LOGINIQ160の天才理論物理学者・緒方菜々美、32歳。宇宙の法則は解明できても、洗濯機の使い方がわからない。コンビニ弁当を床に置いて食べ、ゴミ屋敷化した自宅で論文を書く日々。 そんな彼女の部屋に、ひょんなことから年下の男性・桐谷蓮(27歳)が転がり込んでくる。元エリート社員で家事万能、だが人生に迷い居場所を失った彼。「掃除してくれるなら泊めてあげる」という契約から、なし崩し的に始まった同居生活。 最初は正反対すぎて衝突ばかり。だが温かい手料理、綺麗な部屋、そして誰かと過ごす時間——蓮との日々は、菜々美の凍えた心を溶かしていく。 やがて芽生える、抑えきれない感情。「あなたがいない生活はもう考えられない」
View Moreそれから一年が経った。 菜々美は研究所を辞め、大学の准教授として働き始めた。 教育と研究のバランスを取りながら、自分のペースで研究を続けている。 CERNほどの設備はない。だが、それでいい。 彼女には、もっと大切なものがあった。 * 蓮は、パティシエの学校を卒業し、小さなカフェを開いた。 店の名前は「量子カフェ」。 菜々美の提案だった。 店は繁盛していた。蓮の作るケーキは評判で、常連客も増えていった。 そして、菜々美は時々店を手伝った。 もちろん、料理はできない。だが、レジ打ちくらいはできる。 二人は、互いを支え合いながら、新しい人生を歩んでいた。 * ある日曜日の朝。 菜々美は目を覚ました。 隣には蓮が眠っている。 彼の寝顔を見つめながら、菜々美は思った。 これが幸せなのだ、と。 完璧ではない。 研究者としてのキャリアは、諦めた部分もある。 だが、それでいい。 なぜなら、彼女は愛を手に入れたから。 菜々美は静かにベッドから抜け出し、リビングに向かった。 窓を開ける。朝の空気が心地よい。 キッチンでコーヒーを淹れる。蓮が教えてくれた方法で。 ソファに座り、コーヒーを飲みながら、論文を読む。 だが、今日は研究のことは考えたくなかった。 菜々美はノートパソコンを閉じ、再び寝室に戻った。 蓮が目を覚ました。「おはよう」「おはよう」 二人は抱き合った。「今日は何か予定ある?」 蓮が尋ねた。「いいえ。何もありません」「じゃあ、一日中ごろごろしましょうか」「いいですね」 二人は笑った。 そして、ベッドの中で、ゆっくりと朝を過ごした。
出発まで、あと一週間。 菜々美と蓮の関係は、微妙なものになっていた。 二人とも、互いを愛している。 だが、その愛をどう表現すればいいのか、わからなかった。 * ある夜、蓮が言った。「緒方さん、最後にどこか行きませんか?」「どこに?」「どこでもいいです。二人で過ごせる場所」 菜々美は頷いた。 翌日、二人は鎌倉に向かった。 海を見ながら、静かに歩く。「綺麗ですね」 蓮が言った。「ええ」 菜々美は波を見つめた。 波は寄せては返す。 永遠に繰り返される運動。 だが、その一つ一つの波は、二度と同じ形にはならない。「蓮」「はい?」「私、後悔していません」 菜々美は蓮を見た。「あなたに出会えて、良かった」 蓮は微笑んだ。「私もです」 二人は抱き合った。 波の音だけが、二人を包んでいた。 * 出発の前日。 菜々美は荷造りをしていた。 蓮は黙って手伝っていた。「これ、持っていきますか?」 蓮が写真立てを差し出した。 それは、鎌倉で撮った二人の写真だった。「……ええ」 菜々美は写真立てをスーツケースに入れた。「蓮、約束してください」「何をですか?」「三年後、私が帰ってきたとき、あなたがまだ私を愛していてくれること」 蓮は菜々美の手を握った。「約束します」 その夜、二人は最後の夜を共に過ごした。 * 翌朝、空港。 蓮は菜々美を見送りに来た。 チェックインを済ませ、出国ゲートの前で、二人は向き合った。「で
翌朝、菜々美は研究所に向かい、指導教授にCERNのオファーを断ると伝えた。 教授は激怒した。「緒方君、何を考えているんだ! これは君の研究人生において、最大のチャンスだぞ!」「わかっています。でも、私には他に大切なものができました」「他に大切なもの? 研究者が研究以外に何を優先するというんだ?」 菜々美は黙っていた。 教授は深いため息をついた。「……恋人でもできたのか?」 菜々美は顔を赤らめた。 教授は頭を抱えた。「信じられない……緒方君、君は天才だ。君のような才能を持つ研究者は滅多にいない。それを恋愛で台無しにするつもりか?」「台無しになどしません。私は東京でも研究を続けます」「そういう問題じゃない! CERNには世界最高の設備と研究者が揃っている。君がそこで得られる経験は、東京では決して得られないものだ」 教授の言葉は正しかった。 菜々美もそれは理解していた。 だが……「教授、私の人生です。私が決めます」「……わかった」 教授は諦めたように言った。「だが、後悔するなよ」 菜々美は研究室を後にした。 * だが、その日の午後、さらなる衝撃が待っていた。 CERNの責任者から、直接電話がかかってきたのだ。「ミス・オガタ、あなたの決断を再考していただきたい」 流暢な英語で、男性が言った。「実は、あなたに特別なプロジェクトをお願いしたいのです。ヒッグス粒子の新しい崩壊モードの探索。これは、あなたの専門分野に完全に合致します」 菜々美の心が揺れた。 ヒッグス粒子の新しい崩壊モード。 それは、物理学者にとって夢のようなテーマだった。「それは……」
CERNのオファーから一週間。 菜々美は返事を先延ばしにしていた。 研究所の同僚たちは全員、このチャンスを逃すべきではないと言う。指導教授も、強く勧めてくれた。 だが、菜々美の心は揺れ続けていた。 * ある土曜日の午後、菜々美は珍しく研究所に行かず、家にいた。 蓮はキッチンで菓子作りの練習をしていた。 リビングには甘い香りが漂っている。 菜々美はソファに座り、論文を読んでいた。だが、文字が頭に入ってこない。「緒方さん、タルト焼けましたよ」 蓮が皿を持ってきた。 美しいフルーツタルトだった。「食べてみてください」 菜々美はフォークを手に取り、一口食べた。 サクサクの生地。なめらかなカスタードクリーム。フルーツの爽やかな酸味。「……美味しい」「本当ですか?」 蓮の顔が輝いた。「ええ、本当に。プロ級です」「ありがとうございます! 実は、パティシエの学校に通うことを考えているんです」「それは素晴らしい」 菜々美は心から祝福した。 だが同時に、胸が締め付けられた。 蓮は前に進んでいる。 一方、自分は……「緒方さん」 蓮が真剣な顔で言った。「CERNの件、もう決めましたか?」「……まだです」「なぜですか? 普通なら、即答するような素晴らしいオファーでしょう?」 菜々美は答えられなかった。 蓮は菜々美の隣に座った。「もしかして……私のことを気にしているんですか?」 菜々美の心臓が跳ねた。「そんな……」「嘘をつかないでください」 蓮の声は優しかった。「
蓮が新しい仕事を始めて一ヶ月が経った。 彼は朝八時に出勤し、夜七時頃に帰宅する。規則正しい生活だった。 だが、菜々美はある変化に気づいていた。 蓮の笑顔が、少しずつ減っていた。 * ある夜、菜々美は深夜一時に帰宅した。 リビングの電気は消えていた。蓮は既に寝ているのだろう。 菜々美は静かにキッチンに向かった。冷蔵庫を開けると、いつものように夕食が用意されていた。 レンジで温め、ダイニングテーブルに座る。 その時、寝室のドアが開いた。
同居生活が始まって二週間が経った。 菜々美の生活は劇的に変わった。 毎朝、温かい朝食を食べる。部屋は常に清潔で、服は洗濯され、きちんと畳まれている。夕食は冷蔵庫に用意され、レンジで温めればすぐに食べられる。 そして何より――誰かが自分を待っている、という感覚。 それは、菜々美にとって新鮮で、少し恐ろしいものだった。 * ある夜、菜々美は深夜二時まで研究所で作業をしていた。 新しい論文の執筆に没頭していたのだ。気がついたら、終電を逃していた。 タクシーで帰宅