Masuk蓮は彼の顔をじっと見つめ、鋭く問う。「奏は死んでしまったのか」子遠は喉に何かが突っかかったように返事が出ないが、かすれた声で答える。「蓮、家の長男として今は妹をしっかり支えてやってくれ。とわこさんが……」「ママがどうしたんだ」蓮は眉を寄せ、胸が締めつけられるように疼く。「倒れた。目を覚ましたときには、本当の苦しみが始まるかもしれない」蓮は視線を落とし、目に浮かぶ悲しみを隠せない。子遠はリュックを背負い、無言で階段を上がって自分の部屋に戻る蓮の姿を見送る。胸にこみ上げる悲しみがどうにも抑えられない。何かできることはないかと強く思うが、落ち着いて考えると自分自身もズタズタだと気づく。奏が常盤グループの株を譲った後も、子遠は奏が本当に会社を離れたとは思えないでいた。だから毎日ふつうに出勤していた。彼は奏が近いうちに必ず戻ってくると信じていた。だが現実はこんな形で突きつけられるとは思わなかった。これからも以前のように常盤グループへ出勤できるのだろうか?両親や教師が学生時代の自分を作ったとするなら、奏が社会人としての新しい自分を作ってくれた。多くの人は奏を冷酷で手段を選ばない、無情で専断的な人物だと言う。だが、彼と親しくしてきた者だけが知るのは、奏が血の通った情義に厚い男だということだ。Y国。とわこは数時間の昏睡からゆっくりと目を開ける。見慣れない部屋を見て呆然とし、頭の中は真っ白だ。何が起きたのか思い出せないが、心臓の奥から来る痛みだけははっきり感じる。一郎が電話を終えてバルコニーから部屋に戻ってくる。とわこが目を開けているのを見ると、一郎はすぐにベッドのそばへ寄る。「とわこ、マイクが迎えに来ている。彼が来たらすぐに帰国して一緒に戻るんだ」「どうして迎えに来るの」とわこはぼんやりと一郎を見返す。「ここはどこ、どうしてあなたと同じ部屋にいるの」一郎ははっと息を吸い込む。彼は携帯を握りしめ、腕を上げてまた下ろす。ここはホテルだ。彼女が倒れたあと、救急で病院に連れて行き、医者が診て休ませておけと言ったのでホテルに運んだ。だが今、目を覚ましたとわこは、精神状態が明らかに不安定だ。記憶が飛んだのか。「とわこ、しっかりしろ。さっき子遠から電話があって、子供がひどく悲しんで
日本。子遠の車が館山エリアの別荘に到着した。家にはマイクだけがいた。昼に帰国したあと、蓮は先生に呼び出されて出かけており、マイクはひと眠りして目を覚ましたらもう夕方だった。「とわこが気を失った」子遠が告げる。マイクは一気に目が覚めた。「奏、本当に死んだのか?」子遠は頷いた。「一郎さんの話じゃ、社長は山へ向かう途中、車ごと谷底に落ちた……遺体すら見つかってないらしい」「マジかよ、そんな悲惨な!」「だから、とわこも倒れたんだ」子遠は頭を抱える。「僕だって信じられないし、受け入れられない」「お前、この前は他殺の可能性があるって言ってなかったか? 本当に事故なのか?」マイクは、最後に奏に会ったのがいつだったかすら思い出せず、胸にぽっかり穴が空いたような気持ちになる。ちゃんと別れもできず、ただ反目してばかりだったことが、悔やまれて仕方なかった。もし最期がこんなに早いと分かっていたなら、絶対にあんなふうに突っかかりはしなかった。「一郎さんの見立てでは、社長はもう剛と利害関係が切れていた。それに常盤グループとも無関係になってたから、あいつに動機はない。これまでも怪我した時や良いことがあった時には必ず顔を出していたし、私交は悪くなかったんだと思う」子遠は考え込むように言う。「じゃあ事故か」マイクは重いため息をつき、眉をひそめた。「駄目だ、俺がY国へ行ってくる。一郎一人じゃとわこを連れ戻せない気がする」「明日にしろよ。蓮が帰ってくるから一言伝えとけ。それにレラのことも……君が行ったら、僕はどう言い訳すればいいんだ」子遠は困ったように眉間を押さえる。「隠せると思うか?どうせ知れることだ」マイクがそう言った時、三浦が廊下から出てきた。二人の会話を耳にした三浦は、奏が亡くなったと知り、顔を覆って泣きそうになる。「マイク、とわこを迎えに行ってください!もし取り乱して何かあったら、あの三人の子どもはどうなるの」三浦の目は赤く潤み、嗚咽を堪えていた。「つらいわね。幸い蒼はまだ何も分からない年齢だけど」マイクは歩み寄り、静かに慰める。「分かってます。あなたは奏の傍に長年仕えてきた。俺たちよりも辛いでしょう」「奏さんは本当にいい人だった」三浦は抑えていた感情をこらえきれず、涙をこぼす。「分かってます。とわこも、レラも、みんな
二人が山を下りると、予想通り激しい豪雨が降り出した。昼の三時だというのに、空は真っ黒に沈み込み、まるで世界の終わりのようだった。車窓を叩きつける雨粒を眺めながら、一郎の目頭はじんと熱く潤んでいく。今は夏。遺体が野ざらしになれば、一週間もせずに完全に腐敗する。しかも、これほどの豪雨。一週間どころか、今日一日で痕跡すら留められないだろう。携帯の着信音が鳴り、悲しみに沈んだ意識が一気に引き戻された。一郎はポケットからスマホを取り出し、涙を拭って通話ボタンを押す。「一郎、今どこ?奏のこと、何か分かった?私は今、飛行機を降りたところなの。すぐに向かうから」切羽詰まったとわこの声が響いた。「空港で待ってて。迎えに行く」一郎は咄嗟に気持ちを切り替え、彼女をどう落ち着かせるか思案する。もし奏が山道で事故を起こし、遺体すら見つかっていないと知れば、とわこは必ず取り乱す。……空港の出口に立ち尽くすとわこは、滝のように降る雨を前に胸のざわめきを抑えられなかった。「もし本当に奏が死んでしまったら……」その考えを必死で振り払おうとするのに、空の黒さが不吉に心を締めつける。力が抜け落ち、身体が今にも崩れ落ちそうだった。ただ一縷の望みにすがっている。奏はまだ生きていると。三十分ほどして、一郎が黒い傘をさして現れた。「どうして黒い傘なの?」今のとわこは神経が張り詰めている。黒い色を見るだけで、まるで奏の亡骸を連想してしまう。「道端で適当に買ったんだ」一郎は言い訳をして彼女の手を取り、「中に入ろう」と促した。とわこは不審げに彼を見上げ、問い詰める。「奏の行方を掴んだんでしょ?連れて行って!たとえ遺体でも、この目で確かめたいの!」「とわこ、まず落ち着け」「落ち着けるわけないでしょ!」彼女は眉を寄せ、今にも泣き出しそうな声を上げる。「結菜の手術が成功したら、一緒に会いに行ってちゃんと話すつもりだったのに。結菜は元気に回復して、もうすぐ退院できるのに。どうしてこんな!」「僕だって死んでほしくなんかない!」一郎の張り詰めていた理性が一瞬で崩れ、声を荒げた。「でも、僕たちの願いで現実が変わるのか?もう子どもじゃないだろ。何もかも思い通りにはいかないんだ」とわこの睫毛が小さく震え、涙が頬をつたう。怒鳴られた衝撃で、言
「おばさん、違います。子どもを使って財産を狙うなんて、そんな気持ちはありません……全部、偶然で……」桜はまるで裁かれているように震えていた。彼女にはそんな野心など一度もなかった。「若い男女が同じ家にいれば、偶然くらい起きるものよ。ふふふ!」母は喜びを隠せない様子で笑みを浮かべる。「あなたは奏の妹なんだから、私たちがぞんざいに扱うわけないじゃない。これまでずっと苦労してきたんでしょう?これからは実の娘のように大事にしてあげるわ」一郎の両親の慈しみに満ちた表情を見つめ、桜は反論の言葉を喉まで出しかけながら、結局言えなかった。今まで一度も、大人からこんな温かさを受けたことがなかったからだ。まるで蜜に沈み込んだように、抜け出すのが惜しいとすら思ってしまう。良くないと分かっていても、抑えられない。Y国。一郎は何度も人を辿り、ついに剛の部下に辿り着いた。「常盤さんは交通事故で亡くなりました」「交通事故だと?本当に事故か?殺されたんじゃないのか!」一郎の怒声が響く。「剛を連れて来い!直接問いただす!」部下は顔を伏せる。「一郎さん、勘弁してください。常盤さんの事故のあと、剛さんは悲しみに打ちひしがれて、今は病院で療養してます」「悲しみに沈んでるんじゃなくて、怖くて病院に隠れてるんじゃないのか!」「そんな冗談を。ここは剛さんの縄張りですよ、誰も怖がる相手なんていません。常盤さんとは兄弟同然、どうして殺す理由がありますか?それに、常盤さんは常盤グループの株をすべて手放したんです。今さら殺しても、剛さんに何の得もありません」一郎は言葉に詰まった。「常盤さんご自身が飛行機に乗って来られた。それは心の底で剛さんを信じていた証拠でしょう。もう利益のしがらみもないのに、なぜ手を下す必要があるんですか?」一郎が再び言い返せなくなる。「一郎さんのお気持ちは分かります。私たちも辛いんです」部下の声には重苦しい響きがあった。「事故はどこで起きた?遺体は?」冷静さを取り戻した一郎が問い返す。確かに今の話を考えれば、剛が奏を手にかける理由はなかった。「常盤さんは山道で事故に遭われました。あの日、剛さんは常盤さんを山上の寺に連れて行ったんです。気分が沈んでいた常盤さんのために高僧を招き、心を落ち着けていただこうと。ところが小雨で道が滑
「俺はお前の二人の兄貴の母親が誰だったかすら覚えてないんだ。どうしてお前の母親を覚えてると思う?無駄な期待はするな。俺が若い頃に遊んだ女なんて、どいつも底辺の売女ばかりだ。もし探しに行ったって、何の得にもならない。逆にそのクズみたいな母親にしゃぶり尽くされるだけだ!」桜はその言葉を聞いて、心の奥まで冷え込む。「誰に恨まれても構わないが、お前と兄貴だけは俺を恨む権利はない!俺がいなかったら、お前ら二人は今まで生きてこれたと思うのか?」和夫は最後まで、自分は子どもたちに対して後ろめたさはないと信じ込んでいた。「面会時間は終わりだ」警官の声に続き、和夫は連れ戻されていった。桜は少し背中を丸めた父の姿を見つめ、思わず目が潤む。もう彼は幼い頃に見ていた、あの大きくて荒々しくて恐ろしい男ではなかった。年を取った。彼はまともな父親ではなかった。普通の父親のように愛情を注いでくれたことは一度もない。だが否定できないのは、自分を育てたのは彼だということ。さっき「骨は捨てる」と言ったのは嘘だった。火葬場の人間など、誰にも頼んでいない。わざとあんなことを言って怒らせたのだ。怖がって縋ってくるかもしれないと思って。拘置所を出た桜は道端でタクシーを拾い、一郎の家の住所を告げた。彼に学校へ行きたいと相談したとき、一郎は二つの大学のパンフレットを渡し、選ばせてくれた。口喧嘩ばかりしているけれど、彼は自分の言葉をきちんと心に留めてくれている。そのことに胸を打たれた。もう以前のような生き方はやめようと決心する。とわこが言っていた。人生は自分のもの、どんな道を歩むかは自分で決められる、と。一郎の家に戻った桜は門の暗証番号を押す。門が開くと、庭に停められた黒い車が目に入った。それは一郎の車ではない。出かけるときにはなかった車だ。不安を抱きながら庭を抜け、玄関へ向かう。暗証番号を押す前に、扉が内側から開いた。現れたのは、穏やかな顔立ちで、一郎とよく似た男。すぐに一郎の父親だと察した。「叔父さん、こんにちは」「君が桜だね。さあ入りなさい」父は彼女を中へ招き入れる。リビングに入ると、ソファでお茶を飲んでいる一郎の母の姿があった。「桜、こっちへおいで」母は落ち着いた様子で彼女を一瞥する。「私たちは今日来て、客間に女の子の
日本。奏の死が伝わると、町中でその話題が飛び交っていた。涼太はレラにそのことを伝えていなかったが、レラは洗面所でほかの人たちの会話を耳にしてしまった。彼女は洗面所から出て涼太の前に来ると、顔の悲しみを隠せなかった。「パパが死んだの?」涼太は不意を突かれて、どう返事すればいいのかわからなかった。「トイレの中で、おばさん二人が『奏が死んだ』って話してるのを聞いたの」レラの目は赤くなる。「どうして死んじゃったの?嫌だよ」涼太はすぐに彼女を抱き上げて車の方へ向かう。「レラ、まだ本当かどうか確定してないんだ。海外からの情報なんだって。ママが今、確認に行ってる。はっきりした連絡が入ったら教えるから」レラの目からは涙がこぼれる。「パパがいなくなるなんて嫌だ。いつもママとケンカしてるけど、私のことをすごく可愛がってくれたよ。ママのことも大事にしてた。だからこそママと張り合ってたんだと思う」「そうだよ、いい人だった。泣かないで、もしかしたら無事かもしれない。まずはママの連絡を待とう」「ママに電話したい」「今は飛行機の中で携帯を切ってるよ」「お兄ちゃんに電話する」「いいよ、今かけてあげる」涼太は片手でレラを抱え、もう片手で蓮の番号を押す。蓮はすぐに電話に出た。「お兄ちゃん、ううっ」蓮は妹が泣いている理由を理解していて、冷静に言う。「奏は死んでない」「本当?」「うん、遺体を見てないんだ。だから死んでない。遺体が運ばれてきたらそのときに泣け」レラは言葉を失う。「涼太叔父さんのところにいて、戻ってくるな」蓮は続ける。「今、勉強が忙しい。世話してる余裕がない。ママが帰ってきてから帰ってこい」レラは言葉が出ないまま震えている。拘置所。桜は和夫の面会に来ていた。今日は奏のニュースを見て、気持ちが沈んでいる。奏が死んだらすぐに父さんも死ぬかもしれない。家族が壊れていくように感じる。もともと家族に未練はなかった。以前なら家族が散ればそれでよかった。だがとわこが自分に優しくしてくれたことで、勝手に期待を抱いてしまった。今までずっと奏が戻ってきて、とわこと仲直りしてほしいと願ってきた。そうなれば自分は奏の実の妹という立場で、とわこと良い関係を保てるはずだった。まさか奏がこんなふうに亡くなるな