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父の最期に、あなたはいなかった
父の最期に、あなたはいなかった
作者: チンモク

第1話

作者: チンモク
父が危篤だと聞き、私・酒井涼子(さかい りょうこ)は急いで300キロ先の実家へ車を飛ばした。途中、サービスエリアで一息ついていた時、何気なく開いたSNSの動画に目が留まった。

投稿者は、ある女性だった。

【免許を取ったばかりで初めての長距離運転。元カレが心配だからって、家に着くまで100キロも後ろを走ってくれてた】

動画では、白いコンパクトカーの後ろを、見慣れた黒いベンツがずっと走っている様子が映っていた。

そして、コメント欄のトップにはこんな書き込みがあり、あからさまな裏垢だった。

【元彼です。変な意味はありません。ただ心配だっただけです】

【彼女、気が弱いくせに無理をするタイプなので、何かあったらと思うと落ち着かなくて】

【深読みはしないでください。彼女をそっとしておいてもらえると助かります】

コメント欄は大盛り上がりだった。

【なんていい男なの!復縁してほしい!】

私は画面に映る黒いベンツを見つめた。そのナンバーは見間違えるはずがなかった。

それは、私の婚約者である杉本悠人(すぎもと ゆうと)の車だった。

今朝、彼は「どうしても手が離せない案件が入った」と言って、私と一緒に実家へ帰る予定をキャンセルした。

私が送った何十件ものメッセージは無視されたままだった。

なのに彼は、初恋の相手・久保知紗(くぼ ちさ)を家まで送り届けるために、100キロも付き添って走ったのだ。

その時、スマホが震えた。悠人からのメッセージだった。

【渋滞してないか?気をつけて帰れよ】

私はその言葉をただじっと見つめた。スマホを握る手に力が入らなかった。

そして、助手席には、父の危篤を知らせる診断書が置かれている。

その時、ようやく理解した。彼は忙しいわけじゃなく、単に私の優先順位が知紗より低いだけなのだ。

私はすぐに問い詰めなかった。たった一言、【大丈夫】と返した。

すると、悠人からすぐに返信が来た。その文面からは、形だけ気遣っているような冷たさが滲んでいた。

【ちゃんと食べたか?サービスエリアの飯で済ませるなら、ちゃんと温かいものにしろよ】

返信しようとしたその時、知紗のSNSが更新された。

そこには、サービスエリアで撮ったコーヒーの写真が載っていた。

【ポカポカだよ。そばにいてくれてありがとう】

写真の端には、悠人がいつもしているパテック・フィリップの腕時計が写っていた。

胸の奥がぎゅっと締めつけられ、吐き気が込み上げてくる。

私はスマホを閉じ、そのまま車を走らせた。

途中、父の主治医から電話があった。

容体が不安定で、できるだけ早く来てほしいとのことだった。

焦りで胸がいっぱいになり、私はアクセルを踏み込んだ。

だが、気が動転しすぎて、高速の出口を通り過ぎそうになった。

慌ててハンドルを切った途端、車体が大きく揺れ、背筋を冷たい汗が伝う。

非常駐車帯に車を停めると、悠人から何件もの着信履歴が残っていたことに気づいた。

ようやく私のことを気にかける気になったのだと思った。そんな期待を抱きながら電話に出た。

だが、電話に出るなり彼は、「ネットに上がってる動画、見たのか?」と言った。

「涼子、誤解だよ。知紗が今日初めて長距離走ってて、たまたま同じ方面だっただけだ」

気づけば、ハンドルを握る手に、指先が白くなるほど力が入っていた。

「同じ方向って、100キロも?悠人」

数秒間沈黙が続いた。

その後、彼の声には苛立ちが混じっていた。

「まだ高速だろ?そんなに感情的になるなよ。

仕事が立て込んでたのは本当なんだ。彼女とは偶然会っただけだ」

「偶然」なんて、あまりにも軽い言葉だった。

私は再び知紗のコメント欄を開いて、彼女の友人への返信を見た。【彼、朝から心配だからって、わざわざ付いてきてくれたの】

胸の奥が張り裂けそうで、体の芯まで冷え切っていくような感覚だった。

その時初めて、彼を信じるのをやめた。

病院に到着した頃には、すっかり日が暮れていた。

酸素マスクをつけた父の呼吸は、あまりにもかすかだった。

私に気づくと、震える指をわずかに動かし、かすれた声で尋ねる。

「悠人は?今日は一緒に帰ってくると言ってたはずだが」

私は父の冷えた手を両手で握り、嘘をついた。「今こっちに向かってるわ、渋滞してるみたい」

その時、スマホの画面が明るく光る。

悠人からのメッセージだった。

【知紗が熱っぽいから、今日はホテルで休むことにした。後でまた連絡する】

その時、返信する間もなく、ベッド脇のモニターがけたたましい警告音を鳴らし、父はそのまま救命処置室に運ばれた。

閉ざされた処置室の扉の前で、赤く灯るランプだけが嫌に目についた。

私はひとり、静まり返った廊下に立ち尽くしていた。長い道のりを走ってきた疲れが、まだ体の奥に残っている。

しばらくして親戚たちが次々と駆けつけてきた。

叔母は私の手を握り、不安そうに尋ねる。「悠人は?こんな時なのに、まだ来てないの?」

私はもう自分でも信じられない嘘を、繰り返すことしかできなかった。

「仕事が立て込んでて、でももうすぐ着くと思う」

その場にいた全員の視線が私へ向けられる。同情、心配、そして、どこか疑うような眼差し。

突き刺さるような視線に、居たたまれなくなる。

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