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3品目:スプリンターマウスのロースト

last update Last Updated: 2025-04-07 11:33:05

 大丈夫、大丈夫。今日は朝から水しか飲んでいないし、吐き気止めの薬草も噛んだ。

「皆さま、こんにちは。『30分クッキング』です」

 カメラの赤い光を前に、僕は腹に力を込めて声を張る。手に汗が滲み、エプロンの上でそれとなく拭う。昨日よりはマシかもしれない。だけど、慣れることはない。生きた魔物を解体し、料理するなんて、まともなことじゃない。

「本日の調理人は、エルドリス・カンザラ先生です」

 彼女はいつものように冷淡な碧眼をカメラに向け、頷く。

「食材はこちらです。D級魔物、スプリンターマウス」

 僕が調理台の方を指し示すと、金網のケージに入れられた小さな魔物たちにカメラが寄った。

 スプリンターマウス。大きさや見た目は普通のネズミとほぼ変わらない。だが、その脚力は強靭で、名前のとおり俊足を誇る。獲物に噛みつくと神経毒を流し込み、動きを封じる性質を持つ。本来なら捕獲することすら困難な魔物だが、今は10匹ほどケージに閉じ込められ、小さな体を震わせている。

「本日は、このスプリンターマウスをローストします。では先生、お願いします」

 半月型に口を開けたオーブンにはあらかじめ火が灯されていた。赤々と燃え盛る炎が、小さな獲物たちを待ち構えている。

「下処理を始める」

 エルドリスは無造作にケージを開けると、一匹のスプリンターマウスの首根っこを素早く掴んだ。魔物はキィッと鳴き、鋭い前歯を剥き出しにして暴れるが、彼女の手から逃れることはできない。

「では、開いていく」

 エルドリスは細身のナイフを手に取り、スプリンターマウスの腹部に刃を入れた。

 ズ……ズズ……。

 皮膚が裂かれ、内部の臓器が覗く。

 キィ……キィィ……!

 かすかな鳴き声。魔物の小さな体がピクピクと痙攣し、その爪が忙しなく宙を掻く。

「小動物の魔物は内臓の臭みが強いため、速やかに取り除く」

 エルドリスは迷いなく指を突っ込み、内臓を掻き出す。小さな臓器たちがズルリと抜き取られ、トレーの上に放られる。

 腹の中はほとんど空洞になったが、臓器を抜きながらエルドリスが掛けた延命魔法のおかげで、スプリンターマウスの四肢はまだ意志を持って動いている。

「臭みを抑えるために、内部にフルーツを詰める」

 エルドリスは小さく切ったメルグナの実とトルフェの果肉を押し込み、腹の皮を元通りに合わせ、短い金串を刺して閉じた。

「先生、焼きの作業ですが……」

「なんだ助手君。何か問題が?」

 台本によると、スプリンターマウスを並べた鉄板を、僕が鉄板ごとオーブンの中に入れることになっていた。昨日、吐いて蹲《うずくま》ってばかりでほとんど役に立たなかったせいで、演出家が僕の見せ場を台本に追加したらしい。難易度は、きちんと新米アシスタント向けだ。オーブンに入れるだけなら、やれないことはないように思える。だが――

「あの、ひとつ質問していいですか。オーブンに入れ"続ける"というのは……」

 入れる、ではなく入れ"続ける"、と台本にはあった。単に鉄板を入れっぱなしにしておけという意味なのだろうか。

「助手君、頭を使え。この『30分クッキング』は魔物を生きたまま調理するのが売りの番組だぞ」

「はあ」

「当然、スプリンターマウスも生きたまま焼いていく」

「……はい」

 考えただけでおぞましいが、そういう映像に需要があるのだから仕方ない。一介の新米助手が、番組の根幹となる演出に、どうこう口を出せるものではないのだ。

「でも、生きたまま焼くことと、オーブンに入れ"続ける"ことに、何の関係が?」

「スプリンターマウスはな、命の危険を感じたときこそ最も俊足となる。わかるか? これから始まるのは、もぐら叩きゲームだ。お前には、熱さに耐えかねて逃げようと、オーブンを飛び出してくるネズミたちを、フライ返しでオーブンの中へと打ち返す使命が与えられた」

「なっ……どうして、わざわざそんなことを。オーブンに蓋をすれば済む話では?」

「それでは画《え》としてつまらない。圧倒的な絶望とは、いつだって少しの希望のそばに落ちているものだよ」

「悪趣味です」

「視聴者のほとんどが、そうだ」

 エルドリスは美しく猟奇的な微笑みを見せる。

「お前のようなヒヨッコが、魔物の命を恐る恐る奪うところを見てみたい」

 僕は言葉を失った。見てみたい、というのは視聴者の気持ちの代弁か、それとも彼女の本心か。

「では、焼きの準備だ、助手君」

 エルドリスは鉄板を調理台に乗せる。そしてその上に、弱って動きの鈍くなったマウスを並べていき、塩ひとつまみを振りかける。

「さあ、お前の見せ場だ」

 僕は抗えなかった。彼女の言葉にも、用意された台本にも。

 防熱のミトンを手につけ、鉄板を掴み、燃え盛るオーブンの中へと押し込む。

 スプリンターマウスの皮膚が熱を帯び、チリチリと焦げ始めた。そして次の瞬間、マウスの全身がボッと炎に包まれる。

 キィィィッ!

 悲鳴とともに、マウスが鉄板の上を駆け回り始める。燃える尾を振り乱し、オーブンの開いた出口へと突進してくる。

「ほら。来るぞ、助手君」

 エルドリスの冷静な声を聞く暇もなく、僕は反射的にフライ返しを振っていた。オーブンの外へ飛び出しかけたマウスを、手首のスナップを効かせて打ち返す。

 ベチッ!

 マウスの燃える小さな体が鉄板の上に叩きつけられる。焼ける脂の匂いが皮肉なほど香ばしく鼻を突く。

 僕は次々と飛び出してくるマウスを、それこそもぐら叩きの要領でオーブンの中へと返していった。

 やがてネズミたちは起き上がってこなくなり、鉄板の上で消し炭のように固まった。

「焼き上がりだな」

 エルドリスは鉄板ごとスプリンターマウスを取り出す。鉄板から落ちた場所で炭になっているマウスも、長いトングで残さず拾っていく。

「黒焦げで不安か? 安心しろ。一番外側の皮は、もとより捨てるつもりの料理だ」

 彼女はマウスにナイフを入れて、肉を左右に割り開いた。瞬間、マウスの腹に詰められたフルーツの甘酸っぱい香りが色濃く立ち上る。それを彼女は10匹分、大皿に載せて、メルグナの果皮をおろし器で擦りながら振りかけていく。

「完成だ」

 カメラが黒焦げの皮の内側で黄金色に輝くネズミの肉を映し出す。

 エルドリスはナイフとフォークで骨付き肉を切り出し、軽く持ち上げた。

「ほら、見ろ。骨も綺麗に火が通っている」

 彼女はフォークを口元に運ぶと、カリッと小さな音を立てて噛み、満足げに頷いた。

 実食までするなんて聞いていない。僕は彼女が食べ終わるのを待たず、エンディングに入った。

「とっても良く焼けましたね。今日はスプリンターマウスのローストでした。では材料と調理道具のおさらいと、本日のポイントです」

【材料】

 老婆に集団で突進して噛みつき、神経毒を流して殺したスプリンターマウス 10匹 

 メルグナの実(爽やかな甘みとわずかな酸味を持つ黄緑色の小果実)

 トルフェの果肉(トロピカルな風味とねっとりとした食感のオレンジ色の果肉)

 塩 ひとつまみ

【調理道具】

 ナイフ(解体・調理用)

 金串(開いた腹を閉じる用)

 鉄板(ネズミを並べる用)

 オーブン(加熱用)

 ミトン(鉄板を掴む用)

 フライ返し(オーブンから逃げ出てくるネズミを打ち返す用)

 長いトング(オーブンの端に落ちたネズミを拾う用)

 おろし器(メルグナの果皮をおろす用)

【ポイント】

 死ぬ間際に運動させることで肉質が格段に向上!

「それでは皆さま、また次回お会いしましょう。良い食卓を――」

  ◆

「待ってください、エルドリス」

 地下調理場を出て、彼女の独房まで続く薄暗い通路。その途中で僕は、ようやく彼女に追いついた。といっても、彼女は足を止めないので、僕は置いていかれないよう早歩きでついていく。

 なぜ早歩きかというと、僕の方がコンパスが――つまりは脚が短いからだ。言い換えれば、彼女は僕より背が高い。180センチ近くある。

 今日も今日とてエルドリスは、生放送が終わるなり、僕に背を向けて帰ろうとした。昨日はそのまま帰したが、今日こそ、そうはいかない。

「僕に少し時間をください。話をしませんか」

「必要ない」

「で、でしたら、望みの物をひとつ差し上げます。それでどうですか?」

 彼女が立ち止まり、僕を振り向く。

「ならば、フィンブリオの涙が欲しい」

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     ラシュトを振り返った僕たちはすぐさま迎撃体勢をとった。そこにいるのは、どう見ても人間の少年。けれどネイヴァンが言ったとおり、人間ならば砂浜からの帰還に数時間は掛かるはず。 十分やそこらで戻ってこられたということはやはり、「きみは、人間ではないんですかっ……?」 ラシュトは口角を引き上げ、悪戯っぽく笑った。「怖いお兄さん、僕から見たらあなただって、純粋な人間には見えないよ?」「黙れクソガキ!」 ネイヴァンが吼えるが、少年は意にも解さず楽し気に続ける。「そうそう、まだ答えを聞いてなかったね。どんなふうに殺されたいか教えてくれる?」「それはこちらの台詞だ。希望どおりの殺し方をしてやろう。こちらには名のある脚本家兼演出家と、魔物を開きなれた調理人、そして万能な調理助手《アシスタント》がいる」「おおっと。あなたたちやっぱり、死刑囚じゃなかったんだね。じゃあそうだなぁ……こんなプロットにしてよ。まずは冒頭で、パーティ全員毒蛇に噛まれて死ぬ、って」 次の瞬間、ラシュトの姿がぐにゃりと歪み、肉が変質する嫌な音が響いた。皮膚が硬質化し、暗い色の鱗が連なっていく。彼の身体は分裂するように長く伸び、それが何本にも分かれていく。 無数の黒い蛇。くわあ、と開かれた口には巨大な牙。そして牙の先から滴る毒液。 硬い鱗を持った蛇たちが地面を這う。 ズズズ……ズズズ……。 この音……! 僕は気づいた。蛇の鱗が岩に擦れる音。これは昨夜聞いた音と同じ。 あれは何かを引き摺った音じゃなく、無数の蛇が、岩壁に開いた隙間を潜った音だったんだ。 ラシュ

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     僕たちは光の雨粒に打たれた白骨遺体を見つめていた。人間の形を保ってはいるものの、ところどころ損傷が目立つ。とりわけ頭蓋骨は縦に真っ二つに割れていて、致命傷の跡なのか白骨化後の傷なのかは知れないが、異様だった。  骨の表面には、雨水や泥の跡がうっすらと残っている。 そして絡みつく、僕が放った絶対拘束《トータル・フェター》の蛇。その意味するところはつまり、「これは囚人の――死刑囚の遺骨です」「誰なんだよ」 とネイヴァン。「わかりません。でもラシュトの部屋の奥にあったんですから、ラシュトの知り合いなのでは?」「うーむ……でもあいつ、他の死刑囚とつるむようなタイプか? 殺しちまいそうだろ」「知らないですよ」「あ、そうだ。これは聞いた話だが、人間の遺体が雨風に晒された状態で完全に白骨化するには、少なくとも一年かかるらしいぜ。となれば、この遺体は一年以上前にこの島へ送られた囚人のものだ」「そんなの、数えきれないほどいます」「だよなぁ。……新人君、識嚥《シエ》で食ってみろよ。それでわかるだろ」「嫌ですよ! 冗談じゃない!」 この男はなんてことを言うんだ。 エルドリスが小さくため息をついた。「断られるに決まってるだろ。頭を使え、ネイヴァン・ルーガス」「なんだよエリィ。じゃあ他に方法があるっていうのか?」「だから頭を使えと言っている。これまでの情報を総合的に考えてみるんだ。まず、この場所はラシュトのねぐらの奥にあって、ここに繋がる通路は岩壁によって遮断されていた。だが完全な遮断ではなかった。岩壁には隙間があったし、ここの天井にも隙間がある」「それが何なんだよ」 次に、とエルドリスはネイヴァンの問いかけを無視して続けた。

  • 生きた魔モノの開き方   27殺目:快楽殺人者の憂鬱

     頭が重い。手足が思うように動かない。体が痛い。 目を開けると、冷たい岩肌の床が視界に入り、その先に、赤々と燃える焚き火が見えた。「おはよう、怖いお兄さん」 楽しげな声が降ってくる。 顔を動かして声のした方を見ると、ラシュトが焚き火のそばに座り、金属製のナイフを弄んでいた。彼は木製のナイフしか持っていなかったはずなので、それは恐らくエルドリスの持ち物だろう。その唇の端は愉快そうに吊り上がっている。「あなたたちさ、昨夜食べたセフィアベリーと今朝食べたヴェルド、食べ合わせって考えたことある?」 唐突な問いかけを聞きながら、頭の中で警鐘が鳴り続けている。手足が動かないのは縛られているせいだ。しかも手は背中側で括られているため、身を起こす支えにもできない。 エルドリスとネイヴァンも目を覚ましていたようで、すぐそばで動く気配がする。「セフィアベリーはね、胃でなかなか消化されないんだ。だからひと晩経ったくらいじゃまだ、胃の中に残ってる。それで、ヴェルドと混ざると……さ、あっという間に有害成分に変わる。そうなると、人間は――」 ラシュトはそこで言葉を止め、ゆっくりと笑みを深めた。「――昏倒してぐっすり眠っちゃうんだよ」 ネイヴァンが舌打ちする。本当は悪態のひとつも吐きたいところだろうが、彼とて今、この不利な状況で少年を煽るリスクを考えないわけがない。 エルドリスも同様だった。いつもネイヴァン相手に流暢に飛び出す嫌味が今は鳴りを潜めている。だが、彼女の無念は僕ら以上だろう。調理人である彼女にとって、毒の生成に食べ合わせを使われること、そしてそれにまんまと引っかかってしまったことは、屈辱にも近いはず。「あなたたちは運が悪かった。でも逆に僕はものすごく幸運だ。い

  • 生きた魔モノの開き方   26喰目:グラングの塩焼きとヴェルドのハーフカット

     なんだ? どういうことだ? ラシュトはどこへ消えた? 僕はエルドリスとネイヴァンを起こし、事の顛末を二人へ伝えた。 ネイヴァンが点火魔法で焚き火に火をつけ、洞窟の中に鮮やかな視界が戻ってくる。僕たちは壁面を丹念に調べ始めた。叩いたり、押してみたり、突起に指をかけて引いてみたり。しかし――「特に変わったところはないな……」 ネイヴァンが首を水平に振る。壁面を構成する岩は、どれもただの岩でしかない。床も、下に抜け穴がないかと三人で調べてみたが、何も見つからなかった。 僕たちが調査を続けていると、外から小鳥の鳴き声が聞こえてきた。「朝か」 エルドリスは立ち上がると、部屋の入り口へ向かっていく。「どこへ行くんです? もう砂浜へ戻りましょう。ネイヴァンさん、転移魔法をお願いします」「少し待て、念のため洞窟の外を確認する」「確認って何を! エルドリス、待ってくださいっ」 僕は洞窟へ入っていくエルドリスを追った。エルドリスは歩きながら僕の質問に答える。「確認するのはあの部屋の外側だ。私たちはここに入ってくるとき、蔓に覆われた入り口しか見なかった」「それが何なんです?」「あの部屋――あの広い空間には外気が流れていたな。つまり、僅かだが外部と繋がっているということ。その繋がっている場所を外側から見れば、わかるかもしれない。内側を調べてもさっぱりだったが、子どもひとり通り抜けるだけの隙間の手がかりが。あくまで小さな可能性だが」「わかりました。じゃあ、洞窟の周囲をざっと見て、そしたら浜辺へ帰りましょう」「おいおい、新人君。なんだか妙に焦っちゃいねえか」 後ろから付いてきていたネイヴァンが飄々と言う。彼にはわから

  • 生きた魔モノの開き方   25食目:ノルクの干し肉とセフィアベリーのスープ

     ラシュトに導かれ、僕たちは洞窟の中へと入っていった。 ひんやりとした空気。足元の地面は剥き出しの岩肌で、場所によっては水滴で湿っていて滑りやすい。壁面には光る苔や菌類がまばらに張り付いており、それらが様々な色合いでぼんやりとした微光を放っていた。天井は標準的な成人男性の背丈ぎりぎりくらいの高さしかなく、長身のネイヴァンは常にかがみ気味で、何度も頭をぶつけそうになっている。 洞窟の奥へ進むほどに、湿気と冷気が増していく。水の滴る音がどこからかポチャン、ポチャンと反響する中、ラシュトは楽しそうな鼻歌を歌う。 やがて道が開け、僕たちは広々とした空間へと出た。 天井は高く、壁面は無数の岩が積み重なった形状をしている。その岩々の隙間から新鮮な外気が入り込み、ゆるやかな空気の流れを生み出していた。 中央には焚き火の跡があり、奥には乾いた枯草を敷いた簡素な寝床がある。物を入れる木箱や簡素な木の机、革袋のようなものまであり、それなりの生活を営んでいる様子が伺える。「ここが僕の部屋だよ。まあ、ちょっと狭いけど、十分だよね?」 ラシュトは振り返って、にこりと微笑む。「なかなか悪くないな」 エルドリスが周囲を見回しながら呟いた。「きみが一人でここを作ったのか?」 ネイヴァンが少し驚いたように尋ねると、ラシュトは得意げに頷いた。「そうさ。死刑囚島《タルタロメア》は危険だけど、こうしてちゃんと居場所を作れば生きていけるんだ。さあ、座って」 ラシュトの言葉に従い、僕たちは焚き火の跡の周囲に腰を下ろした。「さて、晩ご飯の準備をしようかな」 ラシュトは焚き火の残骸に火をつけ直し、部屋の端に置かれていた木箱から干し肉らしきもの

  • 生きた魔モノの開き方   24夜目:紅い魔モノの棲む処

    「おいおい、新人君、今なんて言った? 俺の聞き間違いか?」「聞き間違いじゃありません。彼はA級殺人犯です」 ネイヴァンは眉をひそめて、少年をまじまじと見つめる。しかし、見たところでわかるものでもない。囚人に、その罪状と等級ごとに刻まれる魔導印は、人道的な理由により監獄の監督官にしか見えないようになっている。「死刑囚島《タルタロメア》に送られた囚人の生き残りか」 エルドリスが冷静に呟いた。 そうでしかあり得ないと僕も思っているが、疑問は残る。「最後に死刑囚が送られたのは約一か月前です。仮に彼がそのときの死刑囚だとしても、一か月間この島で生き抜いたことになる。そんなのは前代未聞です。大抵は数日で魔物に襲われて命を落とします」 少年に注意を払いつつ小声で話していると、少年は突然にこりと微笑んだ。「ねぇ、あなたたちも死刑囚?」 不意に発せられた問いに、僕は思わず違うと答えそうになったが、その前にエルドリスが進み出て答えた。「そうだ」 僕はぎょっとして彼女の横顔を見る。その表情には何か思惑がありそうだった。 少年は興味深そうに僕たちを見つめながら、「罪状は?」「連続強盗殺人。三人ともグルだ」 少年の目が楽しげに輝いた。「へぇ! じゃあ僕と似たようなものだね」 それは笑顔で言う台詞か? 背筋にぞくりと寒気が走った。「僕はラシュト」 少年――ラシュトに促され、僕たちはエルドリスから順に名乗った。「ラシュト

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