ベッドの上では、神谷がまだ平和そうに寝息を立てていた。俺はまだ鳴る前のアラームを解除して、こっそりとベッドを抜け出す。
昨日は、一睡もできなかった。変な態勢で寝たから腕も痛い。
俺は音を立てないよう冷蔵庫を開け、グラスに注いだ牛乳にココアの粉末を混ぜてから、ローテーブルの上に置いた。
(どうして、こんなことになったんだっけ……)
昨日のことがずっと頭から離れず、ぐるぐると頭を駆け巡っている。
あいつが白雲高校の部長に嫉妬してるみたいで、それがちょっとかわいかった。拗ねてる神谷をかまいに行ったら、俺は先輩のライバルなのかとか、特別なのかとか……またかわいいことを聞き始めたので、ついキスとかしてしまった。
(やっちまった、って感じだよなぁ……)
結果的にあいつの気持ちに火を点けることになって、強引に口づけられた。
正直、キスは気持ちよかった。あんな風に求められてドキドキしたし……嬉しかった。
このまま流されて抱かれようかとも思ったけど、踏みとどまったのは俺たちの今後の関係と、神谷の気持ちを考えたからだ。あいつの気持ちは、本人も言っていたけど、純粋な恋愛感情には見えない。
(でも……じゃあ、何……?)
寝る前にもう一度キスをねだられたけど……よくわからない、というのが正直なところ。
まぁ、同じ部活で好きになるとか、つき合うとか……別れて気まずくなるのも嫌だし、きっとこれでよかったんだと思う。俺の恋愛対象が同性だということはたぶんバレたが、神谷はこういうことを周りに言いふらすようなタイプでもないだろう。
何度も出てくるあくびを噛み殺していると、神谷が起きてくる気配がした。
「おはよー、先輩」
「おはよ」
グラスに牛乳を注いで、隣に座る。いつもよりも近い距離。お互いの指先が触れたのを感じて……俺はわざとらしくならないよう、こっそりと立ち上がった。
「……パ、パン食べる?」
ヤバい。声、裏返ったかも……。
そう思ったけれど、神谷は「ありがとうございます」と特に気にする様子もなくて。トースターの前でパンが焼けるのを待っていると、ふと昨日の神谷のセリフがよみがえってきた。
『先輩を俺のものにしてみたいっていう気持ちならある』
『……俺、たぶん先輩なら抱けますよ』
「あれ、先輩……どこ行くんですか?」
ぎこちない仕草でそろりそろりと動き出す俺に、神谷は不思議そうに聞いた。
「べつに……ちょっとトイレ。あ……焼けたら取り出しといて」
「はーい?」
神谷は首をかしげつつ、まだ眠いのか気だるげに返事をしていた。
◇◆◇◆◇◆◇
同じ部屋で生活するということは、どんなときでも一緒に登校するということで――。
俺たちは昨日ふたりのあいだで起きたことを引きずったまま、口数も少なく学校まで向かった。
「じゃ、先輩。……また部活で」
しれっとした顔で言う神谷と別れて、3年の教室に向かう。隈のできた目許をこすってドアを開けると、部長の笹原が「よう」と気安く声をかけてきた。
「おはよ」
「小神野、寝不足? 珍しいなー」
「俺だって眠れないときくらいあるよ。……なんか用?」
「ホームルームまでまだ時間あるだろ? ちょっと外、出ない? 渡したいものがあるんだ」
笹原はかわいらしい封筒を何枚か俺に見せ、口の端を上げてにっと笑った。
(ああ、そういうことか……)
「……めんどくせ」
「そう言うなって。天気いいしさ、屋上でも行こ」
笹原に連れて来られた屋上にひと気はなく、初夏の陽射しがまぶしかった。
俺はさっき笹原から見せられた封筒を受け取り、中の手紙に目を通す。
手紙は俺宛てのラブレターで、『ずっと好きでした』というような内容。当然だが、笹原からではなく、顔を知ってる女子から知らない女子まで様々だ。中には男からのものもあったりする。
「あーあ。俺は3年間、お前のための伝書鳩だったよなー」
笹原が手すりに寄りかかって、ため息を吐いた。
「そんな、『もうすぐ卒業です』みたいなこと言うなよ。まだ夏の大会も終わってないのに」
「そうなんだけどさぁ。せめて一通くらい俺宛てのものがあってもいいと思わねぇ!? 理不尽だよ……」
「悪かったな。……まぁ、世の中なんて普通に理不尽なものだから」
「それ、全然なぐさめになってないからな!」
俺の性格と態度が終わっているせいか、俺の外見が好きで告白する人たちは自然と部長である笹原を通すルートを選んでいるようだった。いつの間にか定着した習慣に、笹原は始めこそ手紙の宛先を確認していたが、最近はばかばかしくなってやめたらしい。いつもこうして、名前も知らない誰かからの手紙を受け取っては律儀に渡してくれている。
「返事、ちゃんとしろよなー」
「まぁ、気が向いたら」
「そんなにたくさんもらってさぁ、本命とかいないわけ?」
「……いない、かな」
「曖昧な返事だこと……。まぁ、モテる奴ってのはそういうもんなのかなぁ。神谷も今朝、女子に呼び出されてんの見たわ」
「は?」
思わず、すっとんきょうな声が出た。さっき一緒に登校した神谷が……?
玄関で別れた後にでも呼び出されたんだろうか??
「新葉は学校祭が6月だからなー。とっくに準備も始まってるし、色々あるのかも。あいつ、イケメンだし」
顔が良いのは否定しない、と俺はスマホの隠しフォルダに入れた神谷の写真をながめながら思う。俺もあいつのビジュアルは好きだし、ちょっと王子様系の甘い顔、なんてプロになっても人気が出るに決まっていた。
「ふぅん」
「あれ……何か面白くない? 張り合ってんの?」
「べつに。……俺、そういえば今、神谷と一緒に住んでんだよね」
「はぁ!?」
「正確に言うと、あいつが俺の部屋に居候してるって感じだけど」
「マジか、先に言っとけよ……。そのわりに、いつも言い合いばっかしてんのはなんでなの?」
「通常仕様」
「よく一緒に暮らしてんなぁ……」
笹原は呆れたように肩をすくめている。
「そもそも、なんでそんなことになったわけ?」
「お前が、俺たちを部活出入り禁止になんてしたからだよ。次は絶対に勝ちたいから、一緒に過ごす時間を増やして、お互いの考えを知ろうってなったわけ」
「へぇ~……お前が、よく許可したなぁ。……で、上手くいってんの?」
「……さぁ」
昨日のやりとりを思い出す。
(……神谷のことは、好きだ)
主に顔だけど、負けず嫌いなところも悪くない。
あと、家事ができて、料理が上手いところ。
わがままで変に押しの強いところは好きじゃないけど、昨日みたいに甘えてきたら、それはそれで情が湧く。(年下だし)
ただ、神谷の方はきっと好奇心か何かだろう。お互いのためにも、これ以上、距離が近くなるのは良くない気がした。これから先だって長いのに、興味本位の身体の関係なんて……とんでもない。
(そう思ってるなら、早くこの生活をやめないといけないんだけどな……)
俺はそこまで考えて、手すりに寄りかかる笹原の隣に並んだ。
「まぁ……それも、もうすぐ終わりそうだけど」
「どういうことだ?」
「期限は2か月ってことだったからな」
「ああ……大会の予選が始まるまでってことか」
(そうだ。何があっても、あいつと過ごすのなんて、あと少し……)
腕時計を見た笹原が「やべっ」と声を上げ、俺たちは教室へと戻ることになった。
「予選も近いんだから、体調整えておけよ。小神野」
「今日はゆっくり寝るって。……お前も、恋愛なら大学入ってからにしろよ」
「うっ……!!!」
どうやら、クリティカルヒットだったらしい。
胸を押さえる笹原とふたりで教室に戻ると、すぐにホームルームが始まった。
◇◆◇◆◇◆◇
後輩・神谷とは関係を持たない。そう決意して帰ってきたはずなのに、俺は夕飯を終えてひと息ついたタイミングで神谷に迫られていた……。
「先輩、俺のこと避けてますよね」
あー……、バレてる。
まぁ、「ちょっとあからさまかな?」と自分でも思ってたけど……バレてたか。
「何のことだよ」
「とぼけないでくださいよ。朝起きてからずっと、俺が近くに来るとさり気なく逃げますよね」
図星すぎて、言葉もなかった。
だが、まずいのはこの体勢だ。ベッドに寝転がった俺に、神谷が覆い被さるようにして顔を近づけてきている。
「さすがに傷つきます。……昨日のこと、なかったことにしたいんですか?」
「……っ! べつに、そういうわけじゃないけど」
罪悪感からそう言ったのが、たぶん、まずかった。
神谷はだらりと脱力した俺の手を取って、自分の手を絡めてきた。恋人繋ぎをするなり、シーツに縫いつけでもするようにきゅっと力を込められる。
「手は、繋いでもいいんですよね?」
昨晩、寝るときにそんなことを言ったかもしれない。
とっさに目をそらした。もう片方の手が頬に添えられ、強制的に神谷の方を向かされる。
「……嫌いですか、俺のこと」
「誰も言ってないだろ、そんなこと……」
そんな悲しそうな顔で言われれば、こっちも否定せざるを得ない。
神谷の顔が近づいてくる。もうどうにでもなれと思って、目を閉じた。
キスは昨日よりもずっと優しいものだった。最初は触れるだけ。それを何度か繰り返したあとで、少しずつ深いものに変わっていく。
「……んっ……」
舌を絡めるようなキスに、お互いの吐息が混じった。
あごをどちらのものともわからない唾液が伝い、頭がぼうっとしてきたところで……足のあいだに神谷の膝が入り込んでくる。
(……っ、こいつ!)
さすがに、そこまでは許可していなかった。俺は空いている方の手で、神谷の足をすかさずつねる。
「痛っ!」
「当たり前だろ。調子乗りすぎ」
「……すみません」
珍しく素直に謝ったかと思えば……さっきのキスの続きをされて。
(まずい……)
このままだと、完全に流されてしまいそうだった。
仮に今「……先輩、抱いてもいい?」なんて聞かれたら、俺は黙ってうなずくしかできないと思う。
そう言われる前に、俺は「あのさ」と切り出して、そっと神谷の胸を押した。
「……いつ出てくの、この部屋」
その言葉に、神谷は目を見開いたまま俺の顔を見つめている。
当然だ。唇を噛みしめて、傷ついたって顔をしてる。
「先輩は……俺に出て行ってほしいんですか?」
質問には答えなかった。
「予選の日まで、置いてはくれない……?」と甘えるように言う神谷を無視していると、首筋に顔を埋められる。軽くキスされたあと、強く吸われて……耳のあたりを舐められた。
「ちょっ……おい、神谷っ!」
声で抵抗するものの、すぐに唇を塞がれる。
強引で、乱暴で――でも、神谷の悲しいって気持ちもたしかに伝わってくるような、そんなキスだった。
神谷は苦しそうな表情のまま……俺を強く抱きしめて言った。
「じゃあ……最後に抱かせてください。それで、出ていきますから」
神谷と住むことが、嫌だったわけじゃない。けど……。
「……わかった」
俺はそう言って、神谷の行為を受け入れた。
服の下に手がすべり込んでくる。
「先輩……」
うわごとのように、何度もそう呼ばれた。
まるで俺のものだとでも言うように、全身に跡をつけてくる神谷を怖いとは思わなかったけれど……恋愛感情じゃなかったら、いったい何が神谷をそうさせるのだろう、とそう思った。
その日は律の店に集まった後、みんなでご飯に行って夜まで遊んだ。別れるときに、チャットのグループをひとつ作った。『新葉高校eスポーツ部』。次に全員で集まれる日がいつになるかはわからないけれど……「またみんなでゲームでもやろう!」という話になった。久々に楽しい集まりだったな、と思う。律と家に帰る途中。ずっとくだらない話ばかりしていたけれど、ふと小神野と神谷――あのふたりの話になって。「久々に会ったけどさ、ぜんぜん変わってなかったね! オカピ先輩といおりん。居酒屋でもずっとケンカしててさぁ……」「あれは、過去一でくだらない争いだったな」前の試合、スナイパーを使って弾を外した神谷に「なんで当てられなかったんだ?」と小神野が素朴な疑問をぶつけたのが始まりだった。次第に言い合いがエスカレートしていった結果、ついにふたりはシュウマイにからしをつけるかどうかでケンカしていた。もう、何でもいいんだろ、それ……。「お酒飲んでたってのもあるかもしれないけどさぁ、まじで笑ったよね」「面白かったな。あれで一緒に住んでるっていうんだから、不思議っていうか」「あれ……玲は気づいてなかった? ふたりの指に、お揃いのリングがあったの」「へっ?」自分の理解の及ばない話に、俺は宇宙空間にいる猫みたいになっていたんだと思う。律が俺の顔を指差して、腹を抱える。「薬指だったから、きっとそういう意味なんじゃないかな」「そういう意味って……えっ、お前まじで言ってる?」「うん。前に一度、配信でも事故ってたからさぁ。指輪つけたままにしちゃって、噂流れてたから知ってはいたんだけど」「まじか……俺、あのふたりが、いちばん仲悪いと思ってたわ……」「不思議だよねぇ。言い合いばっかりしてるくせに、いつも一緒にいるっていうか」律の言葉に、俺はあのふたりのことをもう一度よく思い出してみる。いつからだろう、と思ったが……さっぱりわからなかった。たしかに、ふたりで一緒にいることは多か
「めっっっっちゃびっくりしたね!! まさかオカピ先輩といおりんが野良でやってるとは思わなかった」「だな。サブアカウントはソロでやってて、昨日はたまたまふたりだった、とか……偶然が過ぎるよな」「久々にみんなでできて、楽しかったよねぇ~」俺の部屋。律がジュースを片手に興奮気味に話している。「今度、うちのバイト先にもおいでよってふたりに話してたんだ」「バイト先って……例のeスポーツカフェ?」「そうそう! 店長も現役の選手が来るのは歓迎だって。ふたりが来てくれるなら、イベントでもやりたいよねって話してて」律は大学に通いながら、大学近くにあるeスポーツカフェでずっとアルバイトをしている。カフェが併設されたeスポーツ施設とのことで、ゲーム用のPCがたくさんあり、初めての人でも気軽にオンラインゲームを体験できるらしい。俺もいつも話を聞くだけで、行ったことはなかったから……あのふたりが来るなら顔を出してみてもいいかもしれない、とそう思った。「ふたりとも、いつ来れそうなの?」「来週の日曜日!」「そっか……。じゃ、俺も行こうかな」「まじ!!? 玲も来てくれるの嬉しいんだけど」「そんなに喜ぶことかよ」「ずっと誘ってたのに、来てくれなかったじゃん!!! 当日は萩っちも来るし、笹原部長も来るってさ」「部長も来んの!!?」「彼女ができたから、連れて一緒に来るらしい」「あいつ、彼女できたの!!?」自分でもちょっと思ったけれど、律に「驚くところ、そこ?」と大笑いされた。あの規律にうるさ……厳しい笹原と恋愛なんて、いちばん縁遠いものだと思ってたのに。真面目な性格ではあったから、部内のことに胃を痛めているイメージしかない。「当日、楽しみだね!」そう言って笑う律に、俺は小さくうなずいた。◇◆◇◆◇◆◇大学とインターン先の会社と家、三か所をぐるぐる回っていると翌週の日曜はあっという間にやってきて――。秋晴れ
友達が有名人っていうのは、何だかこう、不思議な感じがする。高校にいるときは、ゲームこそ上手いけれど、ただの部活の仲間って感じで。そいつらを、各種メディアやネットニュースで見る日が来るなんて思ってもみなかった。夏の残暑も落ち着いてきた頃。大学で就活の情報をまとめて家に帰ると、弟・律のにぎやかな声に迎えられた。「ねぇ、玲~!! カシラゲームズ、アジアカップ3位だって!!! もう速報見た?」「まだ。……って、お前もう帰ってたんだ?」「うん。今日はバイト早上がり~。配信見損ねちゃったからさぁー、アーカイブまだ残ってるかな?」「さぁ……どうだろうな?」律は、子どもの頃からゲームで遊ぶのが大好きだ。どちらかというと自分でプレーするのが好きで、誰かのプレーを見るのが好きなタイプではなかったけれど……高校時代の仲間がプロの世界に入ってからは、配信で試合を見たり、チームの情報をこまめに追ったりしているようだった。たまに、小神野や神谷の配信を見に行っては、コメントを残したりしているとか。「あ、そういえば萩っちから連絡来てたよ。『週末、たまにみんなでゼログラやんない?』って」「俊、あいつ今何してんの?」「さぁ……大学とバイトじゃない? 個別塾の先生やってるって言ってたけど」「就職どうすんだろ?」「聞いてみたらいいじゃん」大学4年の今、ありきたりな悩みだけれど、俺は就職先に頭を悩ませていて……。インターンでお世話になっている会社はあるけれど、そこに就職するか、別のところに行くか……。色んな人に話を聞いた上で、今後の進路を決めようと思っていた。「みんなでゼログラやるのさぁ、土曜の夜とかでいい?」律はスマホを片手に、棚からポテトチップスを取り出している。「いいけど」「新マップやってみよ! って話になってんだよねー」楽しげに言うこいつは、高校の頃からちっとも変わってない。悩みもなさそうだし、明るくて、常に人生楽しそうって感じ。…
配信のことで伊織に嫉妬されたあの日は――結局、チームの練習が始まるまでめちゃくちゃにされた。練習が終わった後。ふたりで短い配信をした俺たちは、一緒に住んでることをみんなの前で明らかにした。俺はファンの子たちから『だと思った』『デレデレしてるね』なんて、とんでもなくからかわれることになったけど……俺たちはカシラゲームズの同居組と名づけられ、新たに一定のファンを獲得した。そのうち、俺たちのやりとりは色んな意味で注目を集めるようになって――。久々にチーム5人で練習配信をしたときには、何だか懐かしい気持ちになった。「伊織。工業団地攻めるのに挟み撃ちにするから、給水塔の上に場所取って」「……は? サイレンなのに?」「サイレンでもヴァイパーでも給水塔の上が強いのは一緒だから」「ていうか、アップデート入ってからは向かいの建物の方が強くね?」「おー。やるなら、後で表出な」「望むところ」「いや、その議論は今いらんて……」「始まったよ、同居組の『どっちのポジションが強いかバトル』」防衛隊のノヴァ、ゼノふたりが呆れたように呟いている。コメント欄を見ると『またプロレスかw』と視聴者たちが盛り上がっていた。ハルさんがスナイパーで敵をひとり撃破して、「あとは頼んだっ!」と俺たちに向けて発信する。「伊織っ!! さっさとドローン出せって!!!」「出したからもう!!! 車の陰にひとりいるんだよっ!!!」「それ、今殺ったから!!!」「え、倒したの俺じゃない?? 悠馬より俺の方が強いし」「お前、本気で言ってんのそれ」「仕事は早いんだけど、うるさいんだわ……まじで……」ハルさんが呆れたように言って、敵の消えたフラッグのエリアに乗り込んでくる。配信を見ている人たちも『うるさい』『本当にそれw』と便乗していた。同じチームでプレーするようになって、そろそろ1年が経つ。こうしてプロの世界でプレーするようになっても、俺たちが仲間になると賑やかなのは
伊織と同じ部屋に住むことになった。特に、何か大きなきっかけがあったわけじゃない。話を切り出されたのは、ある日突然って感じだった。「前にした約束って、憶えてる?」「そろそろ……一緒に住まない?」ちょうど、カシラゲームズに移籍して半年が経った頃だった。そう言われた俺がどれだけ嬉しかったかなんて……伊織には絶対にわからないだろう。高校のとき。合鍵を断ったあいつが言い放った言葉を、俺はずっと忘れられずにいた。『先輩より多くの賞金稼いで……先輩を俺の家に住まわせるので』。稼ぐ賞金の額で伊織に負けるつもりなんて、さらさらない。だけど、「いつかそうなったら嬉しいな」という気持ちだけは持ち続けていて――。『一緒に俺の家に住んでよ』なんて言われた日には心臓が止まるかと思ったし、その日の夜は嬉しすぎて一睡もできなかった。我ながら単純だとは思う。それでも、俺にとっては心の底から嬉しい出来事だった。好きな奴と四六時中、一緒にいることができる――。そのふわふわとした幸せは、新居に移ってからもずっと続いているようで。ゼログラのワールドチャンピオンシリーズ、ZGWSプロリーグ予選が春に始まり、昨日の夜はその振り返り配信を個人でしていた。雑談も交えて話していたとき、視聴者のひとりが急に変なことを書き込んできた。●引っ越してからyuma、ずっと何か嬉しそうだよねそんなコメントが目に留まったけれど、普通にスルーしようと思っていた。それなのに――。●それな●機嫌がいい気がする●すぐ怒んなくなったよね●幸せそう●何かいいことでもあった?●口元ゆるんでるぞみんなその話題に触れたかったらしく……何故か盛り上がるコメント欄。「べつに……そんなことないけど」否定したにもかかわらず、流れるコメントは止まることがなくて――。●ひとり暮らし?
「うわっ……これ、PCの配線やばすぎね?」「2台分だもんなぁ。繋ぐだけならいいけど……掃除できんのかな、これ」「って、なんかインターホン鳴ってない?」「鳴ってる! ソファー届いたかも」引っ越しは、世界大会の予選が終わった5月の連休にした。その日は朝から慌ただしくて……午前中から悠馬の荷物の運び込み、午後からは俺の荷物と家具が届くようなスケジュールだ。「悠馬、ソファーってここでいい?」「もうちょい手前~」業者の人にお礼を言って、設置までしてもらう。まだ何もないリビングだけど、テーブルとソファーが揃えば何だかそれっぽくなるから不思議だった。「こうやって見ると、テレビも欲しくなるかも」「でっかい画面でゲームやるのも楽しそうだよなー。映画とか観るのもいいし」「悠馬も映画とか観るんだ」「そりゃあ、見るよ。アニメも観るし」「ちょっと意外かも。一緒にいるとき、観てたこととかなかったから」「たしかに、伊織といるときは話したり、ゲームしてたりすることの方が多かったかも……」「じゃあ、新しいの買ったら、一緒に観る?」「いいね。注文しよ」ネットで良さそうなテレビとテレビ台を見つけた悠馬が、さっそくスマホで情報を送ってくる。新居の入居にかかる費用と引っ越しの費用、家具の購入にかかった費用……。銀行の預金残高を思い浮かべつつ、ざっと計算しようとしたけれど――途中から具合が悪くなってきたので、やめることにした。(使った分は、また頑張って稼げばいいわけだし……)そう言い聞かせて、ゲーム部屋の作業に戻る。部屋に入ると、悠馬が待っていて「こっちこっち」と手で招かれた。PCの電源がついていて、配信で使うカメラがオンになっている。「配信用の画面、今のところこんな感じなんだけど……。ドアとドアノブが映ると、家がバレる気がしない?」「うわっ、たしかにそうかも……!」盲点だった。