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第6話

Author: スイート団子
神谷崇(かみや たかし)が彼女に答えるよりも早く、旭は人混みをかき分けて美帆のそばにやって来た。

彼は美帆の前に立ち塞がるように立ち、彼女の視線を遮った。

「いつ帰ってきたんだ?なぜ事前に連絡しなかった?歓迎会を開いてやったのに」

旭は崇の肩をポンと叩き、まるで親友に接するような態度だった。

崇は笑みを浮かべたまま何も言わず、ただ淡々とした視線を美帆に向けた。

しばらくして、ゆっくりと口を開いた。

「一昨日帰国したんだ。歓迎会なんて開いてもらわなくてもいいよ」

「今回はどれくらい滞在するつもりだ?」

旭が再び尋ねた。

「もう行かないよ」

崇の視線がゆっくりと美帆から外れ、旭へと移った。

彼は上品に微笑みながら言った。

「以前、私たちが交わした約束……まだ覚えているかな?」

旭は眉をひそめた。すぐには答えず、ただ不機嫌そうな冷たい視線で崇を睨みつけている。

表面上は親しげに見える二人だが、美帆はその間に一触即発の緊迫感を感じ取っていた。

九条の妻として五年を過ごしてきたが、旭に「神谷」という名の親友がいるなど聞いたこともなかったのだ。

「神谷さんは、夫と随分親しいようですね」

美帆が口を挟み、二人の注意をこちらへ引き戻した。

崇は軽く笑い、眼鏡を正した。温和なその表情に、ほんのりと心残りの色が忍んだ。

「ええ。学生時代、私たちは一番仲の良い四人組でしたから。ただ残念なことに……」

美帆の心に、珍しく好奇心が芽生えたその時、旭が遮るように言い放った。

「崇、今度、昔の仲間を集めて飲もう。改めて歓迎会を開くから」

話を遮られた崇はそれ以上続けず、ただ頷いて「ああ」とだけ答えた。

見えない暗流が激しく渦巻いている。

美帆は鋭く察知した。旭が崇の口から過去を語らせまいとしているのは、間違いなく自分の失われた記憶と深く関わっているからだ、と。

「今日はお前が主役だろう。挨拶回りに行ってこい。

俺と美帆は適当にくつろぐから、気を遣わなくていいぞ」

旭は美帆の手首を掴み、気遣うような口調で言った。

崇には、その言葉の裏にある「早く消えろ」の意味を即座に読み取った。

彼は美帆を深く見つめ、美帆もまたそれに応じるように見つめ返した。

彼女の瞳は拒むような冷たい疎外感を湛えていた。

崇の瞳の奥に一瞬だけ失望の色がよぎった。

だが彼はそれを完璧に隠し通し、ただ一言だけ言い残した。

「分かった。お言葉に甘えて先に行かせてもらうよ。また近いうちに集まろう」

崇が立ち去るや否や、旭はまるで汚いものにでも触れたかのように、嫌悪感を示して美帆の手を振り払った。

「美帆、お前のふしだらさには恐れ入るよ。

俺がまだ横にいるっていうのに、他の男に色目を使わずにはいられないのか?」

旭の吐き出した悪辣な言葉は、ひどく耳障りに響いた。

彼女は顔を上げ、旭を真っ直ぐに見据え、真顔で問い返した。

「言葉を交わすだけで色目を使っていると言うのなら、あなたと小野寺咲はどうなの?

……密通?それとも、ただの不倫?」

旭は言葉に詰まった。美帆が気の強い女であることは知っていたが、まさかここまで容赦のない言葉をぶつけてくるとは思わなかった。

その言葉は彼をひどく苛立たせた。

大勢の前で、美帆は旭が声を荒げて喧嘩などできないと見越していた。それに、言い争いなど無意味だとも思っていた。

自分たちは普通の夫婦とは全く違う。言い争いをしたところで何の意味もないのだ。

美帆はきびすを返し、旭に反論の隙すら与えぬまま、その場を立ち去った。

幸い、それから間もなくして咲が姿を現し、美帆とすれ違って旭の傍にやってきた。

美帆の顔は氷のように冷え切っており、一目で不機嫌だと分かる様子だった。

咲もあえて彼女には関わろうとせず、チラリと一瞥しただけで、小走りで旭の元へと向かった。

咲はまるで蔓草のように、旭に絡みつくことでしか生きられない女だった。

ほんの少しの間彼から離れただけでも、彼女は強い危機感を覚えてしまうのだ。

「旭さん、さっき美帆さんと何を話していたの?

すごく怒っているみたいだったけど」

咲の瞳はキラキラと輝き、人を真っ直ぐに見つめるその様は、あまりに無邪気で……まるで無垢な小動物のようだった。

「何でもない」

旭は美帆のことなど語りたくもなかった。

彼は薄い唇を引き結び、その端正な顔を曇らせていた。

それをすぐに察した咲は、にっこり笑って彼の腕に抱きつき、気を利かせて話題を切り替えた。

「さっき、以前一緒にお仕事をした橘(たちばな)監督に出会ったの。

次回作でまた私を起用したいって言ってくださって。

でも私、どうしようか迷ってて……ねえ、旭さんの意見を聞きたいの」

「ああ、そうか……」

旭は、咲のこうしたしおらしい態度にめっぽう弱かった。

二人は談笑しながらその場を離れていった。

一方の美帆は、いつも取引をしている仕事相手たちに捕まり、ワイングラスを片手にそつなく愛想を振りまいていた。

視界の隅で、旭が堂々と咲と手を繋いで去っていくのが見え、胸の奥がチクリと痛んだ。

彼女はいっそこの苦しさを押し流してしまおうと、グラスのワインを一気に飲み干した。

「さすが美帆さん、いい飲みっぷりですね。まさに女傑ですな」

「それはそうですよ。九条グループの映画部門がここまで急成長を遂げたのも、美帆さんの手腕あってこそ。本当に感服いたしますよ」

周囲の人間は皆、美帆の夫婦関係が冷え切っていることを知ってはいたが、それでも彼女に媚びへつらい、おだてようとする人間は決して後を絶たなかった。

美帆は否定も肯定もせず、ただ小さく微笑むだけだった。

その話題は自然とやり過ごされた。

気分が優れなかったせいか、今夜の美帆は勧められるがままに酒を煽った。

夜更けになり、九条家のお抱え運転手が彼女を迎えに来た。

九条家の屋敷は煌々と明かりが点いていたが、リビングには誰の姿もなかった。

最初は、自分のために電気を残しておいてくれたのだと思った。

しかし、二階に上がって寝室のドアを開けると、そこには険しい顔をしてソファに座る旭の姿があった。

「どうして帰ってきたの?」

美帆は旭が戻っていることに心底驚いた。

神谷家のパーティーでは、彼は咲と片時も離れずべったりだったのだ。

それに咲は妊娠したばかりだ。これほどまでに咲と腹の子供を大切にしている彼が、彼女を置いて帰ってくるなどあり得ないはずだ。

旭は押し黙ったまま、微動だにせず足を組んで座っていた。その手には、分厚い本が握られている。

それは、美帆が日頃から愛読し、手放さずにいた本だった。

ほろ酔い気分だった美帆も、それを目の当たりにした瞬間、一気に頭が冴え渡った。

彼女は足早に近づき、旭の手から本を奪い取ろうとした。

「私の本に触らないで!」

しかし歩を早めすぎたせいで足をもつらせ、旭の目の前に膝をついて倒れ込んでしまった。

彼は手を差し伸べることすらしなかった。

旭は悠然と立ち上がり、彼女を見下ろして言った。

「今夜、神谷家で男を引っ掛けるのに失敗したからって、今度は家に帰ってきて俺に色仕掛けか?

美帆、お前はそんなに男に飢えてるのか?」

美帆は顔を上げ、反論しようとした。

だが、旭が二本の指で彼女の顎を強く挟み込み、冷淡な声で言い放った。

「俺はお前を抱く気なんて毛頭ないからな。

恨みつらみは借りのある相手に言えよ。

またどこの馬の骨とも知れないガキを俺のせいにされても困るからな」

大人しく身の程をわきまえろ。九条家には、言葉も話せないお荷物が一人いれば十分だ」

美帆は、旭の口からろくな言葉が出てこないことなどとっくに知っていた。だが、それを直接耳にすると、やはり心が千切れるような思いがした。

寧々は紛れもなく彼の実の娘なのに、なぜ信じようとしないのか!

「寧々は野良犬の子じゃないわ。あなたの実の娘よ」

美帆は一言一言、はっきりと告げた。

「美帆、お前がどう言い逃れようと、事実は変わらないぞ。

野良犬の子は野良犬の子だ」

旭は彼女を見下ろし、その漆黒の瞳には何の感情も宿っていなかった。

美帆が視線を上げ、ふとドアの外を見ると、小さな子供が凍りついたように立ち尽くしているのが見え、彼女は顔色を変えた。

即座に旭の手を振り払い、無言で立ち上がると、外へと駆け出した。

旭も彼女の視線を追いかけ、鮮やかなピンク色の子供の姿を捉えた。

あのガキ、今の話を聞いていたのか。

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