調味液に漬け込んだ鶏肉に、片栗粉と小麦粉をまぶして揚げる。
まぶして揚げる。まぶして揚げる。まぶして揚げる……。
キッチンで黙々と夕飯のから揚げを作っていたら、先輩が隣に立って顔をしかめた。
「神谷、お前……何か機嫌悪いの?」
「は? 何がです」
「部屋戻って来てから……ていうか試合終わってから、ずっとそんな感じだけど」
「そんな感じって?」
「眉間にしわ寄せて、考えごとしてるっていうか……」
「何か考えてることあるなら、言えよ」と俺のTシャツの袖を引く先輩は、珍しく心配してくれているらしかった。
俺は揚がった鶏肉を皿に盛りつけながら、そっけなく言う。
「べつに、何も考えてないです」
「嘘だ。……ちゃんと目を見て言えよ。俺、お前に何かした?」
エプロンの胸の辺りをつかまれ、無理やり先輩の方を向かされた。
こういうところ、本当に強引……。
「じゃあ……なんで、白雲の部長と連絡先交換したんです?」
「そりゃあ、聞かれたから」
「あいつ、先輩のことライバルみたいに言ってたじゃないですか」
先輩は「なるほど……!」と何かひらめいたみたいな顔をして、俺のことを見上げていた。
「拗ねてるんだ?」
「拗ねてません」
「じゃあ、何なんだよ。……珍しくプレーのことだって褒めたのに」
たしかに……先輩が初めて褒めてくれたことは嬉しかったし、チームとして白雲高校に勝てたことも嬉しかった。喜ぶべきことのはずだ。それなのに、心にかかったもやが消えない。
「……先輩があの部長に個人的に連絡取るのは、嫌なんです」
「なんで」
「わかりません」
先輩は俺の後頭部を軽く叩いた。
「……痛っ!」
「から揚げ、せっかく作ったんだから冷めないうちに食おうぜ。……今日の反省もあるし、あとでゆっくり話そう」
その言葉に、俺は何も返すことができなかった。たくさんの言葉を吞み込んだまま夕飯を済ませ、片づけた後でパジャマ代わりのスウェットに着替える。
気分が晴れないのは、先輩のせいじゃなかった。自分のせいだ。気持ちがうまく整理できない。このまま話しても……自分の中にわだかまったままの気持ちをただ先輩にぶつけるだけになりそうな気がした。
俺は歯磨きを済ませ、スマホを片手にベッドの上に寝転がる。
「……もう寝るの?」
いつもなら、放っておくか黙って電気を消すだけなのに、珍しく先輩が追いかけてきた。俺は薄いタオルケットを被って、そっと壁の方を向く。
先輩はベッドの縁に腰かけ、暇潰しでもするみたいに俺の髪を指でもてあそんだ。
「連絡、取んないよ。……神谷が嫌なら」
「ん」と、気のない返事をする。先輩は小さくため息を吐いて話し始めた。
「今日の試合……最後に俺に出してきた指示で、神谷の読みの深さを知った気がする。負ける気なんてない。けど……お前は俺にないものを持ってるんだって、改めて思ったよ。初めて対戦したときもそうだったっけ」
「……? 初めてって」
「神谷が入部する、1年くらい前かな。俺のランクがまだグランドマスターだった頃、野良で遊んでたら偶然マッチした相手がいた。アカウント名はiori、あの日もお前はルークを使ってた」
(憶えてたんだっ……!)
思わず振り返る。目が合った先輩は、初めて見せるような穏やかな顔をしていた。
「……あのとき、俺のチームは工業団地が本拠地だったから、始めに港を攻略したんだ。そこに味方をひとり残して別の拠点を攻めようと思っていたとき、急に本拠地が攻撃された。俺はすぐ基地に戻ったけど、それが罠だとわかったのは他の拠点がすべて落とされた後だったよ。……正直、やられたって思った」
「まぁ、すぐ取り返されましたけどね」
「そりゃ、取り返すだろ。負けたくないし」
あっという間にふたつの拠点を落とし、給水塔の上に現れたヴァイパー。たったひとりで味方を全滅させた動きは、本当に電光石火って感じだった。
「……あのとき名乗らなかったのは、このゲームを続けていればioriに会えるような気がしたからだ。遊びだけでやってないのは、何となくわかったし」
「雑魚って言われて、ムカつきました」
「そんなの、負ける方が悪いに決まってる」
いつもの口調で吐き捨て、先輩は笑った。
「再会したら、きっと……いいライバルになるんだろうなって、そう思ってた」
「俺は……なれましたか? いいライバル」
そこは、素直にうなずいてほしかったところだけど……先輩はいじわるな顔をして「さぁ」と首をかしげた。
「……神谷が俺に負けたくないって思ってるんなら、そうなんじゃない?」
「先輩はどうなんですか」
先輩はもてあそんでいた俺の髪を、きゅっと指で握った。
「お前にだけは……負けたくないに決まってる」
(それは……俺をライバルだと認めるってことで、いいんだろうか)
お前にだけは、なんて。……まるで、『お前は特別だ』とでも言われているみたいだ。
ゲームには誰だって勝ちたいと思うけれど、先輩はその中でも極めつけの負けず嫌い。だから、高校の対戦相手にも、プロの選手にも……ライバル心は少なからず抱いているんだと思う。
(けど……)
「俺は、先輩にとって特別ですか……?」
そう質問して、はっとする。
(これじゃあ、まるで……)
俺が先輩の特別でいたいみたいだ。
先輩は目を丸くして、俺のことをじっと見つめている。不意に手が伸びてきて、頬をそっと触られた。
「……お前は、俺の特別がいいの?」
そう聞き返されて、どきりとする。
あくまで『ライバルとして』ってことだろう、けど。
先輩の整った顔が近づいてくる。しばらく間近に見つめられていたけれど……先輩の長いまつ毛が伏せられ、そっと口づけられた。唇の柔らかさ。隙間を割るようにして入ってくる、舌の生々しい感触にとまどった。
離れていく先輩の舌先に透明な糸が引くのを見て、変な気分になる。
「……このあいだのお返し。もう寝ろよ」
タオルケットをかけ直され、頭を撫でられる。
火を点けられた、と思った。
先輩を独り占めしたい。どこかに閉じ込めて、俺のことだけを見ていてほしい……。そんな心の奥底にある気持ちを、無理やり自覚させられたような気がする。
俺はタオルケットを跳ねのけ、ベッドの上に半身を起こした。
「先輩って、誰かを好きになったことある?」
先輩のそばに手をつき、その目をまっすぐに見つめる。
「……何だよ、その質問」
「わかんない。けど、なんとなく」
「あるよ。あると、思うけど」
「自信なさげ。先輩の恋愛対象って、女? 男?」
「聞いてどうすんの」
「知りたいので」
視線を彷徨わせる先輩に、もどかしい気持ちを押し殺す。先輩は戸惑った顔のまま、探るような目つきで俺を見た。
「もし……男だって言ったら?」
なんとなく、駆け引きをしているような感じがした。
質問の意図を探りたい先輩。ありのままの答えを知りたい俺……。
この気持ちにいったいどういう名前がつくのか、自分でもまだよくわからなかった。独占欲、愛情、嫉妬、憧れ、支配欲……。
心の奥底に、燃えかけの感情がくすぶっていることだけは確かな気がした。
「……『先輩のタイプに、俺は入ってる?』って、聞くかもしれない」
先輩の喉が鳴る。そして……。
先輩は大げさに首を横に振って、肩をすくめた。
「……やめやめ。ふざけたこと言ってないで、寝るぞ。今日は連携も上手くいったし、この感覚を忘れないよう明日からは大会の練習に入るからな」
「先輩っ!」
大切なことを誤魔化されたような気がする。
自分の気持ちも、先輩の気持ちも……このままうやむやにされて、なかったことにするのは嫌だった。
俺は立ち上がろうとした先輩の手を取り、頬に手を添えて、深く口づけた。先輩の腰が引けても、かまわず追いかけて舌を差し入れる。
「待っ……!」
何か言おうとする先輩の口を塞いだ。先輩は逃れようともがいていたけれど、深く浅くキスを続けていたら、やがて諦めたのかおとなしくなる。
「んっ……んん……」
差し入れた舌に、先輩がおずおずと舌を絡ませてきた。薄目を開けると、先輩の頬が赤く上気しているのが見える。
Tシャツの裾から手を忍ばせた。なめらかな肌に触れたとたん、先輩の身体がそっと離れていく。
「……やめよう。こういうの」
「どうしてですか?」
「本気じゃないだろ。同じ部活だし、神谷がプロのチームに入りたいなら同業者になるかもしれないし。……気まずくなるの、嫌なんだよ」
反論ようとした俺の髪を、先輩はわしゃわしゃと雑にかき乱した。
「……ちょっと、頭冷やしたら? きっと試合で熱くなったの、引きずってるだけだ」
「そんなこと、ないと思いますけど……」
「じゃあ、何? 俺が好き?」
少し考えて、首を横に振る。
「わかりやすい恋愛感情……とは違う気がします。でも、先輩を俺のものにしてみたいっていう気持ちならある」
「……神谷、中学のとき彼女いたって聞いたけど」
恋愛対象が女の子だって言いたいんだろう。
「いたから、何ですか。……俺、たぶん先輩なら抱けますよ」
「……っ!!」
さすがにストレートに言い過ぎたかもしれない。
先輩は顔を真っ赤にして、ふいと背けてしまった。
「チャラい奴」
「どうも」
「……いいから、さっさと寝ろっ」
今度こそ立ち上がった先輩に、強制的に消灯されてしまった。いつもの位置に寝そべって目を閉じる。しばらくすると、着替えた先輩がベッドにやってくる気配がした。
「……ねぇ、先輩?」
「何」と不機嫌そうな声が返ってくる。
「キス、もう一回だけ」
「ダメだ」
即答だった。
つけ入る隙もない口調に諦めていると、仰向けに寝ている俺の左手に何かが触れた。
「…………手ぇ、繋ぐくらいならいい」
(……いや、かわいすぎかよ……)
緊張からか、熱く湿るその手を握って――。
俺は高鳴ったまま治まらない心臓の鼓動を聞きながら、しばらく眠れずに今日の先輩との出来事について考えていた。
その日は律の店に集まった後、みんなでご飯に行って夜まで遊んだ。別れるときに、チャットのグループをひとつ作った。『新葉高校eスポーツ部』。次に全員で集まれる日がいつになるかはわからないけれど……「またみんなでゲームでもやろう!」という話になった。久々に楽しい集まりだったな、と思う。律と家に帰る途中。ずっとくだらない話ばかりしていたけれど、ふと小神野と神谷――あのふたりの話になって。「久々に会ったけどさ、ぜんぜん変わってなかったね! オカピ先輩といおりん。居酒屋でもずっとケンカしててさぁ……」「あれは、過去一でくだらない争いだったな」前の試合、スナイパーを使って弾を外した神谷に「なんで当てられなかったんだ?」と小神野が素朴な疑問をぶつけたのが始まりだった。次第に言い合いがエスカレートしていった結果、ついにふたりはシュウマイにからしをつけるかどうかでケンカしていた。もう、何でもいいんだろ、それ……。「お酒飲んでたってのもあるかもしれないけどさぁ、まじで笑ったよね」「面白かったな。あれで一緒に住んでるっていうんだから、不思議っていうか」「あれ……玲は気づいてなかった? ふたりの指に、お揃いのリングがあったの」「へっ?」自分の理解の及ばない話に、俺は宇宙空間にいる猫みたいになっていたんだと思う。律が俺の顔を指差して、腹を抱える。「薬指だったから、きっとそういう意味なんじゃないかな」「そういう意味って……えっ、お前まじで言ってる?」「うん。前に一度、配信でも事故ってたからさぁ。指輪つけたままにしちゃって、噂流れてたから知ってはいたんだけど」「まじか……俺、あのふたりが、いちばん仲悪いと思ってたわ……」「不思議だよねぇ。言い合いばっかりしてるくせに、いつも一緒にいるっていうか」律の言葉に、俺はあのふたりのことをもう一度よく思い出してみる。いつからだろう、と思ったが……さっぱりわからなかった。たしかに、ふたりで一緒にいることは多か
「めっっっっちゃびっくりしたね!! まさかオカピ先輩といおりんが野良でやってるとは思わなかった」「だな。サブアカウントはソロでやってて、昨日はたまたまふたりだった、とか……偶然が過ぎるよな」「久々にみんなでできて、楽しかったよねぇ~」俺の部屋。律がジュースを片手に興奮気味に話している。「今度、うちのバイト先にもおいでよってふたりに話してたんだ」「バイト先って……例のeスポーツカフェ?」「そうそう! 店長も現役の選手が来るのは歓迎だって。ふたりが来てくれるなら、イベントでもやりたいよねって話してて」律は大学に通いながら、大学近くにあるeスポーツカフェでずっとアルバイトをしている。カフェが併設されたeスポーツ施設とのことで、ゲーム用のPCがたくさんあり、初めての人でも気軽にオンラインゲームを体験できるらしい。俺もいつも話を聞くだけで、行ったことはなかったから……あのふたりが来るなら顔を出してみてもいいかもしれない、とそう思った。「ふたりとも、いつ来れそうなの?」「来週の日曜日!」「そっか……。じゃ、俺も行こうかな」「まじ!!? 玲も来てくれるの嬉しいんだけど」「そんなに喜ぶことかよ」「ずっと誘ってたのに、来てくれなかったじゃん!!! 当日は萩っちも来るし、笹原部長も来るってさ」「部長も来んの!!?」「彼女ができたから、連れて一緒に来るらしい」「あいつ、彼女できたの!!?」自分でもちょっと思ったけれど、律に「驚くところ、そこ?」と大笑いされた。あの規律にうるさ……厳しい笹原と恋愛なんて、いちばん縁遠いものだと思ってたのに。真面目な性格ではあったから、部内のことに胃を痛めているイメージしかない。「当日、楽しみだね!」そう言って笑う律に、俺は小さくうなずいた。◇◆◇◆◇◆◇大学とインターン先の会社と家、三か所をぐるぐる回っていると翌週の日曜はあっという間にやってきて――。秋晴れ
友達が有名人っていうのは、何だかこう、不思議な感じがする。高校にいるときは、ゲームこそ上手いけれど、ただの部活の仲間って感じで。そいつらを、各種メディアやネットニュースで見る日が来るなんて思ってもみなかった。夏の残暑も落ち着いてきた頃。大学で就活の情報をまとめて家に帰ると、弟・律のにぎやかな声に迎えられた。「ねぇ、玲~!! カシラゲームズ、アジアカップ3位だって!!! もう速報見た?」「まだ。……って、お前もう帰ってたんだ?」「うん。今日はバイト早上がり~。配信見損ねちゃったからさぁー、アーカイブまだ残ってるかな?」「さぁ……どうだろうな?」律は、子どもの頃からゲームで遊ぶのが大好きだ。どちらかというと自分でプレーするのが好きで、誰かのプレーを見るのが好きなタイプではなかったけれど……高校時代の仲間がプロの世界に入ってからは、配信で試合を見たり、チームの情報をこまめに追ったりしているようだった。たまに、小神野や神谷の配信を見に行っては、コメントを残したりしているとか。「あ、そういえば萩っちから連絡来てたよ。『週末、たまにみんなでゼログラやんない?』って」「俊、あいつ今何してんの?」「さぁ……大学とバイトじゃない? 個別塾の先生やってるって言ってたけど」「就職どうすんだろ?」「聞いてみたらいいじゃん」大学4年の今、ありきたりな悩みだけれど、俺は就職先に頭を悩ませていて……。インターンでお世話になっている会社はあるけれど、そこに就職するか、別のところに行くか……。色んな人に話を聞いた上で、今後の進路を決めようと思っていた。「みんなでゼログラやるのさぁ、土曜の夜とかでいい?」律はスマホを片手に、棚からポテトチップスを取り出している。「いいけど」「新マップやってみよ! って話になってんだよねー」楽しげに言うこいつは、高校の頃からちっとも変わってない。悩みもなさそうだし、明るくて、常に人生楽しそうって感じ。…
配信のことで伊織に嫉妬されたあの日は――結局、チームの練習が始まるまでめちゃくちゃにされた。練習が終わった後。ふたりで短い配信をした俺たちは、一緒に住んでることをみんなの前で明らかにした。俺はファンの子たちから『だと思った』『デレデレしてるね』なんて、とんでもなくからかわれることになったけど……俺たちはカシラゲームズの同居組と名づけられ、新たに一定のファンを獲得した。そのうち、俺たちのやりとりは色んな意味で注目を集めるようになって――。久々にチーム5人で練習配信をしたときには、何だか懐かしい気持ちになった。「伊織。工業団地攻めるのに挟み撃ちにするから、給水塔の上に場所取って」「……は? サイレンなのに?」「サイレンでもヴァイパーでも給水塔の上が強いのは一緒だから」「ていうか、アップデート入ってからは向かいの建物の方が強くね?」「おー。やるなら、後で表出な」「望むところ」「いや、その議論は今いらんて……」「始まったよ、同居組の『どっちのポジションが強いかバトル』」防衛隊のノヴァ、ゼノふたりが呆れたように呟いている。コメント欄を見ると『またプロレスかw』と視聴者たちが盛り上がっていた。ハルさんがスナイパーで敵をひとり撃破して、「あとは頼んだっ!」と俺たちに向けて発信する。「伊織っ!! さっさとドローン出せって!!!」「出したからもう!!! 車の陰にひとりいるんだよっ!!!」「それ、今殺ったから!!!」「え、倒したの俺じゃない?? 悠馬より俺の方が強いし」「お前、本気で言ってんのそれ」「仕事は早いんだけど、うるさいんだわ……まじで……」ハルさんが呆れたように言って、敵の消えたフラッグのエリアに乗り込んでくる。配信を見ている人たちも『うるさい』『本当にそれw』と便乗していた。同じチームでプレーするようになって、そろそろ1年が経つ。こうしてプロの世界でプレーするようになっても、俺たちが仲間になると賑やかなのは
伊織と同じ部屋に住むことになった。特に、何か大きなきっかけがあったわけじゃない。話を切り出されたのは、ある日突然って感じだった。「前にした約束って、憶えてる?」「そろそろ……一緒に住まない?」ちょうど、カシラゲームズに移籍して半年が経った頃だった。そう言われた俺がどれだけ嬉しかったかなんて……伊織には絶対にわからないだろう。高校のとき。合鍵を断ったあいつが言い放った言葉を、俺はずっと忘れられずにいた。『先輩より多くの賞金稼いで……先輩を俺の家に住まわせるので』。稼ぐ賞金の額で伊織に負けるつもりなんて、さらさらない。だけど、「いつかそうなったら嬉しいな」という気持ちだけは持ち続けていて――。『一緒に俺の家に住んでよ』なんて言われた日には心臓が止まるかと思ったし、その日の夜は嬉しすぎて一睡もできなかった。我ながら単純だとは思う。それでも、俺にとっては心の底から嬉しい出来事だった。好きな奴と四六時中、一緒にいることができる――。そのふわふわとした幸せは、新居に移ってからもずっと続いているようで。ゼログラのワールドチャンピオンシリーズ、ZGWSプロリーグ予選が春に始まり、昨日の夜はその振り返り配信を個人でしていた。雑談も交えて話していたとき、視聴者のひとりが急に変なことを書き込んできた。●引っ越してからyuma、ずっと何か嬉しそうだよねそんなコメントが目に留まったけれど、普通にスルーしようと思っていた。それなのに――。●それな●機嫌がいい気がする●すぐ怒んなくなったよね●幸せそう●何かいいことでもあった?●口元ゆるんでるぞみんなその話題に触れたかったらしく……何故か盛り上がるコメント欄。「べつに……そんなことないけど」否定したにもかかわらず、流れるコメントは止まることがなくて――。●ひとり暮らし?
「うわっ……これ、PCの配線やばすぎね?」「2台分だもんなぁ。繋ぐだけならいいけど……掃除できんのかな、これ」「って、なんかインターホン鳴ってない?」「鳴ってる! ソファー届いたかも」引っ越しは、世界大会の予選が終わった5月の連休にした。その日は朝から慌ただしくて……午前中から悠馬の荷物の運び込み、午後からは俺の荷物と家具が届くようなスケジュールだ。「悠馬、ソファーってここでいい?」「もうちょい手前~」業者の人にお礼を言って、設置までしてもらう。まだ何もないリビングだけど、テーブルとソファーが揃えば何だかそれっぽくなるから不思議だった。「こうやって見ると、テレビも欲しくなるかも」「でっかい画面でゲームやるのも楽しそうだよなー。映画とか観るのもいいし」「悠馬も映画とか観るんだ」「そりゃあ、見るよ。アニメも観るし」「ちょっと意外かも。一緒にいるとき、観てたこととかなかったから」「たしかに、伊織といるときは話したり、ゲームしてたりすることの方が多かったかも……」「じゃあ、新しいの買ったら、一緒に観る?」「いいね。注文しよ」ネットで良さそうなテレビとテレビ台を見つけた悠馬が、さっそくスマホで情報を送ってくる。新居の入居にかかる費用と引っ越しの費用、家具の購入にかかった費用……。銀行の預金残高を思い浮かべつつ、ざっと計算しようとしたけれど――途中から具合が悪くなってきたので、やめることにした。(使った分は、また頑張って稼げばいいわけだし……)そう言い聞かせて、ゲーム部屋の作業に戻る。部屋に入ると、悠馬が待っていて「こっちこっち」と手で招かれた。PCの電源がついていて、配信で使うカメラがオンになっている。「配信用の画面、今のところこんな感じなんだけど……。ドアとドアノブが映ると、家がバレる気がしない?」「うわっ、たしかにそうかも……!」盲点だった。