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第340話

Author: 風羽
「おじいちゃん、ちゅー!願乃に、ちゅーして!」

……

周防夫人はその言葉を味わううちに、頭の中が稲妻に打たれたようになった。

——この年寄りがまさか……

よくよく思い返せば、思い当たる節は多い。

長年の秘書がどこか見覚えのある顔だと思えば、伊野清花に似せて雇ったのだ。

さらに、かつて舞の素性が明らかになった際、礼が急に特別な愛情を示し始めたのも……あれも清花の影か。

周防夫人の胸には、怒りと悲しみが入り混じる。

自分は名家の出で、容姿にも自信があった。この人生で愛したのは礼だけ。

それなのに、晩年になって夫の心に別の女がいたと知る——しかも、その相手は嫁の母。こんな屈辱が受け入れられるはずもない。

周防夫人はその場で声を荒らげた。

「礼、あんたって人は……恥知らず!」

礼はちょうど髭で孫娘をくすぐって遊んでいたところで、きょとんと固まった。

周防夫人は鬼のような形相で立っていたが、その顔はすぐに泣き顔に変わる。

彼女は願乃を抱き上げ、強く抱きしめながら涙声で叫んだ。

「礼、この裏切り者!二十代であんたに嫁いで、あんたしか男を知らない私が……まさか毎晩ほかの女を想ってたなんて!孫の前でまで、よくそんなこと言えるわね。恥ずかしくないの?私に顔向けできる?」

願乃は小さな手で祖母の顔を包み、ちゅっとキスを二つ。

周防夫人も頬にキスを返し、なおも夫を罵る。

「あんたが恥を知らないなら、私が代わりに恥ずかしがってやるわ!」

礼はさすがに気まずそうにしながらも、妻をなだめた。

「昔のことだ。もう忘れた。願乃を見て、つい……口が滑っただけだ。誰も聞いちゃいない」

……

周防夫人は礼の真似をして、わざと願乃にキスをしながら言った。

「願乃は伊野祖母にそっくりだな。この眉も目も、まるで伊野祖母そのものだおじいちゃん、ちゅー!!」

しかし言うほどに怒りが込み上げ、大粒の涙をこぼす。

礼は肩を抱き、やさしく諭した。

「どうしたんだ、笑い話にすればいい。もう見ないようにするから」

「人に聞かれるのが怖いの?」

礼は言葉を詰まらせる。

願乃は大きな瞳をぱちくりさせ、二人を見つめていた。

やがて周防夫人は泣き疲れ、孫を抱きしめながら、その温もりに少し気持ちを鎮めた。

「……大事のためだ。京介と舞の幸せのために、あんたに顔を立てるわ。
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