Home / BL / 白い檻 / 21話

Share

21話

last update Last Updated: 2025-12-18 21:14:12

※暴力/脅迫/加害表現を含みます。

私の全身を舐め回すように見ていた〝笑い犬〟の視線が、あるところで止まった。

「──この髪、邪魔ですね。〝人形〟は、こんなに長くはなかった。いっそのこと、切ってしまいましょう」

ナイフの刃が、私の襟足にあてられた。

ビクリと、身体が電流に打たれたように反応する。

「い、嫌だっ……! やめろっ……!」

私はナイフを奪おうと手を伸ばした。

怪我することなど、一瞬たりとも頭に浮かばなかった。

ただ、守りたかった。

あの日、〝王様〟がここに優しく触れた──その記憶を。

「檻に戻れ! 〝笑い犬〟!」

突然、隣の部屋からドンッと壁を叩く音が響いた。

びくりと〝笑い犬〟の身体が痙攣し、信じられないものを見るかのように向かいの壁を凝視する。

「この声……まさか、〝王様〟……!? いや、そんなはずはない……貴方はあの治療で気を失って、二、三日は目を覚まさないって〝先生〟が……」

「そりゃ、残念だったな。お前の〝先生〟も、たまには間違うってことさ」

かすれたせせら笑いに、〝笑い犬〟の顔が赤く染まる。

だが、〝王様〟が苦しげに咳き込むと、彼はほっと息をついた。

「なんだ、やっぱり〝先生〟は正しかったようですね。驚かせないでください。気丈に振る舞っても無駄ですよ? 声が震えていますから」

「黙れ、〝笑い犬〟。無駄吠えしていないで、そろそろ自分の犬小屋に戻ったらどうだ?」

途切れ途切れではあったが、〝王様〟の声は自信と軽蔑に満ちていた。

「まさか、興奮しすぎて忘れたってわけじゃないよな? それなら教えてやろうか。お前の部屋は──」

「言うなっ……!」

〝笑い犬〟がギクリとして、下に横たわる私の方を見た。

「ふん。どうした? 〝笑い犬〟──いや、〇三番。お前の病室は俺の隣、〇三号室だろ?」

「……〇三番?」

私は〝笑い犬〟を見上げた。

相手の顔はみるみるうちに赤くなり、身体が小刻みに震え出す。

「それ以上、言うなっ……! この人に!」

「なぜだ? いつかわかることだろう?」

〝王様〟の声は冷ややかだった。

「お前が、人を痛めつけるのも、痛めつけられるのも大好きな、性的異常者だってことがな」

キーンと耳鳴りがするほどの静寂の中、〝王様〟の声だけが響く。

「お堅そうなフリをしたって無駄だ。『外』でさんざんイタズラをして、更生不可能の性犯罪者としてここに移送され
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 白い檻   32話

    私の頭の中で、〝先生〟の声が反響する。「ただ一つ、頭の良い君にも計算できなかったことがあった。それは──剥き出しになった〝王様〟の心を見て、君自身が彼に引きつけられてしまったことだ」ふっと、〝先生〟は子どもを見る父親のような微笑みを浮かべる。「でもね。僕は良かったと思っているよ。〝王様〟に感謝したいくらいだ。何をしても動かなかった〝人形〟の心を、彼は動かしてくれた。」コツコツと〝先生〟がモルタルの床を歩く音が近づいてくる。「おかげでようやく、僕は本命の研究を進めることができる。君の心の研究がね。〝王様〟のおかげで開き始めた君の心を、これからは僕がこじあけてあげよう」〝先生〟は私の前に立つと、指先で私の前髪をそっとかき分けた。そのまま、額に優しくキスを落とす。「さぁ〝人形〟。〝王様〟のところに行っておいで」驚愕に目を見開く私の瞳をのぞき込むように〝先生〟は言った。「僕は君と違って、心ある人間だ。今夜一晩は、君たちを二人きりにしてあげよう。最後の夜を、共に過ごすといい。その代わり、明日になったら──」間近にある〝先生〟の目が、緩やかな弧を描いた。「二人とも、お互いのことは忘れる。君は〝人形〟に戻り、〝王様〟は廃人になる。……これですべて一件落着だ」ようやく面倒なことが処理できると言わんばかりに〝先生〟はため息をつき、後ろの〝笑い犬〟に頷いてみせた。「連れていきなさい」「はい」やってきた〝笑い犬〟が、私の手をグンと引く。ガチャリと冷たい手錠が両手首にかけられた。私はされるがまま、大人しく従った。抵抗など、出来なかった。そんな力、もうどこにも残っていなかった。身体の中は空っぽで、さっきまで聞かされていた〝先生〟の言葉が、亡霊の囁きのようにひゅうひゅうと吹き抜けていく。(私が〝王様〟を……みんなを、ここに閉じ込めたのだ……)そのまま私は〝笑い

  • 白い檻   31話

    淡々とした〝先生〟の声が、まるで暗い波のように、胸の中へじわじわと迫ってくる。「激情を感じる心そのものがなければ、彼はもう怒りに囚われることなく、穏やかに過ごせる。それが、本人にとっても一番の幸せなんだ」ふっと大きくため息を吐き、〝先生〟は自らのこめかみを押さえた。「今の彼を見てごらん。疲弊し、絶望しきっている。荒れ狂う自分の心と戦うことに。今はただ、君を守るためにギリギリのラインを保っているようだけど、それがいつまで続くかわからない」彼は、ついっと視線を上げた。 その瞳には、慈悲ともいえる色が宿っている。「だから、君から言ってあげるんだ。もう、楽になっていいんだと。君が〝王様〟を解放してあげなさい、その身に荒れ狂う狂気から」私には、何も言い返すことができなかった。 昨日の〝王様〟の様子を見れば、〝先生〟の話も、あながち嘘だとは言い切れない。〝王様〟は気づいていたのだ。 遠からず、自らが狂気の嵐に飲み込まれてしまうことに。だから、逃げない。 あんなにも私には『逃げろ』と言っておきながら。(……もしかしたら、〝王様〟もそれを望んでいるのだろうか?)〝先生〟が与えてくれる何もない、真っ白な平穏を。──いや、違う。強い否定が、身体の奥底からせり上がってきた。昨日、暗い病室の中で、〝王様〟は言ったのだ。 自分自身を見失うなと。今なら、わかる。 きっとあれは、自分にも言い聞かせていた言葉だったのだ。私は、ギッと 〝先生〟を睨み付けた。「お願いだっ! 治療を中止してくれっ……! こんなの、あまりにも酷すぎるっ……!」 「酷すぎる? 君が言うのかい?」心外だと言わんばかりに 、〝先生〟は両手を肩の高さで広げた。「言っておくけど、ここに〝王様〟を連れてきたのは誰だ? 彼が服用していた薬を作ったのは? 電気治療を始めたのは? 一体、誰だと思う?」〝先生〟のひとさし指が、告発するようにこちらを指し示

  • 白い檻   30話

    〝先生〟が、後ろに向かって顎をしゃくる。「〝笑い犬〟。彼を保護棟に連れていってくれ」 「はい」〝笑い犬〟が 〝先生〟を追い越し、私に近づいてくる。 その手には、銀色の手錠が握られていた。私は反射的に後ろへ下がる。 背中がデスクにぶつかり、衝撃で一枚の写真がすべり落ちた。今よりもずっと健康的で精悍な顔立ちの〝王様〟。 その瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめていた。──逃げろ。 頭の奥に、彼の声が木霊する。「……ッ」私は咄嗟に身を低くし、勢いよく駆け出した。 〝笑い犬〟の手をすり抜け、〝先生〟の脇を抜けて、出口へと手を伸ばす。──あと少し、あと少しだ!「どこへ行くんです?」後ろからグンと腕を掴まれた。 瞬間、強い力で引き戻され、両手を後ろ手にねじられる。「まさか逃げられると思ったんですか?」嘲笑を含んだ〝笑い犬〟の吐息が、耳元に生ぬるくかかる。 ギリギリと、筋が引きちぎれそうなほど強く拘束され、喉からか細い悲鳴が漏れた。「……ッ!」 「抵抗してもいいですよ。私がこのあと保護室で可愛がってあげます。今まで貴方にやられた分、たっぷりとね」暗い笑い声に、ぞくりと背中の産毛が逆立つ。「そこまでにしなさい、〝笑い犬〟」ずっと傍観していた〝先生〟が、ようやく口を開いた。 その声音には、あくまで穏やかな調子が含まれている。「保護房には〝王様〟もいる。今日は、彼と二人っきりにしてあげなさい」一瞬、彼の目が私を捉える。 その瞳には、労りとも哀れみともつかぬ感情が浮かんでいた。「彼らは一度、心を通わせた者同士だ。最後に、つもる話もあるだろう?」あくまでも冷静な〝先生〟の声音が、余計に私の不安をかき立てた。「あぁ、そうだ」〝先生〟がわざとらしく、思い出したように口を開いた。

  • 白い檻   29話

    〝笑い犬〟は、無表情のまま〝先生〟の背後に立ち、影のようにぴたりと寄り添う。「彼は、僕の忠実な部下でね。——いや、一番忠実なのは、〝ご主人様〟である君に対してかな」 〝笑い犬〟と〝先生〟に視線を向けながら、私は額をつたって流れる冷たい汗を感じた。「ご主人様って……」答えたのは〝先生〟だった。「君は、彼にとっての絶対者だった。痛みと快楽、恐怖と崇拝──君が与えるあらゆる刺激は、彼にとっては至上の喜びだったんだ」〝先生〟の語り口が、わずかに嘲弄を帯びる。「カルテにも書いてあるけど、〝笑い犬〟は重度の異常性欲者だ。サディズム、マゾヒズム、果てはネクロフィリアにまで及ぶ倒錯の持ち主でね」〝先生〟は、口にするのも憚られるかのように言った。「レイプ、墓荒らし、あらゆる犯罪で警察に目をつけられていた彼を、更生できずに手を焼いた警察が、最後に行きついたのが……この病院さ」思わず後ずさる私を見て、〝先生〟は楽しげに肩をすくめた。「彼は、ここに来るや否や君に夢中になった。君から受ける〝実験〟にすっかり虜になって──いや、正確には、君自身の虜になっていったのさ。美しく、非道、それでいて無垢な君の事を、次第に目で追いかけるようになっていった」ちらりと後ろの〝笑い犬〟を見やってから、〝先生〟はにこやかに——しかし、より不穏に続けた。「だから僕は、彼の観察を通して君の変化に気づくことができた。そう、君がある人物にだけ、心を動かしたあの時に──」 「……あの時……?」問い返す声が、かすれた。 自分の声が、まるで針のように喉をひりつかせる。〝先生〟は、静かに頷く。「そう。どんな刺激にも反応しなかった〝人形〟だった君が──ただ一人にだけ、関心を抱いた」〝先生〟は手術台に近づき、指先で冷たい縁を撫でながら囁くように言った。「もうわかっているだろう? 〝王様〟さ」その名を聞いた瞬間、胸の奥がきゅっと絞られた。

  • 白い檻   28話

    無意識に私は、足を引いた。 〝先生〟の声が、冷たい部屋の中で、ぐわんぐわんと反響する。「僕は君のことを、もっと知りたい。君は、魂の謎に最も近いところにいる存在だ。脳機能に異常がないにもかかわらず、感情が乏しい君は、魂に何らかの異常を抱えていると言える」そう言って、〝先生〟は胸の前で両手を広げた。「つまり、その異常を解き明かせば、おのずと魂の輪郭も浮かび上がってくるはずだ」熱っぽい〝先生〟の視線が、次第に狂気を帯びていき、蛍光灯の下でギラギラと光った。「最初はね、君の心を解き明かそうとしたんだ。どんな状況に追い込めば、何を与えれば、君は心を動かすのか。そして、あらゆる刺激を与えてみた。君は文句ひとつ言わず、すべてに従ってくれた」私は、はっと自分の手首へと視線をやった。 そこに走った幾筋の傷跡。(……私は、何をされてきたんだ?)その間にも、〝先生〟の話は続く。「でも結局……失敗だった。君の感情は、どんな刺激にも一ミリたりとも揺れなかった」〝先生〟は悔しそうに瞼を伏せ、わずかな間を置いてから、ふっとそれを上げた。「だから僕は考えた。君を通して〝魂〟を探るためには──まずは、君以外の存在を実験対象にするしかないと」その言葉に、私はパッと視線をあげた。「それが、この病院だったというわけだよ」〝先生〟は、ゆっくりと辺りを見回した。「君が手伝ってくれた論文のおかげで、僕はこの分野の第一人者となり、そしてこの病院を買った。ここを、僕の〝魂の研究〟のための一大実験場にするためにね」 「……一大実験場……」先ほどから、馬鹿みたいに〝先生〟の言葉を繰り返すことしかできなかった。「あぁ。刑務所、病院、家庭──どこにも居場所のなかった〝異常者〟たちを、この閉鎖病棟に集めて、君と同じように、彼らにも実験をしたんだよ」ぐっと低くなった声が、私の耳の中にこだまする。「どこまで追い込めば心が動くのか。そして──

  • 白い檻   27話

    足元から悪寒がせり上がってくる。 〝さかさま〟や〝笑い犬〟に言われてきた言葉たちが、ぐるぐると竜巻のように頭を襲った。「君は、実験を次々と進めていった。まるでロボットのように正確に、冷酷とも言える大胆さで」〝先生〟の言葉に吸い込まれるように、私はただ彼を見つめ返すことしかできなかった。「君には感情がない。それが、この研究には都合がよかった。なぜなら、人の精神を壊すには、良心など邪魔なだけだからね」 「精神を、壊す……?」その言葉に、胸の奥がぐらりと揺れた。 無意識に、私は一歩、後ろへ下がっていた。「〝先生〟……貴方の研究って、一体……」ようやく、と言わんばかりに〝先生〟が微笑んだ。「魂の研究だよ」その言葉は、冷たい治療室に不気味な反響を残した。 チカチカと蛍光灯の人工的な光が、応えるように点滅する。「僕はね、幼い頃からずっと不思議で仕方なかったんだ。〝心〟って、一体どこにあるんだろう、とね」〝先生〟の声は、どこまでも穏やかで、聞く者の心を落ち着かせる。 だが、その口から紡がれる言葉は、不穏な影を孕んでいた。「人は〝心〟と言えば胸を指す。でも、そこにあるのはただの臓器──血液を送るポンプ、心臓だ。なら本当の〝心〟はどこにある? 答えは簡単だよ。脳さ」そう言って、〝先生〟は自分のこめかみを指さす。「脳で起こる電気信号こそが、感情の正体だ。愛、憎しみ、悲しみ、快楽、感動……そのすべては、ただの化学反応に過ぎない」トントンと、こめかみを指で打つ音がかすかに響く。「人は〝精神〟と聞くと美しく神秘的な何かを想像するが、実際には心もまた、生理的な現象にすぎないんだ」言葉の端々に、冷徹な確信がにじんでいた。「だから当然、肉体が死ねば、心も消えてなくなる。それが科学の答えさ。──だけど、君と出会って、僕は変わったんだ」それまで淡々としていた 〝先生〟の口調が、突然、恋人に囁くような甘いものに

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status