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海霧に沈む斜月
海霧に沈む斜月
Penulis: 飴ちゃん

第1話

Penulis: 飴ちゃん
嫁いでからの三年間で、谷口真央(たにぐち まお)は前川誠也(まえかわ せいや)の敵に六十八回も暗殺されかけた。

川に沈められそうになったり、放火されたり、ナイフで襲われたり……

それもすべて、誠也が都内の裏社会のトップにのぼり詰めるため、数えきれないほどの敵を作ってきたからだ。

そして彼らは真央こそ誠也の弱点だと信じ込み、容赦なく狙ってきた。

死の淵から這い戻る度に、誠也は真央を強く抱きしめ、目を赤く潤ませ、震える手で手話を打った。

【俺が無能だからだ。君を守り切れなくて】

真央は彼の涙を拭い、同じく手話で答える。

【私はあなたの妻よ。一緒に立ち向かうのは当然のこと】

そして、最後の襲撃が起こった。真央は敵に石油タンクの隣に縛られ、爆発に巻き込まれて瀕死の状態になった。

病院で目を覚ましたとき、奇跡的に聴力を取り戻しており、耳に飛び込んできたのは、誠也と仲間の会話だった。

「昔、裕香が敵に拉致されたとき、お前は彼女を守るためにわざと縁を切ったように見せかけて、代わりに真央っていう耳の聞こえない娘を嫁に迎えた。しかも徹底的に甘やかして、街中が『誠也の一番は真央』だと信じるように仕向けて……その結果、敵は真央を狙うようになり、彼女は何度もお前の代わりに矢面に立ってきた。

誠也……そこまでするのは、あまりにも残酷じゃないか?」

誠也は少し黙り、低く答えた。

「もし俺があの時、彼女を漁村から連れ出さなければ、今も貧しい親戚にいじめ抜かれてたんだ。俺は彼女に愛を与え、数えきれない財を与えた。裕香を守るためにその程度の苦痛を背負うのは、真央の務めだ」

仲間が眉をひそめる。

「でも本当に命を落としたらどうするんだ?」

「構わん」誠也は気だるげに言い放つ。

「俺の妻の座は、いつだって欲しがる女が山ほどいる」

その言葉を耳にした途端、真央の頭の中で轟音が響き渡り、全身の血が一瞬で凍りついた。

――三年前。

前川グループが漁村に進出したあの日、真央は初めて誠也を見た。

黒いスーツを完璧に着こなし、長身に整った顔立ちの男は、村の幹部と小声で話していた。

そのとき大波が押し寄せ、礁に立っていた誠也はバランスを崩して海に落ちた。

真央は迷うことなく飛び込み、必死に冷たい海水から彼を救い上げた。

後日、誠也は「欲しいものはあるか」と尋ねた。

真央は恐る恐る手話で伝えた。【外祖母を連れて、この村を出たい】

幼い頃に両親を亡くしてから、彼女は外祖母と寄り添って生きてきた。

だが外祖母が病に倒れ、叔父夫婦の家に預けられてからは地獄だった。

毎日、海に潜って魚を取らされ、腐った飯を押し付けられ……

一度逃げようとしたが、叔父に捕まり、物置小屋に3日3晩縛られてひどい暴力を受け、死にそうになった。

真央は何も期待していなかった。

けれど三日後、誠也の部下が家まで迎えに来て、彼女と外祖母を都内へ連れ出した。

都内に来て間もない頃、真央はさらに慎重だった。

毎日夜が明ける前に起き、使用人のように家中をきれいに掃除した。多くを望む勇気はなかった。ただ、誠也が彼女に食べさせてくれるだけで十分だった。

そんなある夜、酔って帰った誠也が彼女の手首を掴み、抱き寄せた。

背後から覆いかぶさり、不器用に手話を刻んだ。

【真央、俺と結婚してくれないか。もう無理に働く必要はない。俺が一生、君と外祖母を養う】

真央は硬直し、必死に逃げた。

自分のような身分の女が、そんな言葉に値するはずがなかった。

けれど彼は諦めず、むしろ彼女に尽くすようになった。

手話を学び、栄養士を雇い、彼女の弱った身体を徹底的に回復させた。

外祖母を豪華な療養院に入れ、すべての医療費を負担した。

流れ星が夜空をかけるとき、手を合わせてこう祈った。

【この先、真央がずっと無事でありますように】

その優しさに、凍りついていた真央の心は、少しずつ溶けていった。

そして二度目の酔いの夜、再びの求婚に彼女はうなずいてしまった。

押し倒されたベッドの上で、誠也の瞳には彼女の幸福と不安が映り込み、強く焼きつけられた。

――あの時の真央は信じていたのだ。誠也こそが救いの光だと。

だがすべては欺瞞だった。

彼が妻に迎えたのは、本命の女を守る盾にするため。

酔ったときにだけ告白したのは、本心を誤魔化すため。

手話を学んだのも、愛をもっとらしく演じるため。

栄養士も、祈りも――すべては長持ちする「盾」に仕立てるためだった。

思い至った瞬間、真央の喉から苦痛の嗚咽が漏れ出た。

背後の気配に気づいた誠也は駆け寄り、涙を拭って手話を刻む。

【真央、痛いか?今回は俺が甘かった。安心しろ、君を攫った奴らはもう片付けた】

そんな光景は、何度も繰り返されてきた。

以前、彼女が襲われるたびに、誠也は極めて残忍な方法で報復した。

彼はまず彼らの骨を折り、地面に倒れて起き上がれないようにしてから、ゴミのようにサメの群れに放り込んだ。

最も残酷だった時には、彼は自ら銃を手に取り、相手をハチの巣にしてから、焼却炉で灰も残らないほどに燃やした。

真央はそれを、愛ゆえの怒りだと信じていた。

だから自分がどれほど苦しんでも、笑って「平気」と言ってきた。

今思えば、自分の涙ながらの微笑みなど、彼にとっては愚かで滑稽なものだったのだろう。

誠也は真央の目に映る絶望に気づかず、アシスタントに彼女が一番好きな白いキキョウを病室に届けるよう指示した。

そして、養生に適した食事をプライベートシェフに作らせ、スプーン一杯ずつ彼女の口元に運んだ。

その時、誠也の携帯が鳴った。

誠也は応じると、瞳に光を宿し、すぐに「医者に呼ばれた」と告げて病室を出て行った。

嫌な胸騒ぎに突き動かされ、真央は点滴を抜き、ふらつきながら廊下へ。

角を曲がった先で見たのは――互いに抱き合う二人の姿だった。

誠也は阿部裕香(あべ ゆか)を壁に押し付け、肩越しに囁いた。

「なんで来た。今は危ないって言っただろ」

「会いたかったのよ」裕香は彼の腰に腕を回し、甘えるように不満げに言った。

「誠也、いつになったら堂々と一緒にいられるの?こんなに深く愛し合っているのに、こそこそしなければならない生活にはもううんざりよ」

「もうすぐだ」誠也はうつむき、彼女をさらに強く抱きしめた。

「俺が潜入させたスパイがもう核心に迫っている。すぐに相手を根こそぎ潰せる。遅くとも7日後には、俺たちを引き裂くものは何もいなくなる」

裕香の口元はこっそりと弧を描いたが、すぐにそれを隠し、心配そうなふりをして尋ねた。

「真央はどうするの?」

「7日後は俺と真央の結婚記念日だ。それを祝うという口実で彼女を豪華客船に乗せて、海外に送る。俺の許可がなければ、彼女は二度と戻ってくることはできない」

隠れた真央の瞳が震え、指先は冷たい壁を必死に抉った。

半月前、誠也は彼女を豪華客船に乗せて記念日を祝うと言っていた。

その時、彼は彼女を抱きしめ、優しい目で言った。

【君は海辺で育った子だから、きっと海が恋しいだろう。その時は海上で花火を打ち上げて、夜空全体を君のために照らしてあげる】

――だが彼は知らなかった。

彼女が漁村でひどい屈辱を受け、両親も海難事故で命を落としたことを。

彼女が最も嫌いなのは、あの冷たい海だった。

「そうだ、これを持って行け」誠也は何かを思いついたように、首からお守りを外し、裕香の掌に押し込んだ。

「これを持っていれば、俺も少し安心できる」

真央の指先が震えた。

そのお守りは……彼女が誠也の敵が多すぎるのを心配し、彼に何かあったらと、寺の山道をひざまずいて、一歩一歩お辞儀をしながら山頂まで登って手に入れたものだった。

だが今、彼は彼女の深い思いを、あっさりと裕香に渡してしまった。

真央は深く息を吸った。その目に絶望は消え、ただ冷たさだけが残っていた。

誠也にとって自分が不要なら――

いっそ彼の望むとおり、この世界から永遠に消えてしまえばいい。

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