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第7話 近すぎる距離

Penulis: 酔夫人
last update Tanggal publikasi: 2026-03-05 10:25:19

バーのカウンターで、初対面の男性と酒を飲んでいる。

それだけでも、美咲にとっては十分すぎるほど非日常だった。

仕事帰りにバーへ入り、隣に座っていた男と話し始める。

ほんの一時間前の自分に話したら、きっと信じないだろう。

手元には司狼から受け取った名刺がある。

『木崎司狼』

その下に並ぶ「小説家」の文字をもう一度見つめる。

(小説家……)

だから人を観察するのだろうか。

そう考えれば、先ほどの言葉も納得できる。

――姿勢がきれいだ。

そんなところを褒められたのは初めてだった。

自然と口元が緩む。

「緊張が抜けた」

不意に司狼が呟いた。

「え?」

顔を上げた瞬間だった。

近い。

思っていたよりずっと近くに司狼の顔があった。

「……っ」

反射的に身体が引く。

椅子が小さく軋んだ。

(しまった)

あからさまだった。

これでは警戒していると宣言したようなものだ。

慌てて表情を取り繕い、司狼を見る。

怒っているだろうか。

気まずそうにしているだろうか。

そう思った美咲は、司狼を見て拍子抜けした。

司狼は笑っていた。

嬉しそうに。

そして、どこか安心したように。

(……え?)

予想とまったく違う反応だった。

距離を取られたのに、どうしてそんな顔をするのだろう。

意味が分からない。

「どうした?」

「……いえ」

美咲は慌てて視線を逸らした。

グラスの中で氷がゆっくり回る。

その音だけが妙に耳へ残った。

(この人……)

何を考えているのか分からない。

普通なら避けられたと傷つく場面ではないのだろうか。

それともよくある反応で、慣れているのか。

(いや……)

どちらとも違う気がした。

まるで、美咲のその反応を期待していたような。

そんな違和感だけが残る。

(考えすぎ、よね)

美咲は自分へ言い聞かせる。

司狼は整った顔立ちをしている。

女性に声を掛けることにも慣れているだろう。

ナンパ。

そう考えるのが一番自然だった。

それなのに、その「自然」が司狼には当てはまらない気がする。

言葉は軽い。

笑顔も優しい。

なのに、視線だけはどこまでも真っ直ぐだった。

(この目……)

見透かされている。

そんな感覚になる。

「何?」

司狼が小さく笑う。

見つめていたことに気づかれていた。

「……こういうお店、よく来るんですか?」

慌てて話題を変える。

司狼は首を横へ振った。

「あまり来ない」

「そうなんですか?」

「ああ」

少しだけ間が空く。

「今日は、美咲さんが入っていくのが見えたから」

思わず息を止める。

さらりと言う。

あまりにも自然に。

(そういうこと、普通に言う人なんだ)

甘い言葉。

女性なら嬉しいはずの言葉。

なのに気持ちはあがらない。

なぜなら。

司狼の瞳は少しも甘くない。

何かを期待する色でもない。

口説く男の目でもない。

ただ静かに、美咲だけを見ている。

その視線に居心地の悪さを覚えた。

「木崎さんって」

美咲はゆっくり口を開く。

「いつも、そうやって人を試しているんですか?」

司狼がきょとんとした。

「試す?」

心の底から不思議そうだった。

演技には見えない。

だからこそ、美咲の胸がざわつく。

その表情が。

その「本当に分からない」という顔が。

一年前に別れたあの男、岡本蒼太と重なった。

何が悪いのか理解していない顔。

悪意がないからこそ厄介だった、あの表情。

(……違う)

目の前にいるのは司狼だ。

岡本蒼太じゃない。

分かっている。

分かっているのに。

胸の奥で嫌な記憶がゆっくりと目を覚まし始めていた。

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