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第36話:理央の席

Author: fuu
last update publish date: 2026-06-25 20:00:32

 出勤すると、私の席があった。

 これまで使っていたのは、フロアの端の仮置きの机だった。誰のものでもなく、空いている時だけ借りる席。荷物は毎晩持ち帰り、朝にまた広げる。そういう、根のない場所だった。

 それが今朝は、事務室の奥に移っていた。小さな机に、パソコン、計算機、ファイル棚。引き出しには鍵がついている。

 完全な責任者の席ではない。けれど、置きっぱなしにしていい席だ。明日もここに来る人間のための席だった。

 私はしばらく、座らずに立っていた。

「その方が効率いいから」

 九条さんが、湯気の立つカップを置きながら言った。それ以上の説明はない。けれど、説明がないことのほうが、かえって重く感じた。

「片付けは終わってるよ。鍵は二本。一本は君が持って」

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     出勤すると、私の席があった。 これまで使っていたのは、フロアの端の仮置きの机だった。誰のものでもなく、空いている時だけ借りる席。荷物は毎晩持ち帰り、朝にまた広げる。そういう、根のない場所だった。 それが今朝は、事務室の奥に移っていた。小さな机に、パソコン、計算機、ファイル棚。引き出しには鍵がついている。 完全な責任者の席ではない。けれど、置きっぱなしにしていい席だ。明日もここに来る人間のための席だった。 私はしばらく、座らずに立っていた。「その方が効率いいから」 九条さんが、湯気の立つカップを置きながら言った。それ以上の説明はない。けれど、説明がないことのほうが、かえって重く感じた。「片付けは終わってるよ。鍵は二本。一本は君が持って」 私は鍵を受け取った。手のひらの中で、思ったより冷たくて、思ったより小さい。「席をもらうって、思ってるより重いのよ」 着替えを終えた沙耶さんが、通りすがりに言った。からかう調子ではなかった。「ここで席を持つってことはね、いつでも辞められない側に回るってこと。あんた、それわかってる?」 わかっているとは言えなかった。けれど嫌だとも思わなかった。 少し離れたところで、ひなのが私を見ていた。いつもの、人懐こい目とは違う。裏方の地味な人、ではなく、店の勘定に関わる人。そういう距離の取り方に変わっていた。 視線が、私の立場を測り直している。 私は椅子を引いて、座った。 机に手を置いた瞬間、会社の机を思い出した。あそこにも席はあった。名前の

  • 横領犯にされた経理女は、若頭の金庫を握って元社長を潰す   第10話:値踏み

    「一枚足りない。どれだ」 翌日の開店前。黒瀬は、前の晩の領収の束を、私の前に置いた。分厚い。指に吸いつく、上等な紙だった。挨拶もない。説明もない。ただ、試されている。 昨夜、私は先週分の控えの欠けを指摘した。黒瀬は「明日、数えさせろ」と言った。これは、その答え合わせだ。私がまぐれか、本物か。この男は今、それを測ろうとしている。 私は束を手に取った。重さを測る。指でめくる。宛名。金額。席の順。 私の中で、いつもの作業

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    「あんた、接客には向いてない。でも、数字は強そうね」 会って三分で、柏木沙耶はそう言った。私の何を見たのか、その目は的確だった。 待ち合わせはホテルのラウンジ。沙耶は華やかだが下品じゃない。きれいに化粧して、品のいいワンピース、背筋が伸びている。昼間のラウンジにいても、夜の匂いだけは隠せなかった。 前職には深く触れなかった。社会から押し出された女の空気は、説明しなくても分かるらしい。「真面目

  • 横領犯にされた経理女は、若頭の金庫を握って元社長を潰す   第7話:家賃と口座残高

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  • 横領犯にされた経理女は、若頭の金庫を握って元社長を潰す   第6話:採られない理由

    「採用は、リスク管理ですから」 転職エージェントの担当者は、申し訳なさそうに、けれど迷いなくそう言った。私の中で、何かが固まった。「率直に申し上げますと、今は槻木さんを推薦しにくい状況でして」「理由を、伺っても?」「前職への照会や、業界内での確認で……少し、懸念が出ていまして」 懸念。聞き返さなかった。聞き返せば、もっと言葉を濁す

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