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第7話

作者: 真夏
美月は口を開こうとしたが、濃煙にむせて声が出なかった。

辰朗は芽依を抱き上げ、振り返りもせずに外へ駆け出した。

炎がドア枠を飲み込んだ。

濃煙にむせて、美月は激しく咳き込んだ。

彼女は炎に包まれたドアを見つめた。

自嘲するように笑ったあと、血を咳き吐いた。

身体はゆっくりと崩れ落ち、瓦礫だらけの床に座り込んだ。

炎が周囲から迫り、熱波が肌を焼いた。

意識が散る直前、最後に見た光景は去っていく辰朗の背中と、床に残された指輪だ。

……

鼻腔に消毒液の刺激臭が入り込んだ。

美月ははっと目を開き、荒く息を吸い込むと、肺がヒリヒリ痛んだ。

それは濃煙が残した後遺症だ。

私は……生きている?

では、意識が途切れる直前に聞こえた消防車の音は、死の間際の幻覚ではなく、本当に助けられたということだ。

それは同時に、辰朗が本当に自分を見捨てたことも意味していた……

すべてがあまりにも荒唐無稽だった。

手の甲に点滴の針が刺さっていなければ、悪夢を見ただけだと思ったに違いない。

「美月?」

明雄は肘掛け椅子に座っていた。2年ぶりに見る父のこめかみには白髪が増えていた。

「お父さん……」

声は古びたふいごのようにかすれていた。

明雄はすぐに立ち上がり、そっとストローを彼女の唇元に運んだ。

「ゆっくりしてて。まずは水を飲もう。怖がらなくていい、父さんがついている」

涙が前触れもなくこぼれ落ちた。

美月は機械的に水を飲み込みながら、明雄の目の下の赤い血管や、いつの間にか増えた白髪を見た。

そこには責める色は一切なく、ただひたすらな心配だけがあった。

胸が締めつけられ、彼女はか細く口を開いた。

「お父さん……ごめな……」

嗚咽して、最後まで言えなかった。

だが明雄はすべてを悟ったように、コップを置き、点滴の刺さっていない方の手をざらついた大きな手で強く握った。

「馬鹿な子だ。父さんに謝る必要なんてない。帰ってきてくれればそれでいい、帰ってきてくれれば……」

帰る。

その言葉は鍵のように、感情の堰を一気に開いた。

美月は号泣したい衝動を必死でこらえた。

「耳の手術はとても成功した」

明雄は落ち着いた声で、慎重な優しさを込めて言った。

「医者によれば、左耳の聴力は八割まで回復する見込みだ。右耳も、きちんと静養すれば問題ない」

美月は手を伸ばし、左耳に触れた。包帯に覆われ、鈍い痛みが伝わってくる。

だが耳よりも、心の傷の方がずっと痛かった。

「北村辰朗と隈元芽依については……」

明雄の声が急に冷えた。

「父さんが対処する」

「いいえ」

美月は声を出した。かすれてはいたが、異様なほど揺るぎなかった。

「自分でやるよ」

明雄はじっと彼女を見つめた。2年ぶりの娘はひどく痩せ、年齢にそぐわぬ疲労と虚無が目に宿っていた。

「やりたいようにやりなさい。いつでも、父さんは美月の後ろ盾だ」

美月の涙が音もなく落ちた。

それは、愛されていると実感した涙だった。

明雄は慌てて彼女の涙を拭い、少し間を置いてから再び口を開いた。

「そうだ。

草薙家の跡取り、浩行のことは覚えているか?子どもの頃に会っただろう」

美月は茫然と首を横に振った。

「今回、草薙家が世界最高の耳科専門医を招いた。君を助けたのは彼だ」

草薙浩行(くさなぎ ひろゆき)か?

その名前は美月の脳裏をかすめただけで、ほとんど痕跡を残さなかった。

「草薙家とうちは長い付き合いだ。君が生まれた年に、両家で口約束の婚約もしている」

明雄の言外の意味を、美月は理解した。

「もちろん、これは俺たちの考えにすぎない」

明雄はすぐに付け加えた。

「君が戻ったばかりだ。無理に受け入れろとは言わない。ただ……浩行はとても良い青年だ」

何か思い出したのか、明雄の目に笑みが浮かんだ。

「そういえば、子どもの頃は君がよく後ろを追いかけて、『お兄ちゃん』って呼んで遊んでもらってたな」

明雄にそう言われて、確かにいつも生真面目な顔をした少年が、家によく来ていた記憶がうっすらと浮かんだ。

「それでも、どうして彼が私を?」

幼少期の縁だけで、草薙家がここまで動くとは信じられなかった。

ましてその後、浩行とはまったく連絡もなかったのだから。

名家同士を結びつける最良の軸は、常に利益だ。

だからこそ、はっきりさせておく必要があった。

「公の理由としては、草薙家は近年、新エネルギー車市場を拡大していて、突破口となる人物を必要としている。私的には……」

明雄は微笑み、言葉を濁した。

「彼自身も、美月が回復することを望んでいる」

美月はわずかに眉をひそめた。

明雄は腕時計を一瞥した。

「見舞いに来ると言っていた。そろそろだろう」

その言葉を裏付けるように、病室のドアが静かに開いた。

黒いスーツを着た男が立っていた。

背筋はまっすぐで、冷ややかな気品をまとっている。彫りの深い顔立ちが、疎外と自制を物語っていた。

だが、彼の瞳と視線が合った瞬間、美月の心臓は理由もなく跳ねた。

どこか見覚えがある気がするのに思い出せない。

「どうも、草薙浩行だ」
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