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7話

Author: Amy
last update publish date: 2026-09-07 06:01:19

7月3日、東央区役所前の公衆電話は、庁舎の北壁に3台だけ残っていた。

僕は中央の受話器を取り、凪は2メートル離れた植え込みの脇に立った。頭上の庇には監視カメラがあるが、電話機の内側に画面はない。

10円玉を入れ、佐伯家の代理人になった田辺一樹(たなべ かずき)弁護士へ電話した。

「映像と記録を、紙の説明書と一緒に送ります」

「電子送信は?」

「相手ごとに違う警告が出ます。受け取れたかも確認できません」

「原本は手元に残してください。会って封印しましょう。複製は届いた時刻と封の状態を記録します」

受話器を置くと、硬貨が1枚戻った。

それから11日間、僕らは証拠を6系統に分けた。

6月1日の未編集映像原本は、田辺弁護士の目の前で封印し、そのまま預けた。検証用の複製は書留と別の運送便に分け、報道機関の記者にも直接渡した。合計6か所。受取人、時刻、封の状態、重量を紙に残した。

郵便局の壁面スクリーンは、【虚偽情報を含む記録媒体の送付は処罰される場合があります】と警告した。窓口の職員は禁制品でないことを確かめ、表示を伏せて消印を押した。

翌日、報道機関の1社から、封筒が空だったと電話が来た。こちらの控えには重量28グラムが残っている。田辺弁護士が計量記録を保全し、別便の受領も確認した。空の便は失敗系統として外し、同じ照合番号の複製を田辺弁護士の管理下で作り直した。別の報道社へ直接手渡し、受領時刻と封の状態を確かめて、最終的に外部6か所へ戻した。

征一郎はスクリーンを支配できても、手から手へ渡った6系統を一度には消せなかった。父の設計にある2つの監査保全庫とは別に、人が証拠を守る経路ができた。

7月13日の夜、美紀から固定電話があった。

僕は自宅の台所で受話器を握り、母は食卓の向こうに座っていた。

「遼くん。図書館に、防災表示確認端末があるの」

区立図書館は指定避難所で、美紀は以前から防災表示確認を担当していた。災害時に共通表示を確かめ、避難経路の誤りを報告する仕事だった。

「起動には使えません。確認だけのはずです」

「通常はね。でも、誤った表示が人の命を奪う時は、現場から緊急停止を申請できる」

「やったら、佐伯さんの仕事が」

「仕事はまた探せばいい」

美紀の声は、翔の映像を3度見た時と同じだった。

「翔は帰ってこない」

僕は返せなかった。

「あなたがひとりで背負うことではありません。私が確認した事実を、私の名前で送ります」

頼んで選ばせたのではなかった。美紀は自分の職務で見たものを、自分の責任で申請すると決めた。

母が食卓越しに手を伸ばし、僕の握っていないほうの手を包んだ。

「私も、見ないふりをしたくない」

「危ないと思ったら戻って」

「戻る」

「約束できないことを、簡単に言わないで」

母は食器棚の引き出しから、父が使っていた小さな方位磁針を出した。父は僕が中学生の時に病気で亡くなっている。キャンプへ持っていった傷だらけの品だった。

「スクリーンが消えても、北は消えないから」

僕は受け取った。針は少し震え、台所の窓とは反対を指した。

「帰ってきたら、全部話す」

「帰ってきてから約束して」

母は笑わなかった。それでも、僕の鞄へ方位磁針を入れた。

……

7月14日、午後4時10分。

東央大学西側の搬入口で、僕は道路の反対側にある閉店した喫茶店の軒下へ立った。凪は1つ先の角で、紙の地図を広げている。

片桐教授が門の内側へ現れた。守衛が詰所へ戻った隙に、先生は格子の間から薄い封筒を差し出した。

僕は受け取らなかった。

「光都に映像を渡しましたね」

「ああ」

「倫理委員会へ回すと言った」

「回すつもりだった。先に共同研究先へ事故情報を共有するよう、契約で決められていた」

「僕には言わなかった」

「止められると思った」

先生は眼鏡を外した。

「光都から、君の入構停止を求められた。断れば研究費を止め、私が警告ログを知っていたことも公表すると言われた」

「知ってたんですか」

先生はうなずいた。

「個別表示が歩行速度を上げすぎる事例を、昨年見た。危険値の手動補正も。しかし、正式運用では改善されると自分に言い聞かせた」

「翔が死んでからも?」

「君の映像を渡した時、自分の地位を守った」

謝罪の言葉はなかった。言って済むと思っていないのだと、僕は受け取った。

封筒には、共同研究の保守鍵、署名した陳述書、光都から大学へ送られた表示条件変更票の写しが入っていた。今の告白と同じ内容が、先生の署名で残されている。

変更票は、東央第3区の住民を政治傾向別に分けていた。

【無党派推定層 治安不安素材を優先】

【政権支持層 事故減少実績を優先】

根拠欄には、首相政策担当秘書の電子決裁番号があった。政府は、誰にどの事実を見せるかを先に決めていた。

「共通表示層を開くには、これが必要なんだろう」

「渡せば先生も処分されます」

「もう大学へ報告した。研究室は封鎖される」

僕はようやく封筒を取った。

「許せません」

「それでいい」

「でも、証言は使います」

先生は格子の向こうで頭を下げた。

僕は背を向けた。許さないことと、差し出された責任を受け取ることは、同時にできた。

午後4時18分、凪と合流した。

「遼くん、予定より3分遅い」

初めて名前で呼ばれたが、立ち止まって確認する時間はなかった。

僕らのスマートフォンと未編集映像原本は田辺弁護士に預けてある。凪は父の古い腕時計と、中継所で使う作業用メモリだけを封印袋に入れて持った。僕の鞄には片桐の封筒、紙の地図、方位磁針があった。

大学から防災表示中継所までは、普通なら徒歩25分だ。僕らは大通りを避け、商店街の裏道を北へ進んだ。

スクリーンのある角では表示を見ず、道路標識と建物の番地を確かめ、宅配便の運転手に川への方向を聞いた。

不便だった。それでも、道は消えなかった。

工事中の歩道橋で、光の矢印は閉鎖された階段へ僕らを誘った。

僕は方位磁針を掌へ載せた。川は東。紙の地図では、100メートル南に古い地下道がある。

凪は腕時計を見た。

「回ると4分遅れる」

「閉じた階段は通れない」

「そうね。紙には工事が載ってない。でも、嘘もつかない」

僕らは南へ向かった。地下道の壁には落書きと避難標識が残り、足音がふたつ分だけ響いた。

午後4時32分、古い市場の街頭スクリーンが僕の顔へ変わった。

【神崎遼 危険行為予備者】

買い物客が一斉にこちらを見た。僕に向いた面には【接触せず通報してください】。凪の位置から読める面には、別の赤い文字が流れていた。

「私には、あなたが武器を持ってると出てる」

僕は鞄を地面へ置き、両手を上げた。

「中は紙と鍵だけです」

誰に向けて言ったのかわからなかった。

市場の魚屋が店先の段ボールを持ち上げ、スクリーンから僕の顔を隠した。

「北へ行くなら、次を右だ」

店主は僕を見ず、氷の箱を片づけながら言った。

隣の青果店も、値札の板をスクリーンへ立てかけた。

「早く行きな」

僕は鞄を拾った。

「ありがとうございます」

信じると言われたわけではない。ふたりは自分の目で鞄を見て、スクリーンに従わないと決めたのだ。

午後4時41分、巡視機が2機、裏道へ入ってきた。

凪と僕は走らなかった。早足にならないよう歩幅をそろえ、紙の地図どおりに右へ曲がった。スクリーンが示す近道は、行き止まりの再開発区画へ続いていた。

「父の事故も、避難路がふたつに分かれた」

「同じことをしてる」

「だから見ない」

僕らは肉眼で川沿いの給水塔を探した。その根元に、低いコンクリートの建物がある。

午後4時58分、防災表示中継所へ着いた。

正面扉の右に保守鍵の読取り部があった。僕が封筒の鍵を差すと、黄色いランプが点いた。

同じ時刻、美紀は図書館の防災表示確認端末から、自分の名で緊急停止申請を送った。

午後5時ちょうど、ランプが緑へ変わった。

【自治体防災鍵 東央区防災系統】

【現場確認者 佐伯美紀】

【保守確認者 片桐誠】

【共通表示層 起動待機】

扉が開いた。

その上の小さな画面に、征一郎の顔が現れた。

【神崎遼を、危険行為の即時制止対象に指定】

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