Home / 恋愛 / 祈りは斬鬼の果てに実を結ぶ / 第4話 グルーの心、愛を前にして

Share

第4話 グルーの心、愛を前にして

last update Last Updated: 2025-10-10 16:45:56

* * *

妻が、変わった。ある刹那を境に。

辺境伯家に嫁いでからずっと、頑ななまでに気位の高さを保っていた妻が──王都育ちのくせに、辺境伯の戦と血の匂いの近さに震えもせず気を張っていた妻が、王太子の結婚式で頼りなさげな顔を見せた。

常に身を取り巻く世界を睥睨する事で耐えていた妻が、あの時確かに俺へと助けを求めた。

「あの、旦那様……カボチャとジャガイモのポタージュなど、平民でも口にするものです。果たして奥様が受けつけるか……」

用意させた料理を運んできた使用人のエミリーが、困惑と恐れの入り交じった声で視線を落とす。

無理もない、エミリーはアリューシャの専属メイドに就いてからというもの、辺境伯家の使用人というだけで煙たがられ、邪険にされ続けてきた。

「ああ、嫌がるだろうな。そこまで身を落とせと言うのか、と。だが、今のアリューシャには必要な栄養だ」

「それは、そうですが……」

「拒まれても、今のアリューシャに必要なものを出すしかないだろう、俺からも勧める──冷める前に出してやらないと」

「は、はい。旦那様」

蒸したカボチャとジャガイモを濾して、クリームと塩で味つけしただけの質素な料理だ。侯爵家で贅沢に慣れた彼女では、貴族の矜恃が許さないかもしれない。

だが、今のアリューシャは弱りきっている。

それもそうだ、婚約者候補としてエスター様と火花を散らした末に、グロウラッシュ殿下がエスター様と結ばれる場に招かれて疲弊しない訳がない。

「……あの時から三年か……」

今でも鮮やかに思い出せる。初めてアリューシャを見た時の事を。

あれは、アリューシャがまだ十四歳だった頃に催された夜会での事だった。

グロウラッシュ殿下とエスター様が二曲続けて踊った時の事。

「……まあ、ご覧になって。まるで白薔薇が寄り添ったかのようなお姿ね」

「本当に。王太子殿下とエスター様はお似合いですわ。……それに比べて……ねえ 」

「アリューシャ様は、ずいぶん涼しいお顔をしてらっしゃること。余程の自信がおありなのね」

「目の前で二曲踊られて?もはや哀れですわね」

周囲がさざめく中、アリューシャは好奇の眼差しを浴びながらも、凛として立っていた。

手を握りしめるどころか、震わせもせず。

その誇り高き姿を遠目から見て、心を打たれた。

しかしダンスに誘うには躊躇われた。年嵩の辺境伯に申し込まれても、彼女が醜聞に晒されるのがオチだろう。

第一、彼女は王太子の婚約者候補なのだから、下手な事をしては彼女に傷がつく。

その夜は衝動を堪えて、ただ彼女に見惚れていた。静かに耐え抜いていた彼女は美しかった。

だからこそ、彼女が窮地に立たされた時、己の分を顧みずに求婚した。

「貴公の抱える問題は承知の上です。令嬢が置かれているお立場も。全て私が引き受けたく存じます」

「それは……娘には満足な持参金も持たせられないが……」

「それでも構いません。私が妻にと望むのは持参金ではなく令嬢ご本人ですから」

「……うむ……こうした事はアリューシャ本人にも話を通すべきところだが、今の状態では何を話しても無駄だろう」

「失礼ですが、令嬢は今どのように過ごしておいでなのですか?」

「部屋から一歩も出ようとせずに籠もっていて、家族とさえ言葉を交わさないでいる。おかげで、どう接したものかと頭を悩ませているところだ」

「そうですか……この婚姻には、令嬢から同意を得たかったのですが」

「何、その点を気にする必要はないだろう。他に求婚する者も現れようがないのだから」

「……」

本来ならば一蹴されるものでも、侯爵家は傾いており、娘は国中で敗北者と囁かれていて近寄る者もない。アリューシャは完全に孤立していた。

巷では、格下である伯爵家の令嬢から王太子妃の座を奪われるような、何らかの欠陥があるのではないかと勘ぐられ、もはや王都に彼女の居場所はなく、侯爵家にも彼女を守り抜く力など残っていなかった。

それにつけ込んだ俺は野蛮だ。

生涯見下されても我慢出来る。彼女が傍に立つならば。同じ城の中で生きてくれるなら。

その覚悟が、王太子の結婚式をきっかけに揺らいだ。

弱気な素振りを見せた彼女は孤高の令嬢ではなく、しおらしい一人の乙女だった。

俺を「旦那様」と呼び、人が変わったように真っ向から向き合う姿は、従順でありながら今にも消えてしまいそうに儚かった。

ポタージュを用意させたのは、彼女の体を思いやったのと同時に、彼女を試したのだ。

俺はどこまでも、愛を前にして卑怯だ。

愛する乙女を前にして、恐れずにはいられないのに、乙女を庇護したいと願う矛盾した男だ。

「……頂きます」

呆気ないくらい素直に差し出された食事を受け入れ、泣き出しそうな顔でポタージュを口にする彼女を見守りながら、密かに熱く彼女を恋うた。

そして願った。

ひとたび、同じ城の中で彼女の笑顔を見られたならば、直後に戦で命を落としても惜しくはないと。

俺の命で彼女を守れるならば。

「元気が戻ったら、デザイナーを呼んでお前のドレスを作らせよう。せっかく王都なんかにいるんだ、この機会を利用しないとな」

わざと明るく言うと、アリューシャは目を丸くした。この表情も、見せた事がない初めてのものだ。

「え……ですが、贅沢はさせられないと……」

「普段着のドレスくらい必要だろう?部屋着を買うのが贅沢か?」

何しろアリューシャは、嫁ぐ時に持参した、侯爵家にいた頃に作らせたドレス数着をやりくりして、こちらではドレスも宝飾品も求めずにいた。

しかし、着古したドレスはすぐに着まわしがきかなくなる。

それでも断固として辺境伯家に頼るまいとしていた彼女の、その意思の硬さは大したものだが、放置していたら彼女の不幸にしか繋がらない。

アリューシャの何かが変化したのなら、今のうちに必要なものを揃えてやりたい。

「どうせ王都は一ヶ月かけてお祭り騒ぎだ。それなら、足止めを食らっている期間は有効に活用しないと無駄足になる」

「……私のドレスをあつらえるのが時間の活用になるんですか?」

「むしろ、それより有益な時間の使い方があるのか疑問だ。社交なんて、今はそれどころでもないだろう?」

「……そう、ですね……」

態度が変化してから、彼女の瞳は雄弁になった。

今はまさに、社交界への不安と恐怖、そして気後れを示している。

こんな状態でパーティーや茶会に参加しても、後で悔し涙に暮れるだけだ。

「……ご馳走様でした」

アリューシャがおずおずとスプーンを置いた。

「半分も食べられたか、偉いぞ」

「あ、……ありがとうございます……」

どれだけの衝撃が彼女を激変させたかは分からない。積もり積もったものが決壊したのか、それも判断がつかない。

それでも──今、アリューシャは俺の妻だ。

彼女を見ていて、込み上げてくる感情が愛おしさなのか憐憫なのか判別出来なくとも、大事な存在に変わりない。

「よし、少し横になって休め。お前は頑張りすぎたんだ」

「……はい……」

「俺がつきっきりでは落ち着かないだろう。隣室にいるから、何かあれば呼んでくれ」

そう言い残して、隣室に向かった時──微かな声が聞こえたのは、気のせいだろうか?何かの聞き間違いなのか。

「……頑張りすぎたのね、アリューシャ」

アリューシャが自身を労っている。

何もかも諦めたような口調で。

──それは、魚の小骨が喉に引っかかったように、後々まで違和感を残した。

諦めたような?彼女は自分の人生において、どれだけ諦めさせられた?

叶うなら、取り戻させてやりたい。アリューシャを手放す事だけは出来なくとも。その為にそそぐ力は惜しまない。

そう思うと同時に、そこまで追い詰められていたのかと、痛々しく感じながら──今は休ませようと決めた。

彼女が、ひどく疲れているように見えたから。

* * *

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • 祈りは斬鬼の果てに実を結ぶ   第24話 廃されるものと救われるもの

    ──懐妊が分かって数日。流産を狙われそうだと、粗末な食事さえも口にする事を控えながら耐えていたけれど。ある日の朝食で、大きな変化に私は驚きを隠せなかった。香ばしい匂いがする柔らかい焼きたてのパン、湯気をたてる具のたくさん入ったスープ、ソーセージと玉子料理、温野菜のサラダにカットした果物までついている。「これは……一体どういう事なのかしら?」運んできたメイドも、見慣れた無機質な人ではない。彼女は微笑んでから、声をひそめて答えた。「国王陛下と王妃殿下の計らいでございます。毒味も済んでおりますので、ご安心下さいませ」「国王夫妻の……?」「はい。これまでは、王太子夫妻の手筈で供されていたのですが……厨房には、罪人に施す食事だと仰せになられていたのです。それをお知りになられました国王陛下が……」つまり、これまでは王太子夫妻の独断専行で私を虐げていたのね。国王陛下も同意の上だとばかり思っていたけれど。「お部屋も陽当たりの良い客室に移って頂きますわ、何しろ辺境伯夫人はお子を宿した大事な時でございますから」「……それは助かるのだけれど、王太子夫妻は許すのかしら?」「──辺境伯夫人、これは王命でございますので、王太子殿下でも覆す事は出来かねますのよ」「王命……わざわざ手を差し伸べて下さったのね」「はい、さようでございます。この扱いをお知りになられた陛下のお怒りは、相当なものでございましたので。厳しい叱責を受けた王太子殿下と妃殿下には、近いうちに何らかの処罰がなされるかと」「そう……分かったわ、ありがとう」食事に使われている食器も銀食器に変わっていて、色は磨かれて輝き、変色は見受けられない。あまりにも扱いが急変した事で戸惑いはあるものの、今は冷めないうちに頂くべきだと思う事にした。「では、頂くわね」「はい、どうぞお召し上がりくださいませ」そっとスープを口にする。滋味に満ちていて美味しい。温かさに、ほっと息を

  • 祈りは斬鬼の果てに実を結ぶ   第23話 格子窓の向こうのものに

    ……人はなぜ、希望と絶望をもって生きるのか?それらの根源はどこにあるのか?きっと、それらは同じところから生まれているのよ。──人が人として生きていることから生まれるものなの。人は生きていれば望みを持ち、時に期待は裏切られ、失意に陥る。それでも生きている限り、人は希望を捨てきれない。生きる望みだから。光と影よ。希望を持てば、影には絶望が潜んでいる。失望と諦念を繰り返し、人は何かを得たり失ったりしても、生きることが性根にあるから再び立ち上がり歩み出す。生きていれば、失ったものを繰り返し思い出して胸を痛めはする。けれど、得たものを繰り返し反芻して味わい心を癒すもの。そうやって生きてゆき、最期に、「悪くはない人生だった」と思えるように足掻くのよ。その最期は、生きることを頑張った人間への最後のご褒美なの。誰だって、悔やみながら命を終えたくはないから、だから自分の人生を生きるのよ──。私は、孤独な王宮での生活で、そう自分に言い聞かせて励ましていた。グルーからの愛情を信じているから。──そして、私が王宮に滞在……軟禁されている間にも、グルーは国王陛下に「我が妻の返還を」と嘆願し続けていた。国王陛下も度重なれば黙ってはいられない。王太子殿下を呼び出して注意する。「ハイラアット辺境伯から、再三の書簡が来ている。妻を返すようにと。──ハイラアット辺境伯夫人は、既に純潔を失い、今現在辺境伯の子を身ごもっている可能性があると。そのような女性に執着する事は王太子としての資質を問われると知りなさい」国王陛下が苦言を呈すれば、皇后陛下も口を揃える。「元はと言えば、王太子妃の悋気と我がままであろう?お前は夫として、妻の事も治められはしないのか?既婚女性を側妃になどと、王室の品格が損なわれるものだというのに、なにゆえ妻の勝手を許している?」「……申し訳ございません……」両親であり、国の頂点に立つ国王陛下と皇后陛下には、王太子殿下も頭を下げるしかない。それを、王太子殿下は快く思わない。執務室に戻ると、不快をあらわにしてグルーを目の仇にし、暴虐な思考に走った。「グルー……あやつは捕縛して亡き者にせよ。亡骸は燃え盛る炎に投じて、残された遺骨は粉々に砕け。そうして、アリューシャの目の前で撒き散らせ。さすれば彼女も己の身の上の儚さを思い知るだろう」王太子殿下は、目を禍

  • 祈りは斬鬼の果てに実を結ぶ   第22話 王宮と鬼女の支配

    ──それから十日以上を費やして、必要最低限が保証されただけの、快適さとは無縁な馬車の旅も終わりとなり、私は望まぬ王宮に入って居室を与えられた。そこは日当たりも悪く、調度品も生活に必要な物だけが置かれた貧相な部屋だった。入浴するにもお湯はぬるくて少なく、髪も肌もよく洗ってはもらえない。運ばれてくる食事も質素というより、王宮の料理人が作ったとは思えないくらいお粗末なもので、到底側妃候補として遇されているとは言えなかった。しかも、自由に部屋を出る事は許されない。まるで独房に閉じ込められて、処罰を待つ罪人かとも思えた。けれど、例外としてエスター様のお呼びがあれば、部屋を出て出向く事になる。妃殿下の命令みたいなものだから、私が部屋にこもっていたくとも拒否権はない。「──よく来たわね、ガネーシャ」「王太子妃殿下にご挨拶申し上げます……」エスター様は、よく通る声で鷹揚に居丈高に話しかけてきて──うるさくて耳が痛くなる。それを堪えながら、久しぶりに見るエスター様の姿に驚いた。──これ……エスター様は生地をことさらたっぷり使って、体型が分かりにくくなるようなデザインのドレスを着ているけれど……体を隠してごまかしても、肉付きで丸くなった顔や、たるんだ顎までは、髪を結い上げずに垂らしても隠しきれていない。グルーの助言は無駄に終わったようね。明らかに暴飲暴食を日常的に繰り返して太っている。あまりにも変貌が激しくて、本当にゲームではヒロインだったのか、それすら信じがたくなった。愛くるしい顔だったはずのエスター様は目つきも荒んで、まるで蛇のように鋭くぎらついている。元より立場として許しなく話せはしないのだけれど、それでも私はエスター様の姿に言葉を失った。それをどう思ったのか、萎縮している敗北令嬢とでも見ているのか、小気味が良さそうに言葉を繰り出す。「──明日は令嬢達を集めてお茶会を開くの。あなたも出なさい。皆に紹介してあげるわ」「……ありがたく存じます……ですが、私は……」「辺境伯はお茶会に着るドレスも買ってはくれなかったの?可哀想にね。皆も理解してくれるわ、見苦しくない程度には装えるでしょう?いいわね?」「……かしこまりました。お誘いに感謝申し上げます」紹介も何も、私とて王都にいた貴族令嬢なのだから、社交の場にも顔を出していた。むしろ、私を知らない令

  • 祈りは斬鬼の果てに実を結ぶ   第21話 招かれざる客、そして愛

    それから、何事もなく過ごせるようになると信じていた。──けれど、それは来訪者によって打ち砕かれた。辺境伯領を訪れたのは、王宮からの使者どころではなく……王宮にいるべき王太子殿下だったのだ。それも、私を王宮に差し出せと、それだけを命じる為に。本来ならば、たった一人の女の為に、王太子殿下が遠く離れた辺境伯領まで来るだなんてありえない。殿下は、そこまでエスター様の事を重んじておられるのか?それとも──いえ、これは考えたくもない。どちらにせよ、王太子殿下を城内に入れない訳にはいかない。貴賓の為の応接間にお通しして、グルーが応対する事になった。殿下は簡潔に、そして傲慢に迫った。「アリューシャを側妃として王宮に入れる事に、同意するよう命じに来た」お断りの書簡には、グルーがはっきりと私は既に純潔を失っているゆえ、入宮させる事は叶わないと書いていたのに、まるで無視している。当然ながら、グルーが頷く事などなかった。「アリューシャは、我が妻は私の子を宿しているかもしれないのです。にもかかわらず王宮に入れるなど出来かねます」「かもしれない、という事は確定している訳でもないだろう。子を宿していないかもしれない事になる。──一か月だ。アリューシャには一か月王宮に滞在させる。その間に月のものが来たならば、子は宿していないのだから、側妃として入宮してもよかろう」この言い草。私はグルーの正式な妻である事を考慮出来ていないし、もはやエスター様への心か、それとも妄執かで動いているようにしか見えない。私が居合わせていたら、怖気に倒れていてもおかしくない程に狂気的だった。「なぜ王室の権威だけで物事を進めようとなされるのですか?アリューシャ本人の意思と、私達夫婦の婚姻の事実を無視なされておいでです」「──屁理屈を聞きに来たのではない。ここには二日滞在して、アリューシャを連れて行く。これは決定事項だと思え」それは横暴だと言ってしまえば、グルーは不敬に問われかねない。事実すら諌める事を許さないのが、王太子殿下とエスター様なのだから。重苦しい雰囲気が立ち込める城内に、こうして王太子殿下は居座った。私はというと、その日の夜グルーが部屋を訪ねて来て、王太子殿下からの話を聞かされた。「──私はグルーから離れる事など御免こうむります。まして魑魅魍魎の住まう今の王宮に向かうなど、考

  • 祈りは斬鬼の果てに実を結ぶ   第20話 異常な妄執

    エスター様が御子を産んでから少しの時が経って、なぜか辺境伯家宛てに王家が書簡を送ってきた。その書簡を読んだグルーは、すぐに私を執務室に呼び出した。行ってみると、椅子に腰掛けて気難しげな険しい顔をしている。何か無理難題でも持ちかけられたのだろうか?「……王家からの書簡には、何と書かれていたのですか?」「どうやら、王太子妃殿下が大変な難産で女児をお産みになったそうだ」レモネードを口にしていたと王都では聞いたから、酸味を欲するなら男児で辛味を欲するなら女児という俗説の通りなら、男児かと思っていたけれど……悪阻があった間だけ酸味を好んでいたのかしら。「それは、母子共に無事でお産まれになったのでしたら、おめでたいと思いますが……」「問題はそこなんだ。どうも妃殿下は難産で体を弱くしてしまったらしい。二度と子供は望めない身になって……王太子殿下は殿下で、せめて夜を共にしようとしても、妃殿下に残った妊娠線を恐れて直視出来ずにいる、と」「妊娠線は、女性が身ごもった子を育んだ証ではないのですか?」「そうなんだがな……王太子殿下は世の中の綺麗なところばかりを見て育ったようだ」「わがままですわ、そんなの。ただの世間知らずではありませんか」「その通りだ。──しかし、現実問題として、妃殿下に世継ぎは出来なくなったし、王太子殿下と共寝も出来ずにいる」「それはお可哀想ですが……なぜ辺境伯家に書簡を?」「そこなんだ。どうやら俺はお前の夫というより保護者と見なしているとある」「……は?」「つまり、保護者として、お前を王太子殿下の側妃に差し出せと書いてあるんだ」「──身勝手にも程がございます」「俺もそう思う。第一、俺はお前の親代わりじゃない。手順を踏んで夫になった身だ」グルーははっきり断言してくれているけれど、もし強制的に王宮へ入れられたらと思うと、ぞっとする。王宮ではエスター様を妃殿下として崇拝する者も少なくないはず。そんな所に後釜として行けば、何をされるか分かったものではない。「私はグルーの妻です。王宮の問題は婚約者候補として敗北した過去がございますもの、既に無関係ですわ」「ああ。──念の為訊いておくが、王太子殿下に未練はないな?」「全くございません」言い切りながら、私をゲームのハッピーエンドを思い出していた。結婚式で祝福と幸せに包まれたエスター様

  • 祈りは斬鬼の果てに実を結ぶ   第19話 髪切りの鬼女

    ある秋の日、グルーから執務室に呼ばれて相談を受けた。「調査を進めていたトリーティ山で、大規模な金鉱脈が発見されたんだが、お前はどうしたいか確かめたい」「私が、ですか?」「ああ、元はお前の持参した山だからな。山にも領民がいる事だし、民は神の黄金と崇めているしな」「そうですね……」私は考える素振りを見せたけれど、既に心は決まっている。「採掘に乗り出して下さい。山の民には安定した生活を保障して、守ってあげたいです」「分かった、そのようにしよう。領民の暮らしを守るのも貴族の務めだ」「辺境伯領には、金細工の工房も置きたいですね。腕のある職人を集められれば、特産にもなりますわ」「それはいいな、領民にも技術を磨かせれば、手に職を持てる。その分生活もしやすくなる」繊細な装飾品を作る技術を学ばせるには、長期的な計画が必要になるものの、手先の器用な人達だって領民の中にはいる。彼らの才能を活かせるようになる。「グルーは、今までお一人で領地の運営と国境の防衛を担われておいでだったのですよね?」「……そうだな、辺境伯家に仕えてくれている者達は頼もしいが、その彼らを守る事もまた、俺には大切な事だ」「全ての安寧と平和を願われてきたんですね」「アリューシャ……」「グルー、人は自分の人生という物語を各々が描きながら生きているものです。そこで人が何かを願い、それを叶える為に努力する時、そこには孤独が寄り添っております。──ですが、私達夫婦には孤独さえ分かち合う互いがおります事、忘れないで下さいね」「俺の妻は、日に日に逞しくなってゆくな。これ以上の力になる味方がいるか」グルーの眼差しが、あまりにも優しくて嬉しそうで、私はまだ大した事も出来ていないのに、そんなに幸せそうに言われたら彼を直視出来なくなる。「……私はグルーの、妻ですから。これから慌ただしさを増しますからね?お体は大事にしないといけませんよ?」グルーも私も、領地の運営は忙しくなるけれど、活気に溢れる事は喜ばしい。他にも、私の日々には楽しめる事が加わった。援軍を送ってくれた、マークシュタイン伯爵家のマリアナ夫人と、ホルストン子爵家のブランシュ夫人が、時おり辺境伯家を訪れて交流してくれるようになったのだ。彼女達は温和で話しやすく、また社交界の話にも通じていて、お茶会や会食の時は明るい話題を提供してくれて

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status