LOGIN離婚して初めて迎えたバレンタインデー。 長谷部美帆(はせべ みほ)はSNSで堂々とこのような投稿をした。 【結婚相手募集中!真剣にお付き合いできる方、DMください!】 添付された画像は、堂々と「離婚届受理証明書」を掲げた彼女の全身写真だった。 この投稿は瞬く間に東都(とうと)中を騒然とさせ、男たちはこぞって色めき立った。 それを見て黙っていられなくなったのが、元夫の九条旭(くじょう あきら)だ。 元妻がこんなにもモテるなんて……!このままじゃ、復縁したくても順番すら回ってこない! 焦りと嫉妬で頭に血が上った彼は、大量のダミーアカウントを買い占め、彼女のコメント欄に必死の書き込みを連投し始めた。 【美帆、俺が悪かった!頼むからブロックを解除してくれ……!】
View Moreストーカーが現場に乱入し、咲に付きまとったという噂は瞬く間に広まった。美帆が会社に戻りエレベーターを降りると、最上階の役員フロアで咲のマネージャーである柴田(しばた)と出くわした。柴田はちょうど伊藤と電話をしている最中だった。「伊藤さん、今そっちに向かってる。そいつから目を離すな。後のことは俺に任せてくれ!」美帆は冷ややかな目で柴田を一瞥し、柴田も軽く頷いて挨拶を返した。そのまま二人はすれ違い、一言も言葉を交わすことはなかった。柴田は会社の古株であり、旭の右腕とも言える存在だ。咲が事務所と契約する前から、彼と美帆の折り合いは悪かった。最初は旭が会社の実務をすべて柴田に任せようとしていた。しかし、それを知った薫が「柴田は結局のところ余所者であり、到底信用できない」と考え、代わりに会社の舵取りを美帆に託したのだ。美帆もその期待に応え、着実に成長し、今では会社を仕切れるほどの一人前になった。それに対し、女に負けたことを不満に思った柴田は、次第に美帆の言うことを聞かなくなっていった。柴田の抗議に対し、薫は一切耳を貸さなかった。おそらく、柴田を利用して美帆を制御する意図もあったのだろう。確かに柴田の才能がある。美帆も「才能のある人間には多少の気難しさは付き物だ」と割り切り、度を越した真似をしない限りは、その振る舞いを許容していた。【美帆、今日の夜は寧々を連れて本館へ夕飯を食べにいらっしゃい】オフィスに着いて席に座るなり、薫からのメッセージが届いた。美帆はすぐには返信せず、スマホの画面の上で細い指先を止めたまま、少し迷っていた。用事もないのにわざわざ呼ぶはずがない。薫が寧々を連れてこいと言うのは、十中八九、あの件のせいだろうと見当がついた。旭が咲と結婚し、お腹の子供を正式な九条家の子として迎え入れようとしている件だろう。午後四時過ぎ。空からぼたん雪が舞い降り始め、幾重にも重なる雪が東都全体を氷の城のように飾っていた。美帆は仕事を早めに切り上げ、寧々を迎えに特別支援学校へ向かった。下校の時間帯は、周囲の道路も送迎の車が行き交い、大勢の保護者たちでごった返していた。寒がりな美帆は、ダークカラーの厚手のロングコートに身を包み、純白の分厚いマフラーを巻き、足元は厚底のブーツ。片手にはビジネス
旭も眉をひそめた。美帆の言い分には、反論の余地がなかったのだ。結婚前に交わした婚前契約は言うまでもなく、法律上でも確かに彼女の言う通りだった。彼らは、嫌でも法律という鎖に縛り付けられた夫婦なのだ。「私が旭さんのそばにいるのは、お金が目当てだからじゃないわ。私は本当に旭さんのことを愛しているのよ」美帆が立ち去ろうとしているのを見て、咲はわざと彼女を嫌悪させるように急いで言い放った。「だから何?」美帆は相変わらず淡々としており、その冷ややかな瞳で二人を一瞥した。咲は旭の手にしがみついた。彼はそれを振り払わなかった。それが、咲にさらに自信を与えた。咲はきっぱりと言い切った。「私は絶対にこの子を諦めない。この子は私と旭さんの愛の結晶なんだから」それを聞いて美帆は笑った。「彼には妻もいて、子供もいるのよ。あなたが産む子供がなんて呼ばれるか、知ってる?愛人の子って呼ばれるのよ」咲に向けて言っているが、美帆の視線は一度も旭から外れることはなかった。「旭さん……私、私……この子が愛人の子って呼ばれるの嫌だよ」咲の顔は血の気を失い、彼女は唇をきつく噛み締めながら、潤んだ目で旭を見つめた。明らかに美帆の言葉に刺激され、ショックを受けた様子だった。旭は一瞬、ハッと息を呑んだ。涙を堪えている咲を見て、彼は不意に、かつてのあの優しかった女の子のことを思い出したのだ。彼女はどんなに辛い時も悔しさを飲み込み、決して泣き言をこぼさないような人だった。「そんなことにはさせない。お前の子供は愛人の子なんかじゃないんだ」旭は咲の手を力強く握り締め、誓うように言った。美帆は二人がイチャつく姿を見るのも嫌になり、きびすを返して大股で撮影スタジオを後にした。立ち去る間際、咲が旭に「私と結婚してくれるの?」と尋ねる声が微かに聞こえた。そして、旭が何と答えたのか、それは美帆の耳には届かなかった。耳の奥で「キーン」という激しい耳鳴りが鳴り響き、何も聞こえなくなってしまったのだ。美帆は眉間をきつく寄せ、スタジオを出るなり両耳を塞ぎながら駐車場へ向かった。車に乗り込み、慌てて薬を探す。この耳鳴りは、以前の交通事故の後遺症だった。ひどい時は激しい痛みを伴い、一時的に耳が聞こえなくなることもある。
「美帆、咲はドラマの制作陣と正式に契約を交わしているんだぞ。いきなり降板させれば、会社は違約金として十倍の額を払わなきゃならないんだぞ。俺や取締役会の承認も得ずに、お前が勝手に決めるつもりか?」旭は普段、遊び歩いてばかりのドラ息子のように見えるが、それでも会社の実権をしっかりと握っていた。取締役会の古狸たちも旭と親しい者が多く、いざという時には皆、彼側につくのだ。美帆は九条グループの副社長とはいえ、社内の誰もが「グループは結局のところ九条家のもの」だと理解していた。どちらが重んじられるべきかなど、火を見るより明らかだった。もちろん、旭自身も大株主たちとの関係を繋ぎ止めることには、それなりに余念がなかった。「そもそも、今回の主役に彼女を起用することに私は反対していたはずよ。彼女の知名度も演技力も、今回のヒロインには全く釣り合っていなかった。それにもかかわらず、あなたがスポンサーとして出資し、無理やり彼女をねじ込んだんじゃないの?」美帆は冷ややかな目で咲を一瞥し、淡々と言った。「彼女はチャンスを貰っておきながら、努力もせず我儘を繰り返すばかり。そんな非協力的な態度で、作品の完成度を損なうような真似は断じて許せない。会社の副社長として降板を申し入れるのは当然の措置だわ。私は少しもやましいところはないから、たとえ明日、株主総会が開かれることになっても、私は胸を張って説明できるわ」「ふん。本当にやましいところがないなら、まず俺に相談すべきだろう。俺を通さずに撮影現場へ乗り込み、咲に難癖をつけるなんて何のつもりだ?」旭は冷たく鼻で笑った。薄い唇の端を歪め、彼はさらに皮肉を重ねた。「美帆、お前は本当に薄汚く成り下がったな。皆の目の前で咲の顔を潰して、お前の副社長としての権威を誇示したかったなら、最初からそう言えばいい。わざわざこんな回りくどい言い訳をして、見苦しい真似をするな!」整った顔立ちで心無い言葉をぶつける旭を見つめていると、美帆の胸の奥にじわじわと痛みが広がった。まるで誰かが刃物で彼女の心を何度も抉っているかのようだ。「いいだろう、皆集まれ。うちの副社長がどれだけ威張っているか、とくとご覧に入れよう!」旭はくるりと向き直り、周囲のスタッフたちに向けて拍手をしながら大声を上げた。
美帆は寧々の部屋へ駆け込み、娘を抱きしめてあやし続けた後、ようやく寝かしつけた。疲れ果てて自分寝室に戻り、旭と話し合おうとしたが、部屋はもぬけの殻で、彼の姿はどこにもなかった。おそらく、また咲のところへ戻ったのだろう。旭にとって、九条家はただのホテルのようなものだ。たまに気が向いた時に帰ってくるだけ。美帆はもう慣れっこだった。お酒を飲んでいたためシャワーを浴びる気にもなれず、クローゼットでパジャマに着替えて出てくると、ベッドサイドのテーブルに契約書が置かれているのを見つけた。美帆は動きを止めた。無意識のうちに、旭が今夜帰ってきた目的はこの書類のためだったのだと直感した。彼女は無表情で歩み寄り、契約書を手に取って詳細に目を通した。驚くことでもない。旭が今夜帰ってきたのは、やはり咲のためだったのだ。旭はなんと、会社の株式の10%を咲に譲渡しようとしていた。美帆はその契約書を握りしめ、下部にある旭の署名を見つめながら、複雑な思いに駆られた。旭に嫁ぎ、九条家のために馬車馬のように働き続けて五年。それでも自分が持っている会社の株は30%に過ぎない。それが咲は、いとも簡単に10%を手に入れようとしているのだ。美帆の知る限り、旭が保有している会社の株は15%である。彼は本当に、咲のためなら自分のすべてを差し出すほど惚れ込んでいるのだ。美帆はきびすを返し、落ち着いた様子で契約書をブリーフケースにしまい、明日会社へ持ち込むことにした。株式譲渡は、大きいと言えば大きいが、小さいと言えば小さい問題だ。少なくとも、取締役会と義母の薫には報告しなければならない。他のことなら旭の好き勝手にさせてもいいが、会社に関わることとなれば、美帆は決して妥協するつもりはなかった。会社は九条家が数代にわたって築き上げてきた基盤であるだけではない。彼女が五年間、心血を注ぎ込んできた結晶でもあるのだ。……翌朝。美帆は伊藤に連絡し、この件について話し合うために株主総会を招集するよう指示した。しかし、株主たちが集まる前に、伊藤が眉をひそめて苦しげな顔で駆け込んできた。「副社長、もうどう対処すべきか本当にわからなくて……今朝から複数の監督チームから苦情の電話が入っておりまして。すべて咲さんへのクレームです。