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第3話

作者: フカモリ
結婚して三年、信行が帰ってきた回数は片手で数えるほどしかない。だから今、目の前にいる彼を前にして、真琴は心の底から驚いている。

驚きのあまり、思わず問いかける。

「どうして帰ってきました?」

そして、はっとしたように言葉を付け加えた。

「帰ってくるべきじゃないって意味ではありませんが。ここはあなたの家なんですから、もちろん帰ってきて当然ですもの」

さらに、一言付け足す。

「洗面所は長いこと使ってないし、ベッドもずっと空けてますよ。江藤(えとう)さんたちが毎日掃除して、消毒もしてくれてますから」

そう言ったのは、ふとある出来事を思い出したからだ。

あの時も、信行は黒いスーツを着ていた。彼女が彼の袖を引いてしまったばかりに、信行は後でそのスーツを捨ててしまった。

それ以来、よほどのことがない限り、真琴は信行に触れないようにしている。

彼のものにも、一切。

そう説明したのは、もし信行が今夜家で休むつもりなら、彼女が主寝室で寝たことを嫌がるのではないかと心配したからだ。

実際には、二人が結婚して間もなく、真琴はこの部屋で寝るのをやめていた。

ずっと隣の客室で寝ている。

信行は彼女の説明を聞き流しながら上着を脱ぐと、無造作にソファへ放り投げる。

真琴は彼の邪魔になるのを恐れ、横に二歩ずれて道を空ける。

信行は彼女を無視する。真琴がスキンケア用品を抱えて部屋を出ていこうとした時、男が淡々と尋ねる。

「離婚の許可は、もらえたのか?」

真琴は彼の方を向き、こくりと頷く。

「ええ。おじい様ちゃんが許可してくれました。あなたの家の方も、それほど難しくはないはずですね」

「あなたの家」、「私の家」、真琴は以前、そんな話し方はしなかった。だが、信行がいつもはっきりと線を引くものだから、彼女もいつしかそれに倣うようになっていた。

それに、彼が由美を深く愛しているという話も聞いている。

よく考えてみれば、信行の想いは本物なのだろう。歴代の浮気相手は皆、由美とどこか似ているのだから。

彼の本気の想いを前にして、まだ諦めずにいようとするなんて、見苦しいだけかもしれない。

信行は真琴にちらりと視線を送ると、おもむろにシャツの襟元を緩める。覗く鎖骨と、すっと伸びた首筋が、彼の持つ気だるくも退廃的な色気を際立たせる。

真琴が言う。

「じゃあ、隣の部屋に戻ります」

ドアを開けたその時、家政婦の江藤舞子(えとう まいこ)がドアに張り付いて盗み聞きしているのが目に入る。

「……」

真琴は言葉を失う。

「真琴様」

舞子は気まずそうに笑い、小声で彼女に告げる。

「先ほど奥様からお電話がありまして、この機会をしっかり掴むように、と……

もう遅いですので、信行様と真琴様のお休みのお邪魔はいたしません」

舞子はそう言うと、気を利かせたつもりか、二人のためにドアを閉めていく。

ドアの前に立ち尽くし、真琴は進むことも退くこともできない。

しばらく考え込んだ後、彼女は振り返り信行に向かって言う。

「もう少し後で、隣に行きます」

信行はやはり彼女を無視し、上半身裸のままクローゼットをがさごそと漁っている。

自分の言葉を無視され、電話にも出てもらえず、メッセージも返ってこない。そんな信行の態度に、真琴はとうに慣れてしまっていた。

結婚して三年、彼女はずっと冷たい仕打ちを受けてきた。

最初の頃は気まずくて悲しかったが、今ではもう麻痺している。

信行がパジャマを探しているのだろうと察し、真琴は抱えていたスキンケア用品をソファに置くと、クローゼットに歩み寄り、別の扉を開ける。

「パジャマは、全部こちらに置いてますよ」

彼女は手を伸ばして彼の服を取ろうとはしない。彼のものには触れない。

信行は振り返り、真琴を一瞥もせず、クローゼットからパジャマを取り出すと洗面所へ向かう。

洗面所へ行く信行を見て、真琴は思わず長いため息を漏らす。

息が詰まる。

この感覚は、まるで自分が信行に大きな借りがあるかのようだ。

しばらくして。

信行がシャワーを終え、濃いグレーのパジャマ姿で、気だるそうにタオルで髪をガシガシと拭きながら出てきた時、真琴はノートパソコンを抱え、ソファの上であぐらをかいて仕事をしていた。

冷ややかに真琴を見つめる。信行は、彼女が本当に離婚の許可を得てきたとは思っていなかった。

ただ、仕事をそこまで重視し、片桐副社長の地位をそこまで大切にしている彼女が。

本当に離婚する気があるのだろうか?

真琴は信行が出てきたことに気づかない。それどころか、信行が家にいることすら忘れてしまっている。

信行が歩き回る物音が聞こえて初めて、彼が洗面所から出てきたことに気づく。

パソコンを抱えて立ち上がり、真琴は言う。

「江藤さんたちはもう寝た頃でしょうし、私もお邪魔はしません」

そう言って、彼女は両足を床につけた途端、ソファにどさりと座り込んでしまう。

そして、腰をかがめ、自分のふくらはぎを揉み始めた。

ゆったりとしたパジャマだけを身に着けているため、腰をかがめると、胸元の光景が惜しげもなく晒される。

肌は白く、まるで光を放っているようだ。

清純さと色気。

信行の眉が、すっと険しくなる。

離婚?

こいつが離婚したいだと?自分の警戒を解いて、ベッドに這い上がるための口実だろう。

その時、真琴が彼を見上げ、困ったように言う。

「足が……痺れてしまいましたの」

冷たく彼女を見下ろし、信行は突然、髪を拭いていたタオルを投げつけ、凍えるような声で言い放つ。

「また何を企んでる?」

タオルが顔面に叩きつけられ、右の頬がじんわりと痛む。

真琴は俯き、しばらく黙っていたが、やがて顔にかかったタオルを取り、片足を引きずりながら立ち上がると、淡々と言った。

「安心して。何も企んでありませんよ。離婚は、必ずしますから」

結婚したばかりの頃は、彼のことが死ぬほど好きだった。

あの頃、彼女はまだ二十歳で、信行を誘惑したり、彼のためにスープを煮込んだり、コーヒーの淹れ方を学んだり、何事も彼を第一に考えていた。

信行が、彼女の生活の全てだった。

ただ、今となっては、もうそんな気力はない。

片足を引きずりながらドアへ向かう。信行のそばを通り過ぎる時、彼の嫌悪に満ちた表情が目に入る。

真琴の表情が、やはり暗く沈む。

隣の客室に戻り、彼女はドアに背を預け、長い間そこに立ち尽くしていた。

やがて、自嘲の笑みを漏らす。

感傷に浸ったせいか、また胃が痛み始める。眉をひそめ、手のひらで胃を温め、痛みが少し和らぐのを待ってから、ようやくベッドに戻って腰を下ろした。

胃痛と吐き気の症状は、もうしばらく続いている。

翌日、病院でいくつかの検査を受けたが、医者からは問題ないと言われ、彼女はあまり気にせず、車で会社へ戻った。

「真琴ちゃん」

オフィスのフロアに着き、エレベーターを降りたところで、前から聞き覚えのある声がする。

顔を上げると、由美が真っ赤なドレスを身にまとい、晴れやかな笑顔でこちらへ歩いてくる。

真琴は応える。

「由美さん」

由美は近づくと、彼女を上から下まで眺めて微笑む。

「数年見ないうちに、真琴ちゃんはすっかり大人の女性ね。ますます綺麗になったわ」

真琴も微笑み返す。

「由美さんも、ますますお綺麗です」

由美と信行は同い年で、二人とも彼女より三歳年上だ。

真琴は彼らの後を追いかけて育ったわけではない。家柄に差があるため、彼らのグループの末端の存在に過ぎず、昔は信行がたまに遊びに連れて行ってくれる程度だった。

今では、紗友里とだけ仲が良く、紗友里とだけつるんでいる。

それを聞いて、由美は笑って言う。

「真琴ちゃんはまだお昼食べてないでしょ。一緒に行きましょう」

真琴は断る。

「いえ、由美さん、結構です。後で……」

言い終わる前に、由美は彼女の言葉を遮る。

「遠慮しないで。後で食べるなんて言わないでよ。さっき真琴ちゃんの秘書さんに会ったら、胃の調子が悪くて病院に行ったって言ってたわ。人は体が資本よ。ちゃんと食べなきゃ、仕事もちゃんとできないでしょ?さあ、行きましょう」

由美は親しげに彼女の手を取り、真琴は断りきれない。

笑顔の相手を無下にはできないものだ。

二人がレストランに着くと、由美はお茶を注ぎながら言う。

「信行は気が短いから、この三年間、大変だったでしょう」

真琴は微笑む。

「大丈夫です。私たち、ほとんど顔を合わせないので、大変というほどでもありません」

由美が探りを入れてくるが、真琴もわざと彼女を不快にさせるようなことはしない。

あの二人はお似合いなのだ。自分が余計な芝居をする必要はない。

由美はお茶を注ぎ終え、ティーポットを置く。

「でも、それじゃ解決にならないわ。真琴ちゃん、どうするつもりなの?」

由美が注いでくれたお茶を手に取り、真琴はそっと一口すする。

「離婚するつもりです。おじい様ちゃんはもう許可してくださいましたし、片桐家の方も問題ないはずです」

信行は彼女と暮らしたくないし、今や彼女も彼と暮らしたくなかった。

由美はため息をつく。

「あらら、このことには私にも責任があるわ。あの時、隠し立てなんてしなければ、真琴ちゃんに無駄な離婚をさせることもなかったのに。でも、二人には子供がいない。子供がいなければ、まだ若い女の子よ。心配することなんてないわ」

真琴は笑って言う。

「ええ、そうですね」

二人が話していると、由美が突然、彼女の背後に向かって手を振る。

「信行、こっちよ」

真琴が振り返ると、信行が紺色のスーツを身にまとい、意気揚々とこちらへ歩いてくるところだった。

まるで光を放っているようだ。

男が現れると、周りのすべてが色褪せて見える。

近づいてきて真琴の姿を見ると、信行の表情がわずかに曇る。

真琴も気まずそうな表情を浮かべる。

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