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禁欲系医者ー慎吾、今日も争奪戦!

禁欲系医者ー慎吾、今日も争奪戦!

By:  風やすみCompleted
Language: Japanese
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誰もが知っている、松本光希(まつもと こうき)は妻を溺愛してやまない男だ。 私のために家同士の縁談を断り、三年変わらずに私を甘やかし続けた。 なのに、私たちの結婚式前のバチェラーパーティーで、ずっと心に抱き続けてきた女の子が彼に問いかけた。 「もし私が式を壊してでも奪いに来たら、一緒に来てくれる?」 光希は真剣に答えた。 「行く!」 私は涙をこらえて、大富豪の親友にメッセージを送った。 【今すぐここから私を連れ出してくれる?】 七分後、彼女が車で火急に駆けつけた。 「前から言ってるでしょ、あなたの顔と性格なら、さっさと良家に嫁いで幸せになりなよ! うちの兄貴はイケメン、父もまだまだ色気あるんだよ、好きなほう選びな!」

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Chapter 1

第1話

結婚が間近に迫り、松本光希(まつもと こうき)の幼なじみが彼のためにバチェラーパーティーを開いた。

彼の仲間内はみんな、光希が私・木村由香(きむらゆか)を溺愛していることを知っている。

私を連れて行かないなら、彼は必ず十時前には家に戻る。

周りが盛り上がっていようがいまいが関係ない。

だから今回も、みんなは私を熱心に誘った。

でも入った瞬間、空気がどこかおかしいと感じた。

みんなは愛想よく挨拶しながら、こっそり光希に合図を送っていた。

私は事情が飲み込めなかった。

全員が席についたころ、ショートカットの女の子がのんびり遅れてやって来た。

「ごめん、渋滞で遅くなった!」

背が高くて細く、声は澄んでいて歯切れがいい。

隣の光希がその場で固まった。

誰かの顔に、鼓動が一拍抜ける表情を見たのはあれが初めてだった。

彼女が勢いよく私に手を差し出した。

「あなたは花嫁だよね?はじめまして、美雪っていうんだ!」

その名前を聞いた瞬間、すべてを悟った。

安藤美雪(あんどうみゆき)は光希が五年も想い続けた女の子だ。

当時の光希は今みたいに落ち着いていなくて、猛烈に彼女を追いかけていたらしい。

ビルの前に何万本ものバラを敷き詰めたこともある。

海辺で百メートルもの高さに届く巨大な花火を打ち上げたこともある。

彼の青春はまるごと彼女で満ちていた。

けれど三年前、彼女は迷いなく別の男の子を追って海外へ留学に行った。

私が光希と出会ったのは、その時期だ。

あの飲み会で、光希はけぶる照明を縫うようにしてこちらへ歩いてきた。

私は半分しか飲んでいないのに、もうぐでんぐでんだった。

慌てて周りの友だちに彼のことを聞き回った。

友だちに背中を押されて彼の前に出たとき、緊張で舌がもつれた。

「私は由香だよ。松本さん、苗字は?」

周りでどっと笑いが起きた。

何か月も寄せていた光希の眉間の皺が、その瞬間ふっとほどけた。

付き合ってからの光希は、ほとんどすべてのやさしさを私に注いだ。

私の好物も苦手も、全部きっちり覚えている。

どれだけ残業が遅くなっても、必ず自分で迎えに来てくれた。

どんな記念日でも、彼は必ず心を込めたプレゼントを用意してくれた。

SNSに私を載せ、親しい仲間みんなに紹介してくれた。

彼の友だちまでやっかみ始めた。

「先人の努力のおかげで楽をしているね。ほんといい時に来たよな!」

「光希は一番落ちない女の子を追い続けて、トップクラスのEQを身につけた。おいしいところは全部、君がもらってる!」

そんな言葉で心が揺れたことはない。

顔つきも性格も、私と彼女はまるで違うと言われていたからだ。

私は誰の代わりでもない。

それ以上に、光希の愛をちゃんと感じていた。

三年の熱愛ののち、彼は迷わず私にプロポーズしてくれた。

この恋はこのまま花開いて実を結ぶと思っていた。

なのにその時、現実が容赦なく殴りつけてきた。

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第1話
結婚が間近に迫り、松本光希(まつもと こうき)の幼なじみが彼のためにバチェラーパーティーを開いた。彼の仲間内はみんな、光希が私・木村由香(きむらゆか)を溺愛していることを知っている。私を連れて行かないなら、彼は必ず十時前には家に戻る。周りが盛り上がっていようがいまいが関係ない。だから今回も、みんなは私を熱心に誘った。でも入った瞬間、空気がどこかおかしいと感じた。みんなは愛想よく挨拶しながら、こっそり光希に合図を送っていた。私は事情が飲み込めなかった。全員が席についたころ、ショートカットの女の子がのんびり遅れてやって来た。「ごめん、渋滞で遅くなった!」背が高くて細く、声は澄んでいて歯切れがいい。隣の光希がその場で固まった。誰かの顔に、鼓動が一拍抜ける表情を見たのはあれが初めてだった。彼女が勢いよく私に手を差し出した。「あなたは花嫁だよね?はじめまして、美雪っていうんだ!」その名前を聞いた瞬間、すべてを悟った。安藤美雪(あんどうみゆき)は光希が五年も想い続けた女の子だ。当時の光希は今みたいに落ち着いていなくて、猛烈に彼女を追いかけていたらしい。ビルの前に何万本ものバラを敷き詰めたこともある。海辺で百メートルもの高さに届く巨大な花火を打ち上げたこともある。彼の青春はまるごと彼女で満ちていた。けれど三年前、彼女は迷いなく別の男の子を追って海外へ留学に行った。私が光希と出会ったのは、その時期だ。あの飲み会で、光希はけぶる照明を縫うようにしてこちらへ歩いてきた。私は半分しか飲んでいないのに、もうぐでんぐでんだった。慌てて周りの友だちに彼のことを聞き回った。友だちに背中を押されて彼の前に出たとき、緊張で舌がもつれた。「私は由香だよ。松本さん、苗字は?」周りでどっと笑いが起きた。何か月も寄せていた光希の眉間の皺が、その瞬間ふっとほどけた。付き合ってからの光希は、ほとんどすべてのやさしさを私に注いだ。私の好物も苦手も、全部きっちり覚えている。どれだけ残業が遅くなっても、必ず自分で迎えに来てくれた。どんな記念日でも、彼は必ず心を込めたプレゼントを用意してくれた。SNSに私を載せ、親しい仲間みんなに紹介してくれた。彼の友だちまでやっかみ始めた。「
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第2話
美雪は堂々と私の隣に腰を下ろし、バッグから香水を取り出して差し出した。「結婚祝い。すごく上品な香りでね、七八年ずっとこれしか使ってないんだ」彼女は目を細めて笑った。正直、立ち居振る舞いは洗練されていて、人柄も憎めない。結婚祝いも光希ではなく、私にくれるなんて。私は受け取って礼を言った。すると彼女はまたスマホを取り出し、私の連絡先を追加した。「これからもし辛いことがあったら、すぐ私に言いな。光希とは幼なじみだけど、でも私は絶対に彼の味方なんかしない。何かあったら必ずあなたを助けるよ!」周りの友だちが一斉に拍手した。「さすが姉貴、やっぱりカッコいい!」美雪は少し間を置いて、私を越えて隣の光希を見やった。「ねえ、どうしたの?三年ぶりなのに、ずいぶん口数少なくなったじゃない」周りは酒を飲んだり、面白がったり。けれど視線は私たち三人に釘付けで。一瞬たりとも見逃すまいという目だった。光希の耳は目に見えて赤くなった。彼は彼女のほうを振り向くことすらできず、グラスを手に取り、わざとらしく笑ってみせた。「口数減ったんじゃない。ただ君と疎遠になって、何話せばいいかわからんだけ」美雪が笑った。「それって、三年間も私が連絡しなかったせい?」彼女はグラスを掲げた。「じゃあ、これからはしょっちゅう連絡しよう?」光希は一度私を見てから言った。「俺は完全にカミさんに頭が上がらないタイプなんだよ。これから連絡するなら、まず由香に許可取らないと」二人はわだかまりが解けたみたいに笑いながら、グラスを合わせた。言葉の裏も駆け引きもなく、正々堂々。けれどなぜだろう、私の胸は苦しくてたまらなかった。三年間一緒にいたから、光希の身体の反応を私は知り尽くしている。今夜の彼は、あまりに緊張していた。酒を飲み、歌を歌い、じゃんけんで盛り上がり。終盤、みんなが酔い始めたころ。光希が美雪にじゃんけんで負け、真実を答える番になった。一晩中きちんとしていた美雪が、そこで急にわがままを言った。首をかしげ、酔いに頬を染めながら、子供みたいに尋ねた。「もし私が式を壊してでも奪いに来たら、一緒に来てくれる?」その問いに、みんなの熱気は一気に爆発した。「おいおい、やっと本音出たじゃん!」「
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第3話
紗英からすぐ電話がかかってきた。「どうしたの、あいつらにいじめられたの?」「ううん、大丈夫。今は聞かないで、迎えに来てくれる?」私の涙がこぼれそうでたまらなかった。紗英は一気に取り乱し、声まで切羽詰まった。「待ってて、すぐ行くから!十分!いや、七分!」「そんなに急がなくていいよ、ゆっくり、安全運転して」「口出すな!」七分後、紗英がブガッティをぶっ飛ばして突っ込んできた。彼女の顔を見た瞬間、私は堪えきれず目が熱くなった。紗英が私の手を握り、怒りを飲み込んだ。「あんたたち、どうやって彼女をいじめた?光希、死んでるのか?彼女がこんなに傷ついてるのが見えないの?」紗英は大富豪の令嬢で、性格は豪快、その存在感だけで場の空気を圧する力があった。彼女が姿を現した瞬間、その場の人間は一気に黙り込んだ。美雪を見つけた紗英の眼差しが鋭く光っている。「へえ、ここにいたのか」美雪は立ち上がって私の腕を取り、親しげに笑った。「ただゲームしてただけよ、なんでそんなに本気になるの?私、大雑把な性格だからさ。こういう繊細な子と一緒にいるの初めてで、距離感間違えちゃった。悪かったわ」紗英は私をぐいっと背にかばった。「誰が彼女に触っていいって言った?大雑把なんかじゃない、しらばっくれてるだけだろ」その時、光希も酔いが醒め始めていた。彼は眉間を揉み、立ち上がって言った。「由香は疲れてる。俺が送っていく」紗英が鼻で笑った。「私が来たんだよ。あなたの出番ない。そのまま死んだふりしてろ!」その場の全員が気まずそうに立ち尽くし、紗英が私の荷物をまとめるのを見ていた。彼女は片づけながら容赦なく言った。「前から言ってる。あなたの顔と気質なら、さっさと名家に嫁いで楽してればいいのに、わざわざ成金の家に行って苦労しようとするなんて。ああいう界隈は腹の探り合いと裏表だらけ。あなたみたいに純な子が行く場所じゃない!」光希の家も純資産は数十億円にのぼる。資産数十億の成金……なんともレアな表現だ。けれど紗英が口にすると、誰も反論できなかった。紗英は荷物をまとめ終え、私のバッグを手に取った。中に入っていた洒落た香水を見つけると、何も聞かずに取り出して床に投げ捨てた。「こんな時代遅れ、よく人に渡せたね
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第4話
抑えていた感情が一気に崩れ落ちた。私は声をあげて泣きじゃくった。三年間の真心がすべて無駄になった気がした。光希の私への細やかな優しさは、愛ゆえだと思っていた。まさか、あれは彼女に見せるための演技だったなんて。私はただ、二人の駆け引きの道具でしかなかった。紗英はストレートな女だ。慰めの言葉なんて知らない。彼女はいつも問題を直接ぶち壊すタイプだった。「泣くなよ、男なんていくらでもいる。替えればいいだけ。うちの兄貴はイケメン、父もまだまだ色気あるんだよ、好きなほう選びな!」泣き疲れた私は、思わず笑わされてしまった。「紗英、私って情けないよね。こんな時、いつもあなたに守ってもらって」紗英が私の頭を軽く叩いた。「馬鹿言わないで。人の性格はみんな違うんだ。うちは早くに母親を亡くして、残った三人はみんな性格がちょっとおかしくて、愛情表現なんてまともにできなかった。私は昔から反抗ばかりで、手に負えないガキだったし、人の役に立つこともほとんどない。でもあなたは生まれつき心が柔らかくて、一緒にいるだけで春風みたいに心地いい。しかも、あなたは今でも街で一番注射が痛くない医者だよ。私が入院してた時、もし毎日付き添ってくれて、飽きもせずあやしてくれなかったら、とても乗り越えられなかった!」私はその言葉に救われた。崩れ落ちた自尊心が、また少し立ち上がった気がした。紗英が言った。「マジでさ、ほんとにうちに嫁ぐ気はないの?」この話、彼女は何度も口にしている。私と紗英が知り合ったのは、彼女が病気で入院した時だ。院長が彼女の主治医を担当していて、私は助手だった。でも、私の話し方が柔らかくて、注射も痛くないって理由で、紗英がわがままを言い張り、私を主治医に指名した。そこから、妙に濃い友情が始まった。当時、私はすでに光希と付き合っていた。紗英は毎日、悔しそうに大腿を叩いていた。「なんで私の病気、数か月早くならなかったんだよ!そうすれば、あなたまだ独り身で、うちに嫁に来る可能性あったのに!」その時、無関係でとばっちりを食らったのが渡辺慎吾(わたなべ しんご)だった。紗英のためにわざわざ海外から休暇を取って帰国した実の兄だ。聞かされるうちに、顔がどんどん暗くなっていった。紗英が執拗に
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第5話
慎吾がパソコンから顔を上げた。身長は190cm、くっきりした眉骨に通った鼻筋。目は冷ややかで、なのに妙に惹きつけた。一目見れば、造物主にえこひいきされたと恨みたくなるほどの美貌だった。慎吾がこちらを一瞥、目は淡々としている。「いいえ」その声に、向かいの医者・平野優斗(ひらの ゆうと)が驚いて顔を上げた。「慎吾、あなた……」慎吾が鋭い視線を向けた。優斗ははっとして、飲み込んだ。紗英がさらに問いかけた。「じゃあ外でご飯は?」慎吾は少し考えて、「いい」言うが早いか、すっと立ち上がり机の資料を片づけた。紗英は大喜び。「よし!じゃあ今夜あなたは外で。私は由香を家に連れてって飯。あなたがいたら彼女も気まずいし」慎吾の動きが止まった。ゆっくり顔を上げて紗英を見やる。その目には、わけのわからない殺気がにじんでいた。「じゃあ外で食わせればいいだろ。うちの飯、別にうまくない」慎吾は露骨に不機嫌だ。家の家政婦の田中彩花(たなか あやか)は、もとは庭の世話係だった。年で土を起こすのがきつくなって、台所に回った。彼女の料理は、うん、やたら健康的だ。紗英が背伸びして、耳元でささやいた。「彼女を家に連れてって、父に紹介するの。へへ、若い継母ができるかも、嬉しい?驚いた?」慎吾がゆっくりと身を起こし、死体を見るみたいな目で紗英を見た。数秒後、紗英の襟首をつかんでCT室へ引っ張っていた。「行くぞ、撮っとけ。前の入院で、脳みそ間違って切られてないか確認だ」廊下に紗英のじたばたが響いた。「私の頭は正常!兄貴、若い継母のメリット三つ、整理してやる。一つ目、父さんが結婚したら、私たちの結婚を毎日急かさなくなるだろ。二つ目、継母に耳打ちしてもらって会社は私に継がせる。あなたは安心して慎吾先生続けられるし、私は念願の会長。みんな幸せ!三つ目、継母は若くてグラマラス。うまくいけば来年には弟を抱ける。家の血もつながる。あなたは産まなくていいし、いっそパイプカット……あ痛っ!つねるなって、痛い痛い!」車が病院を出たとき、見覚えのある車が一瞬よぎった。私は振り返した。「今のは光希?」紗英は平然な顔をした。「違う、見間違い。今ごろどのベッドで本命に甘い言葉囁いてるか分かったもんじ
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第6話
慎吾は食卓に端然と座っていた。ぴったりしたスーツに身を包み、髪の毛一本乱れていない。まるで冷徹な御曹司だった。「俺、普段からこうだろ?」慎吾が歯を食いしばるように言った。紗英の口元がぴくぴく動いたが、言葉は出なかった。ちょうどその時、父・渡辺陽介(わたなべ ようすけ)が帰ってきた。彼はにこやかに私へ挨拶し、テーブルについた。慎吾は父のスーツ姿をちらりと見て、言った。「着替えないのか?普段は帰宅したらすぐアンダーシャツに着替えるだろ。スーツは苦しいって」陽介は私を見、それからきちんと装った慎吾を見て、嬉しそうに笑った。「せっかく友だちを連れてきたんだ、体裁は整えないとな」慎吾の口元もぴくぴくと引きつった。食事が始まった。慎吾は半膳のご飯を持ち、誇らしげな顔。「このすき焼きとトンカツ、下げろ。脂っこすぎる!」彩花がその通りにした。慎吾は上品に野菜を食べている。陽介が怪訝そうに眉を寄せた。「お前、普段は肉ばかりで、野菜なんて一口も食わんだろ?」慎吾の手がぴたりと止まった。視線の先では、陽介が淡々とステーキを切り分けている。「普段はステーキも箸で食うだろ」陽介が言葉を失った。私は慌てて口を挟んだ。「ナイフやフォークより箸のほうが便利ですよ。私もステーキを箸で食べることあるし」少しだけ空気が和らいだ。けれど慎吾は続けた。「父さんは蒸し魚が一番好きで、骨をテーブルに吐き散らすよな」「お前今日おかしいだろ!」陽介が歯ぎしりして、箸を叩きつけ、そのまま立ち上がった。「お前らで食え。俺は怒りで腹いっぱいだ!」紗英はうつむいて黙々と飯をかきこんだ。口を出すことも聞くこともできない。気まずさを破ったのは彩花だった。「うちの前に車がずっと停まってますね。誰を待ってるのか……たしかあれ、ダイハツっぽいですけど」慎吾は聞いた瞬間、すぐに立ち上がった。「お前らは食え。俺が見てくる」しばらくして、階下から慎吾の声が響いた。彼は執事の鈴木大輔(すずき だいすけ)にこう言った。「大輔さん、あの新エネ車をどかせろ。うちで配車を頼んだ覚えはないって伝えろ。ついでに1万円渡して、道端でラーメンでも食わせてやれ。一晩待って大変だったろうからな」私は紗英
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第7話
翌朝、私たちは再び食卓に集まった。私の目はクマだらけ。慎吾も同じだった。陽介は十歳老け込んだみたいに疲れ果てていた。紗英が驚愕した。「何これ、みんな昨晩眠れてないの?」私は口ごもった。「たぶん、慣れないベッドだから」慎吾「俺も慣れないベッドだから」陽介が力なく慎吾を見る。「ベッド変えただけで眠れないなら一人で悶えてろ。夜通し何を発作みたいに、俺がトイレに立つたび出てきて睨んで。おかげで眠れなかったぞ」慎吾は当然の顔で答えた。「普通の人間が一晩で八回も小便に行くか」陽介の唇が震えた。「俺は年寄りで頻尿だ。悪いか!」言い捨て、箸を叩きつけ、屈辱の顔で出て行った。二回続けて怒りで満腹した。そりゃ太らないわけだ。紗英がパンを齧りながら言った。「あとで兄貴に送ってもらいなよ。私はパス」私は慌てて断った。「慎吾先生に迷惑かけられない。タクシーでいい」慎吾が立ち上がった。「どうせ通り道だ。ここ数日、送ってやる」そして携帯を取り出し、耳まで赤くして言った。「……ライン交換しよう」私は一瞬迷った。紗英が茶々を入れた。「ちょ、兄貴。たかが同僚送るのに、ラインまで交換してガソリン代請求する気?」私ははっとした。なるほど、考えすぎた。私は急いでスマホを出し、ラインを交換した。さらに1万2000円を送金した。「これで足りる?」慎吾は何も言わず、ただ紗英を静かに見つめていた。出勤の車中。慎吾がハンドルを握り、相変わらず氷みたいな顔をした。気まずさを埋めるため、私はスマホを取り出しSNSを眺め始めた。そして世界が崩れた。昨夜、この無愛想な医者が投稿していたのだ。【今日、家に茶碗と箸が一組増えた。[可愛い]】添えられた写真は、私の目の前にあった大盛りのご飯。さらに、箸を持つ私の右手までしっかり写り込んでいた。画像は圧縮されて粗いのに……そのご飯が妙にぎゅうぎゅう押し固められているのは一目でわかる。私は大食いで、初めて人の家でお代わりするのが気まずく、最初の一杯をぎゅっと押し込んで盛ったのだ。その瞬間、穴があったら入りたいくらいの恥ずかしいが湧き上がった。さらに最悪なのはコメント欄。共通の友達の書き込みが見えた。
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第8話
慎吾が急にこちらへ顔を向け、真っ直ぐに見据えた。「俺と彼女のあいだには何もない。友達にすら入らない」私は素早く関係を整理した。「じゃあ、この三年間、光希のSNSの投稿は全部見られたってこと?」「ああ」初めて会ったときのことを思い出した。慎吾は私を見て、長いこと固まっていた。紗英の大きな叫び声で、彼はやっと我に返った。「じゃあ、病院で最初に会った時点で、私をわかってたってこと?」と私は聞いた。「違う。順番が違う」慎吾はハンドルを握りながら言った。その言葉が全部私の胸に刺さった。「先に病院でお前を知った。そのあとで光希から友達申請が来て、やつのタイムラインで、もう一度お前を見た。もし彼の投稿でお前を見ていなければ……あの意味不明な話を我慢して読むことも、ラインを残しておくこともしなかった」頭の中で情報がパチパチ弾けながら雪崩れ込む。最後に掴めたのは一本の筋だけ。つまり、あの時点で光希は私と付き合っていながら、美雪を手放せていなかった。卑屈に、美雪が想っていた相手に、あんな意味不明なメッセージを送っていたのだ。私は目の奥がしみて、言葉が出なかった。慎吾が黙ってティッシュを差し出した。「落ち込むな。男なんていくらでもいる。替えればいい」私は鼻をすすった。「そのメッセージ、見せてもらえる?」慎吾が数秒フリーズ。そしてきっぱりと拒絶した。「見せない!」見せないならそれでいいけど。パンツを脱がされたみたいな恥ずかしい顔はなんなんだ。その後しばらく、夜は紗英の家に泊まり、朝は慎吾と一緒に出勤した。にぎやかに過ごしているうちに、失恋の苦しみも意外と早く過ぎ去った。慎吾は、少しずつ文明化する野人みたいだった。人の気持ちを気遣うようになり、ついには料理まで覚え始めた。彩花はおろおろ。自分の仕事がなくなるんじゃないかと怯えるほど。もう一人の被害者は、慎吾の向かいの優斗だ。慎吾が突然、残業嫌いになったのだ。優斗は一人で必死に耐え、M字の生え際が日に日に後退していった。紗英が舌打ち混じりに褒めた。「うちで一番性格がおかしい人間が、最近どんどんまともになってる!」ただ、私から見れば、やっぱりどこか変。たとえば寝る前、患者に声をかけるみたいに私を気
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第9話
彼女は前から殴りたくて仕方なかった。ただ文明社会にいる以上、白昼堂々と手を出すわけにはいかないだけ。紗英がゆっくり袖をまくりあげた。そして腹の底から声を張り上げた。「泥棒だあああ!」次の瞬間、彼女は飛びかかって、ドカドカと殴りまくった。彩花はその声に目を覚まし、寝ぼけ眼のまま箒を手に参戦した。美雪の悲鳴がどんどん甲高くなるにつれ、彩花は少しだけ理性を取り戻した。「ちょっとやりすぎじゃありませんか?」紗英は鼻で笑った。「強めにやらなきゃ泥棒なんか覚えないだろ。彩花、あなた料理も下手だし、殴るのも力ないな!」彩花はその一言で、すぐに自分が職を失う未来を想像してしまった。必死に自分の有能さを示そうと、さらに袖をまくり、歯を食いしばって殴り続けた。駆けつけた警備員がようやく彩花を引きはがした。美雪は全身青あざ、顔は豚みたいに腫れ上がり、泣き声も途切れ途切れだった。翌日、私は仕事中、ちょうど外傷処置を終えた美雪を診察した。彼女はようやく落ち着きを取り戻したところだった。だが私の手首にあるブレスレットを目にした瞬間、あの慎吾のSNSに写っていた物だと気づいて、再び激情に駆られた。「やっぱりあなただったのね!あなただったんだ!あなたが彼に近づいたのは、私に復讐するため?」私は彼女を押さえた。「検査中は動かないで。機械は高い、壊したら払えないよ」うっかり傷に触れてしまい、美雪は声を上げて泣き叫んだ。しばらくして落ち着き、さすがにおとなしくなった。そしてすぐに理性を取り戻すと、今度は私を睨み、にやりと笑った。「光希のあの答え、きっと辛かったでしょうね。いい加減理解しなさい。あなたと私は根本的に違う。私は彼が五年も追い続け、手に入れられなかった女だよ。あなたは自分から転がり込んだ女。私と彼の心の中での位置は、雲泥の差!若い頃の想いほど強烈なものはない。たとえあなたと結婚しても、私は彼の心に一生刻まれてる」彼女は頭が切れた。話したことが全部、私の心を突き刺すようだった。けれど、もう私は何も気にしない。平然と検査を続ける私を見て、美雪はさらに声を潜め、攻撃の強度を上げてきた。「それにね、知ってる?あの夜、あなたが帰ったあと、彼は私を家まで送って、そのまま泊まっていったの。
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第10話
光希が病院に現れたその日は、久しぶりの快晴だった。昼休み、ようやく一瞬の静けさ。慎吾は私一人なのを見て、胸がざわつくから検査してほしいと頼み込んできた。私の都合なんてお構いなしに勝手にドアを閉め、白衣を脱いでベッドに横たわった。一つ一つ、シャツのボタンを外していく。普段は服のせいで細身に見えるのに、外して初めて気づいた。あの禁欲的なシャツの下に、厚い胸筋が隠されていたなんて。私が動かずにいると、彼は急かした。「どうした、由香先生。始めてくれ」私は真顔で返した。「胸の検査に、腹の下までボタンを外す必要はない」慎吾は「ふうん」と短く応え、ゆっくり下のボタンを留め直した。見事な腹筋を隠して。私は機器を消毒し、潤滑ジェルを塗った。胸筋に触れた瞬間、彼の身体が微かに震えた。呼吸も不揃いになった。「慎吾先生、緊張しないで。リラックス」私は口元を上げて笑った。プローブを手に、彼の胸をなぞるように動かした。周りは不思議なほど静まり返っていた。慎吾のまつげが震え、顔が赤く染まっていく。弱いくせに、やたら遊びたがるんだよな。その時、隣室から優斗が飛び込んできた。「由香先生、いらっしゃいますか?」目に映ったのは、同僚の禁欲系の医学天才だった。今はシャツをはだけてベッドに横たわる姿。優斗は目をつぶり、苦悶の表情を浮かべた。慎吾はすぐに起き上がり、ボタンを留め直した。その顔は一瞬でいつもの無愛想に戻っていた。私は笑いを堪えながら尋ねった。「どうかした、優斗先生?」優斗は目を閉じたまま言った。「下にエコカーが停まってます。花束を山ほど積んで……どうも由香先生宛てのようで」私は思わず息を呑んだ。窓を押し開けると、そこに確かに光希の姿があった。このところ、彼は必死で私を探し回っていたのだ。彼はついに私の診察券番号まで取って、無理やり会いに来たこともあった。涙ながらの懺悔を聞き終えた私は、冷静に「精神科で頭を診てもらったほうがいい」と勧めただけ。それでも諦める気配はなく、今こうして建物の下に立ち、背後には色鮮やかな花の海だった。光希は窓越しに私を見つけ、声を震わせて叫んだ。「酔って、目が覚めた時には取り返しのつかないことをしていた。ずっと後悔して
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