ログインエレナの母校の近くにある小さなカフェにて。エレナが足を踏み入れたとき、ゾーイはすでに入り口側の席に座って待っていた。彼女は大きく手を振り、テーブルの上にはすでに上の部分にクリームの飾られた冷たいドリンクが2つ用意されていた。「あなたの好きなやつを頼んでおいたわ」ゾーイが言った。「さあ、座って」エレナは椅子を引き、バッグの持ち手を指先できつく握り締めながら腰を下ろした。まるで、どこに置けばいいのか分からない重荷をずっと抱えているかのような様子だった。「一体どうしたのよ?」ゾーイが優しく尋ねた。「昨日もらったメッセージ、すごく深刻そうだったから」エレナが何を言おうとしているのか、ゾーイにはおおよその見当がついていたが、それでもあえて確かめるように訊ねたのだ。エレナは大きく息を吐き出した。ダミアンがシエナと結婚して以来ずっと顔見知りだったゾーイを見つめる。ゾーイがシエナを嫌っていることをエレナは知っていたからこそ、同じ境遇にある者同士として彼女に親近感を抱いていたのだった。「ママが変わっちゃったの」エレナはドリンクをストローでかき混ぜながら、口をつけずに言った。「ここ数日、ずっとシエナに優しい声をかけたり、シエナの悪口を言ったお茶仲間の友達を注意したり、しまいには養護施設に毛布まで送ったりしてるのよ。そんなの、今までのママらしくないわ」「毛布?」ゾーイの片方の眉がわずかに持ち上がった。エレナはしっかりと頷いた。「子どもたちに送ったの。トランクに入っている箱を自分の目で見たんだから。昔なんて、誰よりも厳しかったくせに」ゾーイは同情的な顔を作り、少し首を傾げながら話を聞いていた。その表情の裏で、彼女の目はエレナの口から漏れる一言一句を鋭く観察していた。「居心地が悪いの?」ゾーイが尋ね、自分のアイスドリンクを一口すすった。「どうしていいか分からないのよ」エレナはうつむき、重たい息をもらした。「ダミアンお兄さまとママがもう言い争わなくなったのは、本来なら嬉しいはずなのに……でも……」「でも?」ゾーイの額に深いシワが寄り、エレナの次の言葉を待ち構えた。「でも、まるでママが少しずつ遠くへ行ってしまうような気がするの。私たち二人で今まであんな風に話していたことが、もうなくなっちゃったみたいで」エレナは長いため息をついた。ゾーイはテーブルの上に置かれたエレ
翌日、ダミアンの邸宅にて。シエナは裏庭のテラスで植物に水やりをしていた。休日を使って、大切に育てている植木たちの世話をしている。そこへ、家の中から慌ただしい足音が聞こえてきた。シエナが玄関の方へと視線を向けると、困惑した表情を浮かべたジョアナがそこに立っていた。「どうしたの、ジョアナ?」水やりの手を止め、シエナが尋ねる。「奥様、おもてにベアトリス様がいらしています」ジョアナの声には躊躇の色が混じっていた。シエナは急いで振り返った。「誰だって?」念のために聞き返す。「ベアトリス様です。通りがかりなものだから、と仰っていまして……」ジョアナはまだ小声で話していた。シエナは数秒間、ジョアナを見つめた。自分たちの家から30分離れた場所にある邸宅に、「通りがかり」で寄る人間などいない。彼女はホースの水を止め、ブラウスを整えると、玄関の方へと歩いていった。ベアトリスは片腕にハンドバッグをかけ、足元には大きな段ボール箱を置いて、ドアの近くに立っていた。まるでそこにいる理由を必死に探しているかのような佇まいだった。「お義母様」シエナは礼儀正しく挨拶した。「ただ通りかかっただけよ」ベアトリスは早口ですぐに答えた。あまりにも早口だった。「この近くに用事があってね」シエナは小さなうなずきとともに唇を引き締めた。「それなら、どうぞお入りください」「結構よ」ベアトリスは足元の段ボール箱に目をやり、ジョアナにそれを持ち上げて中に運ぶように合図した。「これは毛布と学用品よ。養護施設の子どもたちに。持って行ってちょうだい」ジョアナはぎこちなく頷いた。「かしこまりました、奥様」シエナはその箱を見つめ、それからベアトリスを見た。彼女はわざと視線をそらしていた。まるでテーブルの上の花瓶にでも夢中であるかのように、その花瓶をじっと見つめている。「ありがとうございます、お義母様」シエナは静かに言った。「子どもたちもきっと喜びます」「なんでもないわ」ベアトリスはまたしても矢継ぎ早にそう言った。「どうぞ、少し上がってください。お茶を淹れますので」ベアトリスがすでに断っていたにもかかわらず、シエナは丁寧に勧め続けた。ベアトリスはためらった。ドアの方を一瞥し、それからソファに目をやる。彼女の顎がピクリと動き、まるで自分自身と交渉しているかのようだ
土曜の朝、建設中の養護施設の敷地にて。かつて全焼した地面に、鉄骨のフレームがしっかりと組み上がっていた。黄色いヘルメットをかぶった作業員たちが慌ただしく行き交い、仮設フェンスの裏側に集まった子どもたちの笑い声と、トントンと響く金づちの音が混ざり合っている。かつての息苦しい焦げ臭さに代わり、コンクリートが乾く匂いが辺りを包んでいた。シエナは図面のファイルを手にして、フェンスの端に立っていた。ナオミが彼女の傍らに立ち、フレームの一角を指差した。「あそこが図書室ね? 窓は東向きにしなきゃダメだって、さっき言ってたじゃない」シエナは満面の笑みを浮かべてナオミの方を向いた。「子供たちに朝の光をたっぷり浴びてほしいから」「細部までちゃんと覚えてるんだね」子供たちを何よりも優先し続けるシエナを見つめ、ナオミは感心したように言った。シエナはほっと息をついた。「昨日の夜、自分で図面を引き直したのよ」シエナは小さく微笑んだ。子供たちのために、この養護施設をふたたび自分の手で建て直せるのだと思うと、嬉しさがこみ上げてきた。彼らから少し離れた場所では、工事現場には似つかわしいスラックスとピカピカの革靴に身を包んだダミアンが、硬い表情で突っ立っていた。6歳の男の子――ケビンが、彼のシャツの裾を引っ張っている。「ダミアンおじさん、新しいおうちには僕の部屋もある?」大きな目をパチクリさせながら、期待に満ちた視線を向けていた。ダミアンは視線を落とした。複雑すぎる契約書でも見るかのように、その小さな生き物を見つめる。「ある。何階がいい?」ケビンの顔がぱっと明るくなった。「階段があるところ!」「どの部屋にも階段はある」クライアントと話すかのように、ダミアンはきっぱりと言い放った。ケビンはケラケラと笑うと、しゃがみ込んだダミアンの膝の上にそのままよじ登った。ダミアンは完全に固まった。両手が宙に浮いたまま、どこに下ろしていいのか分からなくなっている。シエナはその光景を遠くで見つめながら、笑いをこらえた。数分後、ケビンの小さな頭はダミアンの肩に預けられ、目は閉じられ、その息づきはすっかり穏やかになっていた。「寝ちゃったよ」ダミアンは振り返ることもせず、小声で言った。壊れ物を扱うかのように、その顔はこわばっていた。シエナは、ダミアンがその場で身動きできなく
翌日、街の中心部にあるホテルの小さなボールルームにて。優雅な笑い声と、ティーポットから注がれる紅茶のカップを鳴らす音が部屋を満たしていた。お揃いのドレスをまとった十数人の婦人たちが、白いテーブルクロスがかけられた円卓を囲んで座っている。ベアトリスは二人の社交界の友人の間に座っていた。その向かい側では、エレナが興味なさそうにティーカップの中身をスプーンでかき混ぜている。ベアトリスは、二日前にダミアンが言った言葉をまだ頭から追い出せずにいた。思い出そうとするたびに、その言葉が白いテーブルクロスについた紅茶のシミのようにこびりついて離れなかった。「聞いたわよ、あなたの息子さん、いま会社で働いているんでしたっけ?」ベアトリスの左隣に座る婦人が、甘ったるい声で話題を切り出した。「お嫁さんも、一緒にね」「ええ」ベアトリスは表情を変えず、短く答えた。「昔ニュースになっていた人よねぇ」もう一人の婦人が意味深な笑みを浮かべた。「すべてを取り仕切るなんて、あなたも苦労が多いこと。おまけに、外から来た人間のせいで色々と問題も起きるでしょうし」「それに、ダミアンさんは確かハドウィン家の令嬢と縁談がまとまりかけていたって話じゃない?」別の婦人が声を潜め、秘密を分かち合うかのように言った。「ダミアンさんとハドウィン家のお嬢さんは本当にお似合いだったのにねぇ。あの方がまだほかの女性を妻にしているせいで、破談になってしまったのが残念だわ」エレナは母親をチラリと見た。普段なら、この話題が出ればベアトリスも微笑み、相槌を打ち、あまつさえシエナに対する痛烈な皮肉を付け加えるはずだった。エレナはすでに唇の端に小さな笑みを準備していた。だが、それは起こらなかった。ベアトリスがカップを置いた。磁器のカップが受け皿と触れ合う乾いた音が、室内にハッキリと響いた。「奥様」ベアトリスが穏やかな口調で言った。「なんですの?」テーブルにいるすべての社交界の婦人たちが、一斉にベアトリスに視線を向けた。「私の息子のお嫁さんは、同情からではなく、自分の能力があって働いているのよ」ベアトリスの声は静かだったが、一言一言がまるで刃物のように鋭く切り捨てられた。「先週の彼女のプレゼンテーションは、役員たちを全員黙らせるほどのものだったわ。それから、もし他人の家族の噂話をしたいのなら
翌日、ブラックウェル・グループの7階にて。シエナがダミアンから贈られた黒い万年筆でメモを走らせていると、誰かが彼女のデスクを軽く叩いた。彼女が顔を上げると、動きを止めた。そこには、変わらずベージュのブレザーを身に纏い、紙コップホルダーに入った2つのコーヒーを手にしたクララが立っていた。「少しの間、お座りしてもよろしいかしら?」クララが尋ねた。その顔には愛らしい笑みが浮かんでいた。シエナは周囲を見回した。何人かの社員たちが仕事に没頭しているふりをしていたが、その耳が明らかにこのデスクに向けられているのが分かった。彼女は静かに頷いた。「どうぞ」クララは片方のカップをシエナの前に置き、隣のデスクから空いている椅子を引き寄せた。「あなたのお好みのコーヒーが分からなかったので、一番オーソドックスなものを注文しましたの」「ありがとうございます」シエナはそのカップを受け取った。「何かご用でしょうか?」「お詫びをしに伺いました」クララは息を吸い込んだ。「あの夜のことは、私、何も存じ上げなかったのです。ベアトリス叔母様からはただ家族の夕食会があるとだけ伺っていて、お越しするようにと言われておりましたの。実際に席について初めて、何を目論んでいらっしゃったのかに気づきましたのよ」シエナは数秒間黙っていた。彼女はクララの顔を見つめ、そこに嘘がないかを探った。嘘はなかった。そこにあったのは、ただ申し訳なく思っている純粋な気持ちだけだった。「あなたが謝られる必要はありませんわ」シエナはついに口を開いた。「あなたもまた、あの計画の被害者なのですから」「それでも、本来の私の権利ではない席に危うく座ってしまうところでした」クララは苦笑いを浮かべた。「ダミアン様があなたをご自身の隣に座らせてくださったとはいえ、やはりあれは正しくなかったと感じておりますの」「食卓でダミアンにきちんと説明してくださいましたわ。それで十分です」シエナは落ち着いたトーンで話した。クララはしばらくシエナを見つめていたが、やがてくすくすと小さく笑った。「あなたって、少し不思議な方ですね」シエナの片方の眉が上がった。「不思議、ですか?」「私の知っている女性のほとんどなら、これを口実にして私を憎むようになりますもの」クララは笑うのをやめたが、その唇にはまだ小さな笑みが残っ
ベアトリスとの会話を終えた後。ダミアンの車は、ブラックウェル家の本邸のガレージ前に停められたままだった。ダミアンはエンジンをかけないまま、運転席に座っていた。かれこれ10分近く、そこに座り続けている。手のひらに妙な感覚があった。ダミアンは何度も手を開いては握り締め、その理由を探ろうとした。震えではない。長年あまりにも強く握りしめ続けていた何かを、たった今手放したあとのような感触だった。彼は母親の潤んだ瞳を思い出していた。こめかみにキスをしたときの、あの硬直した肩。今まで聞いたこともないような声で発せられた、「時間が欲しいの」という言葉。長年にわたり、ベアトリスとの会話といえば、必ずどちらかが何かを叩きつけて終わるのが常だった。今日は誰も何も叩きつけなかった。だからこそ、彼の胸の奥はやり場のない騒ぎに包まれていたのだ。「35年間か……」フロントガラスに向かって、ダミアンが低く呟いた。「僕が理由を問いかけたのは、今日が初めてだったな」長年知ることのなかった母親の強がりの裏にある真実に対し、彼の中に後悔の念が芽生えていた。実の母親に関するその事実は、彼の心臓を激しく打ち鳴らしていた。ベアトリスの書斎にて。ドアが開いたとき、ベアトリスはまだ先ほどと同じ場所に座っていた。手にしていた写真立ては引き出しの中に戻されていたが、引き出し自体はまだ完全に閉じられてはいなかった。「お茶を飲んでいないじゃないか」サイモンが戸口に立っていた。杖の音を床に2度響かせてから、中へと歩を進めてくる。「ダミアンと話したのだろう?」「もう帰ったわ」ベアトリスは振り返りもせずに答えた。「門を出ていく車が見えたよ」サイモンは応接用の椅子に腰を下ろし、両手を杖の上に重ねた。「声を荒らげなかったのだな。使用人たちが驚いていたよ」「ニヤニヤしないでちょうだい」自分とダミアンの会談がいつもどんな結末を迎えるかを熟知している夫の皮肉に対し、ベアトリスは少し苛立ちを込めてすかさず言い返した。サイモンは深く息を吐き出した。「笑ってなどいないよ」「口元が笑っているわ」ベアトリスは目を細めた。サイモンはあごをさすり、確かにそこに浮かんでいた笑みを隠した。ベアトリスは鼻を鳴らしたが、その声にいつもの鋭さはなかった。彼女は冷めきった紅茶のカップを見つめた。「あの子、私







