LOGIN俺たち笹塚(ささづか)家の人間には全員、兄である翼(つばさ)の寿命のカウントダウンが見えていた。兄さんが16歳の誕生日に死ぬ運命にあることを、誰もが知っていたのだ。 そのため、兄さんはこの家で最も大切にされる存在となった。 物心ついた頃から、ちょっと高級な果物も、新しいスニーカーも、寝る前の絵本の読み聞かせも、すべてが兄さんのものだった。 弟の俺、幸人(ゆきと)は、兄さんを気の毒に思う反面、親からの愛情を独り占めする彼に嫉妬もしていた。 そしてついに、兄さんの16歳の誕生日を翌日に控えた夜。父さんと母さんは俺が邪魔をするとでも思ったのか、高熱を出している俺を物置部屋に閉じ込めた。 俺は恐怖のあまりドアを叩いた。 「母さん、ここから出してよ。熱があって、頭がすごく痛いんだ……」 しかし、母さんは忌々しそうに言い放った。 「いい加減にしなさい!お兄ちゃんは明日には死んでしまうのよ。少しぐらい我慢できないの?」 「でも、本当に苦しいんだ……」 やがてドアの向こうからは何も聞こえなくなり、俺の意識も次第に薄れていった……
View More俺はこくりと頷いた。ばあちゃんはため息をつき、俺の頭を撫でようと手を伸ばしたが、空中でピタリと止め、そのままゆっくりと引っ込めた。「分かってるよ」その声はとても静かだった。「ばあちゃんには、全部手にとるように分かるよ」ばあちゃんは振り返り、戸棚からりんごを一つ取り出すと、きれいに洗ってから骨壺の前に供えてくれた。「お食べ」まるで生きている俺に語りかけるように、優しく微笑んでくれた。「ばあちゃんちには大したものはないけどね、このりんごは甘いから、食べてごらん」俺はその真っ赤なりんごを見つめ、胸の奥がツンと痛くなった。生きている間、俺は丸ごとのりんごなんて一度も食べたことがなかった。家でりんごが出る時はいつも半分に切られ、大きい方が兄さんに、小さい方が俺に渡された。それでも兄さんは、いつもこっそり自分の分を俺に少し分けてくれた。「俺はあんまりお腹すいてないし、りんごは好きじゃないから」と言った。なのに、死んでしまった今、ばあちゃんは俺に、誰の食べ残しでもない、丸ごと一つのりんごをくれたのだ。ふわりと近づき、りんごの前にしゃがみ込む。食べることはできないけれど、そのみずみずしくて甘い香りは、確かに俺の鼻先をかすめた。「甘いかい?」ばあちゃんが尋ねた。俺は力強く頷いた。本当は味わうことなんてできないと、ばあちゃんも分かっているはずなのに。ばあちゃんは笑った。だがその目には、みるみる涙が浮かび、頬を伝い落ちていった。「甘いならよかったよ……」独り言のように呟き、背を向けて、袖で一生懸命に目を拭う。その夜、ばあちゃんはたくさんの話を聞かせてくれた。俺がまだ小さかった頃、俺たちの家に来てくれた時のこと。俺がばあちゃんの膝に頭を乗せ、桃太郎の話や、かぐや姫の話を聞いたこと。3歳の俺が熱を出した時、一晩中そばについて、タオルで体を拭きながら、子守唄を歌って寝かしつけてくれたこと。5歳の時に初めて田舎の実家に来て、ニワトリを追いかけて泥だらけになった俺を、小言を言いながらお風呂に入れてくれたこと。思い出を語るうちに、その声はだんだんと小さくなっていった。「幸人や」ふいに、今にも消え入りそうな声で呟いた。「あんた……もう、行っちまうのかい?」俺はばあちゃんを見つめ、静か
「埋め合わせだって?」ばあちゃんは鼻で笑った。その笑い声は、ひどく冷たく、そして苦々しかった。「人が死んでるんだよ、何をどうやって埋め合わせるって言うんだい?和恵さん、よくお聞き。幸人の遺骨は、あんたたちには渡さない。あんたたちには、その資格がないんだよ」「母さん!」父さんはドスンと膝をつき、哀願した。「頼む、幸人を俺たちのそばに置いてやってくれ。俺たちが悪かった、これからは絶対に……」「これから?」ばあちゃんが震える声でその言葉を遮った。「あんたたちに『これから』なんてないんだよ。幸人は死んだ。あんたたちの手で殺されたんだ。武史、和恵さん、あんたたちは一生、この子への罪を背負って生きていくんだ。一生かかっても、償いきれるもんじゃない!」そう言い捨てると、遺骨をきつく抱きしめ、きびすを返して歩き出した。「母さん!」「お義母さん、行かないで!」すがりつこうとした両親を、ばあちゃんは力任せに突き飛ばした。「触るな!」目を真っ赤に血走らせ、獣のように叫ぶ。「私の孫に触るんじゃないよ!あんたたちにそんな資格はない!」遺骨を抱えたまま、ばあちゃんは一歩また一歩と斎場の外へ歩みを進め、冷たい雨の中へと消えていく。その背中は丸く縮こまっていたが、一度も振り返ることはなかった。斎場の駐車場にへたり込んだ両親は、この世の終わりのように泣き叫んでいる。深いひさしの下に立ち尽くす兄さんは、遠ざかっていくばあちゃんの背中と、泣き崩れる両親をただ見つめながら、ゆっくりと、本当にゆっくりとしゃがみ込み、自分の体をきつく抱きしめた。雨は、さらに激しさを増していた。……俺の遺骨を胸に抱いたまま、ばあちゃんは田舎の家へ向かう長距離バスに揺られていた。俺はばあちゃんのそばに寄り添うように宙を漂い、窓の外を飛ぶように流れていく景色を、そしてばあちゃんの老いた横顔を見つめていた。深く刻まれた目尻のシワの奥には、底なしの悲しみが隠されている。田舎の古い家に着く頃には、すっかり日が暮れていた。ばあちゃんが一本のろうそくに火を灯すと、オレンジ色の薄暗い光が、この小さくて古びた部屋を照らし出した。仏壇の前の机に骨壺を置き、丁寧に位置を直してから、三本の線香に火を点け、使い古された香炉に立てる。立
ばあちゃんは、差し出された手をすっとかわした。「和恵さん」凍てつくような眼差しで見下ろす。「幸人は死んだんだよ。あんたが自分の手で一晩中閉じ込めて死なせたんだ。いつまで現実から目を背けるつもりだい?」床にへたり込んだ母さんは両手で顔を覆い、喉が裂けんばかりに泣き叫んだ。「私が悪かったわ……全部私のせい……幸人、お母さんが悪かったから、お願い、帰ってきて、帰ってきてよ……」父さんは床に膝をつき、何度も何度も額を床に打ち付けていた。鈍い「ゴンッ、ゴンッ」という音が虚しく響き渡る。「父さん、やめてよ……」泣きながら止めに入ろうとした兄さんは、荒々しく振り払われた。「俺のせいだ……全部俺が悪いんだ……」あまりにも惨めで愚かな光景を前に、ばあちゃんは静かに目を閉じた。再び目を開けた時、その眼差しは落ち着きを取り戻していた。「あの子に着せる服を買ってくるよ」そう言い残し、俺の体を抱いたまま玄関へと向かう。「母さん!」突然飛びついた父さんが、ばあちゃんの足にすがりついた。「幸人を連れて行かないでくれ……頼むから、連れて行かないでくれ……」鼻水と涙でぐしゃぐしゃになった息子の顔を見下ろし、ばあちゃんは静かに言った。「離しな」「母さん――」「離しなと言ってるんだよ!」……俺の葬儀はごく簡素なものだった。小さな棺と、ばあちゃんが買ってきた真新しい服。あんなに上等な服を着たのは生まれて初めてだった。水色の生地はとても柔らかく、襟元には小さなロケットの模様が刺繍されている。俺が小さい頃に一番好きだった柄だ。着せてくれるばあちゃんの手つきは、とても優しく、ゆっくりとしていた。手伝おうとした母さんは、ばあちゃんに追い出された。「あんたに、あの子に触れる資格なんかないよ」その声は酷く冷たかった。部屋の外に立ち尽くす母さんは、顔を覆って泣き崩れていた。棺の前にへたり込む父さんは、舞い上がった灰が髪や肩に降りかかっても何も感じていないかのように、ただ機械的に、何度も抹香をつまんでは香炉の火の中へ落とし続けていた。部屋の隅で膝を抱えて座る兄さんの目は、赤く腫れ上がり、ほとんど塞がっていた。兄さんはあの日から一言も口を利かず、ただぼんやりと座ったまま、棺と、その中で水色の服を着
「幸人を寝かせておやり」ばあちゃんが静かに言った。俺の体を抱きしめる手はガタガタと震えていたが、父さんは決して腕を離そうとはしなかった。「母さん……」嗚咽を漏らしながら言葉を絞り出す。「幸人は死んでない、ただ……」「死んだんだよ」ばあちゃんはすかさずその言葉を遮った。「武史、あんたの息子は死んだんだ。あんたたちが一晩中閉じ込めたせいで、高熱を出して死んだんだよ」その言葉に刺されたように、父さんの体は激しく震え始めた。「違う……違うんだ……」首を横に振り、大粒の涙をぼろぼろとこぼす。「違うんだ……ただ少し大人しくしてほしかっただけで……翼の邪魔をさせたくなかっただけで……熱があるなんて知らなかった……本当に、知らなかったんだ……」「知ってたはずだよ」ばあちゃんの声には深い失望が滲んでいる。「あの子は叫んでたじゃないか。頭が痛い、熱があるって。あんたも聞いたし、和恵さんだって聞いてただろう。ただ、あんたたちが信じようとしなかっただけさ」部屋から飛び出してきた母さんが、ばあちゃんの足元にすがりついた。「私が悪かったわ!」ズボンの裾を強く握りしめ、泣き叫ぶ。「私をぶって、いくらでも責めてちょうだい!私が幸人を死なせたの、私が……!」ばあちゃんは静かに視線を落とし、泣きじゃくる嫁、抜け殻のようになった息子、そして床にへたり込む孫を見回した。ふいに顔を上げ、そして――宙に浮かぶ俺の方へと視線を向けた。俺はハッとした。ばあちゃんには、俺の姿が見えているのか?だが、その視線はすぐに外された。ばあちゃんは腰をかがめ、しわだらけの老いた手で、俺の体を抱きしめる父さんの腕を、少しずつ、少しずつ解いていく。力の抜けた俺の体は、そのままぐったりとばあちゃんの胸の中に倒れ込んだ。俺を抱きとめたその腕には、ぎゅっと、ひどく強い力が込められている。しわくちゃの頬を俺の額にすり寄せ、静かに目を閉じる。一滴の熱い涙が、俺の冷たい頬にこぼれ落ちた。……尋常ではない泣き声を聞きつけて、近所の住人が様子を見にやってきた。「あら、どうしたの?」顔を出した鈴木のおばさんは、俺を抱きかかえるばあちゃんや、床にへたり込む両親と兄さんの姿を見て、その目をギョロギョロとさせた。「こんな