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第6話

مؤلف: 匿名
日影は、こんな海男を見たことがなかった。

記憶の中の彼は、常に鋼のように冷徹で、完璧な自制心の持ち主だった。

かつて、彼の腕がガラスで深く切り裂かれ、骨が見えるほどの傷を、麻酔なしで縫合した時ですら、彼はただ軽く眉をひそめただけで、声一つあげなかった。

けれど今、彼の目には明らかな動揺が渦巻き、声まで震えていた。

「落ち着いてくれ……お金が欲しいか?それとも何か他のものか?話し合おう。何でもやるから、彼女を傷つけないでくれ」

「金……?金だと……!?」

男は叫び、目を大きく見開いた。

「金で俺の妻が戻ってくるのか!?この病院が……この病院が俺の妻を殺したんだ!お前たち全員が、妻の命の代償を払え!」

傍らにいた主治医が、蒼い顔で説明しようとした。

「この方、奥さんは既に末期がんで、我々も……」

「ただの頭痛だ!どうして末期がんなんて診断が下せるんだ!お前ら、このヤブ医者どもが!」

男は完全に理性を失い、手に力を込めた。鋭い刃が、祢々の首筋にかすかな血の線を刻んだ。

「待てっ!」

海男は反射的に二歩前に出ようとしたが、警備員に遮られた。彼は祢々の血を見つめ、その瞳に浮かぶ血走った赤がますます濃く浮かび上がっていく。

「俺が人質になる。彼女を離して、俺を人質に取れ」

「はっ……まずこの女を殺して、それからお前をな!」

男は不気味に笑った。

「俺が欲しいのは、お前たち全員の命だ……!」

交渉は決裂し、膠着状態に陥った。祢々の涙は止まらず、首から血もどんどん流れ出ていった。

その時、海男が突然、警備員の制する手を強く振りほどいた。

そして、傍らにあった医療カートの上から、消毒済みの外科用メスを、素早く掴み取ったのだ。

誰もが彼の次の行動を理解するより早く――彼はそのメスを握りしめ、自分の腹部へと、力強く突き刺した。

「ぶすっ」という鈍い音。

真っ白なワイシャツが、瞬く間に真っ赤に染まり広がっていく。

彼はぐらりと膝をつき、かろうじて体勢を保ちながら、それでも祢々の方向を見つめていた。

声はかすれていたが、はっきりと聞こえた。

「俺の命を……やる。彼女を……放せ」

男は呆然とし、手に持った刃の力が一瞬緩んだ。その目には、理解を超えた事態への混乱と驚愕が映っていた。

この一瞬の隙を、周囲の警備員たちが見逃すはずがなかった。一斉に飛び掛かり、男を押さえ込み、凶器を奪い取った。

祢々は崩れるように地面に座り込み、彼女の声は泣き叫びに変わり、必死に海男の元へ這い寄った。

「海男さん……バカ!何でそんなことするの!?無事でいて、お願い……無事でいて!」

海男の顔は青白かった。それでも、血に濡れた指先を震わせながら、彼女の頬をそっと撫でた。

「泣くな……大丈夫だ。君が昔……俺を救ってくれた。今度は……俺が……君を守る番だ……」

祢々の瞳の奥に、一瞬、複雑な感情――まるで後ろめたさのような影が走った。しかしそれは、すぐに涙と悲しみに覆い尽くされた。

担架が駆けつけ、海男が運ばれていく時でさえ、彼はかすれた声で医療スタッフに言い続けていた。

「祢々を……まず祢々を……ちゃんと診て……」

日影は、自分がなぜまだそこに立ち尽くしているのか、わからなかった。

よそ者のように、彼女はこの芝居を、最後の一幕まで見届けてしまった。

手術室の外に、日影は少し離れた場所で立っていた。長い時間が流れ、ようやく医師が「もう命の危険はありません」と告げた。

彼女はゆっくりと背を向け、ゆっくりと、重い足取りで病院を後にした。

海男が祢々のために命を賭ける姿は、おそらく、彼女の記憶に刻まれる最後の彼の姿になるだろう。

けれど、その記憶は、もはや彼女の心を締めつけることはない。

ただ、彼女の決断が正しかったことを、より確かなものにするだけだ。

日影はまず、藤原家の別荘へと向かった。

自分が七年かけて、少しずつ「家」らしい形にしてきたこの場所を、もう一度見ておきたかった。

引っ越してきたばかりの頃、ここは海男その人と同じく、冷たく無機質で、生活の匂いさえ感じられない空間だった。

彼女は暖色系のカーテンに替え、柔らかなソファカバーを選び、バルコニーには日当たりのよい場所に小さな畳を敷いた。

壁に掛けた一枚の絵さえ、海男が何気なく口にした好みを聞き届け、探し回って手に入れたものだった。

海男は、家のこれらの変化を、ただわずかに眉をひそめて見つめるだけで、何も言わなかった。まるで、日影の存在そのものを、そっと黙認しているかのように。

あの時、彼女は愚かにも、それが「受け入れ」の証だと錯覚していた。

今ならわかる。彼は受け入れたのではなく、ただ「気にしていなかった」だけなのだ。

この空間がどう変わろうと、彼女がどれだけの想いを込めようと、彼の心には、一片の影さえ落とさなかった。

彼女は寝室に戻り、結婚前に実家から持ってきた、ごくわずかな私物だけを整理した。

海男がこの七年間で「贈った」すべての贈り物には、一切手を触れなかった。

いや、「贈り物」などというのもおこがましい。それらは全て、彼女が「ねだって」手に入れたものばかりだった。

記念日の度に、彼女は心を込めてプレゼントを選び、渡した。数千万もする時計もあれば、自分で編んだマフラーもあった。そして、子供のように「お返し」をせがんだ。

海男はただ、淡々と多額のお金を彼女の口座に振り込み、日影は自分で何かを選び、それを「海男がくれたの」と自分に言い聞かせてきた。

元々、自分に属していないもの。無理に求めたところで、何の意味があるだろう?

スーツケースを引きずり、玄関まで来た時、執事の斎藤が声をかけてきた。

「奥様……?どちらへお出かけですか?」

日影は無理に、ほんの少しだけ口元を緩めた。

「斎藤さん、私は……海男と離婚することにした」

「なっ……なぜですか!?」

斎藤は思わず一歩踏み出し、声に焦りの色をにじませた。

「海男様は、確かに口数は少なく、冷たそうに見えますが……心の底では、奥様のことを気にかけていらっしゃいます。以前にも私に……」

「見つかったんだよ」

日影が優しく、しかし確かに彼の言葉を遮った。

「二十数年も探し続けていた、あの命の恩人を」

斎藤の言葉は、喉の奥で止まった。口を開いたまま、結局、深いため息一つに変わった。

日影はスーツケースの引き手をしっかり握りしめ、振り返らずに、ドアを開けた。

七年間、彼女が「家」だと思い込んできたこの場所を、静かに後にした。

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