Mag-log in──そうして、辺境伯家で新しい生活に馴染もうと努めている中で。
「──何かね、グルーの役に立ちたいと思うのよ」 私は辺境伯家に仕えている執事長のウァジリーに、こう相談していた。 すると、意外な返事が返ってきた。 「奥様、奥様の持参金にも巨額の価値がございます。辺境伯領が十分に潤うのですよ」 「巨額の価値……?」 傾いた侯爵家に、そんな値打ちのあるものが出せるわけがない。しかも私は売られた身だ。 「──何の話をしてるんだ?」 そこに、折りよくグルーが入ってきた。 「グルー、あなたは私の持参金を納得した上で受け取られたのですか?」 「もちろんだ。トリーティ山こそアリューシャの持参金として相応しいと思ったからな」 トリーティ山。侯爵家の避暑地で、夏をすごす別荘がある場所だ。 嫁入りの際に婚姻の作法に則って、持参金として辺境伯へ贈られたのが、この山だけとは。 「侯爵家からは、娘に持たせる持参金は用意出来かねる為、代わりに領地の一部をと打診されていた」 娘が嫁ぎ先で恥をかく事くらい分かりきっていただろうに、それでも持参金を持たせられない程、侯爵家は困窮しきっていたのね……。 「俺は領地を見て巡り、農地の改良点を侯爵家に伝えたのち、トリーティ山を持参金にと申し出る事にした」 ゲームのシナリオ通りなら、せっかく改良点を教われたとしても、あの家は活かせる事なく没落する。──でも、今はそれよりもグルーがトリーティ山を望んだ事実よ。 何しろその山は、アリューシャが幼い頃に川遊びで砂金を見つけた山でもあるから。 そこには恐らく──推察が正しければ、金鉱脈があるのだろう。巨額の価値とは、つまりそういう事だ。 麦や家畜といった農作物がとれる土地や、侯爵家に残された宝飾品などより、よほど旨みがある。 それを察して、心が冷えてゆくのを感じた。 「没落し、後ろ指をさされる貴族の娘を娶るとは、物好きもいたものだと思いましたが……一枚岩ではなかったようですね」 「待て、何か誤解があるようだが──」 「誤解とは?私に持参金として金鉱脈を持たせられれば、辺境伯家は莫大な富を得ますよね。こんな悪評高い私でも、得られるものが大きければ目を瞑れるものでしょう?」 「それは間違ってる。俺はお前の親からの説明では、トリーティ山について「侯爵家の避暑地があり、アリューシャが己の身分も弁えず、泥混じりの川で川遊びなどとはしたない事に興じた場所だ」としか聞かされていないし、避暑地の別荘は素晴らしかったが、川底に砂金があるだなんて初耳だ」 グルーが慌てながら早口で弁明する。でも、この程度では疑いが晴れるものではない。距離を置いて聞いているウァジリーはすっかり困り果てているけれど、気にかける余地もない。 「では、金鉱脈があるかもしれない事は、どうやってお知りになったのですか?」 「先祖代々、山で暮らす民がいてな。言い伝えがあった──神の黄金が眠り、その為に山は神から守られていると。単なる言い伝えかと思っていたが」 「後から言い伝えで知ったのですか?グルーは予め金鉱脈を知っていたわけではない、と?ならばなぜ、あのような山ひとつだけをお求めになられたのです?」 冷ややかに問いただすと、何かに観念したようにグルーが告白した。 「……アリューシャ、お前の思い出がある場所だからだ」 「思い出……?」 「ああ。幼いお前が無邪気に川遊びした、特別な地だ。そこだけは誰にも壊させたくなかったし、誰にも売り払われたくなかった」 「……そんな、私の子供時代の出来事一つで?」 「そんな、じゃない。お前が自分らしくいられた過去は、かけがえないものだろう」 グルーが言い切って私を真っ直ぐ見つめる。私は返す言葉もなく固まってしまい、ただグルーを見つめた。 無言のまま見つめ合い、置時計の秒針が時を刻む音が響く。 「……アリューシャ、俺は……」 沈黙を経てグルーが口を開いた、その時。 「──旦那様、火急の報せがございます」 ドアがノックされて、誰かの張り詰めた声が飛び込んできた。グルーは大きく息を吐き出してから「入れ」と応えた。 入室したのは、辺境伯家の伝令係だった。私が居合わせているからか、グルーに小声で要件を伝える。 グルーは彼に「速やかに動けるよう準備を」と命じて、私にも話してくれた。 「盗賊が国境に拠点を置いて、出入国する者に略奪を行なっているらしい。──辺境伯の軍勢で討伐に出る事になる」 「討伐まで任されておられるのですか?」 「ああ。その盗賊を率いるオリガーという男が厄介でな、自分は表立った動きはせず、手下を働かせておきながら、いざとなれば手下を捨てて、略奪品の中でも高価な物だけを選んで持ち逃げする」 「それでは、彼の手下というのは捨て駒にされてしまっているではありませんか……」 「ああ、冷酷非情な男でな。人の命を平気で切り捨てる。──だが、いい加減あの男にも終わりを見せなくては」 「──グルーは先陣で戦うのですか?」 「俺は軍勢に責任を持たなければならないからな」 「そう、ですか……」 「アリューシャ、お前は部屋に戻って休め。もう寝る時間だ」 「……はい……」 グルーにこう言われると、子供が大人に言われたように頷いてしまう。 それでも、間もなくグルーは戦いに出るのだと思うと、良い子で寝ている気にはならない。 私は部屋から厨房に向かい、「お、奥様がなぜこのような場にお越しに?」と驚きうろたえる使用人達に事情を話して、厨房を使わせてもらった。 そして、作ったものを運んでグルーが仕事をしている執務室へ行き、声をかける。 「──グルー、今少し良いですか?召し上がって頂きたい飲み物を持ってきました」 「構わないが……アリューシャ、夜も遅いぞ?眠れないのか?」 「私ならば平気です。未熟とはいえ、そこまで幼くもありませんから。──どうぞ」 「ありがとう。……これはミルクティーか?変わった香りだな」 「はい、あの、異国風にスパイスを加えたミルクティーで……スパイスは心の負担を軽くしたり、意欲を出せるようにしたり、腸の働きを整える作用があって、ミルクの持つ作用と相性がとても良いのです」 「なるほど。──これを、アリューシャが俺の為に?」 「そ、そうですけど……出過ぎた真似でしたか?」 「いや、そうじゃない。意外過ぎて驚いただけで……本当に嬉しいよ。ありがとう」 グルーが柔らかい笑顔になる。喜びを噛みしめて味わっているように見えて、照れくさくなってしまった。 「あ……そうです、差し出がましいかと思いましたが、お酒の酔い醒ましにも良いものもご用意しましたので、お持ちになって下さい。戦地では、いつどんな戦いの危険があるか分からないのでしょう?」 「……これらは?」 「お湯に溶けばジンジャーティーになるものと、あとはレモンを蜂蜜に漬けたもので、この蜂蜜レモンも水かお湯に加えてお飲み下さるか、レモンをお召上がり下さい」 「……これも、アリューシャが用意したのか?」 「そうです、けど……」 「これも、俺の為を思って?」 グルーへの自分の気持ちは、明確な形に定まってはいない。だから訊かれても返答に困るものの、芽生えてきた心には素直になりたい。 グルーは、生きていて欲しい人。一緒にいる事が、少しずつ嬉しさを感じさせてくれるようになった人。 「それは……妻ですから……」 「そうか、妻か。……なら、あまり妻を待たせないで帰還しなくてはいけないな」 「っ……、そうですよ、心配させないで下さいね」 「ああ。──約束する」 グルーの一言は力強くて、瞳にも力がこもっていた。 「じゃあ、お前からの心遣いはありがたく頂いておくからな、これ以上の夜更かしは駄目だぞ?」 「はい、おやすみなさい」 今度こそ私は言われた通りにベッドで休んだ。 その明くる日から、城内は戦闘に向けて皆が自分のやるべき仕事に励み、その活気が私の心をざわめかせた。──懐妊が分かって数日。流産を狙われそうだと、粗末な食事さえも口にする事を控えながら耐えていたけれど。ある日の朝食で、大きな変化に私は驚きを隠せなかった。香ばしい匂いがする柔らかい焼きたてのパン、湯気をたてる具のたくさん入ったスープ、ソーセージと玉子料理、温野菜のサラダにカットした果物までついている。「これは……一体どういう事なのかしら?」運んできたメイドも、見慣れた無機質な人ではない。彼女は微笑んでから、声をひそめて答えた。「国王陛下と王妃殿下の計らいでございます。毒味も済んでおりますので、ご安心下さいませ」「国王夫妻の……?」「はい。これまでは、王太子夫妻の手筈で供されていたのですが……厨房には、罪人に施す食事だと仰せになられていたのです。それをお知りになられました国王陛下が……」つまり、これまでは王太子夫妻の独断専行で私を虐げていたのね。国王陛下も同意の上だとばかり思っていたけれど。「お部屋も陽当たりの良い客室に移って頂きますわ、何しろ辺境伯夫人はお子を宿した大事な時でございますから」「……それは助かるのだけれど、王太子夫妻は許すのかしら?」「──辺境伯夫人、これは王命でございますので、王太子殿下でも覆す事は出来かねますのよ」「王命……わざわざ手を差し伸べて下さったのね」「はい、さようでございます。この扱いをお知りになられた陛下のお怒りは、相当なものでございましたので。厳しい叱責を受けた王太子殿下と妃殿下には、近いうちに何らかの処罰がなされるかと」「そう……分かったわ、ありがとう」食事に使われている食器も銀食器に変わっていて、色は磨かれて輝き、変色は見受けられない。あまりにも扱いが急変した事で戸惑いはあるものの、今は冷めないうちに頂くべきだと思う事にした。「では、頂くわね」「はい、どうぞお召し上がりくださいませ」そっとスープを口にする。滋味に満ちていて美味しい。温かさに、ほっと息を
……人はなぜ、希望と絶望をもって生きるのか?それらの根源はどこにあるのか?きっと、それらは同じところから生まれているのよ。──人が人として生きていることから生まれるものなの。人は生きていれば望みを持ち、時に期待は裏切られ、失意に陥る。それでも生きている限り、人は希望を捨てきれない。生きる望みだから。光と影よ。希望を持てば、影には絶望が潜んでいる。失望と諦念を繰り返し、人は何かを得たり失ったりしても、生きることが性根にあるから再び立ち上がり歩み出す。生きていれば、失ったものを繰り返し思い出して胸を痛めはする。けれど、得たものを繰り返し反芻して味わい心を癒すもの。そうやって生きてゆき、最期に、「悪くはない人生だった」と思えるように足掻くのよ。その最期は、生きることを頑張った人間への最後のご褒美なの。誰だって、悔やみながら命を終えたくはないから、だから自分の人生を生きるのよ──。私は、孤独な王宮での生活で、そう自分に言い聞かせて励ましていた。グルーからの愛情を信じているから。──そして、私が王宮に滞在……軟禁されている間にも、グルーは国王陛下に「我が妻の返還を」と嘆願し続けていた。国王陛下も度重なれば黙ってはいられない。王太子殿下を呼び出して注意する。「ハイラアット辺境伯から、再三の書簡が来ている。妻を返すようにと。──ハイラアット辺境伯夫人は、既に純潔を失い、今現在辺境伯の子を身ごもっている可能性があると。そのような女性に執着する事は王太子としての資質を問われると知りなさい」国王陛下が苦言を呈すれば、皇后陛下も口を揃える。「元はと言えば、王太子妃の悋気と我がままであろう?お前は夫として、妻の事も治められはしないのか?既婚女性を側妃になどと、王室の品格が損なわれるものだというのに、なにゆえ妻の勝手を許している?」「……申し訳ございません……」両親であり、国の頂点に立つ国王陛下と皇后陛下には、王太子殿下も頭を下げるしかない。それを、王太子殿下は快く思わない。執務室に戻ると、不快をあらわにしてグルーを目の仇にし、暴虐な思考に走った。「グルー……あやつは捕縛して亡き者にせよ。亡骸は燃え盛る炎に投じて、残された遺骨は粉々に砕け。そうして、アリューシャの目の前で撒き散らせ。さすれば彼女も己の身の上の儚さを思い知るだろう」王太子殿下は、目を禍
──それから十日以上を費やして、必要最低限が保証されただけの、快適さとは無縁な馬車の旅も終わりとなり、私は望まぬ王宮に入って居室を与えられた。そこは日当たりも悪く、調度品も生活に必要な物だけが置かれた貧相な部屋だった。入浴するにもお湯はぬるくて少なく、髪も肌もよく洗ってはもらえない。運ばれてくる食事も質素というより、王宮の料理人が作ったとは思えないくらいお粗末なもので、到底側妃候補として遇されているとは言えなかった。しかも、自由に部屋を出る事は許されない。まるで独房に閉じ込められて、処罰を待つ罪人かとも思えた。けれど、例外としてエスター様のお呼びがあれば、部屋を出て出向く事になる。妃殿下の命令みたいなものだから、私が部屋にこもっていたくとも拒否権はない。「──よく来たわね、ガネーシャ」「王太子妃殿下にご挨拶申し上げます……」エスター様は、よく通る声で鷹揚に居丈高に話しかけてきて──うるさくて耳が痛くなる。それを堪えながら、久しぶりに見るエスター様の姿に驚いた。──これ……エスター様は生地をことさらたっぷり使って、体型が分かりにくくなるようなデザインのドレスを着ているけれど……体を隠してごまかしても、肉付きで丸くなった顔や、たるんだ顎までは、髪を結い上げずに垂らしても隠しきれていない。グルーの助言は無駄に終わったようね。明らかに暴飲暴食を日常的に繰り返して太っている。あまりにも変貌が激しくて、本当にゲームではヒロインだったのか、それすら信じがたくなった。愛くるしい顔だったはずのエスター様は目つきも荒んで、まるで蛇のように鋭くぎらついている。元より立場として許しなく話せはしないのだけれど、それでも私はエスター様の姿に言葉を失った。それをどう思ったのか、萎縮している敗北令嬢とでも見ているのか、小気味が良さそうに言葉を繰り出す。「──明日は令嬢達を集めてお茶会を開くの。あなたも出なさい。皆に紹介してあげるわ」「……ありがたく存じます……ですが、私は……」「辺境伯はお茶会に着るドレスも買ってはくれなかったの?可哀想にね。皆も理解してくれるわ、見苦しくない程度には装えるでしょう?いいわね?」「……かしこまりました。お誘いに感謝申し上げます」紹介も何も、私とて王都にいた貴族令嬢なのだから、社交の場にも顔を出していた。むしろ、私を知らない令
それから、何事もなく過ごせるようになると信じていた。──けれど、それは来訪者によって打ち砕かれた。辺境伯領を訪れたのは、王宮からの使者どころではなく……王宮にいるべき王太子殿下だったのだ。それも、私を王宮に差し出せと、それだけを命じる為に。本来ならば、たった一人の女の為に、王太子殿下が遠く離れた辺境伯領まで来るだなんてありえない。殿下は、そこまでエスター様の事を重んじておられるのか?それとも──いえ、これは考えたくもない。どちらにせよ、王太子殿下を城内に入れない訳にはいかない。貴賓の為の応接間にお通しして、グルーが応対する事になった。殿下は簡潔に、そして傲慢に迫った。「アリューシャを側妃として王宮に入れる事に、同意するよう命じに来た」お断りの書簡には、グルーがはっきりと私は既に純潔を失っているゆえ、入宮させる事は叶わないと書いていたのに、まるで無視している。当然ながら、グルーが頷く事などなかった。「アリューシャは、我が妻は私の子を宿しているかもしれないのです。にもかかわらず王宮に入れるなど出来かねます」「かもしれない、という事は確定している訳でもないだろう。子を宿していないかもしれない事になる。──一か月だ。アリューシャには一か月王宮に滞在させる。その間に月のものが来たならば、子は宿していないのだから、側妃として入宮してもよかろう」この言い草。私はグルーの正式な妻である事を考慮出来ていないし、もはやエスター様への心か、それとも妄執かで動いているようにしか見えない。私が居合わせていたら、怖気に倒れていてもおかしくない程に狂気的だった。「なぜ王室の権威だけで物事を進めようとなされるのですか?アリューシャ本人の意思と、私達夫婦の婚姻の事実を無視なされておいでです」「──屁理屈を聞きに来たのではない。ここには二日滞在して、アリューシャを連れて行く。これは決定事項だと思え」それは横暴だと言ってしまえば、グルーは不敬に問われかねない。事実すら諌める事を許さないのが、王太子殿下とエスター様なのだから。重苦しい雰囲気が立ち込める城内に、こうして王太子殿下は居座った。私はというと、その日の夜グルーが部屋を訪ねて来て、王太子殿下からの話を聞かされた。「──私はグルーから離れる事など御免こうむります。まして魑魅魍魎の住まう今の王宮に向かうなど、考
エスター様が御子を産んでから少しの時が経って、なぜか辺境伯家宛てに王家が書簡を送ってきた。その書簡を読んだグルーは、すぐに私を執務室に呼び出した。行ってみると、椅子に腰掛けて気難しげな険しい顔をしている。何か無理難題でも持ちかけられたのだろうか?「……王家からの書簡には、何と書かれていたのですか?」「どうやら、王太子妃殿下が大変な難産で女児をお産みになったそうだ」レモネードを口にしていたと王都では聞いたから、酸味を欲するなら男児で辛味を欲するなら女児という俗説の通りなら、男児かと思っていたけれど……悪阻があった間だけ酸味を好んでいたのかしら。「それは、母子共に無事でお産まれになったのでしたら、おめでたいと思いますが……」「問題はそこなんだ。どうも妃殿下は難産で体を弱くしてしまったらしい。二度と子供は望めない身になって……王太子殿下は殿下で、せめて夜を共にしようとしても、妃殿下に残った妊娠線を恐れて直視出来ずにいる、と」「妊娠線は、女性が身ごもった子を育んだ証ではないのですか?」「そうなんだがな……王太子殿下は世の中の綺麗なところばかりを見て育ったようだ」「わがままですわ、そんなの。ただの世間知らずではありませんか」「その通りだ。──しかし、現実問題として、妃殿下に世継ぎは出来なくなったし、王太子殿下と共寝も出来ずにいる」「それはお可哀想ですが……なぜ辺境伯家に書簡を?」「そこなんだ。どうやら俺はお前の夫というより保護者と見なしているとある」「……は?」「つまり、保護者として、お前を王太子殿下の側妃に差し出せと書いてあるんだ」「──身勝手にも程がございます」「俺もそう思う。第一、俺はお前の親代わりじゃない。手順を踏んで夫になった身だ」グルーははっきり断言してくれているけれど、もし強制的に王宮へ入れられたらと思うと、ぞっとする。王宮ではエスター様を妃殿下として崇拝する者も少なくないはず。そんな所に後釜として行けば、何をされるか分かったものではない。「私はグルーの妻です。王宮の問題は婚約者候補として敗北した過去がございますもの、既に無関係ですわ」「ああ。──念の為訊いておくが、王太子殿下に未練はないな?」「全くございません」言い切りながら、私をゲームのハッピーエンドを思い出していた。結婚式で祝福と幸せに包まれたエスター様
ある秋の日、グルーから執務室に呼ばれて相談を受けた。「調査を進めていたトリーティ山で、大規模な金鉱脈が発見されたんだが、お前はどうしたいか確かめたい」「私が、ですか?」「ああ、元はお前の持参した山だからな。山にも領民がいる事だし、民は神の黄金と崇めているしな」「そうですね……」私は考える素振りを見せたけれど、既に心は決まっている。「採掘に乗り出して下さい。山の民には安定した生活を保障して、守ってあげたいです」「分かった、そのようにしよう。領民の暮らしを守るのも貴族の務めだ」「辺境伯領には、金細工の工房も置きたいですね。腕のある職人を集められれば、特産にもなりますわ」「それはいいな、領民にも技術を磨かせれば、手に職を持てる。その分生活もしやすくなる」繊細な装飾品を作る技術を学ばせるには、長期的な計画が必要になるものの、手先の器用な人達だって領民の中にはいる。彼らの才能を活かせるようになる。「グルーは、今までお一人で領地の運営と国境の防衛を担われておいでだったのですよね?」「……そうだな、辺境伯家に仕えてくれている者達は頼もしいが、その彼らを守る事もまた、俺には大切な事だ」「全ての安寧と平和を願われてきたんですね」「アリューシャ……」「グルー、人は自分の人生という物語を各々が描きながら生きているものです。そこで人が何かを願い、それを叶える為に努力する時、そこには孤独が寄り添っております。──ですが、私達夫婦には孤独さえ分かち合う互いがおります事、忘れないで下さいね」「俺の妻は、日に日に逞しくなってゆくな。これ以上の力になる味方がいるか」グルーの眼差しが、あまりにも優しくて嬉しそうで、私はまだ大した事も出来ていないのに、そんなに幸せそうに言われたら彼を直視出来なくなる。「……私はグルーの、妻ですから。これから慌ただしさを増しますからね?お体は大事にしないといけませんよ?」グルーも私も、領地の運営は忙しくなるけれど、活気に溢れる事は喜ばしい。他にも、私の日々には楽しめる事が加わった。援軍を送ってくれた、マークシュタイン伯爵家のマリアナ夫人と、ホルストン子爵家のブランシュ夫人が、時おり辺境伯家を訪れて交流してくれるようになったのだ。彼女達は温和で話しやすく、また社交界の話にも通じていて、お茶会や会食の時は明るい話題を提供してくれて







