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神様を殺した日
神様を殺した日
Author: 吟色

最適化された世界

Author: 吟色
last update Last Updated: 2025-07-10 15:32:04

プロローグ

この世界では、幸福が数値で測れる。

朝起きる時間も、昼に食べるものも、誰と話すかも。

すべてが、“ゼオ”によって最適化されている。

誰もが、最も幸福になれる行動だけを選び、

誰もが、間違わない。

悲しみはなく、争いもない。

ただ――

「選ばされている」ことに、誰も気づかない。

「神様を殺した日」

市ノ瀬アキラは、七時ちょうどに目を覚ました。

枕元のエンジェルリングが柔らかい光を放ち、ゼオの音声が耳に届く。

《おはようございます。市ノ瀬アキラさん。起床タイミングは幸福度+1.4。》

七時三分に起き上がり、七時八分に洗面所へ。

整えられた黒髪、淡い影を落とした目元、無表情に近い口元。今日も同じ顔だ。

七時十四分に食卓につく。

すべては誤差ゼロ。毎日が完璧に整っていた。

朝食のテーブル。母親はいつも通り、穏やかに微笑んでいた。

だがその笑顔は、自分と一緒で昨日と全く同じ形をしているように思えた。

「アキラ、今日のスムージーは少し甘めね」

声は優しいが、まるで用意された台詞のようだった。

スムージーを口に運ぶ。完璧な甘さ。栄養バランスも完璧。

しかし、完璧すぎて味がしない気がした。

母の笑顔が、録画された映像みたいに思えたのは、今朝が初めてじゃなかったかもしれない。

アキラは曖昧にうなずきながら、テーブルのスクリーンに目をやる。

スクリーンが自動的に点灯し、幸福度ニュースが流れ始める。

《本日、街の幸福度平均は98.6。区画東部の再開発エリアが週末に開放予定です。行動候補に追加されました》

その映像を眺めながら、父親がふとつぶやいた。

「……東部のあたり、俺が子どもの頃はまだ空き地ばかりだったな」

「そうなんだ?」

アキラは何気なく返した。

父親は少し笑って、スプーンを置く。

「公園も、古い商店も、いまは全部最適化されちまった。……昔の話は、聞いてみると案外面白いもんだぞ。記録に残ってるものより……ずっと、な」

「記録にない話?」

アキラの問いに、父親は少しだけ目を細めて、

「いや……気のせいさ」

そう言って、またスプーンを手に取った。

記録にない昔の話という言葉が、なぜかアキラの中に残っていた。

通学電車の中、アキラは車窓を眺めていた。

整然としたビル、規格化された街路樹、同じ制服の生徒たち。

景色は変わらず、心も揺れない。

それなのに、アキラの胸の奥にだけ、何か引っかかりが残る。

説明のつかない、微かな違和感だった。

車内モニターが切り替わり、ゼオのアイコンが表示される。

《現在、通学ルートBが最適です。幸福度低下を回避するため、次の駅での乗り換えを推奨します》

生徒たちは一斉に無言で立ち上がり、次の駅で降りる。

抗う者はいない。

「おはよう、アキラ」

声に振り向けば、ルキが静かにそこに立っていた。

銀色の髪が光を弾き、どこか人間味の薄い、透けるような印象を与える少年。

中性的な顔立ちに感情の色は薄く、視線の奥に何かを隠しているように見えた。

「……おはよう。いつからいた?」

「最初から」

ルキはそう言って、窓の外に目を向けた。

アキラは小さく眉をひそめたが、それ以上は聞かなかった。

その存在は、空気のように自然で……不自然だった。

朝の点呼。

生徒たちは左耳に装着したエンジェルリングーー透明な円形の端末を読み取り機にかざし、出席が自動認証される。

幸福度の変動も、常時ゼオに記録されていた。

「全員確認……あれ? ルキくん……あ、手動登録ね。ゼオのログにないけど、問題ないわ」

教師は特に気にする様子もなく処理を進めた。

クラスメイトも気にしない。

アキラは思わず、周囲を見渡した。

誰もルキの登録外に驚く素振りを見せない。まるで、毎朝のことのように。

誰も奇妙だと感じていないことが、1番奇妙だった。

違和感は、日常の中に自然と埋もれていく。

昼休み。校庭の隅にある仮設菜園で、アキラは水を撒いていた。

その途中、枯れかけた苗が目に入った。

一瞬、手が止まる……抜くべきか、残すべきか。

《判断保留中。幸福度スコアへの影響:±0.0》

耳元でゼオの音声が囁く。

「全部スコアで決めるのが、本当に正しいのか……」

思わず、心の中でつぶやいた。

でもその言葉は、誰にも聞こえない。

「……そういうの、迷うよね」

不意に、少女の声がした。

振り返ると、茶色いショートボブの髪が風に揺らしたカナが立っていた。

制服の袖口にはかすかな土汚れ、赤いリボンは少しだけ歪んでいたが、それがなぜか似合っていると思えた。

「ここ、落ち着くね。風の音とか、水の音とか……なんか、考えごとするのにちょうどいい」

彼女は小さく笑った。

「私、選ぶの苦手でさ。正しいかどうかじゃなくて、自分で決めていいのかって、いつも思う」

アキラは黙って、枯れた苗を抜いた。

その手元を見ながら、カナは少し目を細めた。

「……昔の世界って、もっと自由だったのかな。そう思ったこと、ない?」

「昔って?」

「……ほら、ゼオが統治する前とか」

カナは少し声を落とす。

「裁判とか、戦争とか……そういう言葉、聞いたことない?」

「……名前くらいなら。でも、何だったっけ? 争いの一種……とか?」

アキラは首をかしげる。

カナは小さくうなずいた。

「私もよく知らない。でも……調べても、ちゃんとは出てこない。誰かが、消したんだと思う」

「誰が?」

カナは答えず、風に揺れる苗をじっと見つめた。

「旧校舎の地下、まだ使われてるって知ってる? 昔の資料が残ってるらしいよ。誰も行かないけど……そういうの、気にならない?」

理由はなかった。でもアキラは、無性に行ってみたいと思った。

「……行ってみたいかも」

「今日の放課後、どう?」

「……ああ」

カナはふっと笑った。

「私も、そういうの……気になるんだ」

放課後。昇降口でアキラとカナが靴を履き替えていると、背後から近づく足音があった。

「どこ行くの?」

振り返れば、ルキが立っていた。

感情の読めない表情で、二人をじっと見ている。

「ちょっと、資料の確認」

アキラがごまかすように言うと、ルキは一瞬だけ間を置いてから歩み寄った。

「……俺も行くよ」

「いいのか? 止めなくて」

「監視だから。見るだけ」

その声には、どこか見るだけじゃない響きがあった。

だがアキラはそれを深く考えずに、うなずいた。

昇降口の自動ドアが開き、夕方の光が差し込む。

三人の影が長く伸びて、校庭に消えた。

旧校舎は、本館の裏手にひっそりと建っていた。

使われなくなって久しく、壁の塗装は剥がれ、窓は半分曇っている。

それでも管理はされているのか、入口のドアには電子錠が取り付けられていた。

「鍵、借りといた」

カナがエンジェルリングをかざすと、ロックが静かに解除された。

「……ゼオに見つかっても平気なのか?」

「うん。ここ、禁止区域じゃないから。使用停止中ってだけで、立ち入りそのものは記録上は許可されてる。……ただ、最適な行動には入ってないから、誰も来ないだけ」

カナはさらりと言ったが、その目は少しだけ緊張を帯びていた。

中は思ったより整っていた。

空気は冷たく、埃の匂いがうっすら漂う。

「……なんか、時間が止まってるみたいだな」

アキラがつぶやくと、ルキが壁にかかった掲示物を眺めながら言った。

「ここ、ゼオが導入される前まで使われてたんだろ」

カナはうなずく。

「その下に、資料保管庫があるって。旧時代の記録とか、もう消されたはずの紙の資料」

「……紙の、記録?」

「うん。データにしなかった記録。きっと都合が悪かったんだよ。誰かにとって」

階段を下りるたびに、空気が変わっていく。

光はなく、非常灯だけがぼんやりと階段を照らしていた。

アキラの心臓が、ほんの少しだけ高鳴る。

「……本当にあるのか、資料なんて」

アキラがつぶやく。

カナは無言で、扉を押した。

きぃ……という音とともに開かれた先には、

古びた棚がいくつも並び、紙の束が乱雑に詰まっていた。

ホコリが積もり、空気はひどく重い。

それでも、何かが残っている――確かな気配があった。

「すごい……本物だ、これ全部」

カナが目を輝かせてページをめくる。

だがアキラの目は、別のものに引きつけられていた。

部屋の一番奥。

見慣れた棚や紙束の中に、そこだけ……違う気配があった。

壁の一角、白く塗り直された跡の下に、何かがうっすらと滲み出ている。

アキラが近づくと、かすかに赤黒く残された文字が目に入った。

ルキがそっと懐中ライトを向ける。

塗り潰された塗料の下に浮かび上がる、歪んだ筆跡。

『神を殺せ』

一瞬、アキラは目を疑った。

読み間違いかと思った。

でも、何度見てもその言葉だった。

カナは言葉を失い、足を止める。

ライトの光が微かに震えた。

「……なに、これ……」

彼女の声はかすれていた。

アキラの心臓が、ひときわ強く脈打つ。

まるで、言葉そのものに意思が宿っているようだった。

ルキだけが、じっとその文字を見つめていた。

しばらく沈黙が続いたあと、彼は静かに口を開く。

「……こういうの、好きだよ。意志がある」

アキラが息をのむ。ルキの声は、どこか懐かしさすら帯びていた。

「誰かが……神に抗おうとしたんだ」

しばらくの沈黙。

ルキは言葉を選ぶように、低く呟いた。

「神は、人のために生まれたはずなのに」

「殺さなきゃいけないなんて、皮肉だな」

誰も、それに言葉を返せなかった。

重い沈黙の中で、ルキだけがその文字を見つめ続けていた。

そのとき、誰の端末も音を鳴らさなかった。

まるで、ゼオの目が……ここには届いていないかのように。

それが、始まりだった。

この世界で、神様を殺した日の。

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