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Chapter2:07

Author: 仲原
last update publish date: 2026-11-02 23:21:00

「……はぁ……はぁ……」

 汚れが無くなったからからといって、不安が完全に無くなる訳では無いらしい。目の前からあの色が消えたというのに、まだどこかに痕が残っているような気がして仕方が無い。

 それでも、ここに留まっている訳にはいかず、もう一度水で洗い流してからトイレを出る。事務所に戻るべく廊下を歩いていると、清掃スタッフが床に広がった血を片付けている姿が目に止まった。

「お疲れ様です」

 擦れ違い様、何となくかけてしまった声。掃除を進めて居る男性は怪訝そうに此方を見た後、何も言わずに頭を下げる。彼にしてみればとんでもない仕事を押しつけられたのだから不愉快になるのも当たり前だろう。これが例え仕事だと分かっていても、大量に広がった他人の血液を綺麗にするのはやはり抵抗を感じてしまう。

「壁にまで血が飛んでやがる」

 言われて視線を動かすと、確かに彼の言うとおり汚れは床の上だけに留まらず、壁の一部にも付着していた。

 このこと自体は、不可抗力と言う事は間違い無い。だからこそ、誰にもぶつけられない怒りが堪り、吐き出せないもどかしさで鬱屈としてしまう。

 事務所の中も廊下と同様に、重たい空気が漂
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     また、寒い朝が来た。 ここ最近は、起床したときに窓が開いていることが多く、目覚めた際酷く疲れている事が多い。「はぁ……」 勿論、これは自らが意図的に行っている行動では無い。だからこそ余計に頭が痛かった。「またか」 窓を開けたまま室内の気温を下げる行動。それをした犯人は愛する妻で、目的が分からず混乱が続いている。それとなく理由を聞くため「寒いから閉めて欲しい」と頼んでも、毎回「空気が籠もって気持ちが悪いの」と誤魔化されるのだから厄介だ。「どうしちまったんだよ、エイヴァ」 就寝の際、暖房を付けているのだから空気が籠もるのは分かる。それによって気持ちの悪さを感じる所までは理解しよう。それでも、換気をする時間はそれほど長くなくても構わないはずだ。このように開けっぱなしのまま階下に降りていく行為は、最早嫌がらせに近いものを感じてしまう。「起きるのが遅いから怒って居るのか?」 そうは言っても、生活のリズムが異なってしまうのは仕方が無い。こちらが固定シフトなのに対し、彼女の出勤形態は実に流動的なのだ。彼女との時間を大切にしたいと願っても、それが叶わない事も多いのだから、多少の擦れ違いは勘弁して欲しかった。「もう出るのか?」 階下に降りると用意されている朝食は一人分。「スタッフが足りないから」 彼女は既に身支度を調え、直ぐにでも出社出来る状態でその場に立っている。「今日は?」 一人きりの食事は味気なくて余り好きでは無いのだが、この場合は仕方が無い。「未だ分からない」 スマートフォンを眺め確認しているのは時間だろうか。彼女は溜息を吐きながらそう答えると、困ったように眉を下げて肩を竦めて見せる。「分かり次第メッセージを送るわ。余り期待はしないで」 期待はしないで。その言葉から察するのは、本日の帰宅も遅くなるという予感だった。「分かったよ」 本当ならば多少の我が儘を言って引き留めたかった。それほどにまで妻の温もりを……いや。彼女と過ごす時間を強く望んでいる。「俺の方から連絡をするのは構わないよな?」 それでも彼女に嫌われることだけは避けたい、と。物わかりの良い夫を演じ瞼を伏せれば、彼女は小さく笑って頬を撫でてくれた。「構わないけれど、確認出来るのはずっと後かも知れないわよ?」「問題無い。それでも構わないさ」 離れていく彼女の手を取り

  • 滅びゆく君のスケッチ   Chapter2:09

     奇妙な状況というのは、どこも同じなのだろうか。 修理の依頼を受けた商業ビルに着いたときに思ったのはそれで、出迎えてくれた職員に尋ねると最近は体調を崩す人が多いのだと愚痴を零されてしまう。 その言葉通り普段は人が多く賑わっているであろう建物のはずなのだが、スタッフや客の姿は疎らで閑散とした印象が拭えない。気のせいかマスクをしている人間も多く、そのうちの何人かは辛そうに咳を繰り返していた。「以前からこうでしたっけ?」 その疑問が無意識に口から出てしまっていたのだろう。しまったと口を閉ざすが、職員は特に気を悪くすることも無く、「そうなんですよね」と力なく笑う。「季節の変わり目は体調を崩しやすいって言いますけど、今年はどうも体調を崩す人が多いみたいですよ」 その人が零すことはここ数日で溜まっている不安や不満と言った愚痴だろう。ほぼ独り言に近いそれに相槌を返しつつ、変わってしまった雰囲気を一時的なものと捉えるか、今後訪れる異変と捉えるかを考えていると、故障したエレベーターの前に辿り着いた。「修理をお願いしたのはこちらです」「あ、はい」 案内が終われば、職員は一礼して直ぐに職場へと戻っていく。機械は既に使用が出来ないという旨が記されており、作業を邪魔する者は居ない。一人現場に残され、黙々と進めていく修理。途中まで進めたところで破損した部品の在庫が無い事に気が付き思わず舌打ちが零れた。 事務所に電話を掛け在庫があるかを確認したところ、運が悪いことに注文をしなければいけないと返されてしまう。その旨を客に伝えると、納得はして貰えたようだが明らかな落胆を見せられてしまう。 部品が届いたら連絡をすると言うことを伝え帰路についても、どうにも気持ちは晴れてくれない。漠然とした不安が世界を支配する。そんな風に思い思わず笑ってしまった。+++ 相も変わらず違和感のある日々は続いている。 同僚もの姿もあれ以来見ることは無く、何週間も経っている状態で。それとなく彼の状況を尋ねてみると、どうやら本格的に体調を崩しているようで、自宅療養をしていると言うことを告げられてしまった。 入院したと言われた経理の女性も復帰する気配はないし、彼女を連れて行った営業も病欠したとう話も聞いた。 今ではマスクを着けていない方が少数派。そんな事務所の中を見て何が起こっているのかを考えてし

  • 滅びゆく君のスケッチ   Chapter2:08

     その後は、特に何かが起こるでもなく、ただ時間だけが過ぎていく。 残りの業務を片付け、一段落付いて所でかかる上司の言葉。事務所内の空気が重いことが気になったのだろう。作業の切りが良いのなら上がって良いという指示に、一人、また一人と人が消えていく。気が付いたら残っている人間は、自分を含めて三人だけ。人気の無くなったオフィスは、随分と寂しく感じられた。 何かがおかしい。 その事に改めて気付かされたのは、この日から三日経ってからのことだった。 営業に連れられて病院へと向かった経理の女性だが、結局入院することになってしまったようで、ここ数日姿を見ていない。 同僚も随分と顔色が悪く、出社しても長く作業を続ける事が難しいようで。最終的には有給を消化する形で一週間ほど休むことになってしまっていた。 そうなってくると気になるのは空席の数だ。 いつもならば賑やかなはずの室内は、電源の入らないモニターの数の方が多くなってしまっている。これは何も外勤のメンバーが多いからではなく、その殆どは体調不良を訴える病欠によるものらしい。 そう言えば、と、思い出したのは妻との会話で。帰宅して早々、彼女はこんなことを漏らしていた。『最近、変に忙しいのよね』 その言葉通り、彼女の帰宅時間は日に日に遅くなってきている。その事には随分前から気が付いてはいた。その上、職場に泊まり込みになったという連絡も以前に比べて頻度が高く、運良く帰宅出来たとしてもすれ違いになる事も少なくは無い。彼女が仕事に生きがいを感じている事は知っていたため、それについて理解はしてるのだが、疲労が溜まりやつれていく彼女の姿を見ると大丈夫なのかと心配になってしまうのは仕方が無い。『休むことは出来ないのか?』 そう尋ねても、彼女は緩く首を振り『それは無理だ』と返してしまう。『院内でも体調を崩すスタッフがいて、手が足りてない状態なの。ここで倒れると、もっと悪い状況になってしまうから頑張らないと』 どうか無理だけはしないで欲しい。そう言って抱きしめた彼女の身体は、ほんの数週間で随分と細くなってしまっていた。『体調に気をつけるのは、あなたも一緒よ。ジェイソン』 それでも気丈に振る舞い、優しく頬を撫でてくれる彼女が柔らかい笑みを浮かべる。『落ち着いたら、どこか旅行へ行こうか』 何もしてあげられない代わりに口に出

  • 滅びゆく君のスケッチ   Chapter2:07

    「……はぁ……はぁ……」 汚れが無くなったからからといって、不安が完全に無くなる訳では無いらしい。目の前からあの色が消えたというのに、まだどこかに痕が残っているような気がして仕方が無い。 それでも、ここに留まっている訳にはいかず、もう一度水で洗い流してからトイレを出る。事務所に戻るべく廊下を歩いていると、清掃スタッフが床に広がった血を片付けている姿が目に止まった。「お疲れ様です」 擦れ違い様、何となくかけてしまった声。掃除を進めて居る男性は怪訝そうに此方を見た後、何も言わずに頭を下げる。彼にしてみればとんでもない仕事を押しつけられたのだから不愉快になるのも当たり前だろう。これが例え仕事だと分かっていても、大量に広がった他人の血液を綺麗にするのはやはり抵抗を感じてしまう。「壁にまで血が飛んでやがる」 言われて視線を動かすと、確かに彼の言うとおり汚れは床の上だけに留まらず、壁の一部にも付着していた。 このこと自体は、不可抗力と言う事は間違い無い。だからこそ、誰にもぶつけられない怒りが堪り、吐き出せないもどかしさで鬱屈としてしまう。 事務所の中も廊下と同様に、重たい空気が漂っていた。 此処に居る人達は偶然居合わせて巻き込まれて締まっただけなのだ。まさかあのような光景を見せられるとは思っていなかったことだろう。だからこそ、口は重くなり、どういう言葉を選べば良いのか迷っている。そんな雰囲気を感じてしまう。「……立て続けに変な事が起こると、気が滅入るよなぁ」 同僚もあの光景を見ていたのだろうか。弱々しい声でそう呟く彼は、数時間前よりも随分と顔色が悪い。「精神的に来るよな」「……ああ」 誰が悪い訳では無い。本当に不運が重なっただけ。それでも日常と乖離していく感覚は、確かに精神を抉り、気力を削いでいく。「気分が悪いぜ」 力なく笑う同僚の姿が不安定に見え思わず声を掛ける。「お前、本当に大丈夫か?」 そう問えば、彼は暫し考えてから緩く首を振って見せた。「もしかしたら、明日は休むかもしれん」 ただでさえ技術者が足りていないのだ。仕事の量を考えれば休まれるのは正直困る。それでも、状況が状況なだけに、我慢して出社してくれとは言えずただ俯くしかない。「早く、忘れられると良いな。お互いに」「そうだな」 こういうとき、長期で休みが取れる学生が羨ましい

  • 滅びゆく君のスケッチ   Chapter2:06

     一体、何が起こっているのだろう。 無意識に己の手を見るが、彼女の顔にや身体に触れた覚えは一切無い。誤って接触をした訳では無いのに、みるみるうちに彼女が着けているいたマスクは真っ赤に染まり、受け止められなかった血液が衣服に垂れ染みを作っていくのだ。「お、おい!」 この状況が異常だと気が付いた瞬間、彼女の膝が曲がり地面に崩れ落ちる。「危ねぇ!!」 すんでの所で彼女の身体を抱き留めるのだが、状況は先ほど寄りも悪化しているようで、どんどん体温が高くなっていることに不安を感じてしまう。「拙い気がする」 血で濡れて張り付いたマスクを剥ぎ取りながら救急車を呼ぶように指示を出す。その間にも腕の中の彼女の顔はどんどん真っ赤に染まっていき、口元を覆う布が無くなったはずなのに呼吸は徐々に弱まっていくのだ。彼女が大量の血を流して倒れたのか。その理由は分からない。ただ、マスクを取った時点で顔に傷がなかったことを考えると、どうやら鼻の血管が傷ついたことで流れ出したものなのだろう。 背後から救急車を手配したと伝える上司が差し出すのはペーパータオルで。それをひったくるようにして受け取ると、彼女の顔がこれ以上汚れないようにと血を拭いながら声をかけ続ける。それでも荒い呼吸を繰り返す彼女がその声に応える気配は感じられない。 額を触れば焼けるような熱さが手に伝わる。ここまで熱いのは明らかな異常事態で、生死に関わる危険を孕んでいる可能性が高いだろう。 頼むから死なないでくれ! そう願う事しか出来ず、気持ちばかりが焦ってしまう。救急車両が到着するまでの時間。それがものすごくもどかしい。「患者はどこですか!?」 そう言って救急隊員が駆け込んできたのは通報をしてから三十分以上経った頃のこと。その頃には熱で真っ赤に染まっていた彼女の顔は真っ青になっており、大量の血で気道が塞がるためなのか弱々しく咳を繰り返す度口元から赤い色が溢れ出し床を汚していた。「…………風邪……なん、だよな?」 言いながら自らの言葉に対して感じる違和感に混乱してしまう。「本当に……風邪……なのか……?」 ストレッチャーに乗せられ病院に搬送されていく女性を目で追いかけながらそう呟けば、風邪ではなく別の病気ではという誰かの声が聞こえた気がして思わず振り返っしまった。「誰だ!?」  廊下に響く大きな声。その場に

  • 滅びゆく君のスケッチ   Chapter2:05

     あれから数日経つが、未だにあの時の記憶が消える気配がない。「なぁ……」 それは現場に居合わせた同僚も同じ様で、双方ともここ数日は疲れが取れず、憂鬱な状態が続いていた。 「お前さぁ、飯、ちゃんと食えてる?」 目の前には二人分の食事。成人男性が食べる量としては随分少ない量ではあるが、食欲をそそる良い匂いを漂わせている。「…………」 それなのに何も魅力を感じないのだから問題だ。 身体を動かすためにはエネルギーの補充が必要だと頭では分かっているはずなのに、目の前の食べ物にどうしても興味が湧かず吐いた溜息。「いいや。余りねぇな……」 身体が資本の仕事のため、体力を付けないと倒れてしまう。だからこそ無理にでも食べ物を口に押し込むのだが、【食べる】という行為に強い嫌悪感が込み上げ、胃が食べ物を受け入れる事を嫌がってしまうのだ。それが続くと食べ物自体に手が伸びなくなり、益々気分は重くなっていくだけ。「当分は肉は食いたく無いよなぁ」 フィクションとノンフィクションでは全く感覚は異なるものだと言うことを、今回の一件で嫌と言うほど思い知らされた。 娯楽として楽しめる悲惨な光景は、それがフェイクだと分かっているからこそ一時の感情だけで片付ける事が出来るのだろう。「警察とか医療関係者の人間ってすげぇよな」 普段なら殆ど手に取ることはしないサラダカップに手を伸ばすと、ドレッシングの掛かった生野菜を口に入れていく。「ああいうのを見ても普通通り生活が出来るんだからさぁ」 経験の差とでも言うべきなのだろうか。本当に誰かの死に触れることに何の感情も動かないと言うわけではないだろうが、それでも気持ちを切り替える術をしっている部分は素直に羨ましいと感じてしまう。「そうしなければ仕事として成り立たないからだろう?」 同僚はコーヒーに口を付けただけで食べ物を一切、口にする気配がない。「それはそうだろうけど」 馴れたくはねぇよな。その言葉を最後に会話は途切れる。後はひたすら、黙々と目の前の食べ物を処理していく単純作業。吐き気を強く感じたが無理に飲み込みなんとか胃の中に収めると、ゴミを片付けて業務に戻る。 仕事をしている間は良い。作業に集中していれば余計なことを考えずに済むからだ。そうやって黙々と手を動かしていると、あっという間に就業時間が訪れる。「ジェイソン!」 後

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