先輩の部屋に着くまで、俺たちはひと言も言葉を交わさなかった。
部屋に入って、ローテーブルを囲んで座ったところまではよかったけれど……今日の試合の反省会なんて、ちっとも始まる気配がない。
(……いや、始めるつもりがないのかもしれないな)
俺たちの問題はそこじゃないと、お互いが何となくわかっているから。
「……先輩、怒ってます?」
そう切り出した俺に、先輩は不機嫌そうに聞いた。
「なんで」
「あの日の夜……俺が先輩を無理に、その……抱くみたいになったから」
先輩はぴくりと肩を震わせ、そっけなく答えた。
「……べつに。合意だったし」
「じゃあ……今、何を考えてるんですか? 俺、先輩の考えてること、少しもわからないです」
そう伝えてみたものの、先輩は下を向いて何か考えるばかりで……。
俺は深く息を吐いて、先を続けた。
「どうして、俺を部屋から追い出したんですか。……怒ってないなら、なんで」
「……それは……これ以上、距離詰めんのは違う気がして」
「は?」
「だからっ、距離が近くなり過ぎるのはダメだと思ったんだよ」
「なんで」
そもそも、『意思疎通を図れるようになろう!』という目的で共同生活をしたんじゃなかったんだろうか?
(本当に、何を考えてるのかよくわからん……)
俺はいよいよ頭を抱えつつ、自分の気持ちを吐き出した。
「……俺はわりと嬉しかったですけどね。先輩と一緒に過ごせて。前よりは先輩のことをよく知れたような気がしますし、一緒にご飯作ったり、終わった後でゲームしたりするのも楽しかった」
「俺だって、あの生活は嫌いじゃなかったよ。練習もできたし、ご飯は美味いし……ベッドはちょっと狭かったけど」
「それなのに、追い出したんですね。俺のこと」
「……仕方ないだろっ。それとこれとは話が別だし。そもそも、お前がキス……とか、したのが悪いんだよ。自分は特別なのかとか、そんなこと聞いてきたから」
「先輩の気持ちを確かめて、何がいけないんです?」
「……っ! 自分の気持ちも、ちゃんと話さないくせに」
そう言われて、はっとした。
言って……なかっただろうか?
(伝えて……なかった?)
俺は先輩との生活について思い返す。
ある晩、先輩に「俺が好き?」と聞かれて、首を横に振って否定した。それなのに、「先輩を俺のものにしたい」とか、「先輩なら抱ける」とか……。
思い出せば思い出すほど、頭が痛くなってくる。
(そんなの、ただのクズじゃん……)
ため息すら出なかった。そんな奴から迫られたら、先輩だって嫌な気持ちになるに違いない。
恋愛感情じゃないかもと思ったのは、先輩を競争する相手として――ライバルとして見ていたからだ。
でも、この心の中にある複雑な気持ちを、言葉にしないまま曖昧にした……。
「……言ってくれなきゃ、わかんないよ。流された俺も悪いけど……お前が俺とどうなりたいのか、どうしたいのか……言葉にしなきゃ伝わんないし……不安になる」
俺だって、自分の気持ちをすべてきれいに言語化できるわけじゃない。
だけど……きっと、出来る範囲で言葉にして、伝えるべきなんだろうと思った。
「じゃあ……話してみます。上手く伝わるかは、わかりませんけど」
そう前置きして、俺はゆっくりと話し始めた。
「……俺の先輩への気持ちは、たぶん……すごく強い競争心……なんだと思います。先輩にだけは負けたくなくて……。俺にはない、その才能を『羨ましい』って思ってる」
「でも……それは、恋愛感情じゃないんだろ」
「俺は『わかりやすい恋愛感情じゃない』って、言いました。それは、なんていうか……恋みたいな甘酸っぱい感情じゃないって意味で。俺のはもっと重くて、ドロドロしてて……先輩の才能ごと、ぜんぶ自分のものにしたいって、そういう類の気持ちです」
「……才能、ね……」
「才能です。先輩には俺のことを唯一のライバルだと思ってほしいし、できれば先輩を俺のものにして、ずっとそばに置いておきたい」
「お前、それ本気で言ってる……?」
「本気です。……冗談で言うと思います?」
首をかしげると、先輩は戸惑ったように視線をさまよわせて、ばりばりと頭をかいた。
「……わがまま」
「どうも。……俺はちゃんと自分の気持ちを言ったので、次は先輩の番ですよ」
俺はそう言って先輩をうながしたけれど、自分から話すように仕向けたくせに、いつまで経っても話し始める様子がなくて――。
手を伸ばし、先輩の頬に触れる。
顔が赤かった。先輩は言葉にしないだけで、意外とわかりやすい気がする。本当に嫌いな奴から告白されたら、こうはならない。
……なかなか自分から心を開かない、めんどくさい人だと思った。最初は嫌味な性格で歯に衣着せず物を言うんだと思っていたけれど……肝心なことほど、あまり話したがらない。
先輩は「俺の気持ちって言われても……」と語尾をフェードアウトさせながら、ぽつぽつと言葉を選んで話し始めた。
「オンラインで会ったときのことは……もう話したろ。1年後、部室で初めて会ったときは、その……顔がいいなって思った」
「はぁ」
「……だから、その……顔が好きで、タイプだった」
顔かよ。
まぁ、顔でもいいけどさ。
「その後は、すげー生意気な奴だなって思ったよ。強引だし、ムカつくし。でも、一緒にゲームするのは悪くなかった。神谷が作ってくれたご飯、一緒に食べんのも、好きだった」
ぽつり、ぽつりと話すその様子に、慣れてない感じがにじみ出ている。先輩はどう言葉にしていいかわからない、といった風に「……だから……俺は、その……」と口ごもっていた。
しばらく視線をさまよわせた後で――上目遣いに俺の方を見る。
「……神谷のこと…………けっこう、好き………かもしれない……」
(何、この人。かわいい……)
俺は先輩を衝動的にぎゅっと抱きしめてしまい、はっとする。
「ちょっ……神谷っ!!?」
「……その顔、もう一回見せてくださいよ。先輩」
「やだ」
しきりに隠れようとする先輩の顔を、無理やりのぞきこんで見る。彼は今までに見たことがないくらいに、照れていた。
かわいい。普段とのギャップもあるんだろうが、そんなにかわいいなら、もっと早くに見せてくれればよかったのに。
俺は今までの話をまとめるようにして言った。
「じゃあ、何ですか……俺たちのあいだには何の問題もなかったってことですか……? 俺と先輩の気持ちは、それぞれ違っていたかもしれないけど……キスしたことも、嫌じゃなかったなら、どうして俺を追い出したりしたんです?」
「だからっ、それはあのとき言っただろっ! つき合って別れたりしたら気まずいし、変な噂が広まって……お前に迷惑かけたりするのも嫌だったし」
「何ですか? 変な噂って」
「……男同士だろ、俺たち」
「べつに、男同士でもいいじゃないですか。いまどき気にします? そんなの」
「……っ! それに、俺はっ……」
急に声を荒らげたと思ったら、言葉尻が消えてなくなる。
「俺は……何です?」
「神谷が……遊びだったら、嫌だなって思って」
そう、拗ねたように口をとがらせる。
「……本気が、よかったから」
先輩は容姿こそ派手だけど、中身は意外と純情らしかった。
「先輩って、もしかしてロマンチスト?」
「うるさ」
怒られるかなと思ったけれど、先輩はそう言って顔を赤くするだけで。
「……本気ですよ、俺」
「うん。……言葉で聞いて、わかった」
「俺も、ようやくわかりました。先輩の気持ち」
「……玲が言ってたのって案外、こういうところなのかもな」
「何がです?」
「俺たちの連携に足りてない『色々』」
先輩にそう言われて……はっとした。
「もしかして……本音で話すとか、そういう……?」
「そう。隠しごとや懐の探り合いが多くて、心を開いてなかったような気がするから」
ライバルや敵として戦うだけなら、それでもよかったような気がする。
でも、今は背中を預ける仲間なわけで……。
「信頼関係、かぁ……」
「時間は共有してたけど、お互いの考えや気持ちについてはあまり話してこなかったからな」
「……まぁ、自分の気持ちを隠してたのは、主に先輩なんですけどね」
「お前は自分の考え伝えんの下手くそ過ぎだろ」
お互いにどっちが悪いかで言い合いにはなったけど……胸につかえてたものは、取れた気がする。
連携における課題も見えてきて、思わぬ収穫があったみたいだ。
「ねぇ、先輩。……お互いの気持ちがずれてるのって、気になりますか?」
俺は話を戻して、先輩に聞いた。
今までのことを聞く限り、先輩のは恋みたいな淡い感情で、俺のはそれよりもずっとドロドロしていて重いものだ。
先輩は目を閉じ、首を静かに横に振る。
「違いは……べつに、あってもいいと思う。お互いにそれを理解して、認め合っているならそれでも」
「先輩のものより……俺の気持ちの方がずっと重いって言っても?」
「それは……聞き捨てならないな。絶対、俺の気持ちの方が重いし」
こういう瞬間が俺は好きだった。
相手が思惑通り、自分の罠にかかった瞬間。
「……じゃあ、勝負しません? どっちの方がお互いを好きかって」
あごでくい、とベッドの方を指す。両想いだってわかったんだから、誘ったっていいはずだった。
意味を理解した瞬間、先輩の顔が一気に赤らむ。
「……っ! 勝負はやめて、共闘するんじゃなかったのかよ」
「ああ、そっか……。先輩、逃げるんですね?」
勝った。このセリフを言われて、先輩が絶対に引けるはずがない。
ため息交じりの嫌味が飛んできたけど、それも想定の範囲内だ。
「……お前ってさぁ……。本当に、逃げ道ふさぐの上手いよね」
俺は笑って、まだ慣れないんだろう小さく震える先輩の手を取った。
安心してもらえるよう、そっと撫でる。
「それ、何の話です?」
「ゲームの話と……リアルの話」
「優しくします」
「……優しくしなかったら、殴るから」
嫌ならやめようと思って、顔を近づけて様子をうかがった。お互いの鼻先が触れて、先輩の方からキスされる。
「……俺が勝ったら、1つだけ言うこと聞くっていうのは?」
「いいですね。じゃあ、俺が勝ったら先輩も1つだけ言うこと聞いてください」
俺にベッドに組み敷かれながら、余裕のある笑みで「わかった」と言う先輩。
この勝負には自信があった。
(絶対に、俺の方が先輩を好きなはずだ)
なぜなら……最初にメッセージを送ったのも、惹かれたのも、キスしたのも――すべて俺の方からだから。
先輩の服に手をかける。
俺はベッドのスプリングが軋む音を聞きながら、口の端で笑った。
「俺がどれくらい先輩のことを好きなのか……ちゃんと、わからせてあげますよ」
その日は律の店に集まった後、みんなでご飯に行って夜まで遊んだ。別れるときに、チャットのグループをひとつ作った。『新葉高校eスポーツ部』。次に全員で集まれる日がいつになるかはわからないけれど……「またみんなでゲームでもやろう!」という話になった。久々に楽しい集まりだったな、と思う。律と家に帰る途中。ずっとくだらない話ばかりしていたけれど、ふと小神野と神谷――あのふたりの話になって。「久々に会ったけどさ、ぜんぜん変わってなかったね! オカピ先輩といおりん。居酒屋でもずっとケンカしててさぁ……」「あれは、過去一でくだらない争いだったな」前の試合、スナイパーを使って弾を外した神谷に「なんで当てられなかったんだ?」と小神野が素朴な疑問をぶつけたのが始まりだった。次第に言い合いがエスカレートしていった結果、ついにふたりはシュウマイにからしをつけるかどうかでケンカしていた。もう、何でもいいんだろ、それ……。「お酒飲んでたってのもあるかもしれないけどさぁ、まじで笑ったよね」「面白かったな。あれで一緒に住んでるっていうんだから、不思議っていうか」「あれ……玲は気づいてなかった? ふたりの指に、お揃いのリングがあったの」「へっ?」自分の理解の及ばない話に、俺は宇宙空間にいる猫みたいになっていたんだと思う。律が俺の顔を指差して、腹を抱える。「薬指だったから、きっとそういう意味なんじゃないかな」「そういう意味って……えっ、お前まじで言ってる?」「うん。前に一度、配信でも事故ってたからさぁ。指輪つけたままにしちゃって、噂流れてたから知ってはいたんだけど」「まじか……俺、あのふたりが、いちばん仲悪いと思ってたわ……」「不思議だよねぇ。言い合いばっかりしてるくせに、いつも一緒にいるっていうか」律の言葉に、俺はあのふたりのことをもう一度よく思い出してみる。いつからだろう、と思ったが……さっぱりわからなかった。たしかに、ふたりで一緒にいることは多か
「めっっっっちゃびっくりしたね!! まさかオカピ先輩といおりんが野良でやってるとは思わなかった」「だな。サブアカウントはソロでやってて、昨日はたまたまふたりだった、とか……偶然が過ぎるよな」「久々にみんなでできて、楽しかったよねぇ~」俺の部屋。律がジュースを片手に興奮気味に話している。「今度、うちのバイト先にもおいでよってふたりに話してたんだ」「バイト先って……例のeスポーツカフェ?」「そうそう! 店長も現役の選手が来るのは歓迎だって。ふたりが来てくれるなら、イベントでもやりたいよねって話してて」律は大学に通いながら、大学近くにあるeスポーツカフェでずっとアルバイトをしている。カフェが併設されたeスポーツ施設とのことで、ゲーム用のPCがたくさんあり、初めての人でも気軽にオンラインゲームを体験できるらしい。俺もいつも話を聞くだけで、行ったことはなかったから……あのふたりが来るなら顔を出してみてもいいかもしれない、とそう思った。「ふたりとも、いつ来れそうなの?」「来週の日曜日!」「そっか……。じゃ、俺も行こうかな」「まじ!!? 玲も来てくれるの嬉しいんだけど」「そんなに喜ぶことかよ」「ずっと誘ってたのに、来てくれなかったじゃん!!! 当日は萩っちも来るし、笹原部長も来るってさ」「部長も来んの!!?」「彼女ができたから、連れて一緒に来るらしい」「あいつ、彼女できたの!!?」自分でもちょっと思ったけれど、律に「驚くところ、そこ?」と大笑いされた。あの規律にうるさ……厳しい笹原と恋愛なんて、いちばん縁遠いものだと思ってたのに。真面目な性格ではあったから、部内のことに胃を痛めているイメージしかない。「当日、楽しみだね!」そう言って笑う律に、俺は小さくうなずいた。◇◆◇◆◇◆◇大学とインターン先の会社と家、三か所をぐるぐる回っていると翌週の日曜はあっという間にやってきて――。秋晴れ
友達が有名人っていうのは、何だかこう、不思議な感じがする。高校にいるときは、ゲームこそ上手いけれど、ただの部活の仲間って感じで。そいつらを、各種メディアやネットニュースで見る日が来るなんて思ってもみなかった。夏の残暑も落ち着いてきた頃。大学で就活の情報をまとめて家に帰ると、弟・律のにぎやかな声に迎えられた。「ねぇ、玲~!! カシラゲームズ、アジアカップ3位だって!!! もう速報見た?」「まだ。……って、お前もう帰ってたんだ?」「うん。今日はバイト早上がり~。配信見損ねちゃったからさぁー、アーカイブまだ残ってるかな?」「さぁ……どうだろうな?」律は、子どもの頃からゲームで遊ぶのが大好きだ。どちらかというと自分でプレーするのが好きで、誰かのプレーを見るのが好きなタイプではなかったけれど……高校時代の仲間がプロの世界に入ってからは、配信で試合を見たり、チームの情報をこまめに追ったりしているようだった。たまに、小神野や神谷の配信を見に行っては、コメントを残したりしているとか。「あ、そういえば萩っちから連絡来てたよ。『週末、たまにみんなでゼログラやんない?』って」「俊、あいつ今何してんの?」「さぁ……大学とバイトじゃない? 個別塾の先生やってるって言ってたけど」「就職どうすんだろ?」「聞いてみたらいいじゃん」大学4年の今、ありきたりな悩みだけれど、俺は就職先に頭を悩ませていて……。インターンでお世話になっている会社はあるけれど、そこに就職するか、別のところに行くか……。色んな人に話を聞いた上で、今後の進路を決めようと思っていた。「みんなでゼログラやるのさぁ、土曜の夜とかでいい?」律はスマホを片手に、棚からポテトチップスを取り出している。「いいけど」「新マップやってみよ! って話になってんだよねー」楽しげに言うこいつは、高校の頃からちっとも変わってない。悩みもなさそうだし、明るくて、常に人生楽しそうって感じ。…
配信のことで伊織に嫉妬されたあの日は――結局、チームの練習が始まるまでめちゃくちゃにされた。練習が終わった後。ふたりで短い配信をした俺たちは、一緒に住んでることをみんなの前で明らかにした。俺はファンの子たちから『だと思った』『デレデレしてるね』なんて、とんでもなくからかわれることになったけど……俺たちはカシラゲームズの同居組と名づけられ、新たに一定のファンを獲得した。そのうち、俺たちのやりとりは色んな意味で注目を集めるようになって――。久々にチーム5人で練習配信をしたときには、何だか懐かしい気持ちになった。「伊織。工業団地攻めるのに挟み撃ちにするから、給水塔の上に場所取って」「……は? サイレンなのに?」「サイレンでもヴァイパーでも給水塔の上が強いのは一緒だから」「ていうか、アップデート入ってからは向かいの建物の方が強くね?」「おー。やるなら、後で表出な」「望むところ」「いや、その議論は今いらんて……」「始まったよ、同居組の『どっちのポジションが強いかバトル』」防衛隊のノヴァ、ゼノふたりが呆れたように呟いている。コメント欄を見ると『またプロレスかw』と視聴者たちが盛り上がっていた。ハルさんがスナイパーで敵をひとり撃破して、「あとは頼んだっ!」と俺たちに向けて発信する。「伊織っ!! さっさとドローン出せって!!!」「出したからもう!!! 車の陰にひとりいるんだよっ!!!」「それ、今殺ったから!!!」「え、倒したの俺じゃない?? 悠馬より俺の方が強いし」「お前、本気で言ってんのそれ」「仕事は早いんだけど、うるさいんだわ……まじで……」ハルさんが呆れたように言って、敵の消えたフラッグのエリアに乗り込んでくる。配信を見ている人たちも『うるさい』『本当にそれw』と便乗していた。同じチームでプレーするようになって、そろそろ1年が経つ。こうしてプロの世界でプレーするようになっても、俺たちが仲間になると賑やかなのは
伊織と同じ部屋に住むことになった。特に、何か大きなきっかけがあったわけじゃない。話を切り出されたのは、ある日突然って感じだった。「前にした約束って、憶えてる?」「そろそろ……一緒に住まない?」ちょうど、カシラゲームズに移籍して半年が経った頃だった。そう言われた俺がどれだけ嬉しかったかなんて……伊織には絶対にわからないだろう。高校のとき。合鍵を断ったあいつが言い放った言葉を、俺はずっと忘れられずにいた。『先輩より多くの賞金稼いで……先輩を俺の家に住まわせるので』。稼ぐ賞金の額で伊織に負けるつもりなんて、さらさらない。だけど、「いつかそうなったら嬉しいな」という気持ちだけは持ち続けていて――。『一緒に俺の家に住んでよ』なんて言われた日には心臓が止まるかと思ったし、その日の夜は嬉しすぎて一睡もできなかった。我ながら単純だとは思う。それでも、俺にとっては心の底から嬉しい出来事だった。好きな奴と四六時中、一緒にいることができる――。そのふわふわとした幸せは、新居に移ってからもずっと続いているようで。ゼログラのワールドチャンピオンシリーズ、ZGWSプロリーグ予選が春に始まり、昨日の夜はその振り返り配信を個人でしていた。雑談も交えて話していたとき、視聴者のひとりが急に変なことを書き込んできた。●引っ越してからyuma、ずっと何か嬉しそうだよねそんなコメントが目に留まったけれど、普通にスルーしようと思っていた。それなのに――。●それな●機嫌がいい気がする●すぐ怒んなくなったよね●幸せそう●何かいいことでもあった?●口元ゆるんでるぞみんなその話題に触れたかったらしく……何故か盛り上がるコメント欄。「べつに……そんなことないけど」否定したにもかかわらず、流れるコメントは止まることがなくて――。●ひとり暮らし?
「うわっ……これ、PCの配線やばすぎね?」「2台分だもんなぁ。繋ぐだけならいいけど……掃除できんのかな、これ」「って、なんかインターホン鳴ってない?」「鳴ってる! ソファー届いたかも」引っ越しは、世界大会の予選が終わった5月の連休にした。その日は朝から慌ただしくて……午前中から悠馬の荷物の運び込み、午後からは俺の荷物と家具が届くようなスケジュールだ。「悠馬、ソファーってここでいい?」「もうちょい手前~」業者の人にお礼を言って、設置までしてもらう。まだ何もないリビングだけど、テーブルとソファーが揃えば何だかそれっぽくなるから不思議だった。「こうやって見ると、テレビも欲しくなるかも」「でっかい画面でゲームやるのも楽しそうだよなー。映画とか観るのもいいし」「悠馬も映画とか観るんだ」「そりゃあ、見るよ。アニメも観るし」「ちょっと意外かも。一緒にいるとき、観てたこととかなかったから」「たしかに、伊織といるときは話したり、ゲームしてたりすることの方が多かったかも……」「じゃあ、新しいの買ったら、一緒に観る?」「いいね。注文しよ」ネットで良さそうなテレビとテレビ台を見つけた悠馬が、さっそくスマホで情報を送ってくる。新居の入居にかかる費用と引っ越しの費用、家具の購入にかかった費用……。銀行の預金残高を思い浮かべつつ、ざっと計算しようとしたけれど――途中から具合が悪くなってきたので、やめることにした。(使った分は、また頑張って稼げばいいわけだし……)そう言い聞かせて、ゲーム部屋の作業に戻る。部屋に入ると、悠馬が待っていて「こっちこっち」と手で招かれた。PCの電源がついていて、配信で使うカメラがオンになっている。「配信用の画面、今のところこんな感じなんだけど……。ドアとドアノブが映ると、家がバレる気がしない?」「うわっ、たしかにそうかも……!」盲点だった。