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第35話:逃げるように切る宛名

Penulis: fuu
last update Tanggal publikasi: 2026-06-24 19:57:09

 二件キャンセルしたはずの男が、その夜、ふらりと来た。

 予約表にない来店だった。三崎清隆。連れもなく、一人で。フロアの空気が、わずかに張りつめる。私はバックオフィスの端末から、その背中を見ていた。

 席に着くと、三崎はいつものように領収を頼んだ。

「会社名で。……いや、名前の頭だけにしといて」

 宛名を途中で切る。責任を固定しない、あの逃げ方。けれど今夜は、それを追っている余裕がなかった。

 三崎が、席を立ったからだ。

 手洗いではない。まっすぐ、バックオフィスのほうへ歩いてくる。

「ねえ」三崎が、カウンター越しに私を見た。「新しい人? 経理、やってるんだって」

 心臓が、跳ねた。声を聞くのは、あの会議室以来だ。横領犯ですと頭を下げさせられた、あの日以来。

「……はい」かろうじて、声が出た。

 三崎は私の顔を、ゆっくりと眺めた。値踏みするような、けれどどこか引っかかるような目。

「どこかで、会ったことあるかな。君」

 膝が、震えそうになった。覚えている。この男は、私の顔を、思い出しかけている。箱をのぞく人間は、箱の持ち主に覚えられる。白石さんの言葉が、現実になっていく。

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