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第7話

Author: ゴブリン
この夜、菜月はぐっすりと眠れた。

翌朝早、彼女は慈善団体のスタッフと約束をして、整理したすべての服を寄付した。

日用品や晨也から贈られたすべてのプレゼントやラブレターも、彼女は葬儀場に持っていった。

そして職員に金を渡し、それらすべてをきれいさっぱり焼いてもらった。

桜子からのメッセージは、やはり予想通り届いた。

【モルディブって本当に綺麗!菜月、あなたのおかげで晨也に出会えたの。本当にありがとう。彼がいなかったら、私なんかこんな高級なリゾートに来るなんて無理だった〜】

その上、彼女は大量の写真まで送ってきた。

全部、晨也の写真だった。

彼女に日焼け止めを塗る晨也、彼女にロブスターを焼く晨也、彼女を抱きしめてキスする晨也。

菜月は写真を開くことすらせず、携帯の電源を切って、出発の最終準備を始めた。

晨也が出発してから二日目、菜月は銀行へ向かった。

「菜月」名義のすべての口座から現金を引き出し、それをポンドに両替。

そして、すべての銀行口座を解約した。

続いて、彼女は市役所へ行き、「菜月」という戸籍を抹消した。

夜には仲の良い女性の友人たちと食事をした。

新しい身分で人生をやり直すことに、彼女は何の不安もなかった。自分の能力を信じていたし、名前が変わってもきっと素晴らしい人生を切り開けると信じていた。

でも、大切な友人たちとの別れは少し寂しかった。

その席では、自分が去ることなど一切口にせず、ただ楽しく食べて、歌って、「菜月」としての最後の日を笑顔で過ごした。

それでも桜子は彼女を手放そうとしなかった。

彼女が一日中携帯の電源を切っていたが、夜に電源を入れると、メッセージが一気に届いた。

【新米パパはもう赤ちゃん教育や離乳食の勉強を始めたの。なんて素敵な男性なの!菜月、彼を譲ってくれて本当にありがとう】

添付されていた写真には、晨也が写っていた。

金縁の眼鏡をかけ、ペンを片手に読書をしていた。

その本の名前が『胎教ガイド』でなければ、金融マーケティングとか学術論文とかを研究しているかと思われる。

それだけではなく、机の上には本が山ほど重ねている。

幼児教育の本以外に、『妊娠中の注意点』『産後うつ病の予防』『30日で産前の体型に戻す方法』などもある。

晨也が気にしているのは、もはや子供だけではなかった。

知らぬ間に、桜子は彼の心の中にも深く入り込んでいたのだ。

肉体が裏切れば、心もいずれ裏切る。それは時間の問題だ。

菜月はふと考えた。もし晨也が帰宅して自分がいないと気づいたとき、また前のように慌てるのか?警察に届けて、探偵まで雇うのか?それとも今回はどうでもよくなっているのか……

「きっと出かけただけで、すぐ帰ってくる」としか思わないのかもしれない。

彼の心の中には、子供とその母親しかいないのかもしれない。

自分の存在する場所は、どんどん小さくなり、やがて消えていくだろう。

もう考えたくなかった。

彼女はすでに「去る」と決めたのだから、彼が後悔しようがしまいが、もう関係ない。

ただ一つ確かなのは彼を離れ、彼を忘れることに、彼女は一切の後悔はないということ。

最後の日、彼女は12時間たっぷり眠った。

目覚めたときには、気力に満ち、顔色も輝いていた。

鏡の中の自分に、大きな笑顔を向ける。

外出時、彼女は荷物ひとつも持っていなかった。

彼女の物はすべて寄付か焼却済み。

手元にあるのは、小さなショルダーバッグひとつだけ。

その中に入っていたのは【賀来澄】という名前の運転免許、パスポート、ビザ、ロンドン行きの航空券。

そして、記憶消す薬だ。

菜月という名前に関する最後の繋がりは、今持っている携帯電話だけだった。

彼女はそれでタクシーを呼んだ。

「空港までお願いします」

支払いのとき、彼女は口座の残高すべてをドライバーに送金した。

車を降りてすぐ立ち去ろうとすると、運転手が慌てて追いかけてきた。

「お客様、間違えてますよ。運賃は13000円ですが、300000円を送っていました」

菜月は微笑んだ。

「そのまま受け取ってください。空港まで送ってくれてありがとう」

「空港までお送りするだけなら、運賃で十分です。本当に、そんな大金は受け取れません!」

「あなたが私を連れて来てくれたのは、ただの空港じゃないの。私の人生をやり直す出発点よ」

運転手と別れると、SIMカードを抜いて折り、携帯電話と一緒にゴミ箱へ投げ捨てた。

これで、菜月に関するすべては、完全に処理し終えた。

彼女は係員に紙とペンを借り、自分自身に宛てて一通の手紙を書いた。

【賀来澄へ

この手紙を開いたとき、あなたの人生が新しく始まる。

過去にこだわらないで、あなたが誰だったのか、もう知る必要はないわ。

私を信じて。堂々と前に進んでちょうだい。

あなたには、どんな人生でも輝かせる力がある。

そして、「一生君を愛する」なんていう男の言葉は、二度と信じてはいけない。

人の心は変わるもの。永遠に頼れる人なんて、どこにもいないの。

信じられるのは、自分だけ。

どうか、自分自身を大切に。

以上】

手紙を書き終えた彼女は、それをポケットに大切にしまった。

目覚めた後すぐに読めるように。

アナウンスが流れる。

「賀来澄様、間も無く出発の時間になります。H25搭乗口までお越しください。ご協力いただき誠にありがとうございました」

菜月はバッグから薬を取り出し、一気に飲み干した。

そして、振り返ることなく飛行機に乗り込んだ。

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