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死後、クズ息子をクズ夫の初恋相手に譲り渡した
死後、クズ息子をクズ夫の初恋相手に譲り渡した
Author: クカ

第1話

Author: クカ

人気俳優の夫、深津蒼介(ふかつ そうすけ)が、息子の深津光(ふかつ ひかる)を連れて親子バラエティ番組に出演した。

その途中で、光が山中の落とし穴に落ち、意識を失った。

最後の力を振り絞って息子を外へ押し出したのは私、早乙女花音(さおとめ かのん)だった。

なのに、人気トップ女優の白石紗耶(しらいし さや)が彼を背負って森を出てくる場面が、感動の名シーンとして切り取られた。

病院では、夫と息子と紗耶の三人が、まるで本当の家族のように和やかだった。

記者が光に尋ねた。

「光くん、お母さんも現場にいたと聞きましたが、姿が見えませんでしたね?」

光は小さな顔を上げ、無邪気に答えた。

「ママは僕のことが嫌いなんだ。かっこいいおじさんと行っちゃったよ」

蒼介は眉をひそめ、私にメッセージを送った。

【子供がこんな目に遭ったというのに、他の男と浮気か?いい度胸だ、二度と俺の前に現れるな】

でも、彼が私を見つけた時、血に染まった私の遺体を抱いて、泣き崩れていた。

……

病室は、皮肉なほど穏やかだった。

紗耶が優しく息子の光の背中をさすり、果物をひと口食べさせた。

傍らに座っている蒼介は、スマホの画面を見つめていた。

その端正で洗練された顔立ちからは、感情が一切読み取れない。

記者は気を利かせ、質問を終えると早々に退室していった。

紗耶は蒼介にちらりと目を向け、宥めるように口を開いた。

「蒼介さん、あまり心配しすぎないで。花音さんもきっと忙しいだけよ。手が空いたら光くんに会いに来るはずだわ」

蒼介はスマホを脇に置いた。

その無造作な所作さえも絵になる。

「別に心配なんかしてない。むしろ来ない方がいい——」

そこで光がすかさず口を挟んだ。

「そうだよ、ママなんか来ない方がいいもん。恥ずかしいし、僕はさやさんと一緒がいい」

恥ずかしい。

私の魂はかすかに震えた。

病床に横たわる光を、じっと見つめた。小さな頭には包帯がぐるりと巻かれていた。

この子は、私が十月十日お腹に宿し、命がけで産んだ子なのに……

紗耶は目を細めたが、すぐに柔らかな声で宥めた。

「光くん、ママがお見舞いに来なくても、そんな言い方しちゃダメよ」

蒼介だけが静かに目を伏せ、長い沈黙の末、結局何も口にしなかった。

私の魂は宙に漂い、静かにこの光景を見下ろしていた。

夫、息子、そして、別の女。

なんて幸せそうな家族なんだろう。

もし私がここに現れたら、それこそひどく場違いな存在になる。

……

蒼介と最後に顔を合わせたのは、光が行方不明になる前だった。

私たちは大喧嘩をした。

いや、私が一方的にヒステリーを起こしただけだ。

親子番組の収録中、内情を知っている知り合いの若手女優に、「なんで来ないの」と聞かれた。

私が知っていたのは、蒼介が光を連れて番組に出ると言っていたことだけ。

光は子役として活動していたから、番組出演自体は珍しくない。

でも、それが親子番組で、しかもレギュラーだなんて、思いもしなかった。

それを聞いて、慌てて現場へ駆けつけると、「スペシャルゲスト」として登場する紗耶が、蒼介と光と並んで、和やかに食事をしている光景があった。

潔癖症で知られる蒼介が、紗耶に料理を箸先で差し出された瞬間、ほんの一瞬だけ動きを止めた。

彼は絶対断ると思っていた。

かつて私が同じように彼に料理を取り分けたことがあるから、あの時は、茶碗の中身を、そのままゴミ箱に捨てられた。

「余計なことはするな」と彼は冷たく言い放った。

なのに。

蒼介は数秒黙ったあと、何事もなかったみたいにそれを口にした。

光は隣で小さな手を叩き、大げさに声を上げた。

「わぁ、幸せ!ねえさやさん、これからもずっと一緒にいてくれる?」

紗耶は優しく微笑み、彼の頭を撫でた。

「光くんが喜んでくれるなら、もちろんよ」

私は足早に近づき、三人の和やかな空気を壊した。

突然現れた私を見て、蒼介の目に苛立ちが浮かんだ。

彼は紗耶に目配せし、光を連れてどこかで遊ぶよう言いつけた。

人前での体裁を保ち、二人きりになってから私は詰め寄った。

「光の母親は私よ。親子番組に連れて行くなら、どうして一言も教えてくれなかったの?」

彼は冷ややかに目を上げ、淡々と言った。

「教えたら、お前も一緒に出るとでも?」

次の一言が、私をその場に釘付けにした。

「お前みたいな母親がいれば、光は世間から指を差される。息子がネットで叩かれるのを見たいのか」

私は立ち尽くしたまま、体の芯まで冷えた。

言い返したいのに、言葉が出ない。

そのとき、言い返すより先に、紗耶が息を切らして駆け込んできた。

「光くんが、いない!」

私は血の気が引き、蒼介も顔色を変えた。

先ほどの言い争いなど吹き飛び、私たちは必死に光を捜した。

誰も、思いもしなかったのだ。

あの大喧嘩が、私たちの永遠の別れになるとは。

……

番組は光の怪我で撮影中断となり、蒼介は光を連れて家に戻った。

なのに私は、蒼介のそばから離れられなかった。

魂だけが、なぜか縛りつけられている。

彼がドアを開け、室内を見回した。静まり返っている。

明らかに家には誰もいなかった。

光がソファに駆け寄って座り込み、大声で叫んだ。

「ママ、お腹すいた!ご飯まだ?」

蒼介は誰もいない家を見渡し、こめかみを揉んだ。

そして光の声を遮るように言った。

「もういい。家政婦の山本さんに料理を作ってもらう」

そう言うと、蒼介は再びスマホを取り出し、メッセージ画面を開いた。

先ほど送ったメッセージに、返信はない。

私にこれほど徹底して無視されたのは初めてだったのか、顔は冷ややかになった。

短い文章を打ち込み、送信した。

【家出でもして脅しているつもりか?一日だけ待ってやる。それでも戻らないなら二度と家に入るな】

私はそれを覗き込み、思わず自嘲の笑みを漏らした。

彼の目の前をふわりと漂ってみる。

魂とは、こんなに軽いんだ。

ねぇ、私はもう死んでいるのよ。どうやって返信しろと言うの?

それからの三十分間、二人はただソファに座っていた。

突然、スマートロックの解錠音が沈黙を破った。

蒼介は眉を上げただけで動かず、淡々と口を開いた。

「やっと帰る気になったか——」

「蒼介さん……」

紗耶の声に、彼はぴたりと口をつぐみ、目に驚きが走った。

「どうしてここに?」

紗耶は玄関に立ち、少し気まずそうに唇を噛んだ。

「花音さんがまだ帰っていないんじゃないかと思って。男手一つじゃ何かと不便でしょうし、お手伝いできればと」

そう言いながら、彼女はちらりとスマートロックに目を落とした。

その瞳には隠しきれない喜びが揺れている。

「蒼介さん、ごめんなさい。試しにタッチしてみただけなの。まさか私の指紋データがまだ残っているなんて」

蒼介も視線を向け、目がわずかに揺れた。

「ああ……消し忘れていたんだ。」

その時、光が駆け寄り、紗耶の腰に抱きついてはしゃいだ。

「さやさん、僕、焼き玉子が食べたい!」

紗耶は親しげに彼の鼻先を指でつつき、我が家のように自然に玄関のドアを閉めた。

「いいわよ、今から作ってあげる」

二人のやり取りを聞きながら、胸の奥がちくりと痛んだ。

そうか、紗耶のところで、食べたことがあったんだ……

少し前、私が同じような料理を作った時、蒼介と光はたった一口で箸を置いてしまった。

光は口を滑らせた。

「ううん、美味しくない、さやさんの——」

その時、蒼介が軽く咳払いをして、光にその先の言葉を飲み込ませたのだ。

当時の私は深く考えず、ただ自分の料理が下手なだけだと思った。

それでレシピをいくつも調べて、二人の好きな味に近づけようとした。

今にして思えば、ただ「好きな女の味付けだから」美味しかったなのだろう。

スマートロックを振り返り、自嘲するように笑った。

芸能界で知らない者はいない。

蒼介と紗耶はかつて恋人同士だったこと。

二人は撮影現場でエキストラをしていた頃に出会い、恋に落ちた。

その後、大物監督に見出され、映画で脇役として名を上げた。

映画が公開された後、二人が演じた恋のバッドエンドは人の涙を誘い、惜しむ声が絶えなかった。

それから、二人の人気は一気に跳ね上がった。

だから、蒼介が私とホテルに出入りするところを撮られ、スクープされた時、ファンたちは悲鳴を上げた。

SNSで私の最新投稿には、またたく間に百万件もの罵倒コメントが押し寄せた。

光が六歳になった今でも、SNSを開けば、今も私のタグの下に悪意のある加工画像がたくさん流れている。

でも、ファンたちが私にこういうことするのも無理はない。

紗耶はデビューと同時に大ブレイクした人気女優だ。

それに比べて私は、名もない三流女優にすぎない。

今でもパッとしないB級ドラマを渡り歩きながら、もがき続けている。

私に貼られたレッテルで一番大きいのは、「深津蒼介に取り入った女」というものだろう。

紗耶が料理を作り終え、三人は和気あいあいと食卓を囲んだ。

以前、食事中に会話を振るのはいつも私一人だけだった。

あの時、二人は何と言ったっけ。

「食事中は静かにしろ、そんなマナーも教わらなかったのか?」

「ママ、うるさいよ。ちょっと黙ってて」

私は苦く笑うしかなく、それからはできるだけ口を開かないようにした。

食事が終わると、光はなだめられて部屋へ戻され、寝かしつけられた。

蒼介と紗耶はソファで向かい合い、取り留めもなく言葉を交わした。

一線は越えない。

けれど、十分に親密な空気だった。

夜が深まってから、蒼介はようやく気づいたように上着を手に取った。

「家まで送る」

紗耶は慌てて彼の裾を引き、両手を合わせて甘えるような仕草をした。

「ねぇ、蒼介さん。私はもうヘトヘトで動けないの。今夜はここに泊めてくれない?」

蒼介はそれを聞いて眉をひそめ、口を開きかけた。

断る言葉が出る前に、紗耶は続けた。

「ほら、光くんも私のこと好きでしょう?今怪我してるし、私が看病したほうが助かるでしょう?」

蒼介は目を伏せ、彼女の白く細い指先をじっと見つめると、小さくため息をついた。

結局、承諾した。

紗耶は望みどおり、ゲストルームに泊まることになった。

蒼介は寝室に戻り、ベッドに背を預けてスマホをいじっていた。

暖房の効いた部屋で、彼は薄いグレーのパジャマを着ていた。

私が選んだものだ。

漂い近づいてスマホの画面を覗き込むと、病院で撮られたインタビューの映像を見ているのが分かった。

コメント欄は相変わらず悪意に満ちていた。

【これこそ本当の家族の雰囲気でしょ?推しの「蒼介×紗耶」ペア、いつになったら復縁するの……】

【記者も言ってたけど、現場にいたのに光くんを見つけたのは白石。病院にも来ないなんて、どんな母親?】

【のし上がって仕事もらったら、もう何も気にしないってこと?あの女、早く深津さんと離婚してくれないかな!】

一言一言が胸に刺さる。

以前の私なら、一晩中布団の中で泣いていただろう。

でも今の私は、完全に心を閉ざしたように冷ややかに見つめるのだった。

不思議なくらい、何も感じない。

蒼介は無言でコメントをスクロールし続け、その眉間の皺はどんどん深くなっていく。

やがて画面を閉じ、スマホを脇に投げた。

その表情を見て、少し分からなくなっていた。

私のことが大嫌いなはずでは?

こんなコメントを見たら、笑い出すべきじゃないの?

そもそも、あの夜、蒼介が酔った私を拒まなかったこそ、光が生まれたのだ。

翌朝目を覚ました時、彼の目に浮かんだ驚愕、そしてありありとした嫌悪感を私は忘れない。

彼は金を渡し、二度と会いたくないと言った。

だが二ヶ月後、私は妊娠に気づいた。

慌てて、もう一度彼を訪ねた。

「産めばいい」

彼は長い間重苦しい沈黙を保ち、最後にそう言った。

「俺たち結婚しよう」

……

そんなことを思い返していると、屋外で急に土砂降りになり、稲妻と雷鳴が重なった。

雨が窓を叩き、ざわざわと音を立てた。

でも紗耶にとっては、天の味方かもしれない。

客室へ行くと、紗耶は薄手のネグリジェの裾を整えているところだった。

肩紐をわざとずらして、枕を抱きしめる。

そして裸足のままベッドを降り、蒼介のドアをノックした。

ほどなくしてドアが開いた。

長い髪を下ろした紗耶は、可憐な瞳で彼を見上げた。

声までかすかに震えている。

「蒼介さん、雷が怖くて……少しだけ……この部屋にいてもいい?」

その言葉を聞いた私は、二人の間にふわりと漂った。

目の前の女を真っ直ぐに睨みつけ、冷たい声で呟いた。

「後ろめたいことをしてるんだから、怖くて当然よ」
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