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偽りの契約、囚われた青春

偽りの契約、囚われた青春

By:  青月Completed
Language: Japanese
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息子の名門校への入学手続きの最中、受付の職員が突如、私の婚姻証明書は偽物だと言い放った。 「お調べしたところ、保護者様の婚姻状況は『未婚』となっております」 「そんなはずありません!夫のエドウィン・ボルトンと結婚して、もう七年になるんですよ!」 後ろに並んでいた他の保護者たちから、容赦ない嘲笑が浴びせられる。 「ちょっと、今あのエドウィン・ボルトンって言った?妄想も大概にしてよね!」 周囲の嘲笑に晒され、たまらずその場を逃げ出した私は、そのまま市役所へ向かい、改めて婚姻状況を照会してもらった。 七年間、確かに夫婦として過ごしてきたはずなのに。 画面に表示された私の婚姻状態は――「未婚」。 全身の血の気が引く感覚に、私は震える声で尋ねた。 「では、エドウィン・ボルトンの法的な妻は、いったい誰なのですか?」 職員は事務的な口調で、一つの名前を告げた。 「ハンナ・ブラウン様ですね」 またこの名前。またしても――! 家に飛んで帰り、エドウィンを問い詰めようとした、まさにその時だった。玄関の奥から、執事の声が聞こえてきた。 「旦那様、もう七年ですよ。いつになったらソフィア様に、正式な地位をお与えになるおつもりなのですか?」 長い沈黙の後、エドウィンが口を開いた。 「もう少しだ。ハンナは両親を亡くして天涯孤独の身なんだ。彼女を助けられるのは俺しかいない。あの子には、この『妻』という名義が必要なんだ」 「もし奥様に知られてしまったら?」 「ソフィアは俺を愛している。たとえ真実を知ったところで、俺から離れていったりはしないさ。 ハンナがビジネスの世界で確かな足場を固めたら、その時こそソフィアに本物の婚姻証明書を渡すつもりだ」 彼は確信に満ちた声でそう言い切った。 ドアの外で、静かに涙を流しながら立ち尽くしている私の存在など、知る由もなく。 ――悪いけれど、その期待、裏切らせてもらうわ。この大嘘つき。 私は静かに携帯を取り出し、ある番号に電話をかけた。 「お母様。先日のフィリップス家とのお話、お受けします」

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Chapter 1

第1話

息子の名門校への入学手続きの最中、思いもよらぬ事実が発覚した。夫との七年間の結婚生活が、すべてとんでもない茶番だったということに。

「申し訳ございません。お調べしたところ、保護者様の婚姻状況は『未婚』となっております」

「そんなはずありません!夫のエドウィン・ボルトンと結婚して、もう七年になるんですよ!」

信じられない思いで言い返す私の背後で、列に並んでいた他の保護者たちが、あからさまな嘲笑を込めて噂し始めた。

「エドウィン・ボルトンですって?よく言うわね!」

「偽造証明書で名門校に入ろうだなんて、浅はかすぎますわ!」

「どこかの愛人かしら?ささっと追い出してちょうだい。うちの娘の手続きが待っているのよ!」

受付の職員も苛立ちを隠せない様子で、冷たく繰り返した。

「この方。家族関係を証明できないのであれば、これ以上業務を妨害しないでいただけますか」

その場にいることなどできず、私は市役所へと急いだ。そこで改めて調べてもらうために。

けれど、結果は同じだった。婚姻状況の欄には、はっきりと「未婚」の二文字。

信じたくなくて、最後の望みを託すように尋ねる。「では、エドウィン・ボルトンの法的な妻は、いったい誰なのですか?」

職員は事務的に、ひとつの名前を告げた。

「ハンナ・ブラウン様です」

偽物の婚姻証明書を握りしめる手に、爪が食い込むほど力が入る。目の前がぐらりと揺れ、その場に崩れ落ちそうだった。

ハンナ・ブラウン。

ええ、もちろん知っている。その名前を、私は決して忘れはしない。

あれはエドウィンと結婚して三年目のこと。

一ヶ月の出張から、彼を驚かせようと予定より早く帰国した日があった。

まさか、オフィスで彼が見知らぬ女性と熱烈なキスを交わしている場面を目撃してしまうなんて。

その女性こそ、会社に新しく来たインターンの子、ハンナ・ブラウンだった。

私はその場で激怒した。エドウィンもさすがに顔面蒼白になり、私の前に跪いて謝罪した。

彼の言い分は、酔っていてハンナを私と見間違えただけだ、というものだった。

その後、彼は半年間も必死に許しを請い続け、二度とハンナと関わらないと何度も約束した。私は、半ば無理やり自分を納得させるようにして、彼を許した。

ハンナは即座に解雇され、海外へ渡ったと聞いた。それ以来、彼女のことを耳にすることはなかった。

すべては元通りになったのだと、そう信じていたのに。

まさか、最初からすべてが嘘だったなんて。

私は車を飛ばして家に戻った。なぜこんなことをしたのか、エドウィンを問い詰めるために。

ドアを開けようとした、その瞬間。室内から声が聞こえてきた。

「旦那様、もう七年ですよ。いつになったらソフィア様に、法的な地位をお与えになるおつもりなのですか?」

伸ばした手が、宙で止まる。エドウィンが最も信頼している執事の声だった。

長い沈黙の後、エドウィンの声が続いた。

「もう少しだ。ハンナは両親を亡くして天涯孤独の身なんだ。あの子を助けられるのは俺しかいない。彼女には、この『妻』という名義が必要なんだよ」

「もし、ソフィア様に知られてしまったら?」

「大丈夫だ。ソフィアは俺を愛している。それに、オリヴァーのためにも、彼女は俺から離れたりしないさ。ハンナがビジネスの世界で確かな地位を固めたら、その時こそソフィアに本物の婚姻証明書を渡す」

彼は、何一つ疑うことのない確信に満ちた口調でそう言いきった。

ドアの外で、静かに涙を流している私の存在など、知る由もなく。

そうか、すべて計算ずくだったんだ。

私の彼への愛も、息子オリヴァーへの愛情も、すべては彼の手の内にある駒でしかなかった。

音を立てずにその場を離れ、私は携帯を取り出した。長い間、心の奥底に封印していた番号に電話をかける。

「お母様。先日のフィリップス家とのお話、お受けします」
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第1話
息子の名門校への入学手続きの最中、思いもよらぬ事実が発覚した。夫との七年間の結婚生活が、すべてとんでもない茶番だったということに。「申し訳ございません。お調べしたところ、保護者様の婚姻状況は『未婚』となっております」「そんなはずありません!夫のエドウィン・ボルトンと結婚して、もう七年になるんですよ!」信じられない思いで言い返す私の背後で、列に並んでいた他の保護者たちが、あからさまな嘲笑を込めて噂し始めた。「エドウィン・ボルトンですって?よく言うわね!」「偽造証明書で名門校に入ろうだなんて、浅はかすぎますわ!」「どこかの愛人かしら?ささっと追い出してちょうだい。うちの娘の手続きが待っているのよ!」受付の職員も苛立ちを隠せない様子で、冷たく繰り返した。「この方。家族関係を証明できないのであれば、これ以上業務を妨害しないでいただけますか」その場にいることなどできず、私は市役所へと急いだ。そこで改めて調べてもらうために。けれど、結果は同じだった。婚姻状況の欄には、はっきりと「未婚」の二文字。信じたくなくて、最後の望みを託すように尋ねる。「では、エドウィン・ボルトンの法的な妻は、いったい誰なのですか?」職員は事務的に、ひとつの名前を告げた。「ハンナ・ブラウン様です」偽物の婚姻証明書を握りしめる手に、爪が食い込むほど力が入る。目の前がぐらりと揺れ、その場に崩れ落ちそうだった。ハンナ・ブラウン。ええ、もちろん知っている。その名前を、私は決して忘れはしない。あれはエドウィンと結婚して三年目のこと。一ヶ月の出張から、彼を驚かせようと予定より早く帰国した日があった。まさか、オフィスで彼が見知らぬ女性と熱烈なキスを交わしている場面を目撃してしまうなんて。その女性こそ、会社に新しく来たインターンの子、ハンナ・ブラウンだった。私はその場で激怒した。エドウィンもさすがに顔面蒼白になり、私の前に跪いて謝罪した。彼の言い分は、酔っていてハンナを私と見間違えただけだ、というものだった。その後、彼は半年間も必死に許しを請い続け、二度とハンナと関わらないと何度も約束した。私は、半ば無理やり自分を納得させるようにして、彼を許した。ハンナは即座に解雇され、海外へ渡ったと聞いた。それ以来、彼女のことを耳にすることは
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第2話
洗面所で鏡を見つめる。そこには、泣き腫らした自分の顔が映っていた。脳裏に浮かぶのは、エドウィンと過ごした七年間の日々。付き合い始めた頃、彼は冬の夜、いつも三十分も前から会社の前で私の退勤を待っていてくれた。私が何気なく「好き」と言っただけのマカロンを、律儀に買って。二人で一から起業した時は、資金が足りず、借りた小さなアパートをオフィス代わりに使っていた。彼は半年以上もソファで丸くなって寝ていたのに、たった一つのシングルベッドは頑として私に譲ってくれた。やがて会社は上場を果たし、私たちの生活も比べ物にならないほど豊かになっていった。プロポーズの日、彼はオペラハウスを丸ごと貸し切って、一生忘れられないサプライズを用意してくれた。妊娠が分かってからは、彼は私に一切の家事をさせなかった。毎日甲斐甲斐しく私の世話を焼き、専属の医師と栄養士まで手配して、片時もそばを離れなかった。彼の愛に嘘があるなんて、一度たりとも思わなかった。でも今、ようやく分かった。彼の愛は確かに本物だった。ただ、それが二つに分けられていただけ。私の知らないところで、彼がハンナと手を繋ぎ、キスをし、もしかしたらベッドを共にしていたかもしれない。そう想像するだけで、胃の奥から不快感がせり上がってくる。どんなことがあっても、ここから出て行かなければ。でも、そのたびに息子のオリヴァーのことが頭をよぎる。あの子になんと言えばいいのか分からない。今年ようやく小学生になったばかりの彼に、大人の過ちのせいで、両親の離婚という耐え難い痛みを背負わせてしまう。重い体を引きずるように立ち上がり、外に出ようとした時。洗面所を出たところで、ふらりと足がもつれた。体が後ろに倒れかける。けれど、予想した衝撃は訪れなかった。大きな手が私の腰を強く支え、逞しい胸元へと引き寄せていた。エドウィンだった。彼はそのまま私を抱き上げると寝室へ運び、ベッドにそっと下ろしてくれた。エドウィンは私の腫れた目に気づき、心配そうに眉をひそめた。「どうしたんだ、ソフィア。なぜ泣いていた?」視線を逸らし、必死で当たり障りのない言い訳を探す。「ニュースで、野良猫の話を見てしまって。家のない小さな命が可哀想で」エドウィンは優しく笑い、私の髪を慈しむように撫でた。「俺の嫁は、いつ
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第3話
「ハンナは帰国したばかりで、住む場所がないそうなんだ。うちには空き部屋もあるし、数日泊めてやることにした」彼の背後から、ハンナがスーツケースを引き、ハイヒールの音を高く響かせながら家に入ってくる。私の顔を見るなり、彼女は人好きのする、猫を被ったような笑みを浮かべた。「ごめんなさい、ソフィアさん。観光シーズンで、近くのホテルが全部満室だったの。仕方なくエドウィンさんに頼ったの……まさか、お気にはなさらないわよね?」階段の手すりを強く握りしめ、私はどうにか言葉を絞り出す。「好きになさい。ただし、ここの物には勝手に触れないで」ハンナは嬉しそうに頷くと、スーツケースを引いて奥へと進んでいく。エドウィンは、まるで護衛のように彼女の後ろから離れず、その視線も彼女に釘付けだった。吐き気を催すような光景に、私は自分の部屋に戻ろうと踵を返した。その時、廊下の奥からハンナの弾んだ声が聞こえてきた。「エドウィンさん、私、この部屋がいいわ。とても気に入った」私は嫌な予感がして、急いで駆け寄り大声で制止する。「そこはダメ!」二人とも驚いて振り返った。「私の祖母が生前暮らしていた部屋なの」涙が溢れそうになるのを堪え、私は訴えた。「空き部屋だってたくさんあるよ。どこでも好きな部屋を選んで。でも、ここだけは……」だがハンナは、その言葉を聞いて目に悪戯っぽい、いや、明らかに何かを企む光を宿した。「でも、私やっぱりここがいい。この内装が気に入ったわ。窓からお庭も見えるし!」自分の腕にまとわりついて甘える彼女を、エドウィンは困ったように、それでいて愛おしさを隠せない目で見つめ、やがて私の方を向いた。「ソフィア。君の祖母はもう亡くなっている。部屋もずっと空いているんだ。ハンナに数日使わせたところで、問題ないだろう」私は懇願するように言った。「お願い、エドウィン。この部屋だけは、このまま残しておくって約束したじゃない」エドウィンは一瞬、躊躇った。確かに祖母の葬儀の際、彼が私に固く約束したことだったからだ。それを見たハンナは、パッとエドウィンから離れ、今にも泣き出しそうな悲劇のヒロインを演じ始めた。「分かったわ。私、やっぱり来るべきじゃなかったのよ。ソフィアさんがお部屋ひとつ貸してくださらないなら、私、出て行くしかないわ」
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第4話
私は荷物をまとめ始めた。エドウィンと過ごした七年間、この部屋の隅々にまで、二人だけの思い出が刻まれている。本当に必要なものだけをスーツケースに詰め込み、それ以外はすべてゴミ箱に放り込んでいく。エドウィンとの写真。彼からもらった無数のプレゼント。一緒に旅行した時に買った記念品。ペアで揃えた部屋着とスリッパ。どうせハンナがこの部屋に入れば、こんな物は目障りになるだけだろうから。淡々と荷造りをしていると、不意にドアがノックされた。開けると、そこに立っていたのは息子のオリヴァーだった。「お母さん、隣の部屋がうるさくて眠れないよ」息子の隣は、そう、例の祖母の部屋だった。「そうなのね。じゃあ今夜は私と一緒に寝ましょうね」息子は素直に布団に潜り込んできた。静かに子守唄を歌ってやると、安心したのか、やがて小さな寝息を立て始めた。そっと部屋を抜け出し、祖母の部屋の前へと向かう。近づくにつれ、案の定、ドアの隙間から卑猥な喘ぎ声が漏れ聞こえてきた。「エドウィンさん、もっと優しくして。誰かに聞こえたら……」「大丈夫だ。オリヴァーはいつも熟睡してる。誰も気づきやしないさ。それとも……こうする方が刺激的か?」ベッドが軋む、生々しい音。ハンナが、とろけるように甘い声で彼を呼んだ。「ダーリン、私とソフィアさん、どっちの体がセクシー?」エドウィンはその「ダーリン」という呼び方に煽られたように、腰の動きを速めたのが分かった。「決まってるだろう、君だよ。ソフィアは子供を産んでから、体型がすっかり崩れてしまってね」今すぐ部屋に飛び込んで、あの男に問い詰めてやりたかった。あなたが愛していたのは、私じゃなかったのか、と。あなたにとって大切なのは、ただ若い容姿と引き締まったスタイル、新鮮さや刺激を与えてくれる相手だけなのか、と。だが、ドアノブに手を置いたまま、それを開く力は湧いてこなかった。自分が、あまりにも馬鹿馬鹿しくなった。あの偽物の婚姻証明書。ハンナへの彼のあからさまな偏愛。そして今、この瞬間に絡み合っている二人の体。これ以上に明確な答えがあるというのだろうか。室内の激しい息遣いがようやく収まるのを聞き届け、私は音を立てずにその場を足早に離れた。部屋に戻り、静かにドアを閉めると、背後からオリヴァ
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第5話
ハンナがこの家に住み着いてから、彼女はまるで自分がここの女主人であるかのように振る舞い始めた。インテリアや装飾品にもあれこれと口を出すようになったのだ。「壁の絵が気に入らない」「カーペットの色が趣味じゃない」「あのぬいぐるみ、醜いわ」「お庭の花も単調すぎない?」エドウィンはそんな彼女を頭から甘やかし、私が描いた油絵を壁から外し、二人で選んだカーペットを撤去し、オリヴァーのお気に入りのぬいぐるみまで物置に放り込んだ。しまいには、庭で私が愛していた百合をすべて掘り起こさせ、彼女が好きな真っ赤なバラに植え替えさせた。まるでハンナこそが、この家の正真正銘の女主人であると見せつけるかのように。私は、無関心を装い続けた。どうせ彼らこそが法的に認められた夫婦であり、法律上、この家も彼らの共有財産なのだ。なにより、もうすぐ私はここを出て行く。ここはもう、私の家ではないのだから。ハンナの好きにさせておいた。ただ、ある夜。彼女が外出している隙に、私はこっそりと祖母の部屋に入った。転がり込んできた時、ハンナは「ここの物には絶対に触れない」と約束した。だが今、部屋の様子は見る影もなく変わっていた。シンプルだった無地のシーツは、けばけばしいピンク色のものに替えられ、壁や机の上にあったささやかな装飾品は消え、代わりにハンナの派手な化粧品やアクセサリーがずらりと並べられている。祖母が生きていた最後の痕跡まで、無慈悲に消し去られていた。込み上げる胸の痛みを堪え、ベッドの下から小さな木箱を取り出す。祖母の遺品だった。さすがのハンナもこれには気づかなかったらしく、幸いにもまだ無事だった。箱を開けると、中には祖母が生前に愛用していた身の回りの品々と、一冊の古いアルバムが入っていた。アルバムには、祖母と私が重ねてきた長年の思い出が詰まっている。その時、背後のドアが開き、甲高い声が響いた。「アンタ、私の部屋でこそこそ何してるのよ!」ハンナが帰ってきていた。私は反射的に箱を背中に隠す。「ここは元々あなたの部屋じゃない。あなたはただの居候でしょう」説明しようとしたが、彼女はいつものか弱い態度をかなぐり捨て、いきなり私に掴みかかると、その手から箱を乱暴に奪い取った。「はぁ?人の物を盗もうとするなんて。アンタって、そういう泥棒みたいな真
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第6話
四年前のあの夜。私とエドウィンは事故で、会社の古い倉庫に閉じ込められたことがあった。私は閉所恐怖症で、あの時は息もできなくなるほどパニックに陥った。エドウィンは、そんな私を「大丈夫だ」と強く抱きしめ、「必ず助け出すから怖がらないで」と、ずっと慰め続けてくれた。なのに今、彼は私が閉所恐怖症であることなど、綺麗に忘れてしまったようだった。私は暗く湿った地下室に閉じ込められ、携帯も取り上げられ、外界との連絡を完全に断たれた。時間の感覚はとうになくなり、暗闇の中で眠っては目を覚まし、起きている間はずっと泣き崩れていた。なぜ、エドウィンはこれほど変わってしまったのか。かつては私をあんなにも深く愛してくれていたのに。ハンナが現れた途端、まるで何かに取り憑かれたように、彼の愛も信頼も、そのすべてが彼女に注がれるようになった。それとも、彼の心の天秤は、最初からハンナの方にだけ傾いていたというの?ただ、彼女が両親を亡くして天涯孤独だから?何もかもが理解できなかった。私はただ、冷たい暗闇の中で膝を抱え、いつしか意識を手放した。長い夢を見た。夢の中で、私は祖母の傍らで安心して寄り添っている。オリヴァーも隣に座り、祖母が優しく語る童話に耳を傾けていた。だが次の瞬間、祖母もオリヴァーも、どんどん私から遠ざかっていく。彼らの穏やかだった声は、悲痛な泣き声へと変わった。駆け寄って二人を捕まえようとしたけれど、大きな影が私の行く手を遮った。エドウィンだった。彼は眉をひそめ、私が言うことを聞かないと厳しく叱責する。ハンナの甲高い嘲笑も続いた。「よく見ておきなさいよ。これが私と争った末路よ!」はっと目が覚めた時、全身が冷や汗でびっしょりだった。その時、地下室のドアが開いた。エドウィンが駆け込んできて、冷え切った私を強く抱きしめた。「すまない、ソフィア。俺が衝動的すぎた。君に怒るべきじゃなかった。地下室に閉じ込めるなんて、どうかしてた」エドウィンは、何か取り返しのつかないものを失うのを恐れるかのように、壊れ物を扱うように私を抱き上げ、地下室から連れ出した。私は一言も発しなかった。何日も続いた極度の緊張と絶望で、疲れ切っていた。ただ、もう、何もかもどうでもよかった。明るい場所に戻って初めて、彼が言っていた「一週間」
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第7話
公演当日、エドウィンはオペラハウスに着いてからずっと、私の手を強く握っていた。オペラが始まってしばらくして、私は、彼が連れてきたのが七年前と全く同じ演目であることに気づいた。見覚えのあるストーリー展開、耳に馴染んだ歌声。脳裏に、彼が私にプロポーズしてくれた、あの夜の光景が鮮やかに蘇る。あの日、私はただ普通のミュージカルを観に行くだけだと思っていた。それが終盤に差し掛かった時、場内の照明が突然落ち、スーツ姿で真紅のバラの花束を抱えた彼にだけ、一筋のスポットライトが当たった。舞台上の出演者たちによる高らかな祝福の歌声と、天井から舞い散る無数のバラの花びらの中で、私は涙を浮かべて彼のプロポーズを受け入れたのだ。だが、もう七年が経った。今の彼は、もうあの頃の彼ではない。思い出が蘇るたび、今の現実との落差に、再び涙が止まらなくなった。エドウィンは私が泣いているのに気づくと、慌てた様子でティッシュを取り出し、優しく私の涙を拭ってくれた。「オペラを観て感動で泣くなんて。君は相変わらず感傷的だな」私は、何も答えなかった。その時、ふと隣に、見知った――いや、忌々しい影が現れた。ハンナだった。彼女は鮮やかな赤いドレスを身にまとい、何でもないことのようにエドウィンの隣の空席に滑り込む。「どうしてここにいるんだ?」エドウィンは眉をひそめ、あからさまに嫌そうな口調だった。だが、その視線は彼女の肌に釘付けになっている。「謝りたくて」ハンナはか細い声を装い、憐れみを誘うように彼に懇願した。「病院で、あのドクターに色目を使ったのは私が悪かったわ。もう冷戦は終わりにしましょう?ねぇ、許してくれる?」隣にいるエドウィンの強張っていた空気が、明らかに和らぐのを感じた。――ああ、そう。ということは、私が地下室から予定より早く出されたのも、こうして七年前の思い出のミュージカルに連れてこられたのも、すべては彼がハンナと喧嘩し、彼女の嫉妬を煽るためだったというわけ?すべてが、滑稽な茶番に思えてきた。彼らにとって私は、いったい何?痴話喧嘩の当てつけに使う、ただの道具?劇場の照明が再び暗くなり、舞台はクライマックスへと入っていた。暗闇の中、私は椅子の肘掛けを強く握りしめる。隣の二人から時折聞こえてくる、ひそひそとした
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第8話
目を覚ました時、私は病院の無機質なベッドに横たわっていた。ベッドサイドには、目を真っ赤に充血させたエドウィンが座っている。「ソフィア!ああ、やっと目を覚ました!よかった……」何日も眠っていないかのように、彼の目の下には濃いクマが刻まれ、頭にはまだ厚い包帯が痛々しく巻かれていた。エドウィンは今にも泣き出しそうに、私の手を強く握りしめては、何度も甲にキスを落とした。「君を永遠に失うかと思った。ソフィア、本当に、無事で良かった……もし君に何かあったら、俺はもう生きている意味すらないところだった……」しゃくりあげるような声だったが、私は反射的にその手を振り払った。「疲れたわ。今は、ただ休ませて」エドウィンは、私がまだ例の件で怒っていると思ったのだろう。それでも愛おしそうに、私の額にキスをした。「わかった、ソフィア。ゆっくり休んで。君が回復したら、必ず埋め合わせはするから」だが帰り際、彼は病室のドアの前で不意に立ち止まった。「そうだ。来週の土曜日は、俺たちの結婚記念日だ。市内最大の音楽ホールを貸し切ってお祝いする。絶対に忘れられない、最高の式典にするからね」私は答えなかった。ただ彼に背を向け、無情なドアが閉まる音だけを聞いていた。またしばらく眠ったらしい。その間、看護師が来てバイタルをチェックしてくれた。彼女は、私が本当に幸運だったと言った。あの事故で、内臓も骨も深刻な損傷を受けていないのだから、と。やがて、病室のドアの外で、何人かの看護師が噂話をしているのが聞こえてきた。「ねえ、隣の病室のご夫婦、本当に仲睦まじいのよ。ボルトンさんたら、奥様のベッドからほとんど離れないんですって」「そうなのよ。私、見たわ。お食事もお水も、全部ご自分の手で奥様に食べさせてあげてるの」「素敵ねえ。うちの夫にも、あの優しさを少し分けてほしいわ」彼女たちが話しているのが、エドウィンとハンナのことだと、すぐに分かった。エドウィンと七年間も夫婦として過ごしてきたのに、結局、私はずっと名義すらない愛人でしかなかったのだ。命の危機に瀕した、あの極限の瞬間にさえ、彼の体が守ったのはハンナであり、私ではなかった。私は静かにベッドに横たわり、そんな無邪気な噂話が耳を通り過ぎていくのに任せた。その時、携帯の着信音が鳴った。母から
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第9話
「結婚記念日」当日。エドウィンは早朝から音楽ホールの準備に出かけていき、別荘には私一人だけが残された。彼は、この日のために多くの名門の客を招待し、会場には一万本以上のバラを飾り付け、国内最高峰の交響楽団まで呼んで演奏させるのだという。パーティーの様子は、すべてSNSで生中継される手筈になっていた。七周年のために特別に注文したという、七段重ねの巨大なケーキまで。各段の装飾が私たちの甘い思い出を表現し、七年間を共に歩んできた軌跡を象徴している、などと彼は言っていた。彼は言った。「当日、君に最高のサプライズがある」と。ふふ、奇遇だわ。私も、彼のためにとっておきの「サプライズ」を用意している。ただ、残念ながら、私本人はその会場には行かないけれど。別荘で荷物をすべて片付け終えると、私はこれまでの思い出の品を、残らず裏庭の焼却炉に放り込んだ。そして、火を点けた。写真も、プレゼントも、何もかも。「お母さん、これからどこに行くの?」オリヴァーが、燃え盛る炎の前で私の手を握り、不安そうに尋ねた。私は、精一杯の笑顔を作った。「昔、お母さんととても仲の良かった、別の方のところよ。ちょっと……喧嘩別れしてしまったのだけれど。でもきっと、オリヴァーにも優しくしてくれるわ。もし、そうでなくても、お母さんが必ずあなたを守るから」オリヴァーは、こくりと頷き、それ以上は何も聞かなかった。一台のロールスロイスが、静かに門の前に停まった。私たちを迎えに来た車だと分かった。最後にもう一度、七年を過ごした別荘と、過去を焼き尽くす炎を見た。「さようなら、エドウィン」未練など、ひとかけらもなかった。私はオリヴァーを連れ、ためらうことなく後部座席に乗り込んだ。その頃、宴会会場では、エドウィンがシャンパンを片手に、招待客たちと一人一人挨拶を交わしていた。客たちは口々に、結婚七年にしてこれほど一途で献身的とは、まさに理想の夫だと彼を称賛した。だが、エドウィンは理由もなく胸騒ぎがし、時折、落ち着きなく入り口の方に視線をやっていた。待っている人が、来ない。エドウィンは携帯を取り出し、ソフィアとのチャット画面を開いた。最新のメッセージは、数時間前に彼が送ったものだった。【ソフィア、起きたかい?】【会場の準備は完璧だよ。時間になっ
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第10話
エドウィンは弾かれたように顔を上げた。「ソフィア!やっと来て――」だが、言葉は途中で途切れ、期待に満ちた笑みが、顔に凍りついた。ドアを開けて入ってきたのは、ハンナだった。今日は特別に念入りに着飾っている。アクアブルーのオートクチュールのロングドレスを纏い、その姿は客たちの中でもひときわ目立っていた。しかし、エドウィンは不快そうに眉をひそめた。「何をしに来た?」ハンナは小走りで彼の前に駆け寄ると、馴れ馴れしくその腕を掴んで甘えた。「だって、今日はとても大切な日だって言ったじゃない。だから、応援に来なくちゃって思って」エドウィンはさりげなく一歩後退し、掴まれた腕を反射的に引いた。「今日は家でおとなしくしていろと、あれほど言ったはずだ」ハンナは、彼の態度の急変にまだ気づいていないようだった。いつものように、媚びるように体をすり寄せる。「いいじゃない、少し拝見するだけよ。邪魔はしないわ」そして、囁いた。「それに……私こそが、あなたの『本当の妻』でしょう?」エドウィンはその言葉を聞いて、背筋が凍るような感覚に襲われ、さらに後ずさった。「違う!あれは名義だけの約束だったはずだ。法的にはともかく、ソフィアこそが永遠に、俺のただ一人の妻なんだ」そう言って、彼はハンナをその場に置き去りにして、背を向けた。彼女の目に、一瞬だけ激しい嫉妬の炎が走ったことにも気づかずに。取り残されたハンナは、忌々しげに携帯を開くと、ソフィアとのチャット画面を呼び出し、音声メッセージを吹き込んだ。「この泥棒猫!エドウィンが本当にアンタを好きだとでも思ってるの?彼は体面のためだけにアンタといるだけよ。私と彼が、どれだけ愛し合ってるか見せてあげるわ」そう言って、彼女はまたしても、あの卑猥な写真と動画を立て続けに送り始めた。同じ頃、エドウィンは会場の中央に立ち、依然として落ち着きなく、周りを見回していた。待っている人は、まだ来ない。エドウィンは、グラスを握る手に力を込めた。「……きっと、まだ怒っているんだ。地下室の件だ。だからわざと遅れて、俺を焦らせている。彼女はいつも少しわがままだが、俺がこれほど彼女を愛しているんだ。見つけたら、今度こそちゃんと機嫌を取って、もう二度と悲しませたりはしない……」彼がそう自分を納得させ
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