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第 19 話

Author: 燈ちゃん
凛の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。

これ以上ないほど、絶好の機会だった。

――悪くない。

……

車内は静まり返っていた。車内灯がついたまま、淡い光が真也の端正な横顔を照らしている。彼は両手をハンドルに置いたまま、窓越しに庭の扉を見つめていた。

やがて1階の明かりが消える。それを確認してから、ようやく視線を外した。

助手席に置いていた茶色い封筒を手に取る。1週間が経った今も、彼は一度も開いていなかった。

封を切り、中から2枚の書類を取り出す。

――離婚協議書と離婚届。

書類に書かれた文字が、やけに目障りだった。

まさか自分が女に振られる日が来るなんて、考えたこともなかった。

本当は、今日こそ冷静に話をするつもりだった。玄関前で2時間も待って、ようやく帰宅した凛を捕まえた。

だが結果はどうだ。

話を切り出す前に、凛に散々振り回された。まるで長年の怒りを発散するように、何を言っても刺々しく返してくる。

真也は眉を寄せながら、協議書をめくった。きっと彼女は、この機会に自分へ多額の要求をしてくると思っていた。

だが――

書かれている内容は驚くほど合理的だった。

……本当に、彼女が言った通りだった。

「離婚協議書の内容は適切なものにしてある。財産分与で揉めるつもりはない」、と。

最後のページ。

そこには、綺麗なサインが記されていた。

すでに乾いたはずのインクを、真也の指先がなぞる。その瞬間、ふと考える。

凛がサインをした時、何を思っていたのだろう。

もし、これらの書類が会社に届いたあの日、自分がすぐに中身を確認していたら。

家に帰って、彼女ときちんと話していたら。

もしかすると、今の状況にはならなかったのかもしれない。

離婚理由は「性格の不一致により、夫婦関係が破綻したため」。

「夫婦関係が破綻……」

真也は、その数文字をじっと見つめた。

ふっと鼻で笑う。

夫婦関係が破綻したというなら、壊したのは彼女のほうではないのか。

陸とあれほど親しげにしていた。もしかしたら、ずっと前から彼と関係を持っていたかもしれない。

そう考えれば、この協議書には、妻の不貞疑惑によって、夫が受けた精神的苦痛に対する慰謝料の額も明記すべきだ。

そもそも、離婚を切り出すべきなのは、彼女ではなく、傷つけられた側である自分ではないのか。

それなのに、署名を迫るだけではなく、弁護士まで通そうとしている。

自分はそこまで信用できないと言うのか?

真也は苛立ちをぶつけるように協議書を閉じると、グローブボックスへ乱暴に押し込んだ。

エンジンをかける。

車はゆっくりと凛の家から離れていった。バックミラーの中で、あの家が少しずつ小さくなっていく。

それでも、頭に浮かぶのは先ほどの凛の冷たい態度だった。最後まで、優しい表情を一つも見せなかった。

彼女に欲しいのは、他の何かと思っていた。仕事の支援。取引先の紹介。あるいは、結華の宣伝。

だが、そうではなかった。彼女が求めたのはただ一つ。

――離婚すること。

あれほど長い時間を共に過ごした夫に、ここまで簡単に背を向けられるとは、本当に容赦のない人だ。

街灯が流れるたび、真也の横顔が明るく照らされる。

ハンドルを握る手に力がこもる。喉仏が小さく上下した。

……離婚するだけだ。

それだけのこと。

自分は、桐生真也だ。この程度で動揺するはずがない。

信号が青に変わる。真也はアクセルを踏み込んだ。車は、放たれた矢のように夜の街へ走り去っていった。

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Comments (1)
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Rims
はよ、署名しろ 弁護士に渡せ
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