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第1046話

Author: 栄子
雄太は当然、一人で来たわけではなかった。

付き添いには、専属医、岡崎家の古株の執事夫婦である井上健一(いのうえ けんいち)と井上幸子(いのうえ さちこ)、そして専属シェフがいた。

雄太は80歳を超えており、ここ数年は健康状態が芳しくなく、本来ならば遠出は控えるべきだった。

輝の両親も反対していたが、雄太の頑固さには勝てず、最終的には専属医と専属シェフを同行させることを条件に渋々承諾した。

今、専属シェフと幸子はキッチンで食事の支度をしており、健一と専属医は雄太の後ろに立っていた。

そして、部屋全体に異様な空気が漂っていた。

音々は輝の方を向き、「この方は?」と尋ねた。

「私のおじいさんだよ」

音々は言葉を失った。

まさか、こんな形で突然、輝の家族に会うことになるとは......

音々は気まずくなり、ゆっくりと頭を下げた。

そして、輝と繋がれた手に気づき、顔が熱くなった彼女は慌てて手を離した。

その行動に、輝は一瞬戸惑った。

音々は二人にしか聞こえない声で言った。「私、一旦離れたほうがいい?」

輝は顔を曇らせ、再び音々の手を握った。「もう会ってしまったんだから、挨拶くらいしていけ」

音々は何も言えなかった。

ドラマでよくある展開のように、こんな風に何も言わずに親御さんが押しかけてくるのはきっとひと悶着があるだろう。

この時音々は自分の気持ちが分からなかった。緊張しているような、悲しいようなものはあったものの、でも怖気づいてはいなかった。

自分の育ちや背景が、雄太の目には及ばないことは分かっていた。

雄太に冷たくされても、輝のためなら、目上の人を敬ういい子でいようと心に決めた。

とはいえ、今のこの雰囲気は、どうにも居心地が悪かった。

音々は輝に手を引かれ、雄太の前に連れて行かれていた。

彼女は手を離そうとしたが、輝はしっかりと握ったままだった。

「おじいさん、紹介するよ。私の彼女、中島音々だよ」輝は音々の方を向き、優しい眼差しで言った。「音々、こちらは私のおじいさんだよ」

「おじいさん、はじめまして」音々は雄太を見ながら、これまでの人生で一番愛らしい笑顔を浮かべた。「突然お会いすることになり、何も用意していなくて申し訳ありません」

雄太は体裁を重んじる男だった。音々を孫嫁として認めていないとはいえ、面と向かって恥をかかせ
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