有田先生による湛輝親王邸の調査で、ここ数ヶ月の間に数名の使用人が居なくなっていたことが判明した。有田先生は都中の仲介所を探り回ったが、正規の雇用経路で入った者たちではないことが分かった。役所の奴籍文書にも記録は残っていない。協議の末、紫乃自身が湛輝親王邸に住み込むことを決意した。「湛輝親王様とはずっとお付き合いがあるからさ、私は信じてるわ」紫乃はさくらに告げた。「もし本当に黒幕の正体が湛輝親王様だったとしても、私には文句を言う資格なんてないわね」さくらは紫乃を一人で行かせる気にはなれず、饅頭とあかりも同行させることにした。何かあった時の心強い助けにもなる。もし湛輝親王が本当に身の危険を感じているのなら、あかりと饅頭の同行を拒むはずがない。助けは多ければ多いほど良いはずだ。逆に拒否するようなら、紫乃を呼んだ真の意図は別にあると見るべきだろう。さくらが自ら一行を送り届けると、湛輝親王は嬉しそうに出迎えた。友人二人も一緒だと聞くと、手を打ち鳴らして「これは賑やかになりますな。ようこそ、ようこそ」と笑顔を見せた。「では、ここを我が家のようにさせていただきますわ」紫乃が屈託なく笑いながら言うと、「それは結構」湛輝親王は即座に厨房へ、今夜は料理を増やすよう指示を出した。さくらも笑みを浮かべながら一同と共に邸内へ入った。特に注意深く老親王の様子を観察すると、確かに心から喜んでいるように見えた。だが、その喜びが真実のものか、それとも演技なのか……この世の中、人の心など簡単には見抜けないものだと、さくらは思わずため息をついた。さくらは昼餐を共にした後、禁衛府へ戻っていった。紫乃は椎名青影に案内を頼み、三人で邸内を巡ることにした。湛輝親王邸の花園は梅月山ほどではないものの、なかなかの趣があり、この季節ならではの風情を醸し出していた。青影はゆっくりとした足取りで、同じように緩やかな口調で邸内の各院を説明していく。これまでは老親王と彼女の二人の主人に、半ば主人同然の関谷という執事がいただけだという。「関谷?」紫乃は首を傾げた。「執事が替わったの?」「ええ」青影は重たげな足を引きずりながら答えた。「前の方は年配でしたので、故郷へお戻りになられました。あ、そうそう、親王様のお側の方々も皆、故郷へ戻られましてね。只今は粟原十七と
ある者は、生まれながらにして戦場の申し子なのだ。戦場に立つ玄武は、都にいる時よりも遥かに決断が早く、迷いがなかった。誰の顔色を伺う必要もなく、誰に気を遣うこともなく、ただ自分の信じる道を進めばよかった。三日と経たぬうちに、噂を広めていた者たちは一人残らず捕らえられた。練兵場に引き立てられた彼らは、兵士たちの前で二十回の軍棒を食らい、痛みに悶え苦しみながら、問われるままに全てを白状した。背後の黒幕など知らぬと彼らは言う。ただ銀子を受け取り、言われた通りに噂を流しただけだと。その結果がどうなろうと、自分たちには関係のないことだった。「羅刹国の八十万の大軍が押し寄せている」……虚言!「清和天皇が北冥親王を処刑した」……もちろん嘘。その当人がここにいるではないか。「親房元帅は戦えぬと悟って逃げ出した」……これも偽り。あれは単なる臆病者の逃亡だ。噂が一つ一つ明かされるたび、兵士たちの怒りは頂点に達し、「打ち首にせよ」との怒号が響き渡った。軍を惑わす輩、死は免れまい。しかし玄武は冷ややかな目で一同を見渡すと、「噂を鵜呑みにした者たちよ。己の至らなさを省みよ。そして、これからの戦いに魂を込めるのだ」と声を張り上げた。軍を惑わす者は敵。敵の血こそが、最初の敗北がもたらした傷を洗い流してくれる。そして、新たな殺伐の心をも呼び覚ますのだ。噂を流した者たちへの処刑を終えると、玄武は鹿之佑に都へ急報を送らせた。北冥親王が邪馬台に到着したものの兵符を持たぬため、将軍たちの統率について判断を仰ぐ、という内容だった。その急報が発せられてから三日後、思いがけず勅旨が届いた。玄武は一瞬驚いたものの、すぐにさくらの手配だと悟った。親房甲虎の逃亡の報が都に届けば、さくらが必ず勅旨を取り付けるだろうと。鹿之佑に急報を送らせたのも、邪馬台軍の立場を陛下に示すためだった――彼らが従うのは兵符と勅旨であり、北冥親王という個人ではない、と。これなら陛下も幾分か安堵されるだろう。都では、清和天皇も鹿之佑からの急報に目を通していた。読み終えると、天皇の表情が和らいだ。最も懸念していた玄武の邪馬台軍における絶対的な地位の問題が、この急報によって払拭された。邪馬台軍は朝廷の軍であって、玄武個人の軍ではないことが明確になったのだ。鹿之佑の急
拉麺が一杯運ばれてきたが、玄武の空腹を満たすにはとても足りなそうだった。鹿之佑は既に羊の炙り焼きを用意させていると告げた。今や肉は豊富にある。かつての邪馬台のような窮乏ではなく、庶民でさえ肉を口にできるようになっていた。玄武は震える手で椀を持ち上げ、汁を一滴残らず飲み干した。塩気の強い汁に、水瓶の水を立て続けに喉に流し込む。椅子に崩れるように座り込むと、ようやく体力が徐々に戻ってくるのを感じた。しかし、まだ馬上で揺られているような感覚が残っており、目の前の人々も後ずさりしていくように見えた。まともに相手の姿を捉えるには、意識を集中させねばならなかった。「親王様、お疲れがひどいご様子で……」樋口軍師は声を詰まらせた。「軍医を呼んで顔に鍼をしてもらわねば」玄武は頬を揉みながら言った。「風にあたって歪んでしまったようだ」皆が目を凝らすと、確かに玄武の顔が微かに歪んでいるのが分かった。「元帅様、道中休まれずにいらしたのですか?」鹿之佑が尋ねた。「休む暇などなかったのだ!」玄武は重大な告白をした。「まずは病を装い、それから密かに戦場へ向かった。その道中で……」彼は後ろめたそうに大量の薬を取り出すと、縮こまるように言い訳がましく続けた。「いや、病気は装ってはいなかった。本当に具合が悪くてな。道中はこれらの薬を服用せねばならなかったのだが、時に服用を忘れてしまって……今から取り戻さねば。さもなくば、さくらに殺されかねん」一同は顔を見合わせ、深い憂慮の色を浮かべた。しかし、これ以上の詮索は避け、まずは軍医を呼び寄せることにした。親王様の体調を整えてからということで、皆が同意した。軍医が脈を取ると、ため息をつきながら「どうしてここまで体を酷使なさったのです」と嘆いた。「深刻なのか?」許夫が急いで尋ねた。軍師が何も言わぬうちに、玄武が手を振って「大したことはない。養生すれば治まる」と言った。だが軍医は深刻な面持ちで「お体の方は徐々に回復されましょうが、気と精の消耗は一朝一夕には治まりますまい。親王様は……その、閨房の方でお力が及ばなくなるやもしれません」玄武は肘掛けを掴みしめ、目を見開いた。「そ、そんなに重症なのか?」軍医は若く端麗な顔を見つめながら溜息をついた。「お体は本来なら静養が必要だったところを、連日馬を駆り続
一斉に振り向いた兵士たち。一頭の馬が疾駆してくる。立ち上がる砂煙の向こうで、朝日に包まれた人影が見える。確かにあの人に似ているが、しかし——鹿之佑と許夫は目を凝らした。瞳が赤く潤み、喉が詰まって声すら出ない。その人物は甲冑ではなく、庶民の粗末な木綿衣を纏っていた。遠目には何の変哲もない旅人のようだ。馬を止めると、ゆっくりと視線を巡らせ、前列の兵士たちに自らの素顔をはっきりと見せるように、徐々に顔を向けていった。一瞬の静寂の後、歓喜の雄叫びが練兵場を揺るがした。「元帥様!元帥様がお戻りになった!」「元帥様は生きておられた!」「元帥様がいれば、我らは必ず勝つ!」「必勝!」怒号は波のように広がり、先の戦いでの屈辱と、親房甲虎への怒りと憎しみを吐き出すかのように轟いた。将たちは目に熱いものを感じていた。親房甲虎の逃亡以来、これほどの士気の高まりを見たことがなかった。ある者の存在は、そこに立っているだけで、何も語らずとも、人々に大きな力と確信を与える。同時に、親王様の出現は噂への最も力強い反駁となった。一つの噂が崩れれば、他の噂も偽りだと信じられる。そんな心理が働くのだ。玄武は長剣を高く掲げ、声高らかに叫んだ。「たかが二十万の敵軍、しかも我らが打ち破った相手だ。新生邪馬台軍が恐れることがあろうか!答えよ、お前たちは恐れているのか!」「恐れません!」「恐れぬ!」その声は天をも揺るがした。玄武は隊列の間を馬で進みながら、さらに声を張り上げた。「答えよ!羅刹国に勝てるか!」「勝てます!」轟くような返事が響いた。「臆病者はいるか!前に出て来い!」「おりません!」兵士たちは胸を張って応えた。朝日が玄武の顔を照らし、まるで戦神の光輪のように輝いていた。その声は鋼のように力強く、揺るぎない確信に満ちていた。「では行動で示せ。お前たちが英雄であることを!」黒山のような果てしない人の波が、一斉に腕を突き上げた。「おお!」の雄叫びが練兵場を震わせた。旧邪馬台軍、上原軍、北冥軍が一つとなった新生邪馬台軍。軍旗が風になびき、「必勝」の声は嗄れながらも、その熱は少しも冷めることはなかった。虚しい噂に苦しめられ、自信を失い、かつての不敗の邪馬台軍の誇りさえ忘れかけていた。だが今、元帥の帰還が彼らの心に
樋口校尉が最初の戦いの死傷者数を報告した。戦死者三百五十六、負傷者千七百三十二。その数字を聞き、将の面々の表情が更に暗く凍りついた。彼らは城を守る側で、弓兵たちは城壁に身を潜めていたというのに。それなのに、羅刹軍は梯子を架け、投石を行うだけでこれほどの死傷者を出させた。これはまだ本格的な攻城戦ではない。羅刹軍は邪馬台軍の戦力と団結力を探るための一手に過ぎなかった。明らかに、敵は状況を把握したのだ。大軍を一気に繰り出すことはないだろう。どれほど士気が低くとも、生死を賭けた戦いとなれば邪馬台軍も全力で応戦するはずだと分かっているからだ。だが、こうした小規模な牽制を何度も仕掛けられ、死傷者が増え続ければ、いずれ邪馬台軍の意志は砕かれ、心の防壁は崩れ去るに違いない。今は戦術を論じても無駄だった。誰もが気力を失い、戦意を喪失している。このまま戦えば、徒な死を重ねるだけだ。軍師は煙草を半袋も吸い尽くしたが、もはや良策は浮かばなかった。朝廷が誰かを派遣するにしても、それまでの間をどう持ちこたえればいいのか。「明日、軍を集めよう」軍師は疲れた声で言った。「士気を鼓舞する演説を準備する。このまま手をこまねいているわけにはいかん」許夫は両手で顔を擦った。灰と血の痂皮が剥がれ落ちる。それは彼の血ではない。今日、傍らにいた兵士が投石機に頭を砕かれた時に飛び散った血だった。彼の心は今なお暗く沈んでいた。「どれほど激しい演説をしても無駄だ。元帥は不在、その代役も決まっていない。しかも皆が親王様の死を信じている。北冥親王が直接この戦場に姿を現さない限り、将兵たちの士気は上がるまい。それどころか、朝廷への怨嗟は日に日に募るばかりだ」「それに加えて」鹿之佑は軍師の煙草入れを手に取り、中を覗いたが空っぽで、ため息とともに置き直した。「親房甲虎の逃亡で、軍の心が完全に崩れている。勝てるはずがないと思い込み、戦場に出ることは死を意味すると。羅刹軍がこのような小規模な攻撃を繰り返せば、いずれ士気は完全に打ち砕かれ、邪馬台は彼らの掌中の物となるだろう」許夫は鹿之佑の顔を見つめ、躊躇いがちに尋ねた。「親王様は今、どうなっていると思う……」日比野将軍が激しく顔を上げ、怒りに燃える目で言った。「問うまでもない。無事なら必ず使者を寄越し、軍の動揺を押さえたはずだ
有田先生や深水師兄と相談したところ、二人とも湛輝親王邸の人々、特に椎名青影について、改めて調査すべきだと進言した。以前にも親王邸の人々は調べていた。怪しい者は見当たらなかった。数人は親王が都に戻る際に連れてきた古くからの側近で、腹心と呼べる存在だった。残りは都に戻った時に、仲介所を通じて雇い入れた者たちだった。有田先生が自ら仲介所まで足を運び、彼らの素性を二代さかのぼって調べたところ、皆、生活苦から身売りを余儀なくされた者たちだった。今日、さくらと紫乃が屋敷を巡回した際も、武芸の心得のある使用人は見当たらなかった。もっとも、いたとしても二人の前では姿を隠すだろうが。有田先生は、親王邸の使用人に増減がないか、もう一度詳しく調べることを提案した。数日前、玄武は既に邪馬台の領内に入っていた。出立の際は変装し、普段の愛馬さえ使わず、親王邸から耐久力のある馬を選んで乗っていった。当初の計画では、邪馬台に着いたら斉藤鹿之佑を探し出し、一介の兵士として軍に紛れ込むつもりだった。しかし邪馬台の領内に入ると、親房甲虎が側室を連れて逃亡したという噂を耳にした。恐怖を煽る噂が飛び交っていた。羅刹国の軍勢は八十万、邪馬台軍は必敗だと言い、また羅刹軍は城郭を血の川にすると豪語しているとも。さらには北冥親王が天皇に殺されたから出陣できないのだという噂まで広まっていた。多くの民が家財を束ね、故郷を捨てて逃げ出した。ようやく生気を取り戻し始めたこの地は、再び戦火に晒される運命を、引き裂かれた姿で迎えようとしていた。民間に広まった噂は、当然のように軍中にも伝播していった。特に清和天皇が北冥親王を殺したという噂を聞いた北冥軍は、怒りに震えた。忠臣良将がこのような最期を遂げたのなら、昏君のために命を捧げる理由などない、と。皆、家に帰ろうという声が上がり始めた。斉藤鹿之佑や天方許夫がどれほど噂を否定し、兵士たちを説得しようとしても、もはや効果はなかった。特に邪馬台軍の中でも、上原家の軍勢は最も天皇への不信感が強かった。かつて上原洋平大将軍が援軍を要請した時、幾通もの急報を都に送ったにもかかわらず、朝廷は一兵も送らなかった。父子が戦死してようやく、北冥親王を遣わしたのだ。そのため、騒ぎを起こす者の多くは上原軍だった。許夫と鹿之佑は事態が