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第114話

Author: 栄子
歯はほとんど残っておらず、笑うと顔にはたくさんの皺が寄っていた。療養所のスタッフの手厚い介護を受けていたとしても、老いと衰えは、誰にも抗えないものなのだ。

悠人は少し抵抗するように、老人の手を振り払い、誠也の後ろに隠れた。そして眉をひそめて言った。「お父さん、この人知らない。誰?」

誠也は悠人の頭を撫で、悠人を見つめ、にこにこ笑うばかりの老人を見て表情を暗くし、何も言えずにいた。

-

療養所を出たのは、午後2時半だった。

悠人は綾に会うのが待ちきれなかった。

「お父さん、これから直接母さんのところに行くの?」

誠也はシートに背を預け、眉間を指で押さえた。「ああ」

「やった!」悠人は言った。「今日は鏡開きで縁日があるのに、まだお土産を買ってない!お父さん、先にお土産を買いに行こうよ?母さんに一番いいお土産を選んであげるんだ!」

誠也は「わかった」と言い、悠人の頭を撫でた。

......

ちょうど鏡開きの日、北城梨野川沿いでは縁日のイベントが行われていた。ここでは、さまざまなお土産だけでなく、いろいろな種類のきれいな風船も売られていた。

今夜の梨野川は、賑やかな夜になるに違いないのだ。

お土産を選ぶとき、悠人は遥にも風船を選んだ。

彼は遥に選んだ提灯を誠也に渡した。

「お父さん、この風船は遥母さんのだけど、先に車に置いておいて。母さんがこれを見て、僕が遥母さんにもお土産を買ったって知ったら、きっと怒るから!」

それを聞いて、誠也の表情が固まった。「どうしてそう言うんだ?」

「だってそうじゃん!」

悠人は言った。「前に、遥母さんがまだ帰って来ていなかった時、母さんは僕に怒ったりしなかった。遥母さんが言うには、母さんは彼女のことが好きじゃないから、母さんの前では彼女のことをあまり話さない方がいいんだって」

「お前の母さんはそんなんじゃないさ」誠也は風船を受け取りながら言った。

「だって本当だもん!」悠人はきっぱりと言った。「遥母さんが言うには、女の子は焼きもちをするんだって。それで焼きもちをすると怒ったりするの!でも、焼きもちは好きな人のことを思ってる証拠だから、母さんもきっとまだ僕のことを愛しているんだ!」

悠人はそう言うと、突然首をかしげて誠也を見た。「母さんは僕が遥母さんと仲良くしているから焼きもちを焼いて怒ってるんでしょ?お
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