼に話しかけることもなく、視線を合わせようともしなかった。まるで……信行が空気であるかのように。食後、真琴は裏庭で紗友里の薔薇の手入れを手伝い、信行は祖父と将棋を指していた。盤面を挟んで向かい合い、由紀夫は桂馬を跳ねて口を開いた。「お
真琴の手を離し、自分に向けられる紗友里の奇妙な視線に気づくと、信行は手近な資料で彼女の頭を軽く叩いた。「なんだ、その目は」紗友里は髪をかきむしった。「ちょっと、セットが崩れちゃうじゃない」その時、美雲と健介も二階から降りてきた。二人に挨拶を済ませると、信行は健介に呼ばれて書斎へ入っていった。美雲は手伝いのためにキッチンへ向かい、残された真琴はリビングで紗友里と話し込んだ。真琴が真剣に企画書に目を通していると、紗友里は頬杖をつき、気だるげに言った。「ねえ真琴。昨日の信行、変だったわよ」真琴は資料から顔を上げ、紗友里を見る。紗友里は続けた。「真琴を見る目が違ってたし、甲斐甲斐しく世話焼いたりしてさ。極めつけは、みんなの前であんたにキスしたことよ。昨日の様子だと……信行のやつ、あんたに惚れたんじゃない?」紗友里が言う細かいことは、酔っていたせいで記憶が曖昧だ。資料を持ったまま、真琴は笑って受け流した。「別れ際の、最後の情けでしょ」紗友里は即座に否定した。「違う、絶対違うわ。あの由美に対してだって、あんなに愛おしそうな目はしてなかったもの」紗友里の言葉に何と返していいか分からず、真琴は話題を変えた。「見間違いよ……それより企画書の続き。ここ、もっと良くできるわよ」昨夜、危うく一線を越えそうになったことや、信行が何度か強引に迫ってきたことは、口が裂けても言えない。紗友里と企画書の話をしながらも、真琴の決意は揺るがなかった。あの兄妹が言う通り、彼女は一度こうと決めたらテコでも動かない。それに……信行との距離は自分が一番よく分かっている。最近の彼の優しさは、離婚を切り出されてプライドが刺激されただけ。紗友里の企画書を見ながら、真琴は諭すように言った。「紗友里、予算の部分は修正が必要ね。これじゃ通らないわ。それと第二期の工事計画も無理があるから、ここも直して」真琴の的確なアドバイスに、紗友里はしみじみと言った。「真琴……信行はあんたを手放して大損したわね。離婚したら絶対後悔する。あとでどうやって土下座して泣きついてくるか、見ものだわ」真琴は笑った。「はいはい、まずはここを直してね」三年間冷遇され続け、真琴はもう彼に何も望んでいない。ただ、きれいに終わりたいだけ
真琴をベッドに下ろし、信行が口づけようと身を乗り出すと、真琴は両手でそっと彼の顔を包み込んだ。まるで大切な宝物を扱うかのように、優しく、繊細に。手のひらに伝わる温もりを感じ、信行は彼女の手首を握り、その瞳を深く見つめ返した。視線が絡み合う。真琴は彼を見つめ、そっと呼んだ。「……信行!」信行は彼女の右手を取り、その甲に口づけを落とした。同時に、体中が熱くなり、彼女を見る瞳は情熱的な色を帯びていく。手の甲をくすぐるキスに、真琴の目は潤み、口角を上げて微笑んだ。生き生きとした笑顔だった。顔から手を離し、真琴が目を閉じると、信行は唇に口づけた。ただ……信行がさらに深く求めようとした時、真琴は彼の優しいキスに誘われるように、すぅと寝息を立て始めた。無防備に眠ってしまった真琴を見て、信行は呆れつつも、愛おしさが込み上げた。最後に額にキスをし、着替えを持ってバスルームへ向かった。……翌日。真琴が目を覚ますと、もう午前九時を回っていた。信行はすでに起きており、部屋の隅で仕事の電話をしていた。腕を目に乗せ、ぼんやりと昨日の記憶を辿る。墓参りに行き、夜は皆に食事を奢り……結構な量を飲んだ。その後のことを思い出し、真琴の気は重く沈んだ。飲みすぎて、信行を紗友里と間違え、彼の顔を触り……あまつさえ、キスまでしてしまったなんて。しかも、昨夜の支払いは全部信行が済ませたようだ。バツが悪い。他の人は酔うと記憶が飛ぶというのに、どうして自分は鮮明に覚えているのだろう?すべてではないにしろ、肝心なことは何ひとつ忘れていない。信行の方を見ると、彼がちょうど電話を切ろうとしていたので、慌てて視線を戻した。その時、信行がベッドに近づいてきて、何事もなかったかのように告げた。「母さんが飯食いに来いって」腕を目に乗せたまま、真琴はゆっくりと答えた。「……分かりました。あと二分したら起きます」昨夜の失態に触れられなかったので、心底ほっとした。彼女の言葉を聞き、信行は腰をかがめて額にかかる髪を撫で、しばらく寝顔を見つめてから、またデスクに戻って仕事を再開した。部屋は静かで、キーボードを叩く音と、窓外の鳥のさえずりだけが聞こえる。しばらく横になってから、真琴は身を起こした。布団を畳み、
十時過ぎ。車が芦原ヒルズに着くと、真琴は「酔ってない」と言い張り、自力で歩いて家に入った。信行は仕方なく、いつでも支えられる距離で彼女に付き添った。寝室に戻るなり、真琴はソファに座り込み、動かなくなった。信行は彼女のバッグと携帯を置き、その前にしゃがみ込んだ。そっと両手を包み込み、優しく尋ねる。「どうした?」目を赤くして信行を見つめ、真琴は泣きそうな声で言った。「紗友里……私、お母さんもお父さんもいないの」その声は小さく、ひどく頼りなかった。信行は一瞬息を呑み、握った手に力を込めた。二回ほど手を握り締め、慰めた。「……俺たちがいるだろ」その言葉に、真琴は黙り込んだ。溢れ出る悲しみを見て、信行は愛おしそうに彼女の頬を撫でた。真琴は信行を見つめ返し、頬にある彼の手首を掴んで言った。「ありがとう、紗友里」泥酔して、目の前の信行を紗友里だと思い込んでいるのだ。信行は訂正せず、ただ指先で頬を撫でながら低い声で尋ねた。「シャワー浴びるか?浴びないならそのまま寝ろ」真琴はぼんやりと答えた。「……浴びる」そう言ってソファから立ち上がろうとし、信行もそれに合わせて立ち上がった。足元がおぼつかない彼女を見て、信行は先にクローゼットへ向かい、着替えのパジャマを取り出した。だが、振り返るよりも早く、真琴が背後から抱きついてきた。両手で腰を回し、その広い背中に頬を押し当てる。信行の動きが止まる。張り詰めていた心が、ふわりと解けていくようだった。しばらくして。振り返ると、真琴はとろんとした目で、今度は彼の胸に顔を埋めてきた。長い睫毛、通った鼻筋。どこを切り取っても、ため息が出るほど綺麗だ。しばらく見下ろしていたが、あまりに無防備で、珍しく甘えてくる様子に、信行は彼女の顎を指で持ち上げた。「よく見ろ。俺だ。紗友里じゃない」真琴は腰に腕を回したまま、彼を見上げる。じっと瞳を覗き込んでから、ぽつりと呼んだ。「……信行兄さん」学生時代、彼女はずっとそう呼んでいた。久しぶりに聞く懐かしい響きに、信行はパジャマを握りしめたまま、彼女を見つめた。視線が絡み合う。真琴の潤んだ瞳の中に、信行は自分の姿と……遠い過去の情景を見た。しばらく見つめ合った後、真琴が腕を解こうと
そう言って、真琴は慌てて道を空け、隣の椅子を引いた。「座って」信行に対するその態度は、拓真たちへのそれよりもずっと他人行儀で、明らかな距離感があった。拓真たちはそれを見て、少し同情的な目で信行を見た。何しろ、彼は夫なのだから。信行はただ冷ややかに拓真を睨みつけただけだった。さっき真琴をハグしようとしたのを、まだ根に持っているようだ。間もなく料理が運ばれ、皆が口々に真琴へのお祝いを述べた。真琴は笑顔で、その一人一人に応えた。今夜、彼女は結構な量を飲んでいた。お開きになる頃には足元がおぼつかなくなり、まともに歩けなくなっていた。必死にこらえてはいたが、体質的に限界だった。彼女は酒に弱い。ホテルのエントランスで、真琴が目を回さないよう必死になりながら、よろめいて歩いていると、紗友里が彼女を信行の懐に押し付け、無理やりその腰に腕を回させた。「こういう時こそ兄ちゃんの出番でしょ。どうせもう長くはないんだから、抱っこさせてあげなさいよ」そして信行を見上げて釘を刺した。「真琴は今日お墓参りに行ったのよ。兄ちゃん、今夜は少しは大目に見てあげてね。嫌な顔しないでよ」確かに、午後のお墓参りのせいで感傷的になり、真琴はいつもより酒が進んでしまった。紗友里の忠告に、信行は淡々と彼女を一瞥し、真琴の顔にかかる髪を払ってやった。彼に寄りかかり、真琴は両手で信行の首に抱きつくと、うわ言のように呟いた。「紗友里……今夜は、紗友里のとこに泊まるわ……」「……」真琴を見下ろし、左手で彼女の腰を支えながら、信行はポケットから車のキーを取り出し、拓真に渡して言った。「運転手に俺の車を回させてくれ」拓真は言った。「そのまま運転手に送らせればいいだろ」信行は答えた。「回すだけでいい。送らなくていい」拓真は頷いた。「分かった」拓真がキーを受け取ると、信行は真琴が自分を紗友里だと思い込み、首にすがりついて胸に顔を埋めているのを見て、顔にかかった髪を整え……その頬にキスをした。傍らで見ていた紗友里は呆気にとられ、酔いも一気に覚めた。しばらく信行を凝視した後、酒臭い息を吐きながら、訝しげに尋ねた。「兄ちゃん、変な酒でも飲んだ?」信行は右手を振り、紗友里の顔を鷲掴みにして押しやった。紗友里
空が薄暗くなり始め、管理人が見回りに来る時間になって、真琴はようやくその場を後にした。帰路につくと、突然の夕立に見舞われた。ハンドルを握りながら、過去のことや仕事のことに思いを馳せていると、助手席に置いていた携帯が鳴った。拓真からだ。通話ボタンを押し、明るい声で出る。「もしもし、拓真さん」電話の向こうで、拓真は言った。「真琴ちゃん、聞いたぞ。特許が売れてプロジェクト責任者になったんだって?おめでとう」ハンドルを握りながら、真琴は笑って言った。「ええ、昨日高瀬社長と契約しました。ありがとうございます、拓真さん」「仕事が順調なのは何よりだけど、根詰め過ぎるなよ。たまにはみんなで集まろうぜ」真琴は答えた。「ええ、ぜひ」拓真と少し話して電話を切ると、すぐに司からもお祝いの着信があった。その後も、共通の友人たちから次々とお祝いの電話がかかってきた。皆からの祝福に、真琴の心はさっきよりもずっと晴れやかになった。ふと気づくと、雨が上がっている。フロントガラス越しに見上げれば、そこには大きな虹がかかっていた。その光景に、真琴は心から微笑んだ。人生には、まだ美しい瞬間がある。そう思い、先ほどの祝福の余韻に浸りながら、真琴は拓真たちにかけ直して夜の予定を尋ねた。最初の成功を祝って、夕食をご馳走したいと申し出た。拓真と司は二つ返事で快諾した。電話を切った後、二人は元々の予定をキャンセルしてくれたようだ。店を予約した後、真琴はやはり礼儀として信行にもメッセージを送った。【今夜、みんなにご馳走するんだけど、時間はありますか?】信行からはすぐに返信があった。【ある】真琴は店の場所を送り、彼を誘った。信行と拓真たちの関係は深いし、プロジェクトに出資してくれたのも彼だ。彼を仲間外れにするわけにはいかない。午後六時。真琴が個室に着くと、拓真と司がちょうど到着したところだった。他の数人も集まっている。紗友里は先に来ていて、皆の相手をしてくれていた。真琴の姿を見つけるなり、紗友里は駆け寄って抱きついた。「真琴、すごいじゃない!高校時代の特許が今でもそんなに価値があるなんて」紗友里を抱きしめ返し、真琴は笑顔で言った。「ありがとう紗友里。みんなの相手をしてくれて助かったわ」







