私はそのことばを聞いて、思わず笑いそうになった。何が「うそ」なの?わざわざ彼を怒らせるために、私が役者でも雇ったって言いたいの?そんなこと、どうだっていい。彼が何を思おうと、私には関係ない。でも、心のどこかでほんの少しだけ、疑問が浮かんだ。前に付き合っていたころ、冬翔はいつもどこか冷たかった。私がどんなに想っても、全然変わらなかった。あのとき、本気で思った。彼の心って、石みたいなんじゃないかって。どれだけあたためても、全然ぬくもりが返ってこなかった。そしてーー夏蓮があらわれた。あのとき初めて知った。冬翔にも、誰かにやさしくできる心があるんだって。だから、私は身を引いた。ふたりを応援する道を選んだ。なのに今、この態度はなに?まるで、私に未練があるかのような目。たしかに、夏蓮は病気で亡くなった。でも、だからって私に近づいてくるなんて、おかしいよね。「ごめんね、悠斗は私の正式な婚約者なの」「結婚式は今月の十八日。もう十日しかないの」ひとことひとことが、まるで雷のように冬翔の耳に響いた。彼の目はあっという間に赤くなって、現実を受け入れられない様子だった。好きな女の子が、ほかの男と結婚するなんて、簡単には飲み込めなかった。でも、私はもう感情を引きずるつもりなんてなかった。どうして、関係ないひとりのせいで、今日のたのしい歓迎会が台なしにされなきゃいけないの?私はみんなを呼んで、別の場所にうつることにした。その場を通りすぎようとしたとき、冬翔は無意識に手を伸ばして、私の服のすそをつかんだ。だけど、もうそこに何の感情もなかった私は、ためらうことなくその手をふりはらって、悠斗の手をしっかり握り、その場を後にした。冬翔は、一人、ぼんやりと立ち尽くしたまま、私たちの背中を見つめることしかできなかった。車に乗ったあと、悠斗はすぐに私を抱いていた手を離して、腕を組み、少し距離を取ってそっぽを向いた。私は吹き出してしまった。ああ、嫉妬してるんだなって、すぐに分かった。そういえば、誰かが自分のためにやきもちを焼いてくれるなんて、初めてのことかもしれない。昔、冬翔と付き合い始めたころ、彼の態度はずっと変わらなかった。だから、やきもちを焼かせれば少しは気にしてもらえるんじゃないかと思った。わざと男友だちと
両親も、困った顔をして横に座っていた。二年前、私は結婚式をキャンセルする決断をしたけれど、その本当の理由は伝えていなかった。研究を続けたいと言っただけだった。そのため、両親には、結婚式をキャンセルした責任は自分たちにあると思われていた。彼らはずっと、冬翔が私に対してあまり深い気持ちを持っていないと思っていたけれど、それでもやっぱり、冬翔には申し訳なく感じていた。この二年間、私が家に帰ってこなかったにもかかわらず、冬翔は定期的に家の下を通っていた。上の階に来て私の家に寄ることはなかったけれど、両親は彼が私を探しに来ていることをなんとなく感じ取っていた。特に半年くらい前から、ほぼ二日に一度は通っていた。両親は、何度も彼に来ないようにと説得していた。結局、私が結婚式をキャンセルしたとき、私は非常に決意を固めていたからだ。そして、今は私が研究室にいるので、家に帰ってくることはない。彼が家の下で待っていても、意味がない。それでも、この二年間、冬翔の執着を見守ってきた父と母は、彼に対する冷たい印象が少しだけ改善された。実際、両親は、もし私が帰ったらもう一度説得しようと思っていたこともあった。結局、私と冬翔は五年間も一緒にいたから、結婚式の日も近いはずだと思っていた。だけど、私が帰ってきたと聞いたとき、私にはもう婚約者がいることを知り、今回結婚式を挙げる予定だとも分かった。ふたりは心の中で複雑な思いを抱え、冬翔に対して申し訳ない気持ちを感じていた。午後、冬翔が家を訪れたとき、両親は、彼が私が帰ってきたことをもう知っていることを理解していた。両親は、今こそすべてをはっきりさせてもらおうと考えていた。これで冬翔も諦めるだろうと。冬翔は私が帰ってきたのを見て、目を輝かせて、すぐに立ち上がった。しかし、私は頭が痛くなった。まさか、冬翔が家まで追いかけてくるなんて思ってもみなかった。前に、彼は年長者と関わるのが嫌いだと言っていたのに、今になって家まで来て、何をしたいんだろう?両親は私を脇に引き寄せ、この二年間のことを簡単に話してくれた。二年間、冬翔がずっと私を探していたということを聞いて、私は信じられなかった。もし両親が話していなかったら、私はきっと信じなかっただろう。私の中では、冬翔はもう私のことが好
私が答える前に、冬翔の表情がすぐに強く変わった。「説明できるんだ、あの時は夏蓮が俺の命を救ってくれたと思ってたんだ。俺には何の気持ちもなかったし、俺と夏蓮の間には何もなかった」「君が去った後、君が去った後、気づいたんだ。実は」冬翔は涙がこぼれそうになりながら、しばらく言葉を詰まらせていた。やっと心を落ち着けた彼は、続けて言った。「六年前のお正月の夜、助けてくれたのは君だったんだ、ずっと間違えてた」冬翔は涙で赤くなった目で私を見つめ、その目には後悔、罪悪感、焦り、そして隠れた期待が込められていた。彼は、私が真実を知ったら、彼を許して、二人が再び仲良くなることを期待していた。残念ながら、彼の思惑は外れた。冬翔が言っていた命の恩人が、六年前のお正月の夜のことだと知った時、私は確かに驚いた。あの時、冬翔が初めて夏蓮を私に紹介した時、いつ彼を助けたのかなんて言っていなかった。そしてその年、私は病院から目を覚ました後、その夜のことを冬翔の前で話したくなかった。これが誤解の始まりだったのだ。今でも、過去をすっかり忘れていた私は、運命のいたずらに驚かされる。冬翔は私が何も言わないのを見て、慎重に言葉を続けた。「柚希、あの時の子供、夏蓮に生ませなかったんだ、もう堕ろしたんだ。今、俺は間違えてたって気づいた。俺たちは戻れるのか?」冬翔の言葉が私の思考を現実に引き戻した。私は迷わず首を振った。「無理だよ」冬翔の顔は一瞬で青ざめ、目を伏せた。その決然とした言葉が、彼の中にわずかに残っていた希望を完全に砕いてしまった。彼は二年間私を待ち続けていたが、この結末が待っていたとは思っていなかった。彼は、私が永遠に彼を愛し続けると信じていたのだ。冬翔は震える声で私を見つめ、聞いた。「どうして?俺は君が好きだよ」冬翔の執拗な態度を見て、私は昔、彼と付き合っていた時の自分を思い出した。確かに、彼は私にプレゼントをくれることはなかった。他の男の子たちのように、私との関係を大切にしてくれることはなかった。「愛してる」とも言ったことはなかった。それでも、当時の私は固く信じていた。冬翔の心には私がいるはずだと。そうでなければ、どうして私と付き合うなんて言ってくれたのか。それは、ただ彼の性格が冷たかった
冬翔は、なぜそんな質問をしたのか理解できなかった。私は話を続けた。「好きだったって言うけど、どうして誕生日にプレゼント一つくれたことがないの?どうして一緒に旅行に行こうって言ってくれなかったの?どうして他の女を妊娠させたのに、私とウエディングフォトまで撮ったの?」「私だって心がある。痛みだって感じる」「もしそれがあなたの好きなら、ごめん、そんなものいらない」私が一言言うたびに、冬翔の顔色はどんどん青ざめていった。過去の記憶が、彼の脳裏に次々とよみがえる。言い返そうとしても、どこを探しても反論できる記憶は見つからない。どれもこれも、まさに私の言った通りだった。最後に冬翔は、夏蓮の話題にすがるようにして呟いた。「俺が夏蓮に優しくしたのは、助けてくれた人だと思い込んでたからで……もし最初から君だってわかってたら、そんなこと」「もういい」私は彼の言葉を遮った。彼は、問題の核心が夏蓮の存在だけにあると思っているのだろうか?二年経っても、彼はまだ私たちの問題の本質に気づいていなかった。「夏蓮じゃなくても、他に夏蓮がいたでしょ。ユカでもマイでも、誰でもよかったのよ」「仮に本当に命の恩人だったとしても、感謝を伝える方法なんていくらでもあるのに、なんで全部一人で背負おうとするの?」「今のあなたが引きずっているのは、二十年も私に追いかけられてきて、私が去ったことが悔しいだけ」「もう探さないで。きれいに終わろう」そう言い終えて、私は彼を家から追い出した。冬翔は、ぼんやりとしたまま自分の部屋へ戻った。ーーただの悔しさなのか?彼にはもうわからなかった。だけど、ふと脳裏に浮かぶのは、あの日の記憶。「付き合ってほしい」と彼が言ったとき、私の顔は真っ赤になって、どもりながら「罰ゲームでもしてるの?」と聞いてきた。本気だと伝えると、顔が一気に輝き、彼に気づかれないように小さく勝利のサインをしていた。あれが、彼らの五年間にわたる日々の始まりだった。その五年の間、私が彼に注いでくれた想いは、確かに届いていた。彼は、別れを考えたことなど一度もなかった。プロポーズを受けたときも、本気で一生を共にしたいと思っていた。だが今日、初めて気づかされた。五年間、彼は一度も自分から愛を表現してこな
予想していた痛みは、思ったよりも早く現れなかった。私は慌てて振り返ると、冬翔がその背後に立っているのが見えた。彼はお腹を押さえていて、見る見るうちに顔色が悪くなっていった。手で押さえているところからは、どんどん血が流れ出していた。冬翔が今にも倒れそうになるのを見て、私は急いで彼を支えながら、もう一方の手でとっさに119番へ電話をかけた。冬翔の意識はぼんやりしていて、激しい痛みが全身を支配していた。まさか、こんなにも痛いなんて。あの時、私もきっと同じような痛みを感じたんだろう。なんとか目を開けた冬翔は、私の焦った顔を見て、ふっと微笑んだ。でもすぐに、お腹の傷がまた痛みだして、彼は苦しそうに顔をゆがめた。私はとにかく血を止めることしか考えられなかった。傷口に手を当てながら、必死に叫んだ。「頑張って、冬翔、眠っちゃだめ」「すぐお医者さん来るから、絶対に耐えて」冬翔が意識を失いかけたそのとき、遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。救急隊はすぐに彼を運び出し、血を止めながら病院に連絡し、緊急手術の準備を始めた。冬翔は私の方を見ながら、私が動揺しているのを感じたのか、そのまま意識を失ってしまった。三時間にも及ぶ手術のあと、冬翔の容体は安定した。医師は言った。「あの一撃は命に関わるほどではなかったけれど、かなり深く刺さっていたから、出血がひどかった」と。私はほっとして、どっと力が抜けてその場に座り込んだ。病室に目をやると、まだ意識を取り戻していない冬翔の顔が見えた。胸の中は複雑で、どうしていいかわからなかった。まさか、冬翔が私を守ろうとして命をかけるなんて思わなかった。もしかして、ずっと私のことを追いかけてたの?昨日、あんなにはっきり言ったのに、どうして彼は……心の中にはたくさんの疑問が渦巻いていたけど、冬翔がまだ目を覚まさないので、その思いをそっとしまい込んだ。冬翔の両親も病院に駆けつけてきた。彼らは、元気だった冬翔が今こうしてベッドに横たわっている姿を見て、涙をこらえきれなかった。あのとき私が結婚式の日に突然姿を消したことが、冬翔がずっと立ち直れなかった理由のひとつになっていた。そして、たった数日しか経っていない今、またこんなことが起きれば、私に対して怒りが湧くのも無理は
冬翔は弱々しく口元を引きつらせた。「……あるさ、十分に」「君が俺を助けた時も、きっとこんなふうに痛かったんだろうな」私は、話すのもつらそうな冬翔の様子を見て、思わず言葉を止めようとした。でも、冬翔は首を横に振って、ゆっくりと、でもしっかりした声で話し始めた。「つきまとってたわけじゃないんだ。ただ……昨日の君の言葉を聞いて、ずっと考えてた。やっと気づいたんだよ」「俺、これまでずっと、君の気持ちに甘えてただけだったんだ」「今日は、それをちゃんと伝えたくて来たんだ。……後悔してるって」「どう言えばいいかわからなくて、ずっと迷ってた。でも、まさかあんなふうに君が襲われるなんて……その時、頭に浮かんだのは一つだけ。君だけは、絶対に傷つけたくなかった」私は驚いていた。数年前なら、きっとこの言葉に胸が締めつけられただろう。でも今は、もう違う。私の中にあるのは、冬翔への「愛情」ではなく、ただの「感謝」だけだった。冬翔は、私の沈黙を見て、すべてを悟った。でも、ほんのわずかな望みを捨てきれずに、もう一度口を開いた。「もし、夏蓮がいなかったら……俺たち、うまくいってたと思う?」私はそっと首を横に振った。「……無理だったよ」夏蓮はきっかけに過ぎなかった。五年のあいだ、冬翔の冷たい態度が少しずつ、でも確実に私の心を削っていった。たとえ結婚していたとしても、冬翔は自分の態度がどれだけ私を傷つけていたか、気づけなかったはずだ。そのままなら、いずれ壊れていた。だからこそ、夏蓮の存在はむしろ、ふたりにとって救いだったのかもしれない。早く別れたことで、お互いに深い傷を負わずに済んだから。冬翔は、もう元には戻れないことを理解した。しばらく黙ったあと、彼は口を開いた。「君の婚約者に……会わせてもらえないかな?」思いがけない申し出に私は一瞬戸惑ったが、すぐに答えた。「……君がいいって言うなら、構わないよ」悠斗にそのことを話すと、彼もすぐに快くうなずいてくれた。後日、悠斗が病室に入ってくると、そっとドアを閉めて、ふたりきりの空間を作った。冬翔は、目の前の男を見て、不思議と妬みではなく、憧れのような気持ちを覚えた。この男が、これから私と一緒に人生を歩いていくんだ。悠斗は、冬翔の腹に巻か
私は承諾し、その夜、招待状と引き出物のお菓子を人を通じて彼に送った。冬翔はキャンディをひとつ取り出し、ゆっくりと口に入れた。ーー甘いって、こんな感じだったっけ。結婚式当日、浜城市の会場にはたくさんのゲストが集まっていた。休暇中の教授や研究室の仲間たちまで駆けつけてくれた。教授は悠斗の肩を軽く叩きながら、にこやかに言った。「まさか君が篠原とゴールインするとはね、やるじゃないか」同僚たちも冗談まじりに冷やかしていた。私は隣に立つ黒いスーツ姿の彼を見つめながら、胸いっぱいに広がる幸せと満たされた気持ちを噛みしめていた。悠斗と出会って、ようやく隠さずに愛せるってことを知ったんだ。式が始まり、私は父に手を引かれながら、バージンロードを一歩一歩進んでいった。父は私の手を、そっと悠斗の手に託した。「娘を、よろしく頼むよ」悠斗はまっすぐに父を見て、しっかりとうなずいた。「大丈夫です。命を懸けて、彼女を守ります」そして、誓いの言葉、指輪の交換、キス。会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。誰もがこの新しいふたりの門出を心から祝ってくれていた。会場の片隅で、冬翔もまた拍手を送っていた。まばたきもせず、私をじっと見つめながらーーふと、二年前の、あの消えてしまった結婚式の記憶がよみがえる。あのときの私も、きっと全力で式の準備を進めてたんだろう。ウェディングプラン、ドレス、披露宴ーー何度も比べて、やっとひとつずつ決めていったに違いない。それなのに、すべてをキャンセルする決断をした瞬間、私はどれだけ苦しかったんだろう。そう思うと、胸が詰まって、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいになる。今、私はちゃんと幸せを見つけた。ーーだから、心から祝福しなくちゃいけないんだ。冬翔はそっと目を閉じた。目尻を一筋の涙が伝った。式が終わったあと、私は来賓へのあいさつで忙しく動き回っていた。ようやく夜になって、席について一息つこうとしたところで、日和がちょっと困ったような顔で封筒を差し出してきた。「……これ、冬翔が渡してくれって。あと、結婚おめでとうだってさ」そう言って、日和は私の肩をぽんと叩いてその場を離れた。そのとき、ようやく思い出した。ーーそういえば昨日、冬翔は結婚式に来るって言ってたのに、今日は
「何度も言ったけど、夏蓮はガンで、余命はあと一年しかない。彼女の一番の願いは、家族に子どもを残すことなんだ。彼女は昔、命を懸けて俺を助けてくれた。だから、今度は俺が彼女の願いを叶える番なんだ」この一ヶ月で、何百回もこの言い訳を聞かされた。最初に朝倉冬翔(あさくら とうしょう)がこの話を切り出したとき、私は一瞬も迷わず拒否した。けれど彼は諦めず、ほぼ毎日のように同じ話を繰り返した。彼の態度も変わっていった。最初は私の気持ちを伺うように話していたのに、今では自信満々に、私を責め立てるようになった。まるで、私が同意しないことが「酷いこと」であるかのように。でも……命の恩人だからって、子どもで返そうなんて、そんなのありえないよ。一ヶ月もの間、彼と争い続けて、私はもう心も体も限界だった。彼を説得しようという気力も残っていない。私は、五年間想い続けた人に向けて、声を震わせながら問いかけた。「冬翔……来月、私たち結婚するんだよね?でも今、あなたは別の女性と子どもを作ろうとしてる。私は……私は一体、何なの?」冬翔は、私がこんなに落ち込んだ顔を見せたのは初めてだったのかもしれない。まるで暗い空に包まれたように、彼の目も少し曇っていた。彼は、わずかにトーンを落として言った。「柚希……つらいのはわかってる。でも、夏蓮を助けられるのは俺しかいないんだ。何もせずに後悔させたくない」「それに……人工授精なんだ。それだけで、体の関係なんて一切ない」「君が俺を愛してくれてるなら……理解してくれると信じてた」その瞬間、心が真っ暗な底に落ちていく感じだった。ああ……冬翔はもう、とっくに決めていたんだ。どんな形でも、桐島夏蓮(きりしま かれん)と子どもを残すって。私の気持ちなんて、最初から眼中になかったんだ。冬翔はまだ何かを言おうとしたが、その時、携帯の着信音が鳴り響いた。彼は画面を一瞥し、携帯を手に持ってベランダへと向かった。彼の背中を見ながら、思わず苦笑いしてしまった。私と冬翔は幼なじみで、小学校からずっと同じクラスで、大学も同じだった。子どもの頃から彼のことが好きで、ずっとそばにいたけれど、彼がそれに応えてくれたことは一度もなかった。 大学を卒業する頃に私の気持ちに気づいて、ついに彼氏になってくれた。本
私は承諾し、その夜、招待状と引き出物のお菓子を人を通じて彼に送った。冬翔はキャンディをひとつ取り出し、ゆっくりと口に入れた。ーー甘いって、こんな感じだったっけ。結婚式当日、浜城市の会場にはたくさんのゲストが集まっていた。休暇中の教授や研究室の仲間たちまで駆けつけてくれた。教授は悠斗の肩を軽く叩きながら、にこやかに言った。「まさか君が篠原とゴールインするとはね、やるじゃないか」同僚たちも冗談まじりに冷やかしていた。私は隣に立つ黒いスーツ姿の彼を見つめながら、胸いっぱいに広がる幸せと満たされた気持ちを噛みしめていた。悠斗と出会って、ようやく隠さずに愛せるってことを知ったんだ。式が始まり、私は父に手を引かれながら、バージンロードを一歩一歩進んでいった。父は私の手を、そっと悠斗の手に託した。「娘を、よろしく頼むよ」悠斗はまっすぐに父を見て、しっかりとうなずいた。「大丈夫です。命を懸けて、彼女を守ります」そして、誓いの言葉、指輪の交換、キス。会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。誰もがこの新しいふたりの門出を心から祝ってくれていた。会場の片隅で、冬翔もまた拍手を送っていた。まばたきもせず、私をじっと見つめながらーーふと、二年前の、あの消えてしまった結婚式の記憶がよみがえる。あのときの私も、きっと全力で式の準備を進めてたんだろう。ウェディングプラン、ドレス、披露宴ーー何度も比べて、やっとひとつずつ決めていったに違いない。それなのに、すべてをキャンセルする決断をした瞬間、私はどれだけ苦しかったんだろう。そう思うと、胸が詰まって、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいになる。今、私はちゃんと幸せを見つけた。ーーだから、心から祝福しなくちゃいけないんだ。冬翔はそっと目を閉じた。目尻を一筋の涙が伝った。式が終わったあと、私は来賓へのあいさつで忙しく動き回っていた。ようやく夜になって、席について一息つこうとしたところで、日和がちょっと困ったような顔で封筒を差し出してきた。「……これ、冬翔が渡してくれって。あと、結婚おめでとうだってさ」そう言って、日和は私の肩をぽんと叩いてその場を離れた。そのとき、ようやく思い出した。ーーそういえば昨日、冬翔は結婚式に来るって言ってたのに、今日は
冬翔は弱々しく口元を引きつらせた。「……あるさ、十分に」「君が俺を助けた時も、きっとこんなふうに痛かったんだろうな」私は、話すのもつらそうな冬翔の様子を見て、思わず言葉を止めようとした。でも、冬翔は首を横に振って、ゆっくりと、でもしっかりした声で話し始めた。「つきまとってたわけじゃないんだ。ただ……昨日の君の言葉を聞いて、ずっと考えてた。やっと気づいたんだよ」「俺、これまでずっと、君の気持ちに甘えてただけだったんだ」「今日は、それをちゃんと伝えたくて来たんだ。……後悔してるって」「どう言えばいいかわからなくて、ずっと迷ってた。でも、まさかあんなふうに君が襲われるなんて……その時、頭に浮かんだのは一つだけ。君だけは、絶対に傷つけたくなかった」私は驚いていた。数年前なら、きっとこの言葉に胸が締めつけられただろう。でも今は、もう違う。私の中にあるのは、冬翔への「愛情」ではなく、ただの「感謝」だけだった。冬翔は、私の沈黙を見て、すべてを悟った。でも、ほんのわずかな望みを捨てきれずに、もう一度口を開いた。「もし、夏蓮がいなかったら……俺たち、うまくいってたと思う?」私はそっと首を横に振った。「……無理だったよ」夏蓮はきっかけに過ぎなかった。五年のあいだ、冬翔の冷たい態度が少しずつ、でも確実に私の心を削っていった。たとえ結婚していたとしても、冬翔は自分の態度がどれだけ私を傷つけていたか、気づけなかったはずだ。そのままなら、いずれ壊れていた。だからこそ、夏蓮の存在はむしろ、ふたりにとって救いだったのかもしれない。早く別れたことで、お互いに深い傷を負わずに済んだから。冬翔は、もう元には戻れないことを理解した。しばらく黙ったあと、彼は口を開いた。「君の婚約者に……会わせてもらえないかな?」思いがけない申し出に私は一瞬戸惑ったが、すぐに答えた。「……君がいいって言うなら、構わないよ」悠斗にそのことを話すと、彼もすぐに快くうなずいてくれた。後日、悠斗が病室に入ってくると、そっとドアを閉めて、ふたりきりの空間を作った。冬翔は、目の前の男を見て、不思議と妬みではなく、憧れのような気持ちを覚えた。この男が、これから私と一緒に人生を歩いていくんだ。悠斗は、冬翔の腹に巻か
予想していた痛みは、思ったよりも早く現れなかった。私は慌てて振り返ると、冬翔がその背後に立っているのが見えた。彼はお腹を押さえていて、見る見るうちに顔色が悪くなっていった。手で押さえているところからは、どんどん血が流れ出していた。冬翔が今にも倒れそうになるのを見て、私は急いで彼を支えながら、もう一方の手でとっさに119番へ電話をかけた。冬翔の意識はぼんやりしていて、激しい痛みが全身を支配していた。まさか、こんなにも痛いなんて。あの時、私もきっと同じような痛みを感じたんだろう。なんとか目を開けた冬翔は、私の焦った顔を見て、ふっと微笑んだ。でもすぐに、お腹の傷がまた痛みだして、彼は苦しそうに顔をゆがめた。私はとにかく血を止めることしか考えられなかった。傷口に手を当てながら、必死に叫んだ。「頑張って、冬翔、眠っちゃだめ」「すぐお医者さん来るから、絶対に耐えて」冬翔が意識を失いかけたそのとき、遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。救急隊はすぐに彼を運び出し、血を止めながら病院に連絡し、緊急手術の準備を始めた。冬翔は私の方を見ながら、私が動揺しているのを感じたのか、そのまま意識を失ってしまった。三時間にも及ぶ手術のあと、冬翔の容体は安定した。医師は言った。「あの一撃は命に関わるほどではなかったけれど、かなり深く刺さっていたから、出血がひどかった」と。私はほっとして、どっと力が抜けてその場に座り込んだ。病室に目をやると、まだ意識を取り戻していない冬翔の顔が見えた。胸の中は複雑で、どうしていいかわからなかった。まさか、冬翔が私を守ろうとして命をかけるなんて思わなかった。もしかして、ずっと私のことを追いかけてたの?昨日、あんなにはっきり言ったのに、どうして彼は……心の中にはたくさんの疑問が渦巻いていたけど、冬翔がまだ目を覚まさないので、その思いをそっとしまい込んだ。冬翔の両親も病院に駆けつけてきた。彼らは、元気だった冬翔が今こうしてベッドに横たわっている姿を見て、涙をこらえきれなかった。あのとき私が結婚式の日に突然姿を消したことが、冬翔がずっと立ち直れなかった理由のひとつになっていた。そして、たった数日しか経っていない今、またこんなことが起きれば、私に対して怒りが湧くのも無理は
冬翔は、なぜそんな質問をしたのか理解できなかった。私は話を続けた。「好きだったって言うけど、どうして誕生日にプレゼント一つくれたことがないの?どうして一緒に旅行に行こうって言ってくれなかったの?どうして他の女を妊娠させたのに、私とウエディングフォトまで撮ったの?」「私だって心がある。痛みだって感じる」「もしそれがあなたの好きなら、ごめん、そんなものいらない」私が一言言うたびに、冬翔の顔色はどんどん青ざめていった。過去の記憶が、彼の脳裏に次々とよみがえる。言い返そうとしても、どこを探しても反論できる記憶は見つからない。どれもこれも、まさに私の言った通りだった。最後に冬翔は、夏蓮の話題にすがるようにして呟いた。「俺が夏蓮に優しくしたのは、助けてくれた人だと思い込んでたからで……もし最初から君だってわかってたら、そんなこと」「もういい」私は彼の言葉を遮った。彼は、問題の核心が夏蓮の存在だけにあると思っているのだろうか?二年経っても、彼はまだ私たちの問題の本質に気づいていなかった。「夏蓮じゃなくても、他に夏蓮がいたでしょ。ユカでもマイでも、誰でもよかったのよ」「仮に本当に命の恩人だったとしても、感謝を伝える方法なんていくらでもあるのに、なんで全部一人で背負おうとするの?」「今のあなたが引きずっているのは、二十年も私に追いかけられてきて、私が去ったことが悔しいだけ」「もう探さないで。きれいに終わろう」そう言い終えて、私は彼を家から追い出した。冬翔は、ぼんやりとしたまま自分の部屋へ戻った。ーーただの悔しさなのか?彼にはもうわからなかった。だけど、ふと脳裏に浮かぶのは、あの日の記憶。「付き合ってほしい」と彼が言ったとき、私の顔は真っ赤になって、どもりながら「罰ゲームでもしてるの?」と聞いてきた。本気だと伝えると、顔が一気に輝き、彼に気づかれないように小さく勝利のサインをしていた。あれが、彼らの五年間にわたる日々の始まりだった。その五年の間、私が彼に注いでくれた想いは、確かに届いていた。彼は、別れを考えたことなど一度もなかった。プロポーズを受けたときも、本気で一生を共にしたいと思っていた。だが今日、初めて気づかされた。五年間、彼は一度も自分から愛を表現してこな
私が答える前に、冬翔の表情がすぐに強く変わった。「説明できるんだ、あの時は夏蓮が俺の命を救ってくれたと思ってたんだ。俺には何の気持ちもなかったし、俺と夏蓮の間には何もなかった」「君が去った後、君が去った後、気づいたんだ。実は」冬翔は涙がこぼれそうになりながら、しばらく言葉を詰まらせていた。やっと心を落ち着けた彼は、続けて言った。「六年前のお正月の夜、助けてくれたのは君だったんだ、ずっと間違えてた」冬翔は涙で赤くなった目で私を見つめ、その目には後悔、罪悪感、焦り、そして隠れた期待が込められていた。彼は、私が真実を知ったら、彼を許して、二人が再び仲良くなることを期待していた。残念ながら、彼の思惑は外れた。冬翔が言っていた命の恩人が、六年前のお正月の夜のことだと知った時、私は確かに驚いた。あの時、冬翔が初めて夏蓮を私に紹介した時、いつ彼を助けたのかなんて言っていなかった。そしてその年、私は病院から目を覚ました後、その夜のことを冬翔の前で話したくなかった。これが誤解の始まりだったのだ。今でも、過去をすっかり忘れていた私は、運命のいたずらに驚かされる。冬翔は私が何も言わないのを見て、慎重に言葉を続けた。「柚希、あの時の子供、夏蓮に生ませなかったんだ、もう堕ろしたんだ。今、俺は間違えてたって気づいた。俺たちは戻れるのか?」冬翔の言葉が私の思考を現実に引き戻した。私は迷わず首を振った。「無理だよ」冬翔の顔は一瞬で青ざめ、目を伏せた。その決然とした言葉が、彼の中にわずかに残っていた希望を完全に砕いてしまった。彼は二年間私を待ち続けていたが、この結末が待っていたとは思っていなかった。彼は、私が永遠に彼を愛し続けると信じていたのだ。冬翔は震える声で私を見つめ、聞いた。「どうして?俺は君が好きだよ」冬翔の執拗な態度を見て、私は昔、彼と付き合っていた時の自分を思い出した。確かに、彼は私にプレゼントをくれることはなかった。他の男の子たちのように、私との関係を大切にしてくれることはなかった。「愛してる」とも言ったことはなかった。それでも、当時の私は固く信じていた。冬翔の心には私がいるはずだと。そうでなければ、どうして私と付き合うなんて言ってくれたのか。それは、ただ彼の性格が冷たかった
両親も、困った顔をして横に座っていた。二年前、私は結婚式をキャンセルする決断をしたけれど、その本当の理由は伝えていなかった。研究を続けたいと言っただけだった。そのため、両親には、結婚式をキャンセルした責任は自分たちにあると思われていた。彼らはずっと、冬翔が私に対してあまり深い気持ちを持っていないと思っていたけれど、それでもやっぱり、冬翔には申し訳なく感じていた。この二年間、私が家に帰ってこなかったにもかかわらず、冬翔は定期的に家の下を通っていた。上の階に来て私の家に寄ることはなかったけれど、両親は彼が私を探しに来ていることをなんとなく感じ取っていた。特に半年くらい前から、ほぼ二日に一度は通っていた。両親は、何度も彼に来ないようにと説得していた。結局、私が結婚式をキャンセルしたとき、私は非常に決意を固めていたからだ。そして、今は私が研究室にいるので、家に帰ってくることはない。彼が家の下で待っていても、意味がない。それでも、この二年間、冬翔の執着を見守ってきた父と母は、彼に対する冷たい印象が少しだけ改善された。実際、両親は、もし私が帰ったらもう一度説得しようと思っていたこともあった。結局、私と冬翔は五年間も一緒にいたから、結婚式の日も近いはずだと思っていた。だけど、私が帰ってきたと聞いたとき、私にはもう婚約者がいることを知り、今回結婚式を挙げる予定だとも分かった。ふたりは心の中で複雑な思いを抱え、冬翔に対して申し訳ない気持ちを感じていた。午後、冬翔が家を訪れたとき、両親は、彼が私が帰ってきたことをもう知っていることを理解していた。両親は、今こそすべてをはっきりさせてもらおうと考えていた。これで冬翔も諦めるだろうと。冬翔は私が帰ってきたのを見て、目を輝かせて、すぐに立ち上がった。しかし、私は頭が痛くなった。まさか、冬翔が家まで追いかけてくるなんて思ってもみなかった。前に、彼は年長者と関わるのが嫌いだと言っていたのに、今になって家まで来て、何をしたいんだろう?両親は私を脇に引き寄せ、この二年間のことを簡単に話してくれた。二年間、冬翔がずっと私を探していたということを聞いて、私は信じられなかった。もし両親が話していなかったら、私はきっと信じなかっただろう。私の中では、冬翔はもう私のことが好
私はそのことばを聞いて、思わず笑いそうになった。何が「うそ」なの?わざわざ彼を怒らせるために、私が役者でも雇ったって言いたいの?そんなこと、どうだっていい。彼が何を思おうと、私には関係ない。でも、心のどこかでほんの少しだけ、疑問が浮かんだ。前に付き合っていたころ、冬翔はいつもどこか冷たかった。私がどんなに想っても、全然変わらなかった。あのとき、本気で思った。彼の心って、石みたいなんじゃないかって。どれだけあたためても、全然ぬくもりが返ってこなかった。そしてーー夏蓮があらわれた。あのとき初めて知った。冬翔にも、誰かにやさしくできる心があるんだって。だから、私は身を引いた。ふたりを応援する道を選んだ。なのに今、この態度はなに?まるで、私に未練があるかのような目。たしかに、夏蓮は病気で亡くなった。でも、だからって私に近づいてくるなんて、おかしいよね。「ごめんね、悠斗は私の正式な婚約者なの」「結婚式は今月の十八日。もう十日しかないの」ひとことひとことが、まるで雷のように冬翔の耳に響いた。彼の目はあっという間に赤くなって、現実を受け入れられない様子だった。好きな女の子が、ほかの男と結婚するなんて、簡単には飲み込めなかった。でも、私はもう感情を引きずるつもりなんてなかった。どうして、関係ないひとりのせいで、今日のたのしい歓迎会が台なしにされなきゃいけないの?私はみんなを呼んで、別の場所にうつることにした。その場を通りすぎようとしたとき、冬翔は無意識に手を伸ばして、私の服のすそをつかんだ。だけど、もうそこに何の感情もなかった私は、ためらうことなくその手をふりはらって、悠斗の手をしっかり握り、その場を後にした。冬翔は、一人、ぼんやりと立ち尽くしたまま、私たちの背中を見つめることしかできなかった。車に乗ったあと、悠斗はすぐに私を抱いていた手を離して、腕を組み、少し距離を取ってそっぽを向いた。私は吹き出してしまった。ああ、嫉妬してるんだなって、すぐに分かった。そういえば、誰かが自分のためにやきもちを焼いてくれるなんて、初めてのことかもしれない。昔、冬翔と付き合い始めたころ、彼の態度はずっと変わらなかった。だから、やきもちを焼かせれば少しは気にしてもらえるんじゃないかと思った。わざと男友だちと
冬翔は個室の扉の前に立ち、鏡に映る今日の服装を整えながら、少しだけ気持ちを落ち着かせていた。本当は、ただごはんを食べに来ただけだった。まさか私に会うことになるなんて、思ってもみなかった。でも、私がこの場所にいるってわかってしまった以上、次に会える日まで待つなんて、できなかった。あわてて服を整えて、個室の前まで来た。扉を開ける直前、私がどんな反応をするか、少しだけ想像してみた。もしかしたら、まだ怒っていて、許してくれないかもしれない。それとも、もう全部を忘れて、ただの知り合いとして接してくれるかもしれない。でも、どんな形であっても、今の私の気持ちがどうであれ、冬翔はそれを受け止めるつもりだった。何よりも、もう一度私に会えるだけで、十分だった。そして、自分の想いを伝えれば、私もまた彼のことを好きになってくれる。そんな自信があった。ただ、思いもしなかったのはーー私にはもう恋人がいて、しかも近いうちに結婚するということだった。「婚約者」って言葉が耳に入った瞬間、まるで冷たい水を浴びせられたみたいに、全身が凍りついた。心臓を大きな手でぎゅっと握られたような感覚に襲われて、息もできなくなった。彼は、私が冗談を言っているんじゃないかって、どこかで期待していた。悠斗はただの後輩なんだって、そう言ってくれるんじゃないかって。でも、それはなかった。個室の中では、私の友達たちがどんどん盛り上がって話していて、話題は花嫁の付き添いのことから、子どもの名付け親のことにまで広がっていった。もう我慢できなかった!そう思った瞬間、冬翔は勢いよくドアを押し開けた。彼の視線は、すぐさま私と悠斗がつないでいた手に釘付けになった。二人のあいだにただよう、そのはっきりとした親しさが、彼の息を止めた。でも、私は冬翔がそれを見て、何を思ったかなんて、まったく気にしていなかった。彼は、私たちが二年前に別れたことを知っている。私にとって冬翔は、せいぜい「知ってるようで知らない人」でしかなかった。本来なら楽しいはずだった今日の歓迎会は、冬翔が現れたことで一瞬にして台なしになった。しかも、私にとっては何の意味もない、唐突な言葉を投げかけてきた。二年前、別れを切り出したのは彼のほうだったはず。だったら、今になって一体何を言
二年後、浜城市空港。私はキャリーケースを引きながら、周囲の変化を観察していた。まさか初回の実験研究が二年もかかるとは思ってもみなかった。でも、最終的な成果は完璧だった。先生は私たちに丸々二ヶ月の休暇をくれて、やっと私は再び浜城市の地を踏むことができた。一瞬、感慨深さがこみ上げる。この街を離れてから、もう二年になる。でも、違うのはーー隣にいる悠斗の楽しげな姿が目に入った瞬間、私の視線は優しくなった。違うのは、二年前は一人でここを離れた。二年後は、二人で帰ってきた。そして今回の帰還には、もう一つ重要な目的がある。悠斗は腕時計を見下ろし、私の手首を掴んで小走りに急かす。「柚希さん、早くしないと遅れるよ」私が浜城市に戻ってくるという話を聞いた日和は、即座に歓迎パーティーを開くと言い出した。二年ぶりの再会に、仲間たちと盛り上がりたいとのことだった。私も彼女たちが恋しかったから、すぐにOKを出して、パーティーは私と悠斗が到着する当日に設定された。私たちがレストランの入口に着いた時、ちょうど約束の時間だった。悠斗に手を引かれ、慌ただしく駆け込む。階段を登っている途中、どこかで見覚えのあるシルエットが視界の端に映ったような気がした。でも、あまりにも急いでいたせいで見間違いだと思い、気にせず個室を探した。一方その頃ーー冬翔は胸を押さえ、瞳を潤ませながら、震えるような喜びの中にいた。二年ーー彼はこの二年間ずっと、私の姿を待ち続けていた。誰にも分からない。あの空っぽの部屋で、どれだけ孤独な夜を彼が一人で過ごしたか。最初の頃は、毎晩眠れなかった。ようやく朦朧とした意識で眠りに落ちても、目覚めた途端、最初に口にしたのは「柚希」という名前だった。でも、返ってくるのはただの静寂だけ。もう朝食を用意してくれる人もいないし、帰宅を待ってくれる人もいない。部屋の隅々を探しても、私に関するものは何一つ残っていなかった。かつてお揃いで買ったルームウェアさえ、すでに姿を消していた。彼の唯一の慰めは、枕元に置いた一冊のカレンダー。 それには、私が書いた【別れる】という言葉があった。だが、彼にとってそれは私が残した唯一の痕跡だった。しかも、彼はずっと信じていた。自分が認めなければ、二人はまだ別れて