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6話

Author: Amy
last update publish date: 2026-09-06 20:01:48

6月21日、湾岸部の光都展示館は、海へ突き出した半円形の建物だった。正面階段の両側に水盤がある。

僕と凪が近づくと、水面に金色の道が現れた。

【高瀬凪様 お帰りなさい】

凪は足を止めた。

「帰ってない」

僕の側には、別の案内が出ていた。

【神崎遼様 奨学金特別面談はこちら】

「申し込んでない」

「ここは、同意前に登録される仕組みなの」

凪は水盤を見ず、中央の階段を上った。

征一郎は最上階の都市展示室で僕らを待っていた。曲面ディスプレイには10年後の東京が映っていた。

「神崎さん。孫がご迷惑をおかけしました」

「私は孫として来たんじゃない」

「もちろん。優秀な記者として招いた」

白い長机には、僕の入構権限停止通知、翔の公式記録、旧図書館の使用申請が並んでいた。昨日までの行動が、紙に印刷されている。

「監視していたんですか」

「公共設備の安全を確認しています。あなたはその設備に、強い関心をお持ちだ」

征一郎は椅子を勧めたが、僕らは座らなかった。原記録と測定端末は持ち込まず、胸元の小型カメラだけを入館前から回していた。

征一郎はレンズへ一瞥を送り、「記録はご自由に」と言った。外へ出せないと考えているようだった。

「翔の危険度を変えたのは、光都本社にある端末のはずです」

征一郎は銀色のカフスへ触れた。

「佐伯さんの件は残念でした」

「危険度は41%でした。そこへ本社から+53が送られ、94%になったんです」

「数字は状況に応じて更新されるものです。ひとつの値だけを切り取れば、どんな制度も残酷に見える」

「残酷に見えるんじゃない。翔は死んだんだ」

ディスプレイの街が夕景へ変わった。僕の背後には、子どもが安全に横断歩道を渡る映像が出ている。凪の側に何が見えているのか、僕の位置からは色しかわからなかった。

「同じものを全員に見せる時代は終わりました。目の悪い人には大きな文字を、急ぐ人には近道を、不安な人には安心できる説明を届ける。これは支配でしょうか」

「説明が違えば、判断も変わります」

「判断しやすくなるのです」

「僕には犯罪者の記事、母には息子を刺激するなという警告。あれも判断しやすくするため?」

「危険が広がらないようにするためです」

「首相の記事まで、人によって変えたのも?」

凪が問う。

「政府が望んだのは、反対する者には危険を、支持する者には安心を届けることです。企業だけで、街中の公共表示を変えることはできません」

長机の表面が光った。

【神崎遼様 大学入構権限の即時回復】

【光都未来設計奨学生 学費全額免除】

【佐伯家への追加補償 2億円】

征一郎が指を滑らせると、全国契約の集計が開いた。

【個別表示利用料 対象住民1億600万人】

【ひとりあたり月額480円】

【自治体負担 月508億8,000万円 年6,105億6,000万円】

人々が街の表示へ依存するほど、自治体は契約を切れなくなる。翔の家族へ示された2億円は、この仕組みが約3時間で稼ぐ額だった。

【懲戒調査の終了・未編集映像の研究利用同意】

「同意すれば、翔の名前を戻すんですか」

「誤解を招く表現は改めましょう。ご遺族の暮らしも支えられる」

「同意しなければ?」

征一郎は答えず、スクリーンの街を見た。補償はまだ、青く点滅する条件でしかなかった。

凪が長机へ手を置いた。

「お父さんにも、同じことをしたの」

征一郎の沈黙が、初めて長くなった。

「君の父親は、技術の完成を前に迷った」

「警告記録を公開しようとした」

「未完成の数字は、人を不必要に怖がらせる。私は混乱を止めた」

凪は同意欄から手を離した。

「御堂さん。あなたが止めたのは混乱じゃない。人が真実を話すことです」

祖父と呼ばれなかった征一郎の目が細くなった。

僕は胸元のカメラを外し、長机の条件を撮った。政府との分担、個別表示の正当化、取引が本人の声で残っていた。

「奨学金はいりません。補償を取引にしないでください」

「若い方は、選べることが自由だと思ってるんです」

征一郎は僕の背後の都市へ向き直った。

「実際には、選択肢が多いほど人は迷い、誤り、傷つく。私は世界を便利にしたいだけです」

「人を撃ってでも?」

「危険を放置する自由は、社会にはありません」

展示室を出る時、僕にだけ、大学の公開ページから抜き出した翔の笑顔が映った。

【彼の死を無駄にしない選択を】

僕は振り返らなかった。

……

6月25日、凪の母が暮らす団地を訪ねた。母は不在だったが、押入れの箱を開ける許可を紙で残していた。

居間の低い机へ、凪が父親の記録媒体を置いた。死亡前に社外へ持ち出したものだという。

「どうして今まで出さなかった?」

「読めなかった。暗号じゃない。技術用語ばかりで、意味がつながらなかった」

「僕なら読めると思った?」

「半分は」

「残り半分は?」

「あなたなら、父の答えを正しいと決めつけないと思った」

中には、6年前のシティレイヤー初期設計会議の映像があった。スクリーンの前に立つ凪の父が説明している。

「個別表示層は、災害時の共通表示層より下位に置く。避難情報だけは、全員が同じ内容を同時に見なければならない」

第1期の全国12地域へ同じ表示を送り、63秒で自動終了する。起動には自治体防災鍵と保守研究鍵が必要だった。

「誰かひとりが、都市の全画面を永遠に握れないようにする」

次の画面には、巡視機との連携条件が出た。

【手動指定による武器使用は、中央運用者3名全員の実名承認を必要とする】

ひとりでも拒否すれば発射できない。共通表示中の管理通信、手動制止指令、3名の承認結果は、光都の通常運用側から消せない2つの記録へ同時に追記される。

【監査外部保全A 東央区防災監査保全庫】

【監査外部保全B 共同研究監査保全庫】

さらに、63秒が終わる時点で未承認の手動制止指令が残れば、全国12地域の個別表示層は証拠保全停止に入り、対象巡視機の制止機能は凍結されて安全着陸する。独立監査が確認するまで解除できない設計だった。

「万能な停止じゃない」

僕は条件を読み返した。

「命令を出させて、3人の承認がそろわなかった時だけ動く」

次のファイルは事故報告だった。試験場で避難誘導が2方向へ分かれ、作業員同士が衝突した。凪の父は機材を停止させようとして転落死したとある。けれど、直前37秒の警告ログが欠けていた。

「お父さんが殺されたとは、まだ言えない」

「わかってる。でも、何が表示されたのかは消されている」

父の資料では、東央区の中継所が12地域へ共通表示を送る親局だった。起動欄には2つの鍵が並ぶ。

【自治体防災鍵 未承認】

【保守研究鍵 未承認】

自治体側の説明を読み、美紀の名札にあった【防災表示確認担当】を思い出した。申請を頼めるかはわからない。まず危険を隠さず相談するしかなかった。

保守研究鍵の管理者は、共同研究責任者の片桐教授だった。

「映像の複製を渡したのは、片桐教授だけだ。その翌朝、光都は内容を知っていた」

凪が画面から目を上げた。

「それだけでは、先生が渡したと確定しない」

「わかってる。でも、映像の経路と鍵の責任を問いに行く価値はある」

……

7月2日の夕方、僕らは画面も監視柱もない河川敷のベンチで、63秒の使い方を詰めた。

「映像を流すだけじゃ、また加工だと言われる」

凪が言った。

「比較できるものを全部出す。翔さんの未編集映像、41%から94%へ変わった記録、人ごとに違う記事」

「多すぎる。63秒で読めない」

僕は紙に順番を書いた。

最初の15秒は、翔が止まった未編集映像。次の15秒は、危険度41%から94%へのログ。その次の15秒は、同じ画面が僕と凪へ別の内容を出した比較映像。残り18秒は証拠の照合先、征一郎の録音、放送中の管理通信を残す。

その場で市民に伝えるのは、翔は止まった、本社から数字を変えられた、同じ壁が人ごとに違ったという3点だった。細かな番号は、報道のカメラと2つの監査記録で後から確かめられる。

「御堂の声はもうある。でも、私たちを止める現在進行の命令は、まだない」

「取りに行くんじゃない。向こうが止める時、管理通信へ出させる」

凪はレシートの裏へ【63秒】と書いた。

橋の向こうで、街のスクリーンが一斉に点いた。

【7月15日より、屋外でのスマートフォン所持を許可制とします】

スマートフォンを見なくても、持っているだけで管理される。

僕は63秒の紙を折り、ポケットへ入れた。

「やる」

誰かに頼まれたからではない。翔への罪悪感に押されただけでもない。

僕は、自分が見るものを自分で選びたかった。

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