先輩はベッドの上で静かに寝息を立てていた。その身体にタオルケットをそっとかけ、俺は荷物をまとめて部屋を出る。
明け方、まだ日が昇り切っていないくらいの時間だった。
「クソっ……」
つい、そんな言葉が口からもれる。
昨日の自分は、衝動的だった。
避けられているのが悔しくて……つい言葉で先輩のことを追いつめ、手を出してしまった。結局、最後まではしなかったけれど……俺の提案にうなずいた先輩が、いったいどんな気持ちだったのかまではわからない。
(やったよな、これ……)
今日も放課後には部活がある。間近に迫った、夏の大会の予選に向けての練習だ。
(どんな顔して、会えばいいんだよ……)
俺は顔を手のひらで覆いつつ、自宅までの道のりを、荷物を片手に歩き続けた。
◇◆◇◆◇◆◇
「ねぇねぇ、玲。……あのふたりさぁ、何かあったの?」
「さぁ……?」
「あ、それ……俺もさっきから気になってた」
「萩っちも気づいてたかぁ~。昨日も変だったけど、今日はもっと変だよねぇ?」
「そうだな。ゲームに影響がなきゃいいんだけど……」
部活での俺たちは、簡単に言うと、超・腫れもの扱いだった。
何かあったんだろうということはわかるが、聞けるような雰囲気でもない。
実際、俺と先輩とは気まずい以外の何物でもなかった。考えないようにと気をつけていても、つい昨日のことを思い出してしまう。
先輩は先輩で、平静を装っているように見えたけど、何やら考えごとをしている時間が増えた気がする。
そして、試合中の連携は……何とか機能していたけれど、ヒヤリとする場面が多かった。
「これは……」
「フレンドリーファイア、復活かぁ?」
「まったく、どうしたもんかねぇ……」
幼なじみ3人がひそひそと話す声が聞こえてくる。
(このままじゃマズいことなんて、俺がいちばんよくわかってる……)
「車の横、地雷です」
「了解。神谷、そこ左」
でも、お互いに最低限のコミュニケーションで済ませようって意志がハンパなくて……。
俺は最後まで先輩と目を合わせて話すことのないまま、部活を終えて別々の帰路についた。
◇◆◇◆◇◆◇
本音で話すきっかけを得られないまま――カレンダーはついに6月になった。
e-JAPAN全国高校ゲーマーズ選手権、夏の大会がついに始まる。
決勝はリアルの舞台で配信もされるが、予選の段階ではオンラインだ。試合はトーナメント形式で1回でも負けたら終わり。新葉高校はゼログラでは前回の準優勝校なので、2回戦目からのシード枠だった。
部活に向かう途中、野田は拳を握り、目をキラキラさせていた。
「俺たちにとっては初めての大会だけどさ! いよいよ、始まるって感じがするよなぁ~」
「うちの学校、バトルソウルもシードだったんだな。メンバー、調子どうなの?」
「そりゃあ、最高よ。うちは部長がまとめ役だし、みんなちゃーんと調整してきてる」
「ああ……怒ると怖いもんな、部長」
「それを言うなら、副部長の方がだろ? ていうか、なーんか色々あったみたいだけど、大丈夫そ?」
野田はチームこそ違うが、同じ部活のメンバーだ。噂で色々と耳にはしているんだろうけど……この気安い感じが今はありがたかった。
「大丈夫……じゃないかなぁ……」
「うわー。不安そうだぁ~」
「……なんとかなる、と思う……」
ゴシップ大好き野田は「話なら聞いてやるから、いつでも相談しろよっ!」と鼻息を荒くしながら、俺の肩を叩いていた。
本当、頼もしい奴。……相談したら最後、部活中どころかクラスの中にまで話が広まるような気はするけれど。
ふたりで部室のドアを開ければ、緊迫した雰囲気が一気に襲ってくる。
(3年生にとっては最後の夏の大会、だもんな……)
俺は頬をパシッと叩いて気合いを入れ、先輩方に挨拶してからいつもの席に着いた。
◇◆◇◆◇◆◇
試合の後。部室には珍しい人の声が響いていた。
「……いい加減にしろよ、お前らっ!!!」
ちなみに『お前ら』というのは――当然ながら、俺と小神野先輩のことで。
「この前の練習で、『ちゃんと話し合え』って言ったよな!!?」
「玲っ! ちょっと落ち着きなよ~」
怒っているのは律先輩の兄、椎名玲先輩だ。
普段は、やんちゃな律先輩の話を「はいはい」と聞いているお兄ちゃん的なキャラで、口数もそこまで多くない。そんな温厚な人がここまで怒っているということは――まぁ、120パーセント俺たちが悪いということだ。心当たりしかない俺は、しょんぼりと頭を下げる。
大切な試合の1戦目は、はっきり言ってかなりひどい内容だった。俺と小神野先輩が、そろってフレンドリーファイアをやらかしたのだ。しかも、仲良く1回ずつ、お互いを瀕死の状態にするまで撃った。
ゲームでは防衛チームの3人に入っている玲先輩だが、使うのはいつも回復を担当するメディックか、ドローンで味方を支援するサイレンというキャラだ。先輩は拠点を守りながら、俺たちの回復とサポートに死ぬほど動き回ることになったし、何なら機能しない攻撃チームの代わりに拠点の制圧までやってくれた。
玲先輩がいなければ、この試合はとっくに終わっていて、俺たちは2回戦で敗退していたはずだった。
「味方が味方を撃ってどうすんだよっ!! 俺だってサポートには限界があるんだ。それに、俺が防衛チームから抜けた後の萩原と律はどうだったよ!!? ちょっとは他の仲間のことも考えろっ!!!」
玲先輩のキャラクターがあんなに走り回っていた試合は初めてだったし、そのせいで萩原先輩と律先輩は窮地に追いやられていた。
ちなみに、本拠地も取られかけた。反省しかない。
小神野先輩は久々に見るふくれっ面で「……悪かったよ」と言っていて、玲先輩は大げさにため息を吐いた。
「小神野。この選手権大会の決勝って、どこでやるんだっけ?」
「……新しくできた、渋谷のホール」
「観客の収容数は?」
「…………2000人。当日はテレビも来るし、決勝戦の様子は全国に生配信される……」
「わかってんなら、いいよ。新葉の副部長っていうのもあるけどさ、プロの世界でやっていきたいなら、今日みたいなプレーしてるとすぐクビになるぞ」
小さな声で「……ごめん」と呟く先輩の肩を、玲先輩が軽く叩いた。
「今後、こういうタイプのフォローは絶対にしないからな。それから、神谷! お前は今日の放課後、小神野の部屋寄って反省会な」
「えっ……!? で、でもっ」
「返事っ!!!」
感情を全開にする先輩に抗うすべはなく……俺は「はいっ!」とまるで兵士のように姿勢を正した。
それに満足したのか、玲先輩は「よしっ」と言って、口の端で笑う。
「ちょっと前までの小神野と神谷のプレーは、悪くなかったと思うよ」
「だけど……」と前置きして、先輩は続けた。
「お前らの連携って、何かこう……根本的に色々と足りない気がするんだよな」
顔を上げても、小神野先輩はこっちを見ていなかったけれど……きっと、俺と同じように心当たりがあるんだろう、とそう思った。
暑さも本格的になってきた7月。新葉高校は予選を無事に勝ち抜け、2位で関東ブロックの代表に選ばれた。全国大会になると、レベルがいちだんと高くなる。初戦の中部ブロックとの試合に何とか勝利した俺たちは、ついにグランドファイナルと呼ばれる決勝戦へとコマを進めた。ゼロ・グラウンドは4つの国が争うゲームということもあり、今年から決勝は4チームで行われるらしい。参加する高校は去年とほぼ同じ。京都の犬桜高校、仙台の白雲高校、東京の新葉高校、そして前回大会で優勝した強豪・横浜の龍鳳高校。関東ブロックの代表を決める決勝戦でも、俺たちは龍鳳高校に負けた。だが、まったく届かない実力差でもなかった。全員で力を合わせれば何とかなりそうな――そんな手応えを感じていた。「あとは、作戦だよなぁ~……」部室のミーティングスペース。萩原先輩が宙を仰ぎながら言った。「初動が大事になってくるよな。他の3チームはどう動いてくると思う?」玲先輩が全員を見回して聞いたので、俺は控えめに手を挙げる。「龍鳳高校は間違いなく、新葉を最初に狙ってきます」「ほう。いおりん、その心は?」「小神野先輩がいるからです」龍鳳高校は5人が全員、俺みたいなタイプのプレーヤーだ。戦略ストラテジーには強いが、逆に小神野先輩ほどFPSの上手いプレーヤーはいない。おそらく、撃ち合いになったときに不利になるプレーヤーを早めに潰しに来るはずだった。「犬桜高校と白雲高校はどう出るかな?」「わかりませんが……仮に龍鳳と一緒になって俺たちを潰したところで、あの2校だけで龍鳳と互角にやり合えるかどうかは、微妙なところだと思います。それなら、俺たちと協力して先に龍鳳高校を落とした方がまだ勝ち目がある……」「俺たちとしても、まず龍鳳高校を倒さないと、後がキツイもんな……」「ですね」「色んなパターンを想定して、どう対応するか考えておく必要がありそうだな」「俺、覚えられるかなぁ……」律先輩が不安げな声をあげる。萩原先輩が肩を叩いて、励ましていた。「みんなで少
週明けの部活。俺たちは部室にそろって顔を出し、前回の試合の反省を活かしながら、練習を繰り返していた。奥の席に小神野先輩。その手前に俺。週末は色々あって恋人モードだった先輩も、部活が始まればいつものokaPに戻るわけで……。イヤホンからは俺を呼ぶ「神谷っ!」という怒声が聞こえていた。「お前っ、今なんで先に壁出さなかったんだよっ! ルーク使ってんだろっ!?」「いや、そもそも出すつもりなかったですよっ! 敵のモブ兵士が来たから、分断するために使っただけです。……先輩こそ、なんで俺が壁出す前提で動いてんですかっ!!」「こういうとき、いっつも出すだろうがっ!!」「出しませんよっ! もうちょっと、俺の動きよく見て覚えてくださいっ!!」いつにも増して言い争っている俺たちの隣で、玲先輩がヘッドセットを外しているのが見えた。「あ〝ぁ~~~、耳が痛すぎて、もう無理! ミュートにするか」「ねーねー、何かあったの? あのふたり。何か聞いてる~? 玲」「知らねぇ!」「先週、玲に言われたのもあって、色々話し合ったらしいぞー」萩原先輩があいだに入って、小神野先輩から聞いたことを説明していた。「へぇ~、そうなんだ。まぁ、プレー自体はあのふたりらしくなってきたからいいと思うんだけど……。それにしても、うるさいよね」「ああ。前の3割増しでうるさい」「本音で話し合った結果、意思疎通は図れるようになったけど……その分、言い合うことも増えたんだって」「まじか」「嘘でしょー……」「耳いてー」マイクが音を拾っていて、彼らの会話は俺たちにもばっちり聞こえていた。「聞こえてんぞ、お前らー」小神野先輩が小言をこぼすと、防衛隊3人は「さぁー仕事だ、仕事」とわざとらしく言って、それぞれの持ち場に戻る。この試合は俺たちの言い合いこそ多
「……んっ……」鼻にかかった自分の声で、ふと目が覚めた。まだ寝息を立てている神谷が下着しか見に着けていないのを見て、昨日の夜に何があったかを思い出す。(~~~~~っ!!)急に、恥ずかしさが込みあげてきた。昨晩の出来事を簡単にまとめると、俺は神谷との勝負に……負けた、と言ってもいいと思う。あいつの宣言通り、昨日の夜はあいつがどれだけ俺を好きなのか『わからされた』。(……男は無理だと思ってたのにな)彼女がいたって話も聞いてたし、どこかでまだ、気の迷いなんじゃないかと疑ってた。でも、一晩かけて、本気だってことをしっかり証明されて……。(……恥ずかしい)隠れるようにタオルケットを頭から被ったところで、背中の方からかすれた声がした。「……先輩、起きたの? おはよ」まだ眠そうな声。振り向くと、寝ぼけたままの神谷に腰のあたりから抱き寄せられる。「身体、大丈夫そ?」改めて聞かれると、羞恥心が込みあげてきてくすぐったかった。心臓の鼓動がうるさい。このまま時間が止まればいいのに、なんて……お決まりのセリフが胸をよぎる。額にキスしてくる神谷の胸に頭を埋めると、神谷の匂いがした。パジャマではないけど、同居生活の夢がひとつ叶ったような気がして嬉しい。「あれ……今日って、学校……?」「まだ、寝ぼけてるみたいだな。今日は休み。月曜は明日」「そっか……」眠そうに目をこすって、へらっと笑う神谷は今日もカッコよくてかわいかった。「じゃ、先輩とずっとこうしててもいいんだ」じっと見つめられて、唇にキスされる。明るいところで見られるのが恥ずかしくて背中を
先輩の部屋に着くまで、俺たちはひと言も言葉を交わさなかった。部屋に入って、ローテーブルを囲んで座ったところまではよかったけれど……今日の試合の反省会なんて、ちっとも始まる気配がない。(……いや、始めるつもりがないのかもしれないな)俺たちの問題はそこじゃないと、お互いが何となくわかっているから。「……先輩、怒ってます?」そう切り出した俺に、先輩は不機嫌そうに聞いた。「なんで」「あの日の夜……俺が先輩を無理に、その……抱くみたいになったから」先輩はぴくりと肩を震わせ、そっけなく答えた。「……べつに。合意だったし」「じゃあ……今、何を考えてるんですか? 俺、先輩の考えてること、少しもわからないです」そう伝えてみたものの、先輩は下を向いて何か考えるばかりで……。俺は深く息を吐いて、先を続けた。「どうして、俺を部屋から追い出したんですか。……怒ってないなら、なんで」「……それは……これ以上、距離詰めんのは違う気がして」「は?」「だからっ、距離が近くなり過ぎるのはダメだと思ったんだよ」「なんで」そもそも、『意思疎通を図れるようになろう!』という目的で共同生活をしたんじゃなかったんだろうか?(本当に、何を考えてるのかよくわからん……)俺はいよいよ頭を抱えつつ、自分の気持ちを吐き出した。「……俺はわりと嬉しかったですけどね。先輩と一緒に過ごせて。前よりは先輩のことをよく知れたような気がしますし、一緒にご飯作ったり、終わった後でゲームしたりするのも楽しかった」「俺だって、あの
先輩はベッドの上で静かに寝息を立てていた。その身体にタオルケットをそっとかけ、俺は荷物をまとめて部屋を出る。明け方、まだ日が昇り切っていないくらいの時間だった。「クソっ……」つい、そんな言葉が口からもれる。昨日の自分は、衝動的だった。避けられているのが悔しくて……つい言葉で先輩のことを追いつめ、手を出してしまった。結局、最後まではしなかったけれど……俺の提案にうなずいた先輩が、いったいどんな気持ちだったのかまではわからない。(やったよな、これ……)今日も放課後には部活がある。間近に迫った、夏の大会の予選に向けての練習だ。(どんな顔して、会えばいいんだよ……)俺は顔を手のひらで覆いつつ、自宅までの道のりを、荷物を片手に歩き続けた。◇◆◇◆◇◆◇「ねぇねぇ、玲。……あのふたりさぁ、何かあったの?」「さぁ……?」「あ、それ……俺もさっきから気になってた」「萩っちも気づいてたかぁ~。昨日も変だったけど、今日はもっと変だよねぇ?」「そうだな。ゲームに影響がなきゃいいんだけど……」部活での俺たちは、簡単に言うと、超・腫れもの扱いだった。何かあったんだろうということはわかるが、聞けるような雰囲気でもない。実際、俺と先輩とは気まずい以外の何物でもなかった。考えないようにと気をつけていても、つい昨日のことを思い出してしまう。先輩は先輩で、平静を装っているように見えたけど、何やら考えごとをしている時間が増えた気がする。そして、試合中の連携は……何とか機能していたけれど、ヒヤリとする場面が多かった。「これは……」「フレンドリーファイア
ベッドの上では、神谷がまだ平和そうに寝息を立てていた。俺はまだ鳴る前のアラームを解除して、こっそりとベッドを抜け出す。昨日は、一睡もできなかった。変な態勢で寝たから腕も痛い。俺は音を立てないよう冷蔵庫を開け、グラスに注いだ牛乳にココアの粉末を混ぜてから、ローテーブルの上に置いた。(どうして、こんなことになったんだっけ……)昨日のことがずっと頭から離れず、ぐるぐると頭を駆け巡っている。あいつが白雲高校の部長に嫉妬してるみたいで、それがちょっとかわいかった。拗ねてる神谷をかまいに行ったら、俺は先輩のライバルなのかとか、特別なのかとか……またかわいいことを聞き始めたので、ついキスとかしてしまった。(やっちまった、って感じだよなぁ……)結果的にあいつの気持ちに火を点けることになって、強引に口づけられた。正直、キスは気持ちよかった。あんな風に求められてドキドキしたし……嬉しかった。このまま流されて抱かれようかとも思ったけど、踏みとどまったのは俺たちの今後の関係と、神谷の気持ちを考えたからだ。あいつの気持ちは、本人も言っていたけど、純粋な恋愛感情には見えない。(でも……じゃあ、何……?)寝る前にもう一度キスをねだられたけど……よくわからない、というのが正直なところ。まぁ、同じ部活で好きになるとか、つき合うとか……別れて気まずくなるのも嫌だし、きっとこれでよかったんだと思う。俺の恋愛対象が同性だということはたぶんバレたが、神谷はこういうことを周りに言いふらすようなタイプでもないだろう。何度も出てくるあくびを噛み殺していると、神谷が起きてくる気配がした。「おはよー、先輩」「おはよ」グラスに牛乳を注いで、隣に座る。いつもよりも近い距離。お互いの指先が触れたのを感じて……俺はわざと