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第3話:パートは切りやすい

作者: fuu
last update publish date: 2026-06-09 21:52:29

 出勤して五分で、私は横領犯にされた。

 朝一番、会議室に呼ばれた。扉を開けた瞬間に分かった。三崎がいる。長尾がいる。畑中がいる。総務もいる。空気が、もう決まっている。

 机の上に、数枚の書類。

 振込一覧。

 請求書のコピー。

 ログイン履歴の抜粋。

 書類は、私が呼ばれる前にもうそろっていた。

 確認なら、私と一緒に集めるはずだ。

 先に揃っているということは、結論が先にあったということ。

 私は、判決を聞きに来た被告だった。

 それも、弁護人のいない被告。

「お座りください」長尾が淡々たんたんと言った。座らないと足が震える気がした。

「一部資金の不適切な処理が確認されました」天気を読み上げるような声。「社内調査の結果、槻木つきのきさんの関与が濃厚だという結論に至りました」

「……私は、何もしていません」

「八十万円の外注費。入力したのは槻木さんですね」

「入力はしました。でも決裁は社長案件です。承認権限もありません。だから確認しようとしたんです。畑中課長にも相談しました」

 並べるそばから、私の言葉は「自己弁護」という箱に放り込まれていく。

 三崎は、悲しそうな顔をしていた。口を挟まない。私にしゃべらせるだけ喋らせて、低く言う。

「君を信じたい気持ちは、あるんだよ。でもね。ログも書類も、ここまで揃っている。会社としては、対応しないわけにいかないんだ。分かってくれるね」

 会社として。その四文字が、足元を崩した。組織対、一人。私が何を言っても、向こうには「会社」という顔がある。

 書類を見た。請求書のコピー。社判の位置が、昨日見たものと違う。

「この請求書、昨日のものと違います。社判の位置も、じ方も。これは、差し替えられて――」

「混乱しているようですね」長尾が、優しく遮った。「落ち着いてください。今は事実を確認しているだけです」

 私の指摘は、取り乱した人間の言い逃れとして処理された。畑中が露骨に顔をしかめる。総務は目を伏せる。誰も、私の言葉を検討しなかった。

「念のため、こちらも」長尾が一枚を差し出す。私のアカウントのログだった。実務で触ったのだから、当然残っている。でもそれは、完全否定を不可能にする一枚だった。

 三崎が、決定打のように言った。「会社としては、被害届も含めて検討せざるを得ないんだよ」

 血の気が引いた。被害届。警察。前科。

「自主退職という形にすれば、穏便に済ませることもできる」長尾が、退職届の用紙を滑らせた。「あなたのためでもあるんですよ」

 私のため。盗んでいない人間に、盗んだことにして辞めろと言いながら、私のため。

 誰も声を荒げない。なのに、逃げ道は一つずつ塞がれていく。これが、組織が人を切る手順だ。怒鳴らない。殴らない。ただ、選択肢を一つずつ閉じていく。最後に残るのは「賢い選択」という名前の、降参だけ。

 私は、ペンを取らなかった。書類を持つ手に、爪を立てた。

「持ち帰って、考えます」

 声が震えないように、それだけ言うのが精一杯だった。三崎は止めなかった。私が逃げられないことを、知っているから。

 扉に手をかけたとき、三崎がすれ違いざま、私にだけ聞こえる声で言った。

「パート一人、辞めてもらうだけの話だよ。会社は、明日も何ごともなく回る。……君がどれだけ騒いでも、誰も困らない。困るのは、君だけだ」

 悲しげな顔のまま、目だけが笑っていた。替えのきく駒を一つ抜く。その程度のことを、この人は今、している。私の七年も、名前も、明日も、この男にとっては「パート一人」の四文字でしかなかった。

 トイレの個室で、私は吐いた。胃が空っぽになっても、何かが込み上げる。屈辱が、吐き気の形をしている。

 それでも、私はそこで終わらなかった。震える指で、スマホのメモを開いた。

「被害届示唆」「自主退職誘導」「請求書差し替え――社判位置/綴じ方/備考」

 涙は出た。けれど、記録はやめなかった。

 奪われる時にこそ、残す。後ろ盾のない人間の、最後の武器。

 便座に座ったまま、私は差し替えられた請求書の宛名を思い出していた。リベルタ企画。八十万円。

 ――この一枚が、いつかあんたを終わらせる。今はまだ、誰も信じない。それでいい。私は、覚えている女だから。

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