Masuk音々が先に帰国したことは、輝はまだ岡崎家には伝えていない。音々が自ら家を出たとはいえ、雄太からのプレッシャーもあった。輝は雄太の真意は分かっていた。しかし、音々の気持ちが晴れずにいるだろうことを考えると、胸が痛んだ。だから、翌日音々は雄太を訪ねたいと言ったが、輝は慌てる必要はないと諭した。「いくらなんでも親御さんなんだから、挨拶に行かないのは失礼じゃないかしら?」「2年間は会わない約束だったろ?」輝は鼻で笑った。「まだ約束の期限は来てないんだから、じいさんにももう少し我慢してもらえばいいだ」音々は何も言えなかった。「今日はまず、あなたのジムに行こう」輝の言葉を聞いて、音々はそれ以上何も言わなかった。1年前、音々は突然家を出て行ったため、ジムのことは輝に任せっきりだった。子供を稜花に預け、輝と音々は朝食を済ませると、家を出た。アトリエのビルに到着し、二人が車から降りると、音々はカフェに視線を向け、「コーヒーが飲みたいな」と言った。輝は言った。「このカフェ、1年前にオーナーが変わって、若い夫婦がやってるんだ。人柄はいいんだけど、コーヒーの味はまあまあだな。前の店よりお客さんが減ってるみたいだけど、他の店にするか?」音々は唇を歪めた。「いいえ、このカフェでいい」「分かった。じゃあ、一緒に行こう」そう言って、二人はカフェに入った。音々は注文カウンターへ行き、「アイスコーヒーをお願いします」と言った。「かしこまりました。店内でお召し上がりですか......」店主の平野香凜(ひらの かりん)は顔を上げ、微笑む音々と目が合うと、固まってしまった。「香凜、久しぶりね」「音々さん!」香凜は驚きの声を上げた。「いつ北城に戻られたの?」「昨日戻ってきたばかりよ」「じゃあ、もう全て解決したの?」香凜は矢継ぎ早に尋ねた。「今回は戻った後、またどこか行く予定はある?」「ええ、解決したよ」音々は微笑み、香凜の質問に丁寧に答えた。「だから、もうどこにも行かない」「よかった!」香凜は満面の笑みになった。「Kが中にいるので、呼んで行くね」香凜はそう言うと、振り返って中へ人を呼びに行った。輝は音々に尋ねた。「知り合いだったのか?」「ごめんね、今まで黙っていて。彼らは昔、一緒に仕事をした仲間なの。いい人
そして、咲玖が無事に保護された後、美紀が付きっきりで介護していた航太の体調は急速に回復し始めた。そして調査の結果、美紀が航太に毎日飲ませていた薬と食事は、実は毒性があるもので、このままあと2週間も続ければ、航太は多臓器不全で死に至ってしまう事が分かった。これは、人を知らず知らずのうちに殺してしまう極悪な方法だ。そして、美紀が最も得意とする殺人の手段でもあった。美紀の両親と弟が急性白血病で亡くなったのは、美紀が親孝行を口実に、家具を全て新しいものに取り替えたのが原因だった。それから数十年経った今でも、専門機関が検査に訪れると、全ての家具から信じられないほど高いホルムアルデヒドが検出されるほどだった。美紀は直接手を下したことはなくても、その両手は既に血で染まっているも同然だった。「結局、彼女は自分の心の鬼に苛まれ、自ら命を絶ったけど、でもあれだけの悪事を働いたんだから、そんな死に方で済むなんて、彼女にとって生ぬるいといえるだろうな。彼女は刑務所に入って、来る日も来る日も、『怨霊』に苦しめられるべきだ」音々の話を聞いた輝は怒りを抑えきれずに言った。「でも、おじいさんに電話をかけたのは彼女ではなかったの」音々は言った。「私の昔の敵が復讐に来たというのも、全くの嘘よ」輝は驚いて、「彼女じゃない?じゃあ、一体誰なんだ?」と尋ねた。「池田柊(いけだ しゅう)」輝は眉をひそめて、「池田柊?」と繰り返した。「彼は剛さんの息子で、私の力を借りて中川さんを潰そうとしていた。彼と彼のお母さんはすっと海外で航太さんに監視されていて、二人だけじゃ何もできなかった。だから、私を利用して、中川さんを追い詰めるように仕向けたんだ」「どうしてそんなことをさせるんだ?自分でやればいいだろう!卑怯者だな!」輝はその事実に怒り心頭だった。「もう全て解決したから」音々は輝の顔を撫でながら、言った。「だからもう心配しないで。こうして無事に帰ってきたんだから。それに、敵に狙われているなんて事実よりましでしょ?そう思えば、今回のことなんて大したことないじゃない」「そうは言っても、こんなくだらないことであなたが一人で子供を産んで、産後すぐまたこんな大変な目に遭うなんて、考えただけでも胸が痛いよ」輝は音々の手を握り、「音々、これからどうするつもりだ?実家に戻るのか
輝は思わず笑い出した。「あんなに立派な一族なのに、よくそんなことを信じるよな!」「H市では、商売をしている家柄でこういうのを信じているのも多いみたい」「じゃあ、浩平さんが我妻家に来たら、成和さんの病気は治ったのか?」「徐々に回復に向かったんだけど、成人した後に、子供を作れない体だってことが分かったんだ。占い師によると、それだけでも不幸中の幸いだって。もっと早く分かっていれば、結果は変わっていたかもしれない、とも言っていた」輝は絶句した。「でも、占いなんてものは証拠がないものだし。真実は、中川さんが成和さんが小さい頃からずっと、陰で彼の体に何かをしていたらしいの。その手口は陰湿で、ある慢性的な毒をずっと使い続けるのではなく、不定期に毒を変えていたの。だから成和さんの症状は、特定の病気だって診断できなかった。当時は医療機器も発達していなかったし、血液検査でも具体的な原因が分からなかった。結局、西洋医学でも子供の抵抗力が弱く、免疫力が低下しているせいだと言い、漢方でも生まれつき体が弱いせいだと言われていたの......」そして、音々は子供たちの出生の秘密について語り始めた。輝は話を聞き終えると、30秒ほど何も言えずにいた。「つまり、あなたが我妻家の二番目の娘で、あなたと成和さんと詩乃さんは、航太さんと咲玖さんの子だってことか?そして、純玲さんは中川さんが海外で代理母出産で産ませた子なんだな?」音々は頷いた。「実は、中川さんは私と純玲さんを取り替えた後も、同じ手口を使おうとしていたらしいんだけど、彼女の体がそういうことに耐えられなかったの」美紀は子供の頃から中川家で虐待されて栄養失調だったから、体の発達が遅れていた。さらに、あの時の中絶手術で子宮を摘出されたことで、ホルモンバランスが崩れ、排卵も正常じゃなくなっていた。体外受精で一人だけでも子供を授かられたのは、本当に幸運なことだっただろう。音々は我妻家と美紀、そして咲玖との間の因縁を、輝に一つずつ説明した。「航太さんは当時、権力を握るため、咲玖さんの実家である池田家の後ろ盾を利用しようとしていた。しかし、中川さんが現れたことで、彼女の野心のほうが利用しやすいと判断し、中川さんを選んだ。中川さんが中川家の親子三人を陥れようとしているのを知っていながら、見て見ぬふりを
そして音々の姿を見つけると悠翔は嬉しそうに笑いながら、足をバタバタさせた。「まずはご飯だ」そう言って輝は音々の手を引いてダイニングへ向かった。「悠翔はもう食べたけど、あなたはまだお腹をすかせているからな」「少しだけ抱っこさせてよ。戻ってきてから、まだちゃんと抱っこしてないんだから......」「これからいくらでも抱っこできるだろ。まずは座って。スープを持ってくるから。こんなに痩せちゃって......ちゃんと栄養をつけなきゃダメだ」そう言いながら、輝はキッチンへ向かった。音々は、輝がスープを取りに行っている間に、また息子のところへ行った。スープを持って戻ってきた輝は、音々がソファの前にしゃがみこみ、息子に何度もキスしているのを見た。「かわいい!ママの宝物!大好き!愛してるよ」その光景に輝は何も言えなかった。音々にもこんなにもぶりっ子な一面あったなんて、初めて知った。だが、こんな姿を見せてくれるのは、息子といる時だけの特権なのだ。くそっ。......昼食後、悠翔は昼寝の時間になった。音々は自分で寝かしつけようとしたが、輝がそれを許さなかった。家のことで話があると言って、稜花に悠翔をゲストルームへ連れて行かせた。そして、輝は音々を連れて寝室に戻った。ドアを閉めると、輝は音々と共にソファに座った。「これで邪魔が入ることはない。音々、そろそろ私に本当のことを話してくれないか?」音々は、輝の真剣な様子を見て、全てを話さなければ、彼は安心できないだろうと感じた。「1年前のことだけど......」音々はゆっくりと話し始めた。「実は、おじいさんが匿名の電話を受ける前に、私も何度か同じような電話を受けていたの。相手は何も話さず、ただ童謡を流すだけだった。その童謡は、ずっと私にとって悪夢だった。幼い頃に捨てられた時の記憶はほとんどないんだけど、その夢だけははっきりと記憶の奥底にあった......それは遊園地にいる夢なの。私の後ろにはメリーゴーランドがあって、あたりにはその童謡が流れている。いつも同じ夢で、この夢を見ると、酷い恐怖に襲われるの。ずっと夢のせいだと思っていたんだけど、あの日、匿名の電話でその童謡を聞いた時、夢と同じ恐怖を感じて、やっと気付いた。私が恐れていたのは、あの童謡だったんだ。それで
「誰から?」音々が近づいてきて尋ねた。輝は振り返り、スマホを音々に手渡した。「浩平さんからだよ」音々はスマホを受け取り、輝の目の前で通話ボタンを押した。「もしもし」「お父さんがあなたに会いたがっている」音々は眉を上げた。「私に会うって?何の用かしら?」「戸籍の件で会いたいそうだ」航太が、自分に戸籍を移してほしいなんて?あの日、自分はこれ以上ないくらいはっきりと断ったはずなのに。そう思いながら、音々は動揺することなく言った。「彼に伝えて。私がやったことは、籍を入れるためじゃない。自分の出生の秘密を明らかにし、私の人生を脅かす者を排除するためだけだから」浩平は少し沈黙してから言った。「咲玖さんは家に残ることを承諾した。三日後、記者会見を開き、お父さんと咲玖さんが共同で声明を発表する。母にすべての責任を取ってもらってから、我妻グループは池田家の再起を支援するそうだ。池田家の長男も海外から戻ってきて、池田グループの社長に就任する予定らしい」それを聞いても、音々は別に驚かなかった。航太は利益優先主義だ。美紀の動画が流出したことで、我妻家のイメージも大きく傷ついた。だから、彼は我妻家と我妻グループを守るためには、咲玖と手を組む必要があったのだ。「私はもう自分の出生について明らかにできたし、片付けるべく相手はもう片付けられたから、今はただ、自分の家庭で静かに暮らしたいだけなの」それを聞いて、浩平は彼女の言いたいことを理解した。「あなたの意思は、お父さんと咲玖さんにきちんと伝える」「ありがとう」「事が落ち着いたら、あなたに会いに行ってもいいか?」「もちろん。その時は、輝と一緒におもてなしさせて」すると、浩平は軽く笑い、「ああ、岡崎さんによろしく。じゃあ、切るよ」と言った。「ええ」電話を切り、音々はスマホをポケットにしまい、輝の方を見た。「さあ、悠翔に会いに行こう!」輝は眉をひそめて音々を見つめた。「この一年、よく浩平さんと連絡を取っていたのか?」「出産までの10ヶ月間、私は身を隠していたのよ。兄以外、誰とも連絡を取っていなかった」音々は輝を見ながら言った。「まさか、こんなことで焼きもちを焼くの?」「当たり前だ。彼は私よりもあなたのことを知っているみたいじゃないか!」「彼はあなたとは違うの
「......それは昔の話だ。今はあなたが戻ってきたんだから、私を監督してくれ!」それを聞いて、音々は微笑んだ。そして、輝は音々の肩を抱き寄せ、笑顔で言った。「さあ、帰ろう!」音々も腕に抱いた愛らしい悠翔を見つめ、微笑みながら頷いた。「ええ、帰ろう」......スターベイに着いた頃には、悠翔は眠っていた。稜花は言った。「悠翔くんをゲストルームに寝かせてあげましょう。お二人は1年ぶりの再会でしょうから、きっと話が尽きないでしょう。ご心配なく。私は部屋で大人しくしていますから、邪魔はしません!」それには、音々も言葉に詰まった。片や、輝は音々を抱きしめ、楽しそうに笑った。「木村さん、気が利くね。今月のボーナスはうんと上げないとな!」稜花は輝に笑顔でグッドサインを送った。「岡崎さん、太っ腹ですね!」......寝室のドアが閉まると同時に、輝は音々をドアに押し付け、彼女の唇を貪るようにキスした。1年の離別は、互いの気持ちをさらに募らせていた。言葉は必要なかった。二人は行動で、互いを求め合う気持ちを余すことなく表現した。......1時間後、バスルームのシャワーの音は止んだ。疲れ切った音々はバスローブを羽織り、輝に抱きかかえられてバスルームを出た。輝は音々をベッドに寝かせ、布団を掛けて言った。「少し休んでて。ご飯を作ってくるから」音々は本当に疲れていた。この3ヶ月、様々な出来事に巻き込まれ、ろくに眠れていなかったのだ。全てが解決すると、彼女は我妻家の発表を待たずに、すぐに輝のもとへ向かった。輝と悠翔に、一刻も早く会いたかったからだ。そして今、やっと再会を果たし、張り詰めていた神経は完全に解きほぐされた。音々は目を閉じ、すぐに深い眠りに落ちた。輝はベッドの脇に座り、音々の目の下のクマを見ながら、深刻な表情になった。本当は、今日会った時から、彼女が疲れきっていることは分かっていた。それに抱きしめた時、すごくやせ細ったようにも感じた。そして愛し合った時も、以前より華奢になった体に、いくつもの新しい傷跡があることに気づいた。特に帝王切開の傷跡は痛々しかった。輝の心は締め付けられるようだった。だから、どんなに恋しくても、我を忘れてしまうほど夢中になることはできなかった。深い眠りに落ち、







