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第120話

作者: 花朔
「奥様、こんな遅い時間にどちらへ行かれるんですか?」

池田は少し不思議そうに尋ねた。

しかもスーツケースまで引いている。

「明日、母が手術なの。前もって付き添いに行こうと思って」

紗夜は穏やかに答えた。

「そうだったんですね」

池田は頷き、微笑む。

「奥様のお母様、早く良くなられますように」

「ありがとう」

紗夜は口元に柔らかな笑みを浮かべる。

「池田、これまで本当にありがとう」

突然の言葉に池田は戸惑い、少し照れたように首を振った。

「仕事のうちですから......そんなに気を遣わないでください」

「さよなら」

そう言って紗夜は振り返ることなくスーツケースを引き、家を出た。

──二度と戻らない。

五年間、自分を縛りつけたこの場所には。

夜の闇の中へ、迷いのない足取りで進んでいく。

池田はその背中が見えなくなるまで見送っていた。

瞬きをひとつ。

なぜだろう、さっきの「さよなら」の顔が、まるで永遠の別れみたいに見えた気がした。

そんなはずない。

すぐにその思いを振り払う。

ここには、奥様の愛する旦那と息子さんがいるのだから。

帰ってこないわ
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