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「なにかお探しでしたら、遠慮なくお声がけくださいね」
少し離れた場所からゆっくり声を掛ける。すると彼はソワソワしながらこちらに顔を向けた。他にお客がいないことを確認し、目の前の大理石のトレイに置かれた石を指さす。
「この石は、何か意味とかあるんですか?」
彼の隣に立ち、指し示された品を見る。それは白く、傾けると七色の光を放つ石だった。
「シンセチックオパールですね。小さな幸せを届けてくれると言われてますよ。あとは創造力を高める、明るさや希望を与えてくれるという石言葉があります。ただ……」
「ただ?」 「パワーストーンとしての効果に興味がおありでしたら、他の石の方が良いかも。シンセチックオパールは人工石なんです。オパールなんて言ってるけど、実はオパールじゃなくてガラス石ですし」 「えぇ……」 男の子が露骨にがっかりして見せたので、笑いながら「でも綺麗でしょう?」と持って見せた。この石に限らず、市場の低価格で販売されている天然石は合成石であることが珍しくない。それでもその石が持つ石言葉を信じれば、御守りとして持つのに充分だ。
神社で買える御守りの効力を信じない人はたくさんいるし、パッと入った海外の雑貨屋の魔除けを信じて買って帰る人もいる。結局気の持ちようだ。だから普段何が売れようと傍観してる方なんだけど、この子があまりに真剣に見てるから、聞かれてもないことを喋ってしまった。こんなこと初めてだ。
何となく、店に入ること自体緊張しているように見えたから……いつかの自分と重なったのかもしれない。「優しい色と光を帯びてて、僕も好きな石です。部屋 にも置いてるぐらいなんで」
短く笑うと、彼はわずかに目を見開いた。
「お差し支えなければ、ご自身用か贈り物かお聞かせ願えませんか」 「プレゼント……。ばあちゃんが入院しちゃって、そういやこういう石が大好きだったな、って思って」 「そうでしたか……。大変でしたね」 彼はわずかに俯き、小声で答えた。気になるが、プライベートなことを深く聴くわけにはいかない。 でも、見た目尖ってそうなのにおばあちゃん想いの良い子だな。ますます余計な世話を焼いてしまいそうな自分を咎めつつ、店の奥を指さした。「話してくださってありがとうございます。きっとおばあ様は貴方が選んだものなら何だって喜んでくれると思いますが……石言葉ぐらいならお伝えできるので、僕も一緒にお探ししますよ」
「あ。……ありがとう、ございます」普段ならここまで踏み込んだりしないだろう。
でもホッとしたような、輝いた眼を見たら、他のことなんてどうでも良くなってしまった。大学四年。このパワーストーン専門店でのバイトも今年が最後。
店長には申し訳ないけど、他にお客もいないので、その男の子と長いことプレゼントを探した。結果おばあさんの好きな苺色のストロベリークォーツのペンダントに決めた。
ストロベリークォーツは高価な宝石なのだが、その名称は広義に使われている。先程と同様、クォーツではない場合もあるが、重量に内包物、産地にもよる為、判断基準は無いに等しい。苺に近い色をしていれば全部そうだと言い張る猛者もいる。けど女性が秘める輝きを高める為、贈り物にはぴったりだと思う。疲労を和らげるなんて言葉もあるし。
「良かった……。お兄さん、ありがとうございます」
「いえいえ。お役に立てて良かったです。おばあ様、早く良くなると良いですね」ギフト用に包み、男の子に手渡す。
「はい。あの、後……」 「?」 「また来ても良いですか? 今度はその、自分用にも何か欲しいなって……」 彼は視線を下げ、頬を掻いた。よく見るとほんの少し赤くなっていて、照れてるんだと分かった。「もちろん。今度はあなたの石を一緒に見つけましょう」
笑って言うと、彼はまたパァッと明るくなった。
なんて純な子だろう。見た目はパンキッシュというか、結構尖ってそうなのに。 ぶっちゃけ今まで対応した客の中で、一番素直で可愛い。「そんじゃまた!」
「またのお越しをお待ちしてます。帰りお気をつけて」学校もバイトも辛いことばかりだけど、続けて良かったと思える瞬間がある。まさに今みたいに。
彼は才木透夜《さいきとおや》君と言って、近くの高校に通う二年生だった。二回目の来店も運良く晴天で、無事接客ができた。最初は妙に緊張していたけど、次に会った時は色んなことを話してくれた。
おばあさんは無事快方に向かっていて、透夜くんが渡したペンダントをとても喜んでくれたらしい。笑顔で話す彼に、俺も自分のことのように嬉しくなった。「わ、この水晶すごい。苺の形してる」
「あぁ、可愛いでしょ。天然石はカットの仕方や形でも効果が変わってくるんだ。苺の形に整えると素敵な出会いが訪れるんだって」 「へぇ~……」 「後はそうだな……ハート型や丸型も多いけど、お金持ちの人の家にありそうなのは大きなピラミッド型とか」 「あはは、何か分かるかも」天然石に興味を持ってくれた彼と過ごす時間は楽しかった。
「戸波宙《となみそら》さん」
「ん?」彼は石を持ちながら、少し掠れた声で呟いた。視線は、俺の胸にある名札に注がれている。
「うん。戸波って言います」 「……宙さんて呼んでもいいですか?」 「もちろん良いけど」 いきなり名前で呼ばれると何か照れるな。 でも、悪くない。弟ができたみたいで嬉しかった。 透夜君は俺が今年でここのバイトを辞めることを知るととてもショックを受けていた。今すぐいなくなるわけじゃないから、と宥めると何とか気を取り直していた。 でも彼もふと暗い顔を見せる時があって、人には言えない悩みを持ってるんだろうな、と思った。 気になるけど、あまり深く踏み込むことはできない。代わりに彼がここへ来た時は、精一杯の笑顔で話をしたい。「またおいで。あ、晴れの日にね。雨の日はいないから」
「……? 雨の日はいないの?」 「うん。傘持ってないんだ」わざとおどけて言うと、彼は肩を揺らして笑った。
そんなやり取りを繰り返し、冬を越し、バイトを辞めた。
親戚のお情けで雇ってもらったお店だった。
俺は“普通”と違う。それを人に知られることが、呆れられることがたまらなく怖かった。
晴れの日は外に出られるのに、雨の日は一歩も動けなくなる。……なんて。働くどころか学校すら行けなくなる。
晴れの日しか来ないようあの子に言ったのは、体質のことで嫌われたくなかったからかもしれない。天候で体調が左右されるような弱い人間だと思われたくなかった。事実弱いくせに。弱いと思われたくない、と思うことこそ弱い証拠だ。分かってるのに、彼と会うときは必ず晴れが続く週に約束した。
「宙さん! ごめん、待った?」
「ううん、全然。じゃあ行こっか」遠夜くんとは連絡先を交換して、プライベートに会うぐらい仲良くなった。近くの天然石ショップ巡りをしたり、他愛もない雑談をしたり。大学で友人がいない俺は久しぶりに楽しい休日というものを謳歌した。
最初こそ話を合わせられるか緊張したけど、何回も会ううちにその不安もどこかへ消え去った。今は彼の顔を見ると安心感に包まれるほど。街は緑も増えつつある。陽だまりの中を歩きながら、当時は珍しかった西洋建築の建物を見上げた。
「この辺って綺麗な街並みだから、デートスポットとしても人気なんだよね。ウチの店もカップルが多いし」
「あー、確かに。さっきからめっちゃベタベタしてるカップル多いですもんね。……宙さんは彼女いるんですか?」 「あはは、いないよ」 「じゃ、募集中?」 「んー……」募集したところで誰も来ないし、いずれ呆れられ、向こうから去っていくに決まってる。
「俺はそういうの向いてないから。ずっと独り身かな」
苦笑しながら答えると、彼は急に険しい顔で前を塞いだ。
「宙さんが一生独りなんて、ありえませんよ。俺が保証します」
「そ、そう……? ありがとう」
お世辞だと分かってるけど、あまりに真っ直ぐな瞳で言いきるから否定できなかった。
不思議な子だ。
本当は俺なんかより、気のおけない友達や受験勉強に時間を割くべきだろうに。
せっかくの晴れの日を奪って良いんだろうか……。
楽しいからこそ募っていく不安がある。けど、彼から与えられる光が、会う度に視界を明るくする。
優しくされることも慣れてないし、半トーン高い声で話すのも慣れてない。でも必死に彼と同じ目線になろうとしていた。
そして、確かに救われていた。
この気持ちの正確な名前は分からないけど、間違いなく言えることがある。
俺はこの子が好きだ。
「洋館巡り楽しかったですね!」
「ね。でも、渋いね。透夜君なら遊園地とかの方が好きそうだけど、こんな静かな場所を歩くだけで良かったの?」
「遊園地。好きですけど、宙さん絶叫系平気なんですか?」
「駄目」
「ほら」
笑い合って、近くの繁華街に入った。ここは観光地で、カップルやファミリーはもちろん、修学旅行生も多い。
「どうしよう。豚角煮まんは絶対食べたいんですけど、パンダ餡饅も絶対……死ぬほど食べたい」
死んでも食べたい、じゃなくて死ぬほど食べたい、なのか。それはちょっと薦められないけど……。
「じゃあ一個ずつ頼んで、半分こしようか」
「あぁ! そうしましょ!」
饅頭を買って、道の端に寄った。皆食べ歩きをしてるから、俺達も互いに半分に割る。
「はい、宙さん。あーん」
「え!?」
でも彼は、半分にした饅頭を俺の口元に差し出してきた。
いやいや、カップルじゃないんだから!
自分で食べるよ、と言いたかったけど、眼をキラキラさせて待ってる彼を見たら嫌だとは言えなかった。
頼む、誰も見ないでくれ。密かに祈りながら、差し出された饅頭を口にした。
こし餡が死ぬほど熱かった。
「どうですか? 美味しい?」
「うん……」
間違いなく舌と上顎を火傷した。微妙な反応をしてしまったけど、俺も負けじと豚角煮まんの半分を透夜くんに差し出す。
「ほら。あーん」
彼にもこの羞恥心を味わってほしいとやり返したけど、これ、自分で口にするのもかなり恥ずかしいな。
しかも透夜くんは何の躊躇いもなく饅頭にかじりつき、「うまー」とハフハフしている。
何か俺の方が顔熱くなってて悔しい……。
それにしても、彼の人なつこさは素で間違いないみたいだ。
きっと周りから愛されて育ったんだろう。
ちょっとだけ羨ましくもあるけど、できればずっとそのままでいてほしい。
「宙さんは何で彼女作らないんですか? そんなに綺麗なのに」
「俺の恋愛事情なんか知っても楽しくないと思うよ。あと綺麗じゃない」
フルーツ飴を渡して、近くの壁にもたれかかる。俺はもう腹がいっぱいで、これ以上食べられそうになかった。
「綺麗です。今まで見た男の人の中で一番綺麗です」
「ふぅ……」
ため息をついてしまったのは、素直に「参った」と思ったからだ。
顔と胸が熱い。生まれて初めて言われたし、周りに聞こえてないかとヒヤヒヤする。
「クラスの女の子にもそうやって言い寄ってない?」
「してません!! 命懸けます!!」
尋常じゃなく大きい声が返ってきた為、質問した俺の方が「ほあっ」と情けない声を上げてしまった。
「女子に告白されることはありますけど、知らない子のことが多いし、知りたいとも思わなかった。でも宙さんは違う。初めて、もっとたくさん知りたいと思ったんです。友人や先輩みたいな、切ろうと思えば簡単に切れる関係じゃなくて……もっと一緒にいたい」
「それって……」
告白じゃんか。
喉元まで出かかった言葉は、すんでのところで叩き落とされた。
「俺は宙さんが好きです」
言葉の意味や感情より、一番に頭に浮かんだのは綺麗な声だ、ということ。
あまりに自然過ぎて、告白だと気付くのに数秒かかった。
「……っ」
でも、俺には誰かと付き合えるような資格はない。
「俺も……遠夜くんのこと好きだよ。友達っていうか、本当の弟みたいで」
少しわざとらしくなったかもしれないが、精一杯の笑顔で答えた。
少し逸れて路地に入り、賑やかな大通りを横目に見る。
楽しい、どころかずっと一緒にいたい。
でも俺なんかに使う時間があったら、他のことに使ってほしいと本気で思った。卑下してるわけでも、意地悪でもない。……彼のことが本当に好きだから。
人間には二パターンいる。日向を歩く人と、日陰を歩く人。
ちょっとフラフラ迷っただけで、ここみたいに日当たりの悪い道に入ってしまうんだ。ひとたびこちらに慣れると、表が眩し過ぎて、出ていくこともできなくなる。
彼は日向にいるべき人間だ。
俺は違う。ただでさえ低い位置から、今後さらに降下していくだけ。
「そろそろ帰ろっか。ちょっと曇ってきたし」
上手く話が逸れたことに安堵しながら日陰を出た。
透夜くんはなにか言いたそうにしてたけど、その言葉を聴く勇気がないから、彼の手を引いて通りまで進んだ。
「宙さんは、自分を卑下し過ぎだと思います」
最寄り駅まで送った際、透夜くんは不貞腐れたように頬を膨らました。
それが何か可笑しいのと可愛くて、思わず吹き出してしまった。
「何で笑うんですか。俺は怒ってるのに」
「え、そうなの? 全然怖くない。可愛いよ」
むくれてるところを見ると子どもだなぁとしみじみ思う。
改札口を抜けた彼が、低い柵越しにこちらへ来たので、頭を軽く撫でてやった。
俺の場合、自己肯定感なんてある方が疲れそうだ。
「俺なんかにここまで付き合ってくれたのは透夜くんだけだよ」
嘘じゃなく、事実だ。そう零すと、「宙さん」とまた名前を呼ばれた。
「俺はこれからも付き合っていきたいです。今度は弟でも友人でもなく……恋人として」
「こ……っ」
とうとう、逃れられない言葉を聞いてしまった。
瞼を閉じ、必死に逃げ道を考える。
「よく言うだろ、友達と先輩は選べって。恋人はもっとそう」
休日だから人の出入りが激しい。たくさんの人がやってきては、俺達の横を通り過ぎる。
「その通りです。それで、次はいつ会えますか?」
「…………」
何とか諭そうとしてるのに、彼はブレる気配がない。打たれ強いことに内心驚いた。
でも彼はこれから受験がある。同級生の友達と遊ぶことも大事だ。俺なんかに時間を割いたらいけない。
本当はずっと分かっていたけど、彼と過ごす時間が楽し過ぎてズルズル伸ばしてしまった。
俺は最低だ。もういい加減、彼を解放しないと。
「……いや、会えない。悪いけど、俺も春から会社員だし、忙しくなるから」
「でも雨の日は動けないんでしょう?」
時間が止まった。
頭を鈍器で殴られたみたいな衝撃に襲われ、立ちすくんだ。
「何で、それを」
「すいません。プライベートなこと訊くのはいけないと分かってたけど、宙さん時々顔色が悪いから気になって。……雨の日に店に行って、店長さんに訊きました。雨天の日は歩くのもままならない、重度の気象病だって……」
視界が霞む。心臓がいやに跳ねて、ばくばくうるさい音を立てている。耳も遠くなってるのか、周りの雑音がシャットアウトされた。
「普通に生活するのも大変だって聴きました。でも俺、なにか貴方の力になれないかと思って……貴方が困った時に、傍で支えていきたいんです。初めて会った日、俺を助けてくれたみたいに」
そう叫ぶ透夜の目元は赤い。まるで泣いてるみたいに。
自分に対する歯がゆさと負い目。彼の優しさで頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
まずいと思った。
このままじゃ本当に彼を好きになる。
でも駄目だ。
大事で、幸せになってほしい彼だからこそ……俺と一緒にいてはいけない。
「そんなの……仕事なんだから、親切にするのは当然だよ」
震えそうになる声を必死に振り絞り、吐き捨てた。
拳を強く握り締め、彼の眼を見返す。少しでも気を抜いたら心が揺れてしまいそうだったから、容赦ない雨の冷たさを思い出していた。
優しくしたいって思ったばかりなのに、自分が弱いせいで彼を傷つけようとしている。
「優しくても、知らない人を簡単に好きになっちゃ駄目だよ。俺みたいに、雨の日だけ介護に呼ばれる関係にされかねないし」
これ以上は無理、というぐらい皮肉を込めて言い放った。存外返ってきた言葉は、また俺の予想の斜め上をいくもので。
「それでも構いません。貴方が望むなら」
心ない言葉と石は同一だと思う。人の心が家だとして、悪意ある人間はその家の窓に石を投げる。割れた破片を片付けるときは手を切る危険があって、新しい窓を取り付けるには労力がいる。普段は足元に転がっていて、その存在に気付きもしないのに。拾った相手によって凶器に変わる。かと思えば、汚れて蹴飛ばされるもの、高い値がついて飾られるものもあったり。そういう格差のある部分は人と似ている。この世には守られる人と、守られない人がいるから。出会ったばかりの頃……乳白色の石を店のペンダントライトに透かして言うと、宙さんは露骨に驚いていた。「透夜くんって意外とシリアスなこと言うよね。何でもポジティブに捉えてると思ってた」「元はネガティブですよ。それを上手く隠してるだけです」同級生からはやっかみされ、父は体の弱い母を残していなくなった。正直言って、川の中に沈んでる石ころみたいな人生だ。何の価値もない、人目にも触れられないような……。彼の隣に並んで石を眺める。店内には透夜以外客はおらず、スタッフも宙さんひとりだった。束の間の二人だけの空間が最高に心地よく、また、誇らしい。女性向けのショップを貸し切ることの何が誇らしいのか自分でも謎だが、その理由は話してるうちに段々分かってきた。「攻撃されたら戸惑うし、味方が誰もいない時は目の前が真っ暗になるけど。他人を攻撃する人はどこに行っても一人はいる」だから自己防衛しないとね、と宙さんは腰に手を当てた。「石は凶器じゃない。守られる存在でもない。石そのものが御守りとなって、俺達を悪い人から守ってくれる」エプロンのポケットからキャンディを取り出し、宙さんは俺の口にハイ、と入れた。「ま、気の持ちようって言われたら何も返せないんだけどね。そんな時はいつでもここにおいで」舌を動かすと石のようにカラカラ音が鳴って、ちょっと恥ずかしい。喋れない俺の頭を優しく撫で、彼は微笑んだ。「大丈夫だよ。俺はずっと透夜くんの味方だから」「……っ」喉が鳴る。なにか言わなきゃ、と思ったときには、彼は踵を返してレジへ戻ってしまった。舞い上がる塵がライトに照らされ、彼が歩いた跡が光の道のように伸びている。「……」理由は分からないけど、手が少し小刻みに震えている。落としたらまずいと思い、石をトレイに置いた。けど今度は胸が熱くなった。鼓動は速まり
目元を指で優しくなぞられる。不思議に思って顔を上げた時、一筋の雫が伝った。「……っ」俺、泣いてる?まさかと思って自分の頬に触れると、確かに涙でぬれていた。「貴方は俺の為に、自分の気持ちを殺してるようにしか見えないんです」だけど、それが一番つらい。透夜は引き攣った笑顔を浮かべた。「世間体とか将来のこととか、俺が幸せになれるよう考えてくれてるのはすごく嬉しいです。でもその未来に宙さんがいないなら、俺が望んだ世界じゃない。……俺は貴方と一緒に生きることを夢見ていたんだから」「透夜……」こんな、何でもない日に聞いていいプロポーズじゃないのかもしれない。どう反応したらいいか分からず目を泳がせていると、透夜は突然頬を赤らめ、俺の両手をとった。「それに言わせていただくと、宙さんはご自分が思ってるより俺のことを好きだと思います」「は!?」思わぬ流れに、つい声を荒らげてしまった。だって普通に恥ずかしい。俺が本当は、透夜のことが好きで好きでたまらない、とでも言うような。いや……実際、そうなんだけど。認めちゃいけない。「いい加減認めてください。でないと、好きでもない男を自分の家に住まわせる小悪魔になりますよ?」「おい、言い方……。その提案をした時は、可愛い弟と思ってたから……」「これだけ俺が、貴方を恋愛対象として好きと言ってるのに? そこまで警戒心ないんですか?」「……っ!」痛いところを突かれてるけど、全て彼の言う通りだ。強引な人間なら襲ってきたっておかしくないだろう。「透夜は、そんなことしないって信じてるから」「信じないでください。宙さんはあまり意識してないみたいだけど、俺はもう何も知らない高校生じゃない。大人の男ですよ」そんな風に言われると、急に不安や恐怖が顔を出す。彼の言ってることは当たり前だ。歳月で人は変わる。高校生だった頃の彼はもういない。でも、それでも俺は……。「一緒だよ。四年前からずっと変わらない……俺の大好きな透夜だ」大粒の涙が溢れる。それは堰を切ったように零れ落ち、膝をぬらした。透夜が大好きな気持ちも、押し留めることなんて不可能なんだ。鬱陶しい前髪を払って嗚咽すると、彼は少し恥ずかしそうに頷いた。「やっと聞けた」ちょっとムッとしたけど、透夜は心底嬉しそうに俺の顔を引き寄せ、唇を塞いできた。「貴方もずっ
唇に人差し指を当てられる。見上げた俺は、どんな顔をしていただろう。多分、相当真っ赤になってるはずだ。目が合った透夜が、これ以上ないほどニヤけていたから。「宙さん。大丈夫だから、隠さないで」向かい合い、テーブルの下でつま先が触れる。「どんな小さな感情も俺に伝えて。嬉しい時も、怒った時も、悲しい時も。昔と違って、全部まるごと受け止めるから。心配しないで、さらけ出してください」彼は立ち上がり、再び目の前に佇んだ。片手を取られるのと同時に、胸元に引き寄せられる。息が当たりそうなほど近い距離で覗くと、彼の瞳は宝石のように揺らめいていた。「お前、確かに男前になったよ」 「ありがとうございます。惚れ直してくれました?」「……うん。計算高くもなったけど」軽く笑って、前に倒れる。顔をうずめようとしたが、顎に手を添えられ、上向きにされる。ほのかにワインの香りがして、こっちまで酔ってしまいそうだった。「宙さん。明日は雨ですから……無理しないで休んでくださいね」「そっ、か」スマホを取り出し、天気予報をチェックする。彼の言うとおり、今週は雨続きだった。「いつも心配かけてごめんな」透夜の仕事を知る前から、彼は俺の体調を気にかけてくれていた。いいや、四年前から知ってたじゃないか。駅で告白されたあの日から。いつしか彼方に追いやられた記憶。これはとてもすぐに拾いに戻れる距離ではない。透夜にとって、俺が知らない四年間はどれほど長かったんだろう。広くて小さい背中に手を回し、肩に顔を乗せた。数年ぶりに感じる温もりに、目頭が熱くなる。今はもう独りじゃないんだ。「透夜」それは全部、弱い自分を待っててくれた彼のおかげ。「俺、お前に色んなもん貰ってばっかだろ。でも俺はお前にあげられるものが何にもないんだ」恋愛経験ないし、仕事を変えてまぁまぁ生活きついし、家は狭い賃貸だし、車はボロいし。こんなに好いてもらっても何もあげられない。「だから……だから俺の人生をやるよ。雨の日は必ず支えてくれるお前に、晴れの日の俺は、全部お前にやる」 ちょっと日本語変だったかな。不安に思っていると、透夜はうーん、と唸って床に膝をついた。「それだと三百六十五日俺に捧げることになりますよ? 俺は元々、晴れの日の貴方も独り占めするつもりなんだから」「そうか」「そうです」無言で見つ
仕事終わり、買い出しをしてから自宅へ向かう。アパート前の駐車場を歩いているとちょうど見覚えのある人物が見えた為、ゆっくり声を掛ける。「透夜。おかえり」「宙さん! ただいま」仕事帰りの透夜は、こちらを認めると小走りでやってきた。「買い物に行ってたんですか? お疲れ様です」「おー。これお土産。北海道の物産展やっててさ、色んなチーズ売ってたから買っちゃった。ワインもあるし、たまには飲みな」「わ、すごい美味そう。ありがとうございます」透夜は目を輝かせて家に入った。食べることが大好きな彼には、ついつい珍しい食材を持ってきたくなる。彼が笑うと、こっちも自然と笑みがこぼれる。嬉しくなる。「俺、今本当に幸せです」「…………」恋人ではなく、あくまで友人。それでもこんなに……。こんなにも心が満たされるものなのか。全身が温かくて、優しくなりたいと思えて。もっともっと笑ってほしい、と強く願うものなのか。分からない。この想いの正体を知ってはいけない気がしていた。「俺も。独りが当たり前だったのに、お前が来てから毎日、し……幸せだよ。仕事も体調も問題ばかりなのに、こんな風に楽しんじゃって良いのかな」そう零すと、彼は強い口調で告げた。「もちろん。宙さんは、今までが辛いことばかりだったんですから……それに幸せになるのは誰にとっても当然の権利です」真剣な眼差しに息を飲む。優しい、心地いい言葉を返してくれる人は確かにいた。それでも、同じ言葉でもこれほどまでに心を揺さぶってくれる人は、彼の他にいない。「ありがとう」それほど彼が特別ということなんだ。おつまみ用にチーズを並べ、彼の為に手頃なテーブルワインを注ぐ。俺はお茶にして、席についた。「俺は、苦しいのが普通だからさ。楽しいことばかり続くと、そのうちバチが当たる気がして」足を伸ばして天井を仰ぐ。昔からなにかを望むと悪いことが起きた。楽しいことと悲しいことは常にセットで、前者のみは有り得ない。その刷り込みこそ、この弱さの代償かもしれない。目を細めてため息をつくと、目の前に回った透夜が俺の額に触れた。「じゃあ、おまじないをしましょう。悪いことから身を守るおまじない」「そんなんあるのか?」「ええ。ちょっと目を閉じてください」言われるまま瞼を伏せる。一体どんなおまじないだろう。ワクワクして待っ
「宙さん! この間は気が回らず申し訳ありません。お身体の具合はどうですか?」「三澄さん。おかげさまですっかり良くなりました。ご心配おかけしてすみません……」週が変わり、久々に三澄さんと顔を合わせた。彼は終始心配そうにしてくれていたので、意を決して本当のことを打ち明けた。自分は気象病を持っていて、それがきっかけで前の仕事を辞めたこと。晴れの日しかヘルプには来れないこと。呆れられないかとびくびくしたけど、三澄さんは苦しそうに顔を歪め、首を横に振った。「お辛い想いをされていたんですね」「いえいえ! これが俺の中では普通なので、今さらなんてことはありません」強いて言うなら、この苦しみが肥大したのは透夜に出会ってからだ。自分だけが苦しいなら、いくらでも耐えられる。だが自分より大切な人を巻き込み、負担を強いることになるのが一番苦しい。透夜はもう、自分の人生より大切なんだ。彼は俺の知らないところで、俺の為に大切な時間をつかっていたから……。「誰だって、人には言えない事情を持ってます。だから、その人の苦しみもその人にしか分かりません。偉そうなことを言って申し訳ないんですが……あまりご自分を責めないでくださいね」「三澄さん……ありがとう、ございます」彼も本当に優しい人だ。それと同時に、とても強いひと。感謝の気持ちで胸の中がいっぱいになっていると、彼は思い出したように手を叩いた。「あぁでも、宙さんには頼れる人がいましたね。才木透夜さん、でしたっけ」「あ、ええと……はい」まさか透夜の話になるとは思わず、少し歯切れの悪い返事をしてしまった。「医療職って仰ってましたよね」「はい。理学療法士で……俺の病気を知って、目指してくれたみたいなんです」そう言うと、三澄さんは露骨に驚いた顔をした。「それはすごい……宙さんは、その……本当に」「?」「あい……じゃない、えっと。だ、大事に想われてるんですね」三澄さんらしくもなく、言葉を濁している。どうしたのか不思議だったけど、素直に受け取って微笑んだ。「ええ。でも元々優しい子だったので。身近に俺みたいな危なっかしいのがたまたまいたから、指標になったんですかね?」「いやぁ……もっと大きな理由があると思いますけど」彼は気まずそうに鞄をわきに抱え、真面目に悩み出した。「宙さんにとって、才木さんは後輩……なん
三澄さんは屈託のない笑顔で手を差し出した。「……」透夜はその手を取り、握りはしたものの、低い声で笑った。「ありがとうございます。……せっかくですが、今日はご遠慮します。宙さんは体調が良くないみたいなので」「えっ」三澄さんは俺の方を見て、心配そうに尋ねてきた。「そうだったんですか? すみません宙さん、そうとは知らずに……!」「い、いえいえ。大丈夫ですよ!」思わず即答して手を振ったが、何故か透夜から凄まじい視線を感じて口を閉じた。でも確かに、透夜の視線を抜きにしても寒気がする。足元が不安定で、気を抜いたら風が吹いただけで倒れてしまいそうな感じ。湿度が上がっている。これって、まさか。「ご心配なく。これでも医療職なので……責任持って、彼は連れ帰ります」「あ、えぇ……。どうぞ宜しくお願いします。宙さん、それではまた」「は、はい! 本当にすみません!」透夜に肩を支えられ、ホームを後にした。だだっ広い駅の中は人混みに酔いそうになる。透夜はふと足を止めると、俺の方に振り返り、そして手を掴んだ。「ほんと貴方ってひとは……何が大丈夫なんですか。そんな、今にも倒れそうな顔して!」「う。透夜、耳元で大声出さないでくれ。マジで倒れそう」ほんの少しの間に、みるみる具合が悪くなってきてしまった。壁際に移動し、近くの柱に手をつく。人の話し声に吐き気を覚えるようじゃ終わりだな、と思った。「今日雨だったっけ……?」「急に変わったんです。外はそれなりに降ってますよ」下を向いていると、通りゆく人達の靴と長傘が目に入る。気付かずあのまま三澄さんと出掛けていたら、間違いなく迷惑をかけていた。「休めるカフェとかあればいいんですけど、どこも混んでてすぐ入れそうにないんですよね。ごめんなさい……」「お前が謝ることなんか何もないよ。むしろ巻き込んでごめんな。俺はここでちょっと休むから、先に帰ってな」そう言うと、透夜は拗ねた子どものように頬を膨らました。「俺が貴方ひとりを置いて帰ると思ってるんですか? そんっ……な無責任な男じゃありません! 見くびらないでください」「み、見くびってるわけじゃないです……」反射的に敬語で返し、それでも申し訳なさに彼の胸を押した。「俺が辛いんだ。俺のせいで、お前を振り回すことが辛くて仕方ないんだよ……!」たくさんの人が行き交うと